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[一言]
初めまして、こんばんは。

こういうところで他の方の作品を読んでいて、たまに思うのが、「このツッコミどころは面白いけど、本当に計算されたツッコミどころなのかしら」ということ。私の(ある意味)実験的な作品や、ネットを意識したチープな小話も、そう思われてたりするのかな……。計算であるならば、それが伝わらないと「バカなの? 下手なの?」と思われてしまう怖さですね。

少し話が逸れますが、私はリアルでもそうなのです。「お前は天然なのか、計算ボケなのか分かりにくい」と。真面目な顔して変なことを言うので(笑)

リアリティや面白さというのはある意味、受け手のキャパにもよるんだろうな、と考えます。私と話したことのない人には、たぶん私のボケは伝わらないし(身内ネタですねw)、チェーホフ劇を知らない人はその面白さがわからない(実際に劇場に行くと、笑いどころを知らないお客さんが大勢います。だからこそ、うまい具合に現代風の演出を付け足すしかないんですね。シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』にしても、若い二人の大げさな愛の表現を指摘する人がいますが、「だってあれは喜劇じゃないか」と言いたくなります)。
また、心情描写でも、自分が経験したことのない感情や、ちょっと突飛な性格の人が出てきたりすると、「そんな人いないでしょ」とか、「普通はそうは考えないって」とか。「え、そういう人、見たことないの?」と言いたくなる場合もありますが、その場合、現実が小説より奇妙である一例とも考えられますし。

私は、必ずしも普遍的であることは求めませんが、自分の感覚と読者の感覚がどのくらいずれているのか、それくらいは知っておきたいところです。
感想ありがとうございます。

 作者の意図と、読者の読み解きが一致しないのは、ごく当たり前のことですよ。

 野坂昭如氏(代表作『火垂るの墓』)の娘さんが、「『火垂るの墓』の作者の気持ちを述べなさい」という宿題を出されてので父親に聞いて、「締め切りに追われて焦ってた」という返事そのままを提出したらダメ出しされた、というのは結構有名な話です。

 エッセイ内で『リアル』と『リアリティ』の違いは簡単に述べていますが、まず根本的な話として。
・『リアル』と『現実』はイコールではない。
・『リアル』は個人個人で異なる。
 この前提があります。

 よく「人は自分が信じたいものしか信じない」なんて言いますけど、実際そうです。
 同じ物事(=現実)を見ても、その人によって感じ方(=リアル)が違う。
 ありていに言えば、思い込みというフィルターがかかっています。これがおっしゃるところの「受け手のキャパ」に相当するところではないかと。

 宿題の例で言えば、「締め切りに追われて焦ってた」という作者の現実に対し、読者のひとりである教師は「戦争の悲惨さ」といった正解(=リアル)を用意していたから、娘さんにダメ出し。

 普通に作者-読者間でも、作者が力を入れたところはスルーされて、思ってもみなかった部分が評価されたり、なんてことは珍しくありません。

 色んな人が言ってますが、創作物の作者でも芸人でも議員の立候補でもベンチャー企業の起業でも、やっぱりなにか発信しようとするなら、『空気を読める』『自分を客観視できる』辺りは共通して言われます。
 演劇や音楽(クラッシック)といった芸術は、どちらかというとクローズドな、わかる人にわかれば充分な世界という気がしますので、除外しますが。
 そうでないなら、やはり作者は、コミュ力系の努力が必要ではないかと、自分は考えます。
[一言]
 元々、“リアリティ=説得力”と便宜上はそのように置き換える派の者であります故、主題はハッキリと見えてまいりました。
 真に迫った表現というのは、永遠の課題ですよね。
 寓話的表現を使うなら、尚更そこは気をつけたいです。

 私も、あらゆる方面から「おまえそれ絶対、実際に試してみただろ……」と言われ続けたいです。
 そして「いや、あくまでも取材と想像だけですよ」と反論し続けてみたいですね。
 感想ありがとうございます。

 「リアリティ=説得力」だけでも、一応は問題ないとは思いますが。
 例えばギャグマンガの説得力なんて言っても、それこそ説得力ないよなぁ、と思い、こんな感じの文章になりました。
 このエッセイを書く前は「リアリティ=らしさ」という言い方をしてましたけど、それはそれであやふやに思えて書いた文章でもありますし。

