半端チート、勇者未満の禁欲ハーレム

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投稿者: ナースホルン  [2018年 01月 15日 00時 00分] ---- ----
良い点
(序論的なもの)
今回の件について、この四ヶ月間、小説関係の書籍、ウェブサイト、心理学、社会学などの書籍を多数調べていろいろと分析や考察をしていました。少し前に和訳されて発売された本の中に、仮説を立てる上でヒントになるような情報が載っているのを見つけましたので、その他の参考文献などと合わせていくつか仮説を立ててまとめたものを書いてみます(参考文献の要約が不十分な部分は有ると思います。意図的に都合の良い部分を抜き出したりしないように注意してはいますので、どうかご容赦ください)。あと15,800文字くらいあります。とても長いです。

(目的)
目的としては、今回の件で疑問に思っていたり不安に思っていたりするかもしれないことに関して、仮説を述べてみることで、何らかの心理的な負担を軽減することができれば良いな、というものになります(これは自分自身が、自分が解からないことや悩んでいること、過去を振り返って何故自分があんな行動をとったのか分からない事に対して独自に調査を行って、たとえどんな結論であれ解明に役立つかもしれない仮説が見つかれば、心理的な負担が軽減する人間だからです。まあ一般的な考え方ではないかもしれないですが)。

(前置き的なもの①)
仮説はただの仮説ですので、発生した現象を説明するためにこのような理屈が成り立つのではないか、という考えを述べているだけですから、正しいとか間違いとかなどとは別の話になります。仮説の検証を続けていって、その仮説では上手く説明できなさそうだったら別の仮説に切り替えるだけですし、それまでの検証で増えたデータも他の仮説の論理を補強するものになるので無駄になる訳でもありません。
それに推測によって原因に見当を付けることはできても、その原因が正しいと決め付ける事はできないものです。自分には思い付くことのできない他の原因も当然あるでしょうし、全てを同じ条件に揃えて再現しても結果が異なる可能性もあります。
仮にタイムマシンを使って、その現象が発生する前の時間と現場に戻ったにも係わらず、特に何も介入せずに放置したとしても、結果が別のものになる可能性がある、という説を言っている人もいます。100回に1回違う結果になるか、半々の50%くらいになるかなどの偏りの違いは有るそうですが。

(前置き的なもの②)
今回の仮説は他の人の考えを見透かそうとするものではありません。
そもそも人間が他人の感情によって起きた現象を観察したときに、その感情がなんなのかを見抜くことは想像以上に難しいものです。それは実際の難易度だけの話ではなく、人間が他人の感情を見抜くことは簡単だと思い込むという感覚によるギャップの大きさも影響しています。
人間は常に自分が何を感じ考えているかを意識しているので、黙っていても感情や考えが外に伝わってしまっていると思い込む傾向が有り、それが転じて自分は他人が何を考えているのか見抜くことができると過剰に思い込む傾向が有ります。よくあるバラエティー番組みたいに、数人のグループで誰か一人にだけ嘘を吐かせたり、辛いものを食べさせたりして、回答者がそれを見て誰が演技をしているのか当てる、というような実験を行うと、演技している側は自分の嘘が半数くらいにはバレていると思っていますが、実際に正解した回答者は4分の1くらいでしかなかったりします。

このような、自分の内的状態が他者に実際以上に明らかになっていると過大視する傾向、推測者が自分は相手の内的状態を必要以上に見透かせていると思い込む傾向を、『透明性の錯覚』と言います。

他人が考えていることを確実に当てるのはそもそも不可能に近い事で、フィクションの中だけの超能力のような話なのですが、それが現実でも可能であると考えている人は多いそうです。人の目を見れば信頼できるかどうか分かる、話をしただけで相手が善人かどうか分かると言って武装を解除するというような展開は物語のテンプレですが、他者の感情を把握する能力が過大に評価されているために、いかにも正しいことのように今の世の中に広まっているだけで、現実的な話ではありません。

詐欺事件のニュースを見て自分なら被害者達と違って騙されることはないと考える人間は多いらしいですが、現実にはそう言う人も詐欺にかかったりしますし、要人にはボディガードが常について警戒し続けているものです。捜査官や面接官のような人を見抜くことを仕事にしている人達の熟練者でも、普通の一般人よりも正解率が少し高い程度が限界で、プロはそれを踏まえた上で様々な調査をしているものらしいです。

会話でもネットの文章でも自分が想像しているよりも、自分の伝えたいことは相手に伝わっていないものですし、他人の事も理解できるわけではありません。それに加えて感情が高ぶっているときは他の人が何を感じているのかを推測する能力がかなり低下してしまいます。また、そもそも自分が何を考えているのかも正確に分かる訳でもありません。人間の行動は、省エネや危険な時の迅速な反応などのために、無意識下で今までの経験の積み重ねからあいまいに決められているものなので、自分がとった行動の理由を突き詰めて考えていっても、または他人からの追求に対して説明していっても、いずれはどうにも分からなくなって上手く答えられなくなるものです。

