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投稿者: こう    [2009年 06月 23日 (火) 02時 00分 25秒] 15歳~17歳 男性
▼一言
小説やったら最後まで作者の感想とか言い訳を途中でいちいち入れると冷める

引き込まれない
文章評価: ★☆☆☆☆ 作品評価: ★☆☆☆☆ 信頼度:S4 出版:買わない
有坂りさこ    [2009年 06月 26日 (金) 14時 55分 41秒]
こうさん、お疲れ様!
ご意見、そう感じる方は多いのではないかと思います。実際、そういうご意見を別の作品でいただいたこともあるの。
けれど、これも前回のぐだぐださんのご意見についてご回答申し上げた際に示した論理哲学的事由につき、一般に形而上学的範疇に含まれる問題なので、私の芸術観にとってはあまり重要なことではないのね。
「小説の途中に作者のコメントを入れるのは興をそぐ」という意見を正当化したい場合、形式美学とは別の視点が必要なのだけど(その場合、形式的には「作者の感想、言い訳は一切入れない」という形式が選択される)、問題は感情美学の主観性で、形式美学に対して著しく作品の解釈が他律的なことなの。作品自体の自律的構造を分析するものではないから。ともすれば「小説の途中に作者のコメントがあると、執筆背景がわかって楽しい」などという意見とどう優劣をつけるのかがわからなくなるの。もし、それを多数決で決めようということになれば、芸術的真理が多数決によって決せられることになり、それは市場原理には適用できても、論理学的には全く「無意味」の領域に帰することになるのね。
20世紀以降、デュシャンによって示された芸術解釈からすると、この手の批評の方法はほとんど没論理的で、結局、ものの価値を金銭的な記号に置き換えるか、要不要で判断するかのいずれかのレベルにとどまらざるを得ません。
かといって、形式主義が感情主義より優位にあるかというと、そうでもないの。
形式美学は確かに人間的な事情を超えた原理的かつ先天的な美の形式を考察する分野だけれども、「美」とは何かの定義が曖昧な上に、「醜」を芸術から排除しかねない部分があるのだから。
正直、私も心情的にはこうさんに近い立場があって、もし、市販の文庫本でいちいち作者の自己告白が随所にあったら、それはうっとおしいかも。
ただ、私は前例主義者ではないので、市販のものに前例があるとないとかは一切、価値判断の規準にはならず、単に私が「気に入らないから」という理由でそれを拒んでいるだけなの。不便だし、集中できないから。
では、オンライン小説ならどうか? どういうわけか、私はあまり気にならないんです。もともと紙小説とは別のインタラクティヴな分野という認識があるのかも。また、紙小説よりもくだけた体裁の媒体だという認識があるのかも。
それは私個人の主観的な認識なのだけど、こういった個人の事情が作品にも反映されていて、紙小説で実現しようとするイデアとは根本的に異なったものを体しているのだと思います。
なので、従来の体裁の「小説」を期待して読むと、ところどころで興醒めする可能性は高そうなの。
これは形式論と、形式に依存して作品を理解しようとする感情論の複合した問題であって、われわれが小説というものを「かくあるべき」という不可解な倫理によって制限しているために起こる問題なの。
この手のトートロジーをデュシャンピアンは痛烈に批判しているのだけれど、一つ言えることは、現象界のあらゆる事物は必ず「形式」をとらねば存在できないため、形式のない事物など一つとしてないということで、ある内容に対して与えられる形式はいくつも選択可能なのでしょうが、どれが正しいといえるのかを絶対的に判ずることはできません。
しかし、そう唱えたところで、われわれはある一つの形式を採らざるをえないという矛盾にさらされています。
ゆえに論理学では「定義」を重視し、ラッセルやヴィトゲンシュタインが言うように定義以前の問題については論理では扱えないの。
その定義の正当性をどう担保するか。その問題に関して文芸批評という分野ではほとんど反省がなされていないの。行き着くところは自分の美学を正当化するために導入された定義なのね。でも、それは仕方のないことなの。じゃないと、何も書けないから。
事実と構造だけを分析するのが批評家の基本的な仕事だと思うの。それを飛び越えて自分の嗜好を語りだすからポピュリズムに陥ってしまうのね。
それを考える上で「1+1=2を証明せよ」という問題は面白いかも知れません。直感を排してこの問題に取り組めば、批評における定義の問題がよくわかると思うの。私たちは、人文的問題に関する批評の基礎的定義を私たち自身の主観あるいは良心なるものに置けるのかどうか? 先天的かつ普遍的な良心が存在するといえるのか? 何をもって真善美というのか?
それを直感や常識といった誰かに刷り込まれたフレームで理解するのではなく、もっとリベラルに考えなければいけないと思うのね。