 自分が説得力を追及して作品書くと、なぜか「ありえねー」の方向性に行きます。
 お巡りさんのお世話になりかねないので、実験したことはないですが、物理的には可能なはずなのですが。
 やっぱりテロリスト相手に消火器で立ち向かわせたら、リアリティは無理あるか……
[一言]
話が伝わってくる、良き文章でございました。
リアリティは、ストーリーには必要無いが、ストーリーを支える為には必要だと思います。作者様も、同じかなと思います。

ストーリーだけならば桃太郎で良いわけですからね。疑問無しで、突き進んでる話ですし。あればかりの世の中になるのは困りますけどね。

物理的に、心情的に、リアリティが無くては、どうしようも無い気がします。なろう内の事を題材にした作品が浮上するのだから、何と無くわかってる人の方が多いとは思いますけどね。あれが浮上する時点で、リアリティが要るだろうと言っているような物ですからね。








 感想ありがとうございます。

>リアリティは、ストーリーには必要無いが、ストーリーを支える為には必要だと思います。作者様も、同じかなと思います。

 そうですね。補強部分になります。
 物語がどんなに荒唐無稽でも、説得力や没入感があれば問題ないというのが、このエッセイの趣旨ですし。(逆方向から見て書いてますけど)


>物理的に、心情的に、リアリティが無くては、どうしようも無い気がします。

 フィクションにおいては、物理の束縛は、かなり緩いです。それこそ「言ってること前と違う」なんてことがない限り。
 現実には存在しない、謎原理や謎物質が出てきても、「この作品世界にはある」「そういうもの」で通用してしまいますし。
 現実と比較するのが不可能なんですよね。「そういうもの」で流さないと、続きが見れなくなってしまいます。

 対して心情面は、束縛がかなりキツいです。
 フィクション内の人間の思考回路も、現実の人間と同じと見なして、比較しますから。
 だから、ろくな説明もなく、標準から外れるような突拍子もない言動をさせたら、読者からツッコまれます。

 あくまで傾向ですけど、大まかな設定は現実離れしてても許されて、細かな展開部分はリアリティがないと許されないことが多いように思います。
[良い点]
熱い漢がいる。情熱を感じて一気に読んでしまいました。


女性だったらすいません。炎の女と読み替えて下さい。
[一言]
作者が皆、批判から心を守る、オーラやバリアをそなえてる訳じゃ無い。

作者だって、人だから、他人から見たら、ツマラナイ事で傷つきえる。

リアリティー批判も、その一つで、だからこそ盛り上がるんだろう。

P.S.
ど素人の視点だと、小説を書くことに恐怖を感じる人がでかねない。そういうレベルの文章ですねw


 感想ありがとうございます。

 自己紹介でなにも書いていませんが、野郎です。

 情熱……あるのかなぁ?
 自覚はないのですが。


>作者が皆、批判から心を守る、オーラやバリアをそなえてる訳じゃ無い。
>作者だって、人だから、他人から見たら、ツマラナイ事で傷つきえる。
>小説を書くことに恐怖を感じる人がでかねない。そういうレベルの文章ですねw

 自分が石橋叩いて渡る臆病な性質だから、こう考える部分が大きいとは思いますが。
 どんな形であれ、他人に己をさらけ出すって、「失敗したらどうしよう?」なんて恐れや、「自分がどう見られてるだろう?」なんて不安、なにかしら負の感情がない? と思ってしまうのです。

 ほとんどの人は数百人規模でも、壇上に立って人前でスピーチするような機会はないわけです。
 3、40人規模でも、学校の授業で名指しされて人前に立つのは、嫌がる人多い気します。
 たったひとりを相手に、「好き」と告白するだけでも、少なくとも最初はすごく勇気がいるのでは?