今回の仮説もこの錯覚の影響で、いかにも他人の考えを見透かそうという意図が有るように感じられるかも知れませんが、他人の考えを当てることは不可能に近いものですし、文献の数多くの事象の中から類似していそうなデータを参考にして、こういう考え方のモデルも有り得るかもしれないのではないか、と推測しているくらいの話となっています。
気になる点
 ※文章が長すぎてどこを読んでいるのか分からなくなりそうなので、段落番号のようなものを付けています※

(本論的なもの①:説明する事)
(①.1)感想欄が荒れる原因は、様々な本やまとめサイト的なもの、他の作者様の作品の感想欄などで、主人公の愚かな行動、強引な展開、理不尽な要求をされる事、設定の矛盾など、多々挙げられていますが、この仮説ではそちらの方面の推測はひとまず置いておきます。
感想欄が荒れた際にその対策として最もやってはいけない事としてたびたび挙げられていることは、
問題になった内容について『ちゃんと説明すること』なんですよね。
しかし自分には、説明をしてはいけないという根拠はいったい何なのか、どんな理屈でそうなっているのか分からなかったので、それについて研究されているものはないのか探していたのですが、少し前に参考になりそうな文献を見つける事ができました。

その本は人質交渉人のテロリストに対しての対策法が、ビジネスなどの議論に対しても有効であるとして、その交渉方法について述べている物でしたが、何かについて苛立ちを感じている人間に、そのことについて説明をすることは戦争を仕掛けている事と同じになる、と書かれているんですよね。

(①.2)認知科学的には、人間の脳は進化の過程で、「戦争のメタファー」が組み込まれていて、他人との不一致を戦争という観点で理解し、行動する回路が備わっている。
臨床心理学としては、説明すると言う行為の『多く』(決して全てではない)は、ベールに隠された支配欲であり、言外の意味は自分が正しく、相手が間違っている理由はこうだ、になり、どう説明を尽くそうと相手の耳に残るのはこの言外の意味になる。「ただ説明しようとしているだけなのに」と思っても、互いに傷つけあい何も得るものが無いという酷い結果になる。
神経科学的には、誰かが何かに関して苛立っていて、その人の信じることに対する反証を挙げるときに、MRI画像で脳の反応を見てみると、論理性を司る部位の機能が低下し、攻撃性に関わる部分は活性化している。その人の脳に関するかぎりは、これは理性的な議論ではなく、戦争と同じものになる、と書かれています。

説明することを戦争と同じことだと感じるなんて有りえないと感覚的に捉える人は多いと思われますが、実際に脳を測定するとそういう反応を示しているそうです。

完全な証拠や、隙のない論理性をもって、苛立っている人間に対して説明したとしても、脳はその話す内容をうまく処理できず、当人の無意識下では生存の危機だと感じて過剰に反応し、戦争を仕掛けられていると思ってしまうそうです。これは当人の知識量や人間性の問題ではなく、脳の機能の問題として人間なら誰でも他者の意見を拒絶したくなるような状態におちいる可能性があり、この現象を知っている交渉人も、相手の反論に対して思わず口を挟みたくなる衝動を抑えて、そういった状態に入り込まないように注意しているそうです。
今回の内容について反論を言っていた人の頭の中では『喧嘩』や『言い争い』というレベルではなく、実際に戦争を行っている感覚になっていたのかもしれません。

(①.3)この本に書かれている対話での対策法をなんとか要約してみますと、
❶落ち着いて、ゆっくりとしたペースで話す。❷傾聴する、相手の話にしっかりと耳を傾け、またそうしていることを相手に知らせる。❸相手の気持ちにラベルを貼る、「怒るのも無理はないですね」など相手の気分に焦点を合わせて相手の気持ちに反応する。❹相手に考えさせる、相手に質問してその返答をフィードバックすることで、相手が自分で問題を解決できるように手助けをする、となっており、
こちらから相手の問題を解決しようとしても上手くいかないが、相手が自分の中でその主張が理にかなっているかどうかを考えて解答を見つけられれば、その人自身の手で抗戦の構えを緩めることができる、と書かれています。

とは言え、対面で言語を使ってやり取りをする訳ではなく、誰とも知らぬ人間と文章を介して説明を行う場合、これらの手段が有効なのか、そもそもどう転用すればいいのか、自分には分からないんですよね。今のところそういった研究についての有用な文献も見つけられなかったですし。
事情を説明する事を避けなければならないのなら、説明はせずに❷、❸のように相手の気持ちについて理解を示して、そのことについてだけ返答すればいいのだろうか……

(①.4)なろうの他作品では、主人公が理不尽な規則を強要され、それを受け入れるというようなストレス展開などの場合、多くの作品ではその場ですぐに釈明はせずに、「いずれちゃんと説明されます」「何話後に明らかになります」「ネタバレになってしまうので今は話せませんが後で改善されます」という対応をしていることが良く見られます(特に説明されない作品も有ります)。
個人的には昔はこれが、なんとなくお茶を濁しているというか、問題の先送りをしているだけではないか、
と思う事も有りましたが、時間が過ぎていくにしたがって読者も冷静に考えることが出来るようになるし、直接説明されるのではなくそれについて書かれた本文の内容を読んで自分の考えと照らし合わせていくことで、読者自身で納得する答えを見つける事が出来るのなら、思っていたよりも優れた方法なんじゃないか、と思い直しました。

