感想一覧

▽感想を書く
[一言]
「怖いと思うから怖いのよ」
お玉さん、いいこと言うじゃないですか!
夏にぴったりなお話でなんだか気温も下がった気がします。
  • 投稿者: 真咲 タキ
  • 男性
  • 2019年 08月05日 10時27分
真咲タキさん、ご感想ありがとうございます!

怖い思うから怖いのよ、と言われると余計に怖いですよね。(^^;;

今年の夏はめちゃくちゃ暑いので、ホラー作品で少しでも涼しんでいただけたら、と思います。
まあ、これは厳密にはホラーというより、夏の思い出的な文学作品という気もしますが……。
現在開催中のホラー企画「第2回ヤミツキなろうコン」もがんばります!(^^)
  • Kan
  • 2019年 08月05日 12時17分
[一言]
愛理修です。

現在「稲生物怪録絵巻」を読んでいる最中の人間なので、この手の小説は好きです。楽しませてもらいました。

*ここから先は本編についての感想と読解で、ネタバレの箇所もありますので、本編を読了のうえでお読みください。

【注意・この下ネタバレ】



①全体的に、追想形式の、エッセイとも小説とも取れる作りで、それが効果を上げているな、と思いました。
狐が化けるのもお化けが出るのも、不思議にも思わないなら、怖れもしない「私」を主人公にしていることで、日常性みたいなリアリティが生じ、民話や昔話の雰囲気を引き継ぎながら、そうはならずに、味わいのある小品となっています。現在でなく思い出話にしていること、お玉狐と「私」の関係などの説明を省いていること、下手にストーリを作ってないことなども、僕に関してば功を奏していました。

②<山を見上げると、一面の夕焼け空はしばらくの間>から<気がつけば、お寺の境内には出店が並び>までの、異界への誘導の仕方が巧みです。夕暮れの空の変化から始まり、お寺の鐘、茜色の伽藍、黒々とした印象の五重塔、灯し火、一言いって俯くお玉、そして文字通り気づくと、私は祭りの中にいる。この不思議なんだけど、不思議が不思議でないように生じる感覚がいいです。作中でのお玉と私がまったく移動した形跡がないのに、つぎつぎと目の前の見ているものが変化していくことで、異界に歩いて入ったのでなく、周囲が変化して異界になった感があるので、そうなっています。

③お囃子が鳴り響き、盆踊りがあっているのに、<ボーンボーン>と<ゆらりゆらり>を除けば、オノマトペを使われてないので、全編に静けさが漂っていて、僕はそのへんが気に入っています。夏祭りなんだから、人混みに浴衣に、もっと賑やかに活気ある描写があったほうがいい、それに欠かせないのがオノマトペ。という考えもあるでしょうけど、やはりここは、お化けと魂の夏祭りなのですから、賑賑しいのに、なぜかひっそりしているいうのが適していると思います。また、お寺の鐘をゴーンでなくボーンとし、ゆらりゆらりを、そのあとの<大きく大きく>との合わせ技で使われている点も、高(好)得点です。

④唐傘お化けの皮肉的なユーモアが愉快です。また狐の親父が、でしゃばらず、いい感じに脇役に徹していることも好印象です。できたら、般若のお面売りとか一つ目小僧の掛軸売りとか、そういう言葉だけでもいいので、もう二つか三つお化けが欲しい気もしました。

⑤最期をどうまとめるのか、このままの雰囲気でいくのか、ほのぼのした感じでいくのか、なんてことを思っていましたので、結末にはニヤリと満足させてもらいました。得体が知れないところが化物らしさだと思っています。そこに不気味さや、異質な感触が生まれます。kanさんの今作には、底のほうにそんな得体の知れなさが流れていて、それが結実した終わりになっていると思いました。お玉も狐の親父も唐傘も、親近感がありながら、本音ではなにを考えているのかわからない得体の知れなさを秘めています。そこのところが良くて、それを生かした結末です。

⑥結末の内容としては、どちらかというと王道で、広く解釈すれば夢オチのパターンとすることもできますし、狐や狸に化かされた話や、雨月の「浅茅が宿」のバリエーションともとれます。ただ、そのもっていきかた、技法が、お見事です。<「ねえ、何か怖いことが起こらないかな?」>この伏線がじつに利いています。それから前半と照応するように、主人公の目の前で徐々に変化するくだりが、いい按配で表現されています。また、夜が明けてとか目が覚めたらでなく、それが真夜中に起こっていることにすることで、そのあとに続く<外から>以後の描写が、ことのほか際立っています。作者様の狙い通りというところでしょうか。

⑦布団からお玉の姿が消えてすぐのところで、それまでずっと<私>だった主人公が、いきなり<僕>の表記になります。そこから九行目あとでは<私>。小説の肝ともいえる箇所ですから、これって、意図的に<僕>にされているのですよね。で、それで考えると、追想していた<私>が、この瞬間に小さかったころの僕に戻ってしまい、子供心の恐怖を、回想としてでなく、まざまざと、いまのものとして甦らせているというふうになっていて、⑥の効果もあり、作中でも迫真性のある読みどころとなっています。そして、そのあとでまた<私>に戻すのですが、そのへんもさりげなくされています。面白い試みをされていると感心しました。ただ、あまりにもさりげなくされていて、読み落とされそうです。<僕>が<私>に戻る時の

