感想一覧
▽感想を書く[良い点]
気になさっている(1)に関して。
私は用法の変化というよりは文章の丁寧さに依るものと思います。
意味が一部重複してしまう不自然さより、「私の」を足すことで「拙作」を丁寧に表現したのではないでしょうか。
気になさっている(1)に関して。
私は用法の変化というよりは文章の丁寧さに依るものと思います。
意味が一部重複してしまう不自然さより、「私の」を足すことで「拙作」を丁寧に表現したのではないでしょうか。
感想ありがとうございます!
『丁寧』というのは「礼儀正しい」という意味でしょうか、それとも「細かくて念入り」という意味でしょうか?
私は『私の拙作』が『拙作』単体で使うより礼儀正しいとは感じませんし、しつこく感じてしまいます。
この辺の感覚も人によって違うのかもしれませんね。
『拙作』の考察には苦戦していまして、ご意見いただけて大変参考になります。
ありがとうございました。
『丁寧』というのは「礼儀正しい」という意味でしょうか、それとも「細かくて念入り」という意味でしょうか?
私は『私の拙作』が『拙作』単体で使うより礼儀正しいとは感じませんし、しつこく感じてしまいます。
この辺の感覚も人によって違うのかもしれませんね。
『拙作』の考察には苦戦していまして、ご意見いただけて大変参考になります。
ありがとうございました。
- 榛李梓
- 2020年 03月23日 22時25分
[良い点]
なるほど。
たしかにそのイメージはありますね。
勉強になります。
[一言]
私の拙作、というか謙譲表現は私は変にも思わないのですが、本文でいう「卑屈だからやめろ」というのは(ニュアンス含む)たまに見ますね。
個人的にそれを言う人たちの言葉をきいていると
謙譲表現=かっこ悪い
という認識なのかなあ、と思う時があります。
つまり自分の作品は堂々と示すのが「かっこういい」
という意識があるような。
もしくは「私の下手な作品ですが~~」という謙譲表現を使うほうも受け取るほうも「予防線」的にとらえている場合もありますかね。
ただ、こっちは煽り屋っぽい人達が良く使うような気がします。単にそういう表現が好きじゃない人ももちろんいると思いますが。
なるほど。
たしかにそのイメージはありますね。
勉強になります。
[一言]
私の拙作、というか謙譲表現は私は変にも思わないのですが、本文でいう「卑屈だからやめろ」というのは(ニュアンス含む)たまに見ますね。
個人的にそれを言う人たちの言葉をきいていると
謙譲表現=かっこ悪い
という認識なのかなあ、と思う時があります。
つまり自分の作品は堂々と示すのが「かっこういい」
という意識があるような。
もしくは「私の下手な作品ですが~~」という謙譲表現を使うほうも受け取るほうも「予防線」的にとらえている場合もありますかね。
ただ、こっちは煽り屋っぽい人達が良く使うような気がします。単にそういう表現が好きじゃない人ももちろんいると思いますが。
感想ありがとうございます!
「拙作」を卑屈だと言う人の中には、その作品を気に入ってくれている読者に対して「へたな作品」だなんて失礼だ、と考える人もいるみたいですね。
謙譲語というものをあまりよく理解していないのかな、と思います。
年代によって感じ方に違いがあるのか等、もっと調査してみたいところではありますね。
「拙作」を卑屈だと言う人の中には、その作品を気に入ってくれている読者に対して「へたな作品」だなんて失礼だ、と考える人もいるみたいですね。
謙譲語というものをあまりよく理解していないのかな、と思います。
年代によって感じ方に違いがあるのか等、もっと調査してみたいところではありますね。
- 榛李梓
- 2019年 07月31日 23時47分
[一言]
「私の拙作」って、単純に聴きなれなくて違和感がありましたね。
すぐに、「拙作」にふたつのニュアンスがあるからだと気付きましたが。
とはいえ、私のまわりで使われているかたはそれほどお見かけしないです。おひとり、心当たりのあるかたは、「私の拙作中の拙作」とおっしゃっていて、この場合意図的に「つたない作品」の意で使っているってのがわかるので、普通に謙譲の意ととらえてますね。
ただやっぱり、「自分の作品をへりくだって……」の用法のほうが一般的なので、ぱっと見「私」の意が重複して見えてしまうという違和感はあります。そういう意味で、親切な表現ではないですね。
「私の拙作」って、単純に聴きなれなくて違和感がありましたね。
すぐに、「拙作」にふたつのニュアンスがあるからだと気付きましたが。
とはいえ、私のまわりで使われているかたはそれほどお見かけしないです。おひとり、心当たりのあるかたは、「私の拙作中の拙作」とおっしゃっていて、この場合意図的に「つたない作品」の意で使っているってのがわかるので、普通に謙譲の意ととらえてますね。
ただやっぱり、「自分の作品をへりくだって……」の用法のほうが一般的なので、ぱっと見「私」の意が重複して見えてしまうという違和感はあります。そういう意味で、親切な表現ではないですね。
感想ありがとうございます!