昨今の多くの文献などに書かれて周知されていることでは有りますが、昔は読者側が、物語の流れとしてストレス展開になったがいずれちゃんと説明されるだろう、として作者を信頼するなどして様子をみるという考え方も有りましたが、今はもうほとんど見られなくなってしまいましたよね。
ちゃんとした理由があったり、後の展開で解決する話であったりしても、今では何のフォローも入れずにストレス要素や矛盾点を書けば、それだけですぐに反発されるし、ちゃんと真摯に説明してもさらに反発されるようになってしまい、もうまともに受け入れられることができなくなってしまうと思われます。ただ単に話の説明の順番や、説明するまでの間隔が違うだけのことで、同じ内容、同じストレスでも反発される度合いが大きく変わるようになっているのではないか、と思われます。

そもそも解決するために、ちゃんと『説明』する事が逆効果で、ネット上での直接相手の状態がどんなものか分からないような状況では、理想論としての最良の解決方法を導きだすことなんて出来るのかどうかも分からないですから、次善策というかベターな方法というか『後で説明する』ことが一番ましな対応なのかもしれないです。

(①.5)議論も討論も、何かを知らないで言っていることが有るのなら、それを知らせてあげた上で再びどういった意見を主張してくるのかを待つのが基本的なルールになります。知らないことは教えて、もし間違っていそうならばこちらの情報と違う事を指摘して、どう言う見方をしているのかについて話し合うべきです。
法律の必要性や成り立ちとかからしてもそうですが、まずはそうしないと議論する内容や相手を間違えたり、無関係な人を巻き込んだりする危険性があります。ネットではあまり守られていないことが多いですが、話の前提を知らない状態で意見しても、有効な意見にはならないので最初から議論として成り立っていないことになります。

しかしこの場合に問題となるのは、相手が何かを知らないために間違った解釈をして誤解していると思ったからその知識を補足しようとしただけでも、説明する側が取りたてて気にするようなことでもないと感じる理由でも、ちゃんとした理由が有って始めて成り立っている行動だったと説明しても、相手にとっては戦争を仕掛けられているように感じるかもしれないということですよね。
ただ普通に質問しているのか、苛立って批判しているのか、文章を読んだだけでは分かりにくいのですから、誰かが苛立ちの感情を持っているのか判別が付きにくい時は、安全策をとって後で説明することにしたほうが良いのかもしれません。いろいろと調べて考えてみても、説明することで相手側の問題を解決しようとするのは普通の人間の手に余りそうです。


(本論的なもの②:小さな違いを裏切りと感じる事) ※この仮説は他よりも個人的な主観が多くなっています※
(②.1)他者と意見が食い違って議論になった場合、まったく似ていない無関係なものよりも、同じに見えるのにほんのわずか違いがあるものの方がかえって大きな反発を発生させることがあります。

情報が常に新しく発生して広まっていく性質のものである以上、誰も全てのことを知っている訳ではないのは当然のことです。また情報は常に変化していくものですし、見る方法によって別の物に見えることもあります。情報が発生してから社会に周知されるまで、大きな事件や宣伝などがあれば誰の耳にも入るものですが、通常はいろいろな段階を経て広まっていくものです。
どんな分野の知識でも、人によって環境や立場や経験が違うのだから、自分が常識だと思っていることと他人や社会の常識のズレは、必ず発生します。
そして、そのズレは大きさだけではなく、その類似性も反発を大きくする要素になります。

自分とは違う価値観を目にしても、最初から全くの別物のジャンルの話だと分かっていれば、最初から理解する事が難しいと感じるので違っていてもまあそういうものだろうなと思えるものですが、同じジャンルに見える物は、なまじ似ている部分が多いため、そのわずかな違いが目に付いて、いくら言ってもそれを改めようともしない、どうしても同じものにならない相手の事が、どんどん許せなくなっていくものらしいです。
外国との戦争よりも、ルーツや言語の近い民族の内乱の方が凄惨で後を引くように、全く違う不可解なものよりも『似ているが少し違うもの』の方が、多くの部分を理解できるがゆえに強い敵意を感じるそうです。この特性は、太古から人間が集団やナワバリの存続のために、自分達の仲間と少し違っているものを『裏切り者』として手早く見つけて処罰した方が良いと強く思うものが生き残りやすかったからだと言われています。
一つのジャンルの中でどれが一番だ、とかの趣味的な話になると外部より身内の方が対立は激しくなるというような例などもあるように、この場合はあまり作品に触れていない人よりも、普段からこの作品をある程度読んでいて、それなりに思い入れの有る人の方が強く出る傾向かもしれません。