 作品をネット上に投稿するのは、同じことを、場合によっては数千数万規模の相手の前でやっているのですが、恐怖心とかないものなの? と疑問なのです。
 いくらネット上で、自分の顔を隠すことができて、相手の顔が見えないとはいっても。
 この負の感情が、心を守るオーラやバリアに結びつくと思うのですけど。


 他の人からすれば「ウソつけ」と思われるかもしれませんが、自分には恐怖を煽るつもりはないのです。
 単に「リングに立てば対戦相手からパンチが飛んでくる」と、当たり前のことを説明してるだけのつもりです。
 ついでに「ノーガード戦法で立ち向かったら、カウンター食らって崩れるぞ。それが嫌なら避けるか防ぐか、リングから降りろ」とも。
[一言]
なんだかリアリティがゲシュタルト崩壊しそうですが…

作者の語彙力(説明力)と読者の読解力(理解力)のズレということですかね…?

作者の「このくらい書けばわかんだろ」とか「これは空想、幻想だから!」といった表現の手抜きにより、読者の理解を妨げると。

なら逆に読者にも言えることですね。
「最初からそう言ってくれなきゃわかんないだろ」「熱膨張とかww有り得ないからww」みたいに理解する努力を怠っている人が増えているのも事実かと。

私としましては結局、住み分けだと思います。

高級料理店に金持ちが行くように、牛丼チェーンに平民が行くように、己の分相応を見極めることが大切なのでは…と。

金持ちが牛丼チェーンに行って「こんな安い肉食えるか!」と喚いても、平民が高級料理店に行って「いくらなんでも高すぎる!」と嘆いてもそれはそこを選んだ自分の責任です。

作者さんは自分の「書く力」に合った文章を書き、読者は自分の「読む力」に合った文章を読む。
これぞ文相応!なんて…
 感想ありがとうございます。

>なんだかリアリティがゲシュタルト崩壊しそうですが…

 それは……なんというか、申し訳ないというか、仕方ないというか……
 根本の原因は、『リアリティ』って言葉が便利すぎだからです。
 リアリティを論じるには、意味から齟齬を省くのが大前提。
 だからリアルとリアリティがゲシュタルト崩壊。
 ここらをもっと上手く説明できる人が他にいるでしょうが、自分にはこれが精一杯でした。

 あと、自分がルビ使いという理由もあると思います。
 「理由」を「わけ」と読ます中二な使い方も平気でやります。

>作者の語彙力(説明力)と読者の読解力(理解力)のズレということですかね…?

 自分のエッセイに限っていえば、その解釈で問題ないです。
 ただ、自分は『リアリティ』を『説得力』と『没入感』で説明して、可能な限り自信を持てる内容にはしましたが、それで『リアリティ』の全てが説明できているとは到底思いませんし、全て正しいものとして鵜呑みにされてしまっては困るかな、とは思います。

>私としましては結局、住み分けだと思います。

 これは、サービス享受側(読者側)の理論であって、提供側(作者)の立場では、個人差が大きいですが、ダメな人が多いのではないかと思います。

 まず、料理店の例で言えば、『高級料理店』というカテゴリーの中でも、サービスと値段が釣り合っていないぼったくり店は「いくらなんでも高すぎる」と批難されても仕方ありません。
 牛丼チェーン店でも、A社と比べてB社が誰が食べてもマズかったら、「こんな安い肉食えるか!」という批難も正当になります。

 その上で、完全に住み分けてしまうと、先細りになります。
 客からしてみれば、気の合う常連客ばかりで和気藹々とした雰囲気を望むのはわかるのですが、常連オンリーの店は遅かれ早かれ潰れます。この辺り説明すると長くなるので端折りますが。
 会員制や一見さんお断りとしてる店や、趣味で店をやってるなんて人もいますから、一概に善し悪しは言えませんが、特に成長しようと思えば新規客の取り入れ、つまり住み分けの垣根を低くする必要があります。
 これをやらないと、経営破たんし、サービス享受側(読者側)も大なり小なり不利益を被ることになります。

 やはり視野の広さ、自分の常識外のことをどこまで理解し許容できるか、でしょうか?
 高級料理店に、記念日の贅沢として貧乏人が訪れても、「メチャクチャ高いけど、記念日だから」と大人しく金払えば、誰も文句は言わないわけですし。
 金持ちがチェーン店の料理を食べたところで、「安い肉だけど、この値段ならこんなものか」と納得すれば、なんの問題もないわけですし。
[一言]
すみません、先の感想、重要な一文が抜けました。
長々と書いたのは、「九割方同意」した上での「残りの一割」です。
[一言]
九割方同意です。