そんなこんなも含めて、私の場合、芸術の根底にニヒリズムがあるの。人を食っているの。
でも、あえて意味のわかる程度のもの、多少は人に興味をもってもらえるものを書かなくちゃいけないの、今は。
文学そのものが拘束されている論理的問題とも関係があります。文学の価値とは何か、という問題に自明の答えはありません。それは論理や形式の完全性だけでも、感情的高揚を目的とするものだけでもないのでしょうが、定義によっては一意に決定できます。
ただ、しばしば論理は現実と齟齬を来たすことがあります。
形式美学の大家ハンスリックがブラームスを古典的形式の面から評価した時に、当のブラームスが「ハンスリックは私の音楽を理解していないように思える」と言ったことからも、自立した論理や形式が、現実には全く無意味ということもあります。
ここに実存という問題が浮かび上がります。
よく考えてみると大切なことです。
当たり前のことを当たり前と考えないこと。
私たちは直感的なものを自明の真理と誤認しやすいのだから。

というわけで、お疲れ様でした<(_ _)>
暑くなってきましたので、みなさんもお体にはお気をつけて。
私も暑い……
投稿者: ぐだぐだ    [2009年 06月 05日 (金) 14時 48分 44秒] 40歳~49歳 男性
▼一言
「あるピアノ少年の恋」というタイトルは、変更する必要があるのではないでしょうか?「主人公」が「登場」したのは、前半のわずかな回数みたいですが。「主人公」のすり替わりが発生しているので。
文章評価: ★☆☆☆☆ 作品評価: ★☆☆☆☆ 信頼度:S3 出版:買わない
有坂りさこ    [2009年 06月 06日 (土) 01時 41分 46秒]
ぐだぐださん、お疲れ様です<(_ _)>
ご指摘の件ですけれども、わるような気もしてはいるんです。所説の根拠は非論理的なのだけれども、言いたいことはわかるの。
「わかる」という言葉の意味するところは形而上学的なセンスに依拠するもので、この手の理解の仕方はまったく非論理的だとは思うのだけど……
まず、なぜ主人公が代わればタイトルも変えなければならないのか、の論理的説明が必要なの。
この一見すると明白な命題の証明には多分に直感が含まれているように思うんです。
こうした叙述の問題を完全定式化しようとすれば、まず公理系を定義することが大切だと思うの。
次に当該所説の内容の正確さの問題を考えてみる必要があるのではないと思うんです。
当該人物が「主人公」として振舞う回数の問題。これは形而上学ではなくて論理の扱える範疇だと思うの。
次に「当初の主人公は今では主人公ではないといえるのか」という問題。
ここでも「主人公」という言葉の定義の幅が大切になってくるの。
あとは事実の認定の問題。
「現実にその事態が成り立っているかどうか」の真偽をどう判断したのかが問われるのだけれど、未来において成り立つことまで扱う連載小説の場合は特にむずかしい問題なの。
他には「タイトルがすなわち主人公と直結していなくてはならない理由」(これはある種の「倫理」であり、「論理」の扱える範疇ではないのだけど)とは何か?
文芸あるいは文学がまっとうな芸術の一分野であるならば、タイトルが内容と一致しているかどうかを問うことは今日では無意味なのだと思うのだけれど、それは現代芸術という語のもつ一般的な解釈(すなわち定義)から理解されると思うんです。
これらの問題についてはヴィトゲンシュタインが論理において無意味であると論じた範疇の事柄に属するので、私はほとんど重視していないんです。
そうあれと命じる倫理自体が非論理的なのだから。
ただし、非論理的であるからといってその領域が存在しないという意味ではないんです。
だから、私はある種の倫理、形而上学においてぐたぐたさんのおっしゃることもわかる、と言いうるの。
ただし、いくぶん論評のベースになっている芸術観が因習にとらわれすぎているように私の目には映るんです。
それはガートルード・スタインの詩を読んで「文法がまぢっている」と批評するのに現象としては似ている気がするの……
ただ、これだけは言えるのは、私の体系とぐだぐださんの体系に論理的な優劣をつけることなどできないということで、私たちがそこに踏み込もうとするときわめて没論理的な結果に陥らざるを得ないということなの。
文学というのは一見すると美術や音楽よりも論理的な印象があるけれど、言語芸術における論評ほど論理的であろうとするがゆえに非論理的な形而上学の羅列に終わる傾向が強いような気がしているんです。
個々で問題なのは、論理的であることが倫理的か(すなわち価値の判断を規定しうるか)という問題なのだけど、少なくとも倫理は論理ではないということだけは言えるので、論理でないものに論理的な反論はできない、というのが私の結論なの。
ゆえに御説の内容が論理的かどうかについては一般的な日本語の解釈に基づいてある程度まで判断を下すことができるのだけど、その心について私が反論することは基本的にはできないということなの。
芸術や批評におけるその絶対的な孤絶を認めるか、それともプラグマ的に体系や価値をすり合わせるは当人同士の合意によるものだと思うんです。
いい機会なので、一度は問うておかなければならないこの問題について書いてみました☆
私の感覚からすると、おそらく文学というジャンルに携わる人が一番この手の問題に疎い気がするんです。
かつてヘーゲルは音楽が最も無意識的な芸術であるとし、フランスには「画家のように愚かな」という言葉があるくらいなのだけれど、文学者や詩人が最も理性的であるという主張はどうかと思うんです。
おそらく、ほとんどが論理の誤用による批評観の集積だと思うんです。
私の場合「文学が芸術であるならば」という簡明ながら仮定に依拠して書いているの。
「ならば芸術とは?」という言葉の定義が全てということなのだけど、強いて言えばニヒリズム的な自覚に立って作られたものの全てをそう呼ぶのが私にとっては一番的を射たものではないかと思うんです。
きわめて実存的な解釈なんです、私。
デュシャンピアンってこういう考え方をするのだと私は解釈しています。
だとすると、20世紀で最もポピュラーな芸術観(といっては語弊があるけれども、最もセンセーショナルなという形容動詞をつけて呼ぶことを妨げる根拠の見当たらない)ではないかと思います。
おそらく、この文脈においては、文法の正誤や内容の可読性、可解性と呼ばれる問題のほとんどが純粋に芸術の問題というよりはポピュリズムを満たす与件と無関係ではなく、タイトルと主人公の問題もそれと無縁ではない、と私は考えています。