(②.2)この作品は、よくある中世ヨーロッパ風の世界のイメージのようですけれど、人間の考え方や価値観などは、武侠小説や歴史小説などの要素が多く含まれている感じですよね(まあ個人的主観ですし、単なる自分の思い込みかもしれませんが)。
『四面楚歌』とか『不倶戴天』のようなメジャーなものから『問鼎軽重』とか『屠竜之技』などの割りとマイナーな故事成語やことわざ、『腰斬』とか西太后のダルマみたいなグロい刑罰、『拝師』や『鏢局』のような武侠小説の用語、仁義を切ったり指を切って詫びたりするような任侠物の話、時代劇がかった喋り方でやたらと死にたがったり忠義に厚過ぎるムルズの騎士連中、清濁を併せ呑むような話や後味の悪い話などのややダークな展開のストーリー、そして最初期から登場している『拝師』のシステムを有した武侠小説の武闘集団のイメージそのもののマッチョ集団のライフェル教僧兵団、と色々な方面の要素をかなり大量に取り込んでいますよね。

この手のジャンルの物語であれば、日本では罪人の関係者であれば犯罪に全く関与していない人間まで処刑や処罰の対象にすることが、千年以上も法律で定められ行われていましたし、東アジアでは族滅または九族皆殺しなど、敵対者の親族というだけで殺されることは普通のことでしたから、たとえ保護している相手の親類に非があるだけでも、義侠心からそれを警戒して命を掛けて庇ったり、露悪的に振る舞うような交渉をしたりする話は普通のことですし、
敵対している相手は、社会的によほど追い詰められて後がない状態でもない限り、特に暗愚な人間でないのなら引き際を考えて、後先考えずに再起ができなくなるまで戦ったりしないですから、余力が残っているうちに停戦しようと考えるのが当然ですし、主人公側がチートとかによってよほどの戦力差を示さない限り、相手が全面降伏して主人公側が一方的に要求できるなんてことはほとんどないものですからね。
または絶望的に戦力差のある戦争で、知略を尽くして相手に一矢報いてなんとか停戦に持ち込んでも、不利な条件を押しつけられたりするし、逆に相手の要求が自分達の生存が困難になるほどの無茶なものなら、最後まで徹底的に抗戦すると改めて主張したりするような話(それなりに有名で映画や漫画になったやつとかも有りますね)とかも良く有りますし、
今回の四弦万矢の発言のような展開は、このジャンルなら割りと良くある普通の話である、というよりストレスの度合としては、この手の物語の中でもかなり緩いレベルの話なんですよね。リョー君達のメリットになる部分の方が多いですし。

昔の強くて影響力の有った勇者の中にこういう物語や歴史物のマニアが居て、世に広めていたり神官長が参考にしたりしたとすれば、世界の常識や価値観に影響していることは特に矛盾のないことですし(というよりも世界の常識が自然に形成されたものではなく、一部の個人の思惑によって思想誘導をされている世界であるという設定がすでに出ていますから、よほど非現実的でもない限りどんな価値観でも成り立ってしまいますけどね)、なろうの他の作品ではあまり見かけない要素を取り入れていて、常識や価値観が他作品とは違う話であると言う事は、結構たくさん描写されているんですよね。

(②.3)作者様や読者の人のある程度には最初からそういう世界だと描写されているので、今回の話はそのジャンルの価値観の基準ではどうという事のない話で、これまでの話と比べてもおかしいところが有る訳でもないから注釈を入れてなくても理解できたとして、
それは他の読者にも理解できることだっただろうか? ということは突き詰めて考えていっても答えが出ることでもないでしょうし、分かりやすかったのか分かりにくかったのか、についてはどちらにしても今回の仮説には影響しない要素なのでひとまず置いておきます。

本論(①.5)で書いたとおり、誰もが全てのことを知っているわけでもないですし、社会的にタブーなことや誰でも知っていてしかるべきことでもない限り、知らないことは詳しい人間に聞いて、不足している知識を補ってから意見を言うのが議論の基本的なルールになります。しかし、何かを知らないで考えたのであればそのように考えるのは正しいことであり、何かの知識が欠けていれば別の結論になるのは当然のことだと言っている人もいますし、知らないこと自体や知らない状態で意見を言うことが間違いという訳ではないです。知っているかどうかではなく、知った上でどう考えるのかが重要ですからね。

 ※ここから先はこんな可能性ももしかしたらあるのではないか、というようなかなり突飛な仮説になります※
(②.4)文化的な違いにより相互理解が困難になることは世界中でよく見られることですし、それは国家や民族などの話だけではなく、地域、年代、環境によって価値観や常識は簡単に変わるものですから、あらかじめもっとちゃんとこの作品のバックグラウンドについて説明をしていたとしても、イメージのズレが発生する可能性は高かったと思われます。
民族的、文化的な相互理解の難しさについては、当事者にとっては確実に存在すると感じるものでも、外から観測する者には捉えることが難しいものである。そして当事者にとってはその文化が自分達固有のこだわりであることは、自分の匂いが自分ではなかなか分からないように自覚できないものだが、外部から見るとただ理解しにくい固執であるように見える、などと述べている方もいます。なろうでは武侠小説の要素を取り入れた作品は有ることは有りますが極少数ですし、見知らぬ馴染みのない文化ならば理解の不一致はより起こりやすいと思われます。

