感想一覧
▽感想を書く[一言]
簡単に言えば、自分のペンネームでコンテンツを提供しているのだから、それに対しての優劣や苦情、その他諸々をしっかり背負いなさいという事でしょう。
お金を稼ぐのならば当然ですね。
今更感がありますが、僕自身分かっていないのは、どれくらいの重さがあるのかって事ですね。
簡単に言えば、自分のペンネームでコンテンツを提供しているのだから、それに対しての優劣や苦情、その他諸々をしっかり背負いなさいという事でしょう。
お金を稼ぐのならば当然ですね。
今更感がありますが、僕自身分かっていないのは、どれくらいの重さがあるのかって事ですね。
[一言]
うーん、逆恨みというか、そういうものですし。
なので、とうぜん、「作者には何の責任もありませんが」というのは違います。
責任、つまり『咎《とが》めを担《にな》う』、つまり『非難を受ける』対象は、作者にあるのは自明です。
ただし、その責任の受け方は簡単で、”基本的”には、作者が自身の立ち位置を明示するだけでいいです。
作中で誹謗をしてないかぎりは、これだけで問題ないです。 何故なら、そうする事で、”少なくとも”、傷ついた当人の立場は確保されるからです。
そこからは、お互いの立場の違いによる、価値観の違いとなりますが、少なくとも作者が、違う立場があることを認めている限り、その作品は、ある種の公平さを持ちます。
つまりこの場合、たとえ読者が非難するとしても、その非難を受け止める形に、作品が作られている事を意味します。(感想返しの時点で、作者が自身の立場を改めて表明するのも、丁寧な態度だと思う。)
そうじゃない場合の大きな問題は、作家が己の立場を無謬にした場合で、この場合、傷ついた相手の存在そのものを否定する構図になります。
これは、逆に言えば、作者や作品が、相手からいかような誹謗中傷を受けても、反論が難しいことを意味します。 反論できないことで、作品に大きな欠点があることになり、つまり、作品の意義がそれ相応に低下します。 とはいえ、因果応報ですけども。
いわゆる『批判にたえうる』と言われる作品は、作家が己の立場を、コレほどかというほど、自覚している作品であって、自己批判を含んだものになります。
こうした作品は、どのような立場の読者にとっても、立つことのできる物語舞台を持ち、たとえ主人公に共感できなくとも、その景色の意義を対象に考えさせます。
うーん、逆恨みというか、そういうものですし。
なので、とうぜん、「作者には何の責任もありませんが」というのは違います。
責任、つまり『咎《とが》めを担《にな》う』、つまり『非難を受ける』対象は、作者にあるのは自明です。
ただし、その責任の受け方は簡単で、”基本的”には、作者が自身の立ち位置を明示するだけでいいです。
作中で誹謗をしてないかぎりは、これだけで問題ないです。 何故なら、そうする事で、”少なくとも”、傷ついた当人の立場は確保されるからです。
そこからは、お互いの立場の違いによる、価値観の違いとなりますが、少なくとも作者が、違う立場があることを認めている限り、その作品は、ある種の公平さを持ちます。
つまりこの場合、たとえ読者が非難するとしても、その非難を受け止める形に、作品が作られている事を意味します。(感想返しの時点で、作者が自身の立場を改めて表明するのも、丁寧な態度だと思う。)
そうじゃない場合の大きな問題は、作家が己の立場を無謬にした場合で、この場合、傷ついた相手の存在そのものを否定する構図になります。
これは、逆に言えば、作者や作品が、相手からいかような誹謗中傷を受けても、反論が難しいことを意味します。 反論できないことで、作品に大きな欠点があることになり、つまり、作品の意義がそれ相応に低下します。 とはいえ、因果応報ですけども。
いわゆる『批判にたえうる』と言われる作品は、作家が己の立場を、コレほどかというほど、自覚している作品であって、自己批判を含んだものになります。
こうした作品は、どのような立場の読者にとっても、立つことのできる物語舞台を持ち、たとえ主人公に共感できなくとも、その景色の意義を対象に考えさせます。
>うーん、逆恨みというか、そういうものですし。
>なので、とうぜん、「作者には何の責任もありませんが」というのは違います。
自分の表現が稚拙なせいで上手く伝わらなかったかもしれないです。
通常よりも本能的というか衝動的なものを想定して、それに逆恨みという表現を宛てています。
大雑把に言うと読者個人の無意識下にある些細な傷が、なろうで或る文章を読んだことによって刺激されて傷付いた云々といったような、作者の方で事前に想定しようのないもののことです。
具体的に言ってしまうと、例えば、「太陽が黄色い」と書いたのを読んだせいで傷付いたとかそういうのを指しています。
「太陽が黄色い」と書いただけで「傷付いた」と言われても、
作者には法的にも道義的にも何らの責任も無いとは思いますが、
作者と読者の間には一定の因果関係だけは成立してしまっているのは否定のしようがありませんし。
こんなことを書かれても、馬鹿々々しいと思われるかもしれませんが、こういうレベルで傷付いたりする場合も世の中にはありますので。
>なので、とうぜん、「作者には何の責任もありませんが」というのは違います。
自分の表現が稚拙なせいで上手く伝わらなかったかもしれないです。
通常よりも本能的というか衝動的なものを想定して、それに逆恨みという表現を宛てています。
大雑把に言うと読者個人の無意識下にある些細な傷が、なろうで或る文章を読んだことによって刺激されて傷付いた云々といったような、作者の方で事前に想定しようのないもののことです。
具体的に言ってしまうと、例えば、「太陽が黄色い」と書いたのを読んだせいで傷付いたとかそういうのを指しています。
「太陽が黄色い」と書いただけで「傷付いた」と言われても、
作者には法的にも道義的にも何らの責任も無いとは思いますが、
作者と読者の間には一定の因果関係だけは成立してしまっているのは否定のしようがありませんし。
こんなことを書かれても、馬鹿々々しいと思われるかもしれませんが、こういうレベルで傷付いたりする場合も世の中にはありますので。
- 上梓あき
- 2017年 06月08日 01時11分
[一言]
まあ、小説家が描いているものの大体は”本人にとっての黒歴史ノート”のたぐいであるのは否定しませんしできませんね。
もっとも漫画であろうとアニメであろうと映画であろうと劇であろうと根本は変わらないと思いますけど。
まあ、小説家が描いているものの大体は”本人にとっての黒歴史ノート”のたぐいであるのは否定しませんしできませんね。
もっとも漫画であろうとアニメであろうと映画であろうと劇であろうと根本は変わらないと思いますけど。
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