以上、大体そんなところかしら……
投稿者: 生時(レジェンド)    [2009年 04月 03日 (金) 11時 59分 22秒] ---- ----
▼一言
どうも^^
生時です!

40話まで読みました。

りささんのお話は、すごく読みやすい(^^)
一話一話が長くもなく、ちょうどいい感じで読みやすいです!

途中僕の好きな武道のお話が出てきましたし、前作同様に、たまに次はどうなるんだ?と興奮しながら読んでいます><

まだ、連載中ですので感想だけですが、これからも頑張ってください!

あと、僕適には前作のヒナ先生はすごくいいと思っています^^

ランキングに乗っている作品を、たまに何作か読みましたが(すぐに読むのやめました)

僕の中では、ヒナ先生はランキングに入ってもいい作品だと思います!
ではまた^^

生時
有坂りさこ    [2009年 04月 05日 (日) 19時 35分 11秒]
生時さん、お久しぶり!
読むだけだったらすいすい読める台本小説でごめんなさい。忙しいから労力最小限でがんばってます☆
武道のお話、ちょっと脇道にそれちゃってるシーンですね。まもなく本筋に戻るので、あまり長くは続かなくてごめんなさい。
もともとこのお話ってリレー漫画が原作だったので、たま〜にズレちゃうんです。それがたまたま武道だったのですけれど、生時さんにはマッチしているのかも。