文化の違いによる理解の不一致は人間に自然に起こりうることですから、読者の方の中にはこれまで作者様が一貫して書いてきた作品のイメージとは違う形で、この作品を捉えていた人もいるかもしれません。
創作物を読んでいく中で、作品に対する読者のイメージのズレは、いつでもどこでも誰にでも発生して、そのズレも読み進めていく中で振り幅が変化していくものです。
しかし、知らない分野の知識や異文化の価値観を目にしても、人間の理解力には、大抵のコミュニケーションや文章、外国語(テストとかでなければですが)などのように、知らない単語は飛ばしたり、多少の誤解は有ってもそのまま問題なく読み進めたりする事ができるような柔軟性がありますから、そんなに良く知らない要素は特に気に留めずに、イメージのズレを持ったまま読み進めることができても不思議ではないと言われています(イメージのズレの固定化には、後述する『確証バイアス』の可能性も考えられます)。

今回の話は、作者様がこの作品で描いていたイメージからのズレの振り幅が普段よりも小さく本来のイメージに近かったため、その柔軟性でもイメージのズレを補完しきれないような話だったと思われます。それゆえに、もともとこの作品が他作品とは構築する文化やバックグラウンドが異なっている世界観の物語であると認識している人でなければ、今までのものと違うという引っ掛かりを感じてしまって読み進めることができなくなってしまったと思われます。

(②.5)読者の方が、今回の話は今まで読んで感じてきたイメージと違うと感じたのは、
今回の話が今までのイメージから突然変わったためではなく、読者の人が今までこの作品を読んで感じてきたイメージそのものの方が、作者様がこの作品にて最初から一貫して書いてきたイメージと異なっていた、
この作品世界の本来の価値観とは違う価値観から成り立っている話だとずっと誤認していたという可能性も有るのではないか、と思います。

作者様からすれば本当に今までと比べておかしな話を書いている訳ではないのですから、誤解を解くためにこの話を書いた理由について当然ちゃんと説明するとしても、読者の方にとっては正しいことではないと本心から感じているので、間違っていると思ってしまうことになります。だから最初から感想欄で何か互いの意見があまり噛み合っていないような感じになっていたのではないか、と思うんですよね。

異なる文化を取り入れて成り立っている価値観が少し違う話を、なろうの共通認識的な常識で書かれている作品などと似ている物だと誤認識されてしまっていた。そしてその誤認識によるズレは、今回の話で本来のイメージの方に近付きましたが、当人からすれば、それは今回の話が今までとズレているように感じさせてしまうものだった。
ただ似て見えていただけで元から別の話だったのに、少しだけ違うものになってしまったと誤解して『裏切られた』と感じてしまった。
『似ているものであるべきなのに少し違う』と誤解されてしまったから、『裏切り者』への反応として結果的に強い苛立ちを発生させてしまい、それについての説明を受けたことでさらに過剰な反発を引き起こすことになってしまったと思われます。元から全然文化が違っていると前もって理解しているなら、もっとストレスを感じるようなハードな内容でもこんなに反発はされなかったのではないか、と思います。

(②.6)とは言え、この類似性と理解の不一致に対してはどのような対策をすればいいのか、ということもやっぱり自分には思い付けないんですよね。そもそも違う文化の相互理解自体は、現代でも何を行ってもどれだけ言葉を尽くしても難しいものですからね。
現実の民族紛争の解決方法を参考にして考えると、かなり危険でも確実に解決できるのはエスニック・クレンジングのように主流とは異なる文化の少数意見を全て排除することですけれど、これは出来る出来ない以前にやりすぎだと思いますし、
チェコスロバキアのように他文化や他民族を認めるような教育を徹底させて、どんな問題が起こってもルールに則って平和裏に解決できるようにすることを目指すのも、不可能ではないかもしれませんが、ネット小説で行うにはまるで現実的な話では有りませんからね。

わずかにイメージからズレているという誤解が、『裏切り者』だと認識されて大きな反発を招いてしまったのだとしたら、そのイメージのズレは、今回突然少しズレたのではなく最初からもっと大きくズレていて、元々違う文化から成り立っている話だと説明すれば、許しがたい異分子などではなく、外国のよくわからない文化のように、まあ共感はできないけどそういうものもあるんだな、というくらいの感覚程度に抑えてもらえたんだろうか、と思い付くくらいですかね。
本論①で書いたようにすぐにちゃんと説明する事を避けたとして、その後でいざ説明しようとするときに、問題となっている対象を細分化して詳しく説明しようとすると、その小さな違いが気になってより強い苛立ちを発生させることになるのかもしれないので、説明するときはなるべく先に、全体的なバックグラウンドやその違いを説明した方がより反発が少なくなったかもしれません。

