織田家の長男に生まれました

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投稿者: 琉球  [2017年 09月 22日 02時 38分] ---- 男性
一言
主人公の分家独立後の姓ですが、「徳川」は如何でしょうか? これで史実の軛を外れて作品の自由度が増すと思いますが。
今後は三河、遠江、信濃あたりからどのような人材をスカウトするのか、楽しみにしております。
投稿者: switch  [2017年 09月 22日 01時 56分] ---- ----
良い点
最近筆が走ってますね。
歴史好きではなく、なろう読者として純粋に楽しめます。
投稿者: どんぶり勘定  [2017年 09月 22日 01時 28分] ---- 男性
気になる点
ここでの独立は、今川家が仕掛けてきている離間策に、噂などで付け入る隙を与える事にならないのでしょうか?
一言
新しい家名ですが、史実の信広は津田を名乗った事があるようです。あと未確認ですが、庶子に武石五郎信興と言う男子がいた説があるので、この辺りが家名の候補でしょうね。
投稿者: くらん  [2017年 09月 22日 00時 28分] ---- ----
良い点
ここで独立がきましたか!
今後がより一層楽しみです。
一言
尾張から抜かない宣言、潔くてかっこいいです。
三、遠、伊那、伊勢辺りからになるのかな?
個人的に、あまりピックアップされない吉良関係者や、北伊勢、南信の国人が出て来る事を期待してます。
隆センセイばりに、英雄を造ってしまうは素敵だと思うのです。
投稿者: bb2011  [2017年 09月 21日 23時 53分] ---- 男性
良い点
やっと独立かぁ。
分家ともなれば本当の意味での、一国一城の主に
なりますが同時に紐付きではなくなるため親父さん
に小遣いをせびれなくなりますナァ。
領土の防衛にもよりいっそう力を入れ無くては
ならないので益々人材の確保が重要になりそう
です。
一言
>牢人は
牢人というのは誤字じゃないです。
現在は浪人という呼び名が主流になっていますが、
元々は「牢人」という呼び方が正式な物です。
今の浪人という名の意味は「郷土を離れて、
諸国を流浪する浮浪人」の事を指す呼び名であり
当時は盗賊よりマシか同じ扱い程度の身分?
の人々です(犯罪者同然の扱いを受ける
事もありました)。

「牢人」の方は主家を去り禄を失った人のこと
つまり、雇い主が戦に負けて、勤め先が無く
なった「非正規身分」の武士達の事を指します。
名や郎党の一部を伴ったまま「牢人」として
次の仕官先を求めて旅することもあった人々の
事を当時は「牢人」と呼びました。
こうした牢人が、戦国時代には大量に出る事に
なります(末法の世、乱世ですから)。

この辺りの「牢人」達の生き方などについては、
「牢人たちの戦国時代」-渡邊 大門 著という
本に書かれていますので、興味があれば読んで
みてはいかがでしょうか。
投稿者: 三矢 頼一  [2017年 09月 21日 23時 41分] ---- ----
良い点
 面白い話が矛盾なく組み立てられていると思います。
一言
 普通は本拠地の地名つまり安祥氏を名乗るのが通例だけど同名なのが多数いそうなのがマイナス。三河の織田で三田あるいは河田あたりが無難なところか。これも被っているのがいそうなのはさておくしかないが。
 あるいは織田の読みはそのままに、尾田あるいは小田とするかこれに川を加えて小田川なんてのもアリかもしれない。
 いっそのこと先手を打って徳川を名乗ってやるのも周りへの理由さえつけば十分考えられるのではないか。
投稿者: 白ピンク  [2017年 09月 21日 22時 53分] ---- ----
一言
ついに独立かー
信長が元服する時にするみたいだけど、頼りになる兄が支えてくれる安定した尾張でのスタートで信長がどれだけ伸びるのか楽しみ
でも歴史が変わって信長が死んで仕方なく信広が立たざるを得なくなる展開もありそうだから油断出来なくて怖いな
投稿者: 三浦海  [2017年 09月 21日 22時 38分] ---- ----
良い点
楽しかったです。
お疲れ様です。
体に気を付けてほどほどに頑張ってください。
気になる点
親爺の家臣や、牢人は、いずれ信長の家臣に…

浪人では…
違ったらすみません
投稿者: 白井鈴  [2017年 09月 21日 22時 27分] ---- ----
一言
柴田勝家は一時的に引き抜いてもいい気はするな
信行が謀反起こせなくなるだろうし

まぁ信広がいるから信行が信長に謀反起こしても挟撃されかねない状態になるんだろうけど

織田家の分家と言うと順当に津田家かな?
投稿者: 蛙の殿  [2017年 09月 19日 00時 12分] ---- ----
一言
P70に斉藤道三が昔、油売りとされていますが、通説では油売りだったのは斉藤道三の父、松波庄五郎です。斉藤道三の父が油売りをやめて、美濃に土着した。美濃一国をとる過程のどこまでが道三の父が行ったかはわかりませんが道三がそれを受け継いで美濃をとったと考えられています。
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