ひな子さん、生時さんにはウケちゃってたのね……。
恋愛部門では20〜30位くらいをうつろいてた作品なの。もっとも、「コメディに登録しろ!」って声もあるくらいで、恋愛小説というにはちょっとギャグっちゃっててごめんなさい……
あと「18禁に帰れ!」などなど、お叱りをいただいてます☆
恋愛読者の好むような恋愛小説ではないので、残念ながらランキングの上位5位とかに入るのは不可能なんです(-_-;)
実は「ひな子」も原作は漫画なんです。漫画としては読めても、小説としては不自然で、リメイクには苦労しました……
その結果「適当な台本小説でいいや!」って結論になったんです。そしたら、とにかく読みやすくなりました。これは疲れなくていいや、と思い、そのまま文学性とかは度外視して完結させちゃいました。うんうん、その程度で十分だと私も思いました☆
むずかしい詩的なお話は紙小説で書きますね。ずいぶん改稿を延期しちゃって、出版社の人には迷惑かけてるけど、あんま気にしてない私でした!
生時さんも楽しみにしているみたいで、それだけが申し訳なくて……
闘病生活の暇つぶしになればと思います。
またね!
投稿者: 火薬媚    [2008年 12月 28日 (日) 04時 55分 10秒] ---- ----
▼一言
もう少し的を絞って書くことを、オススメします。話しが逸れすぎていて、何があるピアノ少年の恋ですか?ただの鬼畜系あるピアノ少年の恋の周りで起こるノクターンノベルじゃないですか。そして、話しの流れはぐだくだしていて読みにくいです。
文章評価: ★★☆☆☆ 作品評価: ★☆☆☆☆ 信頼度:S5 出版:買わない
有坂りさこ    [2008年 12月 28日 (日) 23時 47分 21秒]
こんにちは☆

わざわざのご感想、ありがとうございました。
それも内容から察するに、最新話の67話まで読まれた上でのご感想のようにお見受けいたします。その上でご落胆させてしまったようで誠に申し訳ない限りです……ごめんなさい<(_ _)>

表題と内容の不一致は読む方の期待にそぐわない場合は腹立たしいものになるのでしょう。
おそらく、80話前後からようやく本題の「ピアノ」に入るといった案配に……
火薬媚さんの偉いところは、この小説のもともとの表題が「ピアノ少年――」ではなかったということを暗に示唆している点だと思います。もとの表題は非常に漠然としたもので、内容も「ピアノ」でも「恋」でもなく、主人公の大学生活と半生自体を描いたに過ぎないものでした。そのラストに少年のピアノにまつわる挫折と再生が語られるといった構成の連載漫画だったんです、原作は。
伏線にしては「ピアノ」が全く出てこないな、と訝る向きがいらっしゃっても当然なののかも。その点、ご迷惑をおかけいたしましたm(__)m

といったわけで、実はまだまだこの作品の的が絞りきれていない背景についてはあれこれ理由があるのですけれど、見事に看破されてしまいました(;_:)
簡単に言うと、原作者が一人じゃないんです、この作品って。その点を鋭くご指摘いただいて、私も納得です。ありがとうございました。次はもう少しまともな作品をお目にかけますね。

それはさておき、ノクタンかどうかの問題なのですけど、ご不快とあれば管理者様に指定の確認をとろうかと思います。他作品について、思うところがあってチェックをお願いしたことがありましたけれど、なかなか先方もお忙しいようで、作者からの個々の依頼には回答する余裕がないのかも知れません。
今作も他サイトの指定審査基準を満たした他の自作小説の内容を目安にして指定グレードを決めさせていただいたのですが、もし、問題に感じられるようであれば、お手数とは存じますが、火薬媚さんのほうから管理者様にご通報いただきたく、お願い申し上げます。

貴重なご意見、ありがとうございました。ただ、すでにラストまでできている作品なので、このままグダグダとピアノ話に連結して最終話までいくことになりそうです、ごめんなさいm(__)m
お怒りはごもっともなのですけど、なにとぞご寛恕を賜りたく……