(②.7)いずれにしても作者様の意図が特に原因に関係していないという点からも、他の炎上のケースとは違うと思います。良くある炎上の理由のように、意図的に話の展開のために強引にストレス展開を入れたり、調べれば簡単に分かるような矛盾を面倒だからと適当に書いたり、たとえ現実社会ではほとんど受け入れられていないことでも、まあなんとかなるだろうから問題ないと考えて書いたが上手くいかなかったりすることなど(個人的な主観です)の話とはまるで違うと思います。この作品は、他作品では避けられるようになってしまったストレス要素も多く含まれていますが(自分はそこら辺もこの作品の面白いところの一つだと思います)、
よくあるストレス展開として、今までなろうで悪目立ちして話題になった物や、揉めるとよく知られている物を書かれるときは、前書きに書くなり、活動報告を書くなり、フォローを入れるなどして、作者様は普段から気を配られていました。
作者様は誰かを不快にするつもりでこの話の書いた訳ではないと思いますし、もしそんな展開にするなら普段通りフォローを入れているはずですから、今回の件はただどう受け止められるのか予測する事が困難だった、情報の広がり方という観点からしても、作者様が投稿した時点では、今回の話は他ジャンルの話の常識とネット小説の共通認識との認知度のズレをまだ予測できない段階にあっただけだと思われます。

出来る事ならば、読者の方にももっと作者様のことを信用して、苛立ちを感じる内容でもどんな事情があるのかを聞いてから冷静に判断して欲しかったですし、たとえ受け入れられなくても作者様の考えを少しでも良いから尊重して欲しかったと思いますね。


(追加:気になったことの考察)
『作者様がピリム・カテンや四弦万矢を、リョー君達より優遇している』という方向性の意見がありましたよね(数か月ぶりに感想欄をさかのぼって読み返してみたらありませんでしたが、真面目な話ですので書いておきます)。
自分には改めて読み返してみても、作者様がそんな事を書いているとは全く思えないですし、言い方はアレですがピリム・カテン達は単なる同行人、ストーリーの進行のための駒やパワーアップイベント用のキャラぐらいのもので、作者様がリョー君達より思い入れが有るようにはまったく思えなかったんですね(似たようなことは作者様の返信にも書かれていましたね)。
そもそも、優遇なんてする必要性がないですし、わざわざそんなことをする理由があるとも思えないので、どうしてそのような結論に至ったのか自分にはまったく分からなかったんですね。
議論がヒートアップした際に出てきた冗談のようなものだと思って気にも留めていなかったんですが、少し前に、優遇していると考えるにいたったのは、なにかしらの誤解があるからなんじゃないかと思い直して調べてみました。

そうして調べてみたらすぐにその結論を導くことのできる仮説と、多数の似たような現象の事例を見つけることはできましたので書いてみます。
❶進化心理学としては、透明の窓を挟んだ2匹のチンパンジーに餌を与えるという実験を行った際に、最初に両方に野菜を与えるとどちらも喜んで食べ始めますが、次に片方だけに果物を与えると、もう片方のチンパンジーはいきなり食べていた野菜を投げつけて怒りだすという現象が見られます(他の種類の動物はほとんどしない)。これはたまたまそこに居ただけで対等なはずの相手が優遇されていることが許せない、自分が不等に扱われることが許せないと感じているかららしいです。
進化論的には、この特性を持っているものが餌にありつける可能性が高く生き残りやすかったので、結果的にその種族の末裔は現代では平等である事が正しいと強く思う特性を持った生物になっている、そして進化の過程が近い人間もその特性を強く持っていると考えられています。人間は本能的に自分と相手は対等であるべきだと考えており、不平等を与えるものに対して強い怒りを感じるようにできていると言う事です。

❷民族紛争や人種差別問題などでは、普段は善良かつ誠実で、正義感の強い人間であるはずなのに、他民族を迫害するときはまったく根拠のない出鱈目な理由を言い立てるような人間になるという事があります。
人間は自分達のグループの結束を強めて秩序を守るために、自分達と違うものを排除しようとする『裏切り者』に反応する機能が備わっていますが、本当に大した事のない違いでも、脳の機能によって自分の意思とは無関係に他人に敵意を持つように反応してしまいます。
しかし、自分達とは違う他民族を敵視しなければならないと感じているが、善良で有るはずの自分が他人を迫害するのはおかしいことではないか、という矛盾を抱えることになります。
そこで脳がこの矛盾をどうやって解消するのかというと、自分の感情が正しいのかどうかをかえりみてそれを修正するのではなく、『○○達は善良な自分達にも優しくされるに値しないような□□で邪悪な存在だから迫害されても仕方がない』というように、適当な理由を無自覚にでっち上げて相手を実際の人格以下におとしめるように、事実の方を歪めようとします。
その結果、他者を迫害するが善良な人間でもあるという矛盾を両立させるために、他者への敵意をより強くしていくようになります。この傾向はより善良で正義感が強い人間の方が出やすいのではないか、という説も有ります。
理由があるから敵意を持つのではなく、敵意を持たなくてはいけないから、元々存在していない理由を本人の自覚なく捏造し、それを正しいことだと思い込んでしまいます。そして、そのような敵意を生み出すいろいろな思想の中でも、❶の敵意を効果的に感じやすく、共感しやすくて結論にすぐに結び付きやすい、『○○達は優遇されていて、自分達が不等な扱いを受けている』という考えを他より優先して採用する傾向があります。この思想は、世界の歴史でも戦争の原因からプロパガンダなど、様々な形で非常に多く利用されていました。
今回の件は他人との交渉に係わる事そのものでしたから、その印象によってさらにこの結論に導かれやすくなっていると思われます。