「私の拙作」って、やっぱり見慣れませんよね。
そういえば、このエッセイや活動報告を書いた頃に比べると、最近は「私の拙作」をあまり見ていないような気がします。
一過性のブームみたいなものだったのでしょうか。
「私の拙作」って、やっぱり見慣れませんよね。
そういえば、このエッセイや活動報告を書いた頃に比べると、最近は「私の拙作」をあまり見ていないような気がします。
一過性のブームみたいなものだったのでしょうか。
- 榛李梓
- 2019年 03月28日 15時23分
[一言]
礼儀作法とか様式美とかその手のものだと思ってましたわ。
礼儀作法とか様式美とかその手のものだと思ってましたわ。
感想ありがとうございます!
たしかに「拙作」という語を使うのは礼儀作法とか様式美みたいなものでもありますね。
たしかに「拙作」という語を使うのは礼儀作法とか様式美みたいなものでもありますね。
- 榛李梓
- 2017年 05月28日 23時19分
[一言]
ご考察、興味深く読ませて頂きました。
「私の拙作」といった一般名詞的用法は、私もなろうに来て初めて見ました。私自身は、「拙作」という言葉を代名詞的なものとしてしか考えていませんでしたので、こういった使い方には今でもかなりの違和感を覚えます。「拙作」を「卑屈」と感じられる方が多いのも、そのせいではないかと思いますね。
c、d、eの三つの例は、どれも一般名詞的に使っているものと思われますので、卑屈云々の前に文章そのものの違和感ばかりが気になります。特にeは、わざわざ「拙作」を使う必要があるのでしょうか。「今回の作品」で十分だし、どうしてもヘタだと言いたいのなら、この文の次に「拙い作品ですがお読み頂けると嬉しいです」とでも書けばいいのに、と思いました。
これは個人的な疑問なのですが、書き手自身が「ヘタな作品」という意味で「拙作」を使うのは、果たして日本語的に正しいのでしょうか? 作品を読んだ第三者が、「これは拙作だ」と言うのならまだ解るのですが。
つい最近、他の方のエッセイでも「拙作」は卑屈だ、とかなり強く仰っているのを読んだばかりでしたので、それ以来気になっています。もしご存知でしたら教えて頂けると有り難いです。
ご考察、興味深く読ませて頂きました。
「私の拙作」といった一般名詞的用法は、私もなろうに来て初めて見ました。私自身は、「拙作」という言葉を代名詞的なものとしてしか考えていませんでしたので、こういった使い方には今でもかなりの違和感を覚えます。「拙作」を「卑屈」と感じられる方が多いのも、そのせいではないかと思いますね。
c、d、eの三つの例は、どれも一般名詞的に使っているものと思われますので、卑屈云々の前に文章そのものの違和感ばかりが気になります。特にeは、わざわざ「拙作」を使う必要があるのでしょうか。「今回の作品」で十分だし、どうしてもヘタだと言いたいのなら、この文の次に「拙い作品ですがお読み頂けると嬉しいです」とでも書けばいいのに、と思いました。
これは個人的な疑問なのですが、書き手自身が「ヘタな作品」という意味で「拙作」を使うのは、果たして日本語的に正しいのでしょうか? 作品を読んだ第三者が、「これは拙作だ」と言うのならまだ解るのですが。
つい最近、他の方のエッセイでも「拙作」は卑屈だ、とかなり強く仰っているのを読んだばかりでしたので、それ以来気になっています。もしご存知でしたら教えて頂けると有り難いです。
度々すみません。
例文(e)を修正しました。これで代名詞的用法らしくなったでしょうか。
例文(e)を修正しました。これで代名詞的用法らしくなったでしょうか。
- 榛李梓
- 2017年 05月20日 12時02分
感想ありがとうございます!
(e)の例文は代名詞的用法のつもりで書いたのですが、「今回の」は無い方が良かったでしょうか。自分でもしっくりこない感じはあったので、作り直した方がいいですね。すみません。
>書き手自身が「ヘタな作品」という意味で「拙作」を使うのは、果たして日本語的に正しいのでしょうか?