今期のアニメにかなり良い対比の作品があったと思うのですが、一つは『正解するカド』、もう一つは『ロクでなし魔術講師と禁忌経典』。
前者がリアリティを極限まで重視した作品で、リアリティが魅力に直結している作品です。
一方後者は、圧倒的にリアリティ<魅力の作品です。

この二つの作品のどっちをより見たいと思うか、『ロクでなし』をどう評価できるか、だと思うんですよね。
リアリティ重視派の人は、『ロクでなし』に80%のリアリティがあると受け取れるのか。
序盤はともかく、アニメの後半はかなり振り切っていた作品です。

左脳で物語を見る癖がある人は、圧倒的に『正解するカド』を素晴らしいと評価するでしょう。
ただ実際には、『ロクでなし』のほうに惹かれる人も多い。
何がいいの、と聞かれても、何となく、としか答えられないでしょう。
その良さを言語化することは、『正解するカド』の良さを言語化することより、はるかに難しい。

個人の意見として、リアリティに関する引っ掛かりを感じたことを指摘するのは、僕は悪い事とは思いません。
しかしリアリティを大事にする人は、それを一般論にしたがる上に、それをもって作品を貶す傾向が強い。
ここに僕は、「もうちょっとよく考えよう?」と警鐘を鳴らしたい。
「僕はこの作品のこことこことここに不自然さを感じて、楽しめませんでした」とニュートラルに言える人はほとんどいない。
リアリティのない作品は「貶していいモノ」と思っている。

そして、リアリティが大事だよ、という意見の提示者もまた、それに従った作者に対して責任を取ったりはできないのですよね。
 ふたつの感想ひとまとめにして返信させていただきます。

 わかるんですけどね……そのお気持ち、理解はできますが……

 逆ベクトルですけど、「面白かったです」だけの、一言のみの感想は許されるか否か、というのと同じかと。
 「面白かったです」のみにしても、「リアリティがない」だけでも、具体性のない感想は、ハッキリ言って自分は嫌いです。
 だけど同時に、現実問題、どうしようもないとも思ってます。

 言語化できないことを言語化するのが、モノ書きの仕事ですから。
 反論する時は具体的にとか、社会常識のように言われてますけど、作者⇔読者の関係原理から見れば、具体的説明なんて読者・観客側に求めるのが間違いです。

 普通、「リアリティ」は「リアリティ」以上の意味を持たせて使いません。他人と認識にズレがあるなんて考えもしません。
 そこで、作品のどこがどのようにリアリティを欠いてるのか、分かりやすい説明を望む気持ちは理解できます。実際自作に的確な評論が来れば、作家としてはありがたいでしょう。
 だけど実際作者がそれを読者に求めてしまうと、自分ができるから他人にも同じことを求める、結構なエゴになる場面が多いでしょう。自分の考えでも正確に伝えられる人なんて、多くはないですし。

 自分が読者の立場になって、リアリティのなさを指摘する場面になれば、可能な限り言葉を伝える努力はするでしょうが、どこまで伝えられるかは責任取れません。
 それが完璧にできるのは、モノ書きより、政治家や学者、宗教家の領分と思います。
[良い点]
>前半はリアリティ成分80未満の誰も傷つかない平和な世界だったのに、後半になるとリアリティ成分95オーバー簡単に人が死ぬハードボイルドワールド。物理法則というより、作中世界が都合よく変化しているわけですから。
>どちらがその作品世界にとっての『現実』なのか、読者にはわからないのです。
「そういう表現をする作風」なんですよ、それ。
作家志望者の中でとても人気が高い作家先生が使ってる表現ですから、真似する人がとても多いですよね。
昨日今日に始まったことではなく、十年以上前からの流れです。

当人に比べて稚拙だから、いわばマイナスのご都合主義が目につくんでしょうね。
  • 投稿者: 退会済み
  • 2017年 06月24日 20時47分
管理
 感想ありがとうございます。

 その辺になると、感想くださった後に投稿した、没入感の問題でしょうね。
 素人がデッドコピーをやってしまうと、粗が目立つのですが。
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