❸文献を探してその内容を参考にする上で、良く注意点として挙げられていることに、『確証バイアス』というものが有ります。
個人の先入観に基づいて情報を見ると、自分の都合のいい情報だけを集めて、それにより自己の先入観を補強しようとする傾向であり、心理学ではかなりメジャーなものになります。
一旦、あることが正しいと思い込むと、その事実がまったく含まれていない文章を読んでも、そこにその意図が含まれていると無意識に誤解したり、資料を読めば読むほどその事実が再発見されて自分の考えていることが本当に正しいとどんどん思い込むようになったりすると言われています。逆にその先入観に反する内容には消極的な対応になり、無意識に重要な物ではないと思って気にも留めなくなります。そしてこの状態の時、自分が偏った見方をしている事を当人が自覚する事はとても難しいものであると言われています。
この傾向がよりひどくなると自分と違う生き方をしているだけの人間まで批判するようになり、それがエスカレートしていくとこの世のあらゆる問題が、全て敵対者が△△しているせいだという陰謀論のようなものを本気で信じて主張するようになります。

❶~❸のように他者を敵であると理由づけるための手段として、それらの意図が全く含まれていない情報に触れていたとしても『○○達は優遇されている』と誤認してしまうことは、人間にとってはかなり強力な生存本能的な反応であり、人類の歴史や戦争についての研究資料などでも良く見られるような特に珍しくもなんともないことだったんですよね。
今回の話について『○○達を優遇している』という意見は、人間が敵意を抱いた時に真っ先に持ち出されるような良くある誤認識の可能性が高いので、それ自体は別に気にしなくてもよいことだと思います。

 ※前置きに書いたルールから外れていますが気になったので書いてみます※
ここまでは、他の本論と同じくただ単に問題解決の参考になるような類似した事例を探し出して、その中の理論と問題の内容とを結び付けて要約して仮説を立てて書いてみるというスタンスではあったんですが、
ここから先は、前述したとおり相手が知らずに意見を言っている可能性があるのなら、まずそれを知らせてあげてからどう判断するのかを考えてもらうべきだ、という議論としてのルールと、たまたま見かけた人間が、『Nワード』に準じるような表現を使っていたとして、もしその人が意味を何も知らなかったり、他人からの又聞きだったり、意味を間違って使用している可能性があるかもしれないなら伝えるべきだと考えたので(知っていたり、知っても気にしない人には大きなお世話と思われる恐れも有りますが)、個人的な判断としてこれを書いてみます。

加害者家族の現状などのように、世間的なイメージが悪過ぎて揉め事の種にしかならないような事は、メディアではあまり取り上げられず周知されないため、その事を知っている人が次第に少なくなるという事があります。
かつて世界中で広まっていたので調べさえすれば簡単に分かることでも、実際に目にする機会自体があまり無いという状況のため知らない人も多いと思われますが、

他者に対して『○○達を優遇している』と言う主張をする事や表現方法は、これまで戦争や迫害によく使われてきたものであり、ナチスによるユダヤ人の虐殺の発端やプロパガンダにも深く係わり、多くの民族紛争でも利用され、現代でも人種差別主義者がよく口にする主張として、
その表現やそれを使用する人間達は、日本も含めた世界中で忌み嫌われています。

実際に世の中の不平等を是正するために活動している人でも、「自分達の主張が正しいことだと思っているが人種差別主義者のそれと似たような方法は取らないようにしている、そのような人間達と同じように思われるのは心外だし、そう誤解されると自分達が目的を達成することのさまたげにもなる。その方法を取らなくても自分達の意見を主張する方法はこの社会にたくさん有るのだから、わざわざそんな表現手段を選択するメリットがない」と考えているそうです。

もし知らなかったり誤解して間違えたりして使っていたのなら、それは仕方のないことですが、この表現やそれを使う人間が社会からどう見られているかを知らずに気軽に使用するのは止めた方がよいと思います。
一言
(結論的なもの)
今回の件について延々と分析と考察をしてみましたが、本来問題になるようなストレス要素ではなかったのに、話の内容とは別に過剰な反応をもたらすような要素が多く有ったせいで、問題の実態をはるかに越えて反発が大きくなってしまったと思います。
他作品では今回の話よりストレスのたまる不快な内容のものでも、その場であまり真摯に説明せずに後で分かるようにしている作品は、消極的なように見えても時間の経過によって反発も鎮静化していくようですし、
環境や文化の違いで互いの理解が不十分になること自体は現実でもよくあることですが、今回のような問題が発生するレベルの類似性と認識の不一致が今後発生することはかなり稀だと思われますから、同じような理由で荒れる可能性はかなり低いと思います。
感想の雲行きが怪しくなりそうなときは、受け答えをより防御側に切り替えた方が安全かと思います。