「拙作」の用例自体があまり多くないので、正しいか正しくないかという判断は難しいと思いますが、見つけた用例を挙げてみますね。
南方熊楠「十二支考 04蛇に関する民俗と伝説」より。これは第三者が言う「拙作」の例です。
『一九〇三―四年の間、グリーンランドのエスキモ人の中に棲んだ、デンマルク人ラスムッセンの『極北の人民(ゼ・ピープル・オヴ・ゼ・ポラー・ノース)』を読むに、輓近エスキモ人がキリスト教に化する事多きより、一代前の事は全く虚誕のごとく聞えるが、遺老に就いて種々調べると、欧人が聞いて無残極まり、世にあり得べからずと思われる事や、奇怪千万な行いなどは、彼らに取ってはありふれた事で、欧人が聞くに堪えぬと惟おもう話のその聞くに堪えぬところが、彼らのもっとも面白がるところである。したがって欧人が何とも要領を得ず、拙作極まる小説としか受け取れぬ諸誕は、ことごとく実在した事歴を述べたものだと論じ居る。』
夏目漱石「田山花袋君に答う」より。ここでの「拙作」は「自分の作品」とすると意味が通らないので、「ヘタな作品」という意味で使っていると思われます。
『小生はいまだかつて『三四郎』をズーデルマンの筆法で書くと云った覚えなし。誰かの話し違か、花袋君の聞違だろう。疎忽なものが花袋君の文を読むと、小生がズーデルマンの真似でもしているようで聞苦しい。『三四郎』は拙作かも知れないが、模擬踏襲の作ではない。』
国枝史郎「戯作者」より。作中のセリフの中で使われています。これもたぶん自分の作品について「ヘタな作品」と言っていると思います。
『見るにも耐えぬ拙作ながら、ほんの小手調べに綴りましたもの、ご迷惑でもござりましょうがお隙の際に一二枚ご閲読下さらば光栄の至。』
私はむしろ、第三者が言う「これは拙作だ」の方がレアな気がします。
(e)の例文は代名詞的用法のつもりで書いたのですが、「今回の」は無い方が良かったでしょうか。自分でもしっくりこない感じはあったので、作り直した方がいいですね。すみません。
>書き手自身が「ヘタな作品」という意味で「拙作」を使うのは、果たして日本語的に正しいのでしょうか?
「拙作」の用例自体があまり多くないので、正しいか正しくないかという判断は難しいと思いますが、見つけた用例を挙げてみますね。
南方熊楠「十二支考 04蛇に関する民俗と伝説」より。これは第三者が言う「拙作」の例です。
『一九〇三―四年の間、グリーンランドのエスキモ人の中に棲んだ、デンマルク人ラスムッセンの『極北の人民(ゼ・ピープル・オヴ・ゼ・ポラー・ノース)』を読むに、輓近エスキモ人がキリスト教に化する事多きより、一代前の事は全く虚誕のごとく聞えるが、遺老に就いて種々調べると、欧人が聞いて無残極まり、世にあり得べからずと思われる事や、奇怪千万な行いなどは、彼らに取ってはありふれた事で、欧人が聞くに堪えぬと惟おもう話のその聞くに堪えぬところが、彼らのもっとも面白がるところである。したがって欧人が何とも要領を得ず、拙作極まる小説としか受け取れぬ諸誕は、ことごとく実在した事歴を述べたものだと論じ居る。』
夏目漱石「田山花袋君に答う」より。ここでの「拙作」は「自分の作品」とすると意味が通らないので、「ヘタな作品」という意味で使っていると思われます。
『小生はいまだかつて『三四郎』をズーデルマンの筆法で書くと云った覚えなし。誰かの話し違か、花袋君の聞違だろう。疎忽なものが花袋君の文を読むと、小生がズーデルマンの真似でもしているようで聞苦しい。『三四郎』は拙作かも知れないが、模擬踏襲の作ではない。』
国枝史郎「戯作者」より。作中のセリフの中で使われています。これもたぶん自分の作品について「ヘタな作品」と言っていると思います。
『見るにも耐えぬ拙作ながら、ほんの小手調べに綴りましたもの、ご迷惑でもござりましょうがお隙の際に一二枚ご閲読下さらば光栄の至。』
私はむしろ、第三者が言う「これは拙作だ」の方がレアな気がします。
- 榛李梓
- 2017年 05月20日 10時57分
[良い点]
ぷぷっ私の拙作おもしろい!
僕の自作品とか、オレのマイノベルとか。ああっ頭痛が痛いとか!
拙作の賛否は確かにあります。
自分でもくだらんと思った作品を拙作というのは単なる言い訳のような気がします。
でも最高にいけてる作品を拙作とゆうと謙虚ですね。まー嫉妬深い読者はいやみと捉えるかもわからんが。
ぷぷっ私の拙作おもしろい!
僕の自作品とか、オレのマイノベルとか。ああっ頭痛が痛いとか!
拙作の賛否は確かにあります。
自分でもくだらんと思った作品を拙作というのは単なる言い訳のような気がします。
でも最高にいけてる作品を拙作とゆうと謙虚ですね。まー嫉妬深い読者はいやみと捉えるかもわからんが。
- 投稿者: 退会済み
- 2017年 05月20日 02時31分
管理
感想ありがとうございます!
私も「私の拙作」は重言っぽく感じてしまいます。
ちなみに用例を探している時に、永井荷風の「日和下駄」という随筆で、「わが拙作小説『すみだ川』の篇中にはかかる路地の或場所をばその頃見たままに写生して置いた。」という文を見つけました。これはわざとなのか……。
ネット等でアマチュアが自作を気軽に発表できるようになったことで、「拙作」の使い方も多様になってきたのかもしれませんね。
私も「私の拙作」は重言っぽく感じてしまいます。
ちなみに用例を探している時に、永井荷風の「日和下駄」という随筆で、「わが拙作小説『すみだ川』の篇中にはかかる路地の或場所をばその頃見たままに写生して置いた。」という文を見つけました。これはわざとなのか……。
ネット等でアマチュアが自作を気軽に発表できるようになったことで、「拙作」の使い方も多様になってきたのかもしれませんね。
- 榛李梓
- 2017年 05月20日 10時23分
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