それでは<(_ _)>
投稿者: HALLO    [2008年 11月 24日 (月) 11時 10分 08秒] ---- ----
▼一言
ちょっと主人公がヘタレすぎるかな?と思います。これから少しずつ変わってくれることを期待しつつ更新を待ちたいと思います。
文章評価: ★★★★☆ 作品評価: ★★★★☆ 信頼度:S4 出版:わからない
有坂りさこ    [2008年 11月 24日 (月) 22時 45分 08秒]
こんにちは<(_ _)>
HALLOさん、以前どこかでお見かけしたような……気のせいですか?
私もこんなヘタレな主人公はどうにかしてほしい……。
でもでも、あとちょっとお待ちいただければ、彼の雄姿が見れますので、お楽しみに☆
なお、この調子でいくと、60話前後でしょうか、彼のヘタレに本格的な改善の兆しが見えるのは……。 
それまで待てない方も、どうか見捨てずに見守っていただければと思います<(_ _)>
でも、世間にはヘタレが好きな方がいらっしゃるらしいんです、なんと。私もおどろいた……。
この作品は「恋するひな子先生」のスピンオフなので、よければそちらもどうぞ<(_ _)>
さすがに、そちらにはここまでのヘタレはいない……はず(-_-;)
ヘタレって書くのも読むのも疲れますよね、ハァ。でも、やさしく見守って……<(_ _)>
わざわざのご感想、ありがとうございました☆
投稿者: DARKNESS    [2008年 11月 03日 (月) 03時 40分 39秒] ---- ----
▼一言
とりあえず、12話まで読みました!
まだピアノに関することはあまりでていませんね。
私はピアノをやってましたけど、リストはやったことありませんね。
リストの曲って難しいんですよね(汗)
超絶技巧練習曲とか五線譜三段とか有り得ないですもん(汗)
できるか! って感じです。
いつか、ラ・カンパネラを弾けるようになりたい。
ていうかエロいですね、この小説。
一年くらい前にこの小説を読んでも何が何だかわからなかっただろうな〜。っと一年前の私の純朴さを懐かしみながら読んでいました(笑)
まあ、なんと言うか、お酒は二十歳になってから、ですね(笑)
やっぱりお酒は適量、飲み方が大事ですよね。って私は飲んだことないですけど(未成年)。
有坂りさこ    [2008年 11月 03日 (月) 03時 57分 50秒]
ダ、ダ、ダ、Dさんですか?
めずらしい方がお越しですね、おどろきました!(^^)!
リストの編曲には諸説あって、誰かは「天才が編曲しただけあって、無理がない」と言ってみたり……。「ラ・カンパネッラ」はパガニーニのヴァイオリン原曲より好きです。ただし、一番むずかしいアレンジの超絶技巧練習曲はやや悪趣味な練習曲ですね。大練習曲のほうが好きです。私は中村紘子の演奏で聴きました。
リストが親友ワーグナーの「タンホイザー序曲」を編曲したピアノ版も人によってはやや悪趣味と映るみたいですね。
なんだか品性下劣な作品ではありますけれど、何となく読み続けていただければ幸いです<(_ _)>
もしお暇でしたら「恋するひな子先生」からどうぞ☆ その続編なんです、これ。
でも「ひな子」を読まなくても理解できる仕組みになっているので、まあ、どちらでも大丈夫^^
Dさんがピアノマンだったとは知りませんでした。おどろきです!(^^)!
わざわざのご感想、ありがとうございました<(_ _)>
またどうぞ。
投稿者: 和藤渚    [2008年 10月 29日 (水) 23時 58分 47秒] 18歳~22歳 男性
▼一言
どうも和藤渚です
今回はあまり進んでないということで感想にしておきたいと思います
てか始まってすらねぇ〜じゃん!(笑)
てのは置いといて
じつはダメ男くん大好きなんですよ
特に授業中に怒られてる態度とかマジで萌えました(笑)
後拓夫くんは相変わらずだなと思ってみてました
有坂りさこ    [2008年 10月 30日 (木) 00時 20分 20秒]
こんばんは<(_ _)>
こっちの小説も見つかっちゃったんですね!(^^)!
おまけに「恋ひな」の続編だってこともバレちゃったんですね☆
ダメ男って最後に妙にかっこよくなったりしてギャップに萌えますよね。
全体にそういう古典的なお話なんです、これ。
ベタを愛する和藤さんには、ダメ男も萌えどころなんですね。いくぶん安心いたしました。
このお話は「恋ひな」と違って、視点を三人称に統一して、形式を既存の小説に近づけるように意図しています。
一話一話も短いので、気軽に読んでいただければ幸せです。
基本的には美人とダメ男の格差恋愛というパターンなので、お嫌いでなかったら、ぜひまた足を運んでくださいね<(_ _)>
わざわざのご感想、ありがとうございました。
では<(_ _)>
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