自分は、作者様のやりやすい形に合わせて誤字報告なり感想などを続けていくだけですね。
長文失礼いたしました。
投稿者: SK家  [2018年 01月 01日 12時 20分] ---- ----
気になる点
パパ様、お年玉ください。
∑(・Д・)つ⑩ (・∀・)文庫買う

ごめんよ(;Д;) ∑(;∀;)足りない…

(・Д・)oO(ウチの子がいつも楽しみにしていた例の異世界冒険譚が復活してさえくれれば娘の悲しまない世界が描けるのに…くっ)




qД・)q∀・)チラッ
一言
トオル先生!!明けましておめでとうございます(・Д・)ノシ

前回の感想を投稿してからトオル先生復活の活動報告を見ました。
楽しみににお待ちしておりますヽ(・Д・)ノヒャッハー
投稿者: SK家  [2017年 12月 22日 19時 42分] ---- ----
気になる点
パパ様、今年はサンタさん来てくれるかな〜♪

文庫欲しい♪(・∀・) Σ(・Д・)つ⑩


今年はサンタさんは来ない…
Σ(;∀;)えぇっ!  (;Д;)ゴメンよ


(・Д・)oO(せめて、なろうあの作品が再連載してくれさえすれば娘の笑顔を取り戻せるのに…くっ)




q∀・)チラッ チラッ(・Дp[壁]
一言
トオルしぇんしぇ〜!!(;Д;)帰って来てください!


お出迎えするつもりが、きちゃった♪(//Д//)テへ♪
投稿者: 伊集 キヒロ  [2017年 12月 07日 04時 21分] ---- ----
一言

|
|、∧
|Д゜) あらちゃん………
⊂)
| /



|
|  サッ
|)彡
|
|
|
投稿者: ミツキ  [2017年 12月 04日 07時 57分] ---- ----
良い点
こう言う突き抜けてないチート作品大好き
気になる点
問題の話とそれに対する返信を見ましたけど荒れるのも納得かなって…
外伝話でピリカ側の未熟さや心理状況(余裕の無さ)を書いた上でピリカ視点の339話を書いてみるといい感じに収まるんじゃないかな?
感想返信でなぜ最初に謝らないの?→必死だからです
って返されてもその…もにょる
作者の立場が主人公側どころか中立通り越してピリカ側なんですよね
一言
最近の作品はヒロインとさっさと致してしまうけどこの作品はくっつけない理由をストーリーによく絡めて少しずつ距離を詰めていくのがニヤニヤできて最高です。
投稿者: つかさ  [2017年 11月 28日 00時 49分] ---- ----
良い点
ファンタジーのくくりの中で、各所に散見するリアリティの追求姿勢が心地いい
生きている人間をつくり出したことに対する責任みたいなものを感じた
気になる点
335話 騎士の言い分あたりから、空行に挟まれた一文?一段落?が重く、詰め込み感があった
一言
話の中心となる人物がはっきりしていて、他の作品を読んでいる際に時折陥る「ん?それ誰だっけ」感覚に襲われることがほとんどなかった
各話ごとにきっちり人物を書き込んでる証左と思う
投稿者: 蒲焼きさん  [2017年 11月 27日 20時 07分] ---- ----
一言
年内の復帰はあるのでしょうか?毎日更新を確認して溜め息をつく毎日ですよ。あぁ、早く続きが読みたいです。
投稿者: 暁しょーだい  [2017年 11月 17日 12時 32分] ---- ----
一言
更新ほちぃ(´・ω・`)
投稿者: キース  [2017年 10月 08日 02時 46分] ---- ----
一言
こんばんは。
半端チートは大好きな要素がたくさんあって、いつもワクワクが止まりませんでした。
私は主人公の考え方、半端なチートや苦労など、リョー君を構成するどの要素も好きでした。
ヒロインからの信頼をゆっくりと築きあげたこと
大変な過去(ノクタ)を背負いながらも強く美しいヒロイン
強すぎる他の勇者達
更に強い爺
新しい情報が入る度に行う説明と主人公の考察
などなど私が好きな所を挙げたらキリがないです(笑)
しかし、今のなろうからは感想で「テンポが悪い」「主人公を最強にしろ!」とか言われ駆逐されてしまった要素も多いと思います。
こんなに私にピッタリな作品は少ないです。
活動再開の一報を楽しみに待っています。
投稿者: 読者A  [2017年 09月 12日 10時 42分] ---- ----
良い点
常に考え工夫しながら戦う主人公、一人一人に物語があり自分の考えを持つキャラクターはヒロイン・サブ・悪役を問わず魅力的で世界観や情勢を伝えるための説明回もとても分かりやすく、より深く作品を楽しむことができます。
一言
初めまして、一時更新停止とのことで感想を送ることにしました。
半端チートいつも楽しませていただいています。
良い作品を作るためには作者のモチベーションと体調はとても大事だと思います、無理をせずゆっくりと心と体を休めてください。
貴方様の心身の健康を願い、一人の読者として作品を心よりお待ちしています。
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