>狂ったような笑い声になって、私の頼りない心をからかい続けたのだ。

の文章を、つぎのようにされたらと提案しておきます。

>狂ったような笑い声になって――私の頼りない心をからかい続けたのだ。

⑧上記の文章のすぐあとの<ああ、いつの間にか、私はボロボロのお寺に一人で眠っていたのだ。>がとてもいいです。<ああ>がすごく利いています。<ああ>などの感嘆詞は、オーバー過ぎるので使う際には注意がいるんですけど、ここでの<ああ>は見事すぎるぐらいにストライクです。<私>と<僕>が一体化した瞬間を、<ああ>が捉えてくれています。それに続く<いつの間にか>が、またいいです。<気がついたら>でなく、<いつの間にか>だからいいんです。<気がついたら、私はボロボロのお寺に一人で眠っていたのだ。>では、比べてみると、ほんとつまんなくなります。
<気がついたら>で書いてしまう僕(愛理)は、こういう書き方の才が無いので羨ましいです。

 *読みようによっては、この小説は、思い出話でなく一夜の夢の話と解釈することもできます。私が荒れ寺で、つい眠ってしまって見た夢だとです。そうなると、<ああ、いつの間にか、私はボロボロのお寺に一人で眠っていたのだ。>は、いま私が夢から覚めたことになり、それのあとで泣いているのもいまの私となります。つまり、回想でなく、現在進行中の話にです。だから、「小さかった私」でなく「小さい私」になっている。こういうふうに読むと、また別な趣きがあって面白いです。

⑨結びの文章の<本当に怖いものは、こういう底知れない夜の心細さだ。>ですが、僕的には悩むとこです。この小説の結びにしては、説明的で結論めいている気がします。素っ気なく、突き放したような感もあります。わざと、その前の泣いている箇所を強調するための技法かとも考えましたが、それでも結文としてはそぐわないような感じがします。<心細さだ>と、きっぱり断定しているからかもしれません。作者様の意図とは違っていると思っていますが、個人的な感想として、最後に主人公が泣いているのは心細さの怖さからだけでなく、大切なものを失った喪失感の悲しみもあるように思えるのです。主人公はこのあとお玉姉さんと会うことは無かったにちがいないと、想像さえしてしまいます。で、そういう情緒が、いまの結文では損なわれているように感じます。ですから僕的には、不安定な、なにか落ち着かない感じになりますが、<私は泣き続けた。>で終わらせて、いまの結文は削除します。でなかったら、<底知れない夜の心細さ>を使った、結論めいてない文にすると思います。最後の一行は、ほんと難しいですよね。

さて、いろいろ書いてきましたが、kanさんが意図しなかったことばかり書いているだろうなと思います。たとえば②は、kanさんが映画が好きでおられるので、映画を見ている感じで書かれたのではないかと思います。また、kanさんとしては、ノスタルジックな怪異譚を意図されていたのではないかと、僕は推測していて、それはそれで趣きのある仕上がりのものになっています。が、こういう読み解きかたもある、またはミステリの謎解き部分でも読むつもりで楽しんでいただければ幸いです。

それにしても御作は、視点を変えるとさまざまな読み方ができてしまう作品で、小説そのものが変化自在のお化けみたいです。お玉姉さんや狐の親父に、木の葉のように翻弄され、狐につままれてしまっているのは、どうやら僕かもです。

新作の連載でお忙しいところ、最後までお読みいただきありがとうございました。
長文、失礼しました。
迷惑でしたら削除のほうお願いします。勝手に感想を長々と書いているだけですので、気になさらずに、新作のほうを頑張ってください。
  • 投稿者: 愛理 修
  • 男性
  • 2017年 07月27日 23時28分
 追記です。返信で、本作を三人称小説などと書いてしまいましたが、思い切り間違いでした(汗)
  • Kan
  • 2017年 07月28日 16時14分
愛理 修さん、ご感想ありがとうございます!

 拙作にご感想を頂けるとは! たいへん喜んでおります。この度は、貴重なご指摘を頂いて、創作活動の刺激にもなり、たいへん勉強になりました。何度も何度も、ご感想を読み返させていただきました。今後も、大切に読ませていただきたいと思います!


 まず、拙作をお読み頂いて、楽しんで頂けたようで、ほっとしました。しかし、いたらなかった点も多々あるようで、それは次回の勉強課題としたいと思います。


 それでは、内容に移らせていただきたいと思います!


①それでは、まず「主人公が、狐や妖怪が出ることを不思議と思わない」というところからです。これは、僕自身の、子供の頃の感覚にもとづいています。やはり、狐や河童、それにサンタクロースなどは居るものと思っていました。その子供の感覚を再現することがノスタルジーにつながるのではないか、という着想になります。

 そこから、日常性やリアリティが生まれているということは、ご指摘を受けるまで、まったく気がつきませんでした。僕の考えでは、妖怪や狐は、完全なる非日常ではなく、日常との境の世界に生きているものと思っていますので、この点で非常に嬉しく思いました。

 お玉さんと主人公の関係性は、すでに問題となっている部分ですが、僕の当初の狙いとしましては、この関連性が不明であることが、主人公を「のっぺらぼう」にしている……というと変な例えですが……誰でも自分に当てはめて追想に浸れるようにしようというものでした(汗)


②導入部分についてです。導入の仕方を褒めていただいて、大変に恐縮です(汗)

 僕はノスタルジー人間なので、放っておくと、ひとりで黄昏ている時があります。夕暮れ、鐘の音、夜の祭り、という三つの印象が頭の中でくすぶっていたので、これを数珠つなぎに書きました。自分では、独りよがりになりやすい書き方とも思っているのですが、功を奏したとしたら嬉しい限りです。

 ご指摘の通り、作中では、主人公やお玉のお姉さんが歩いている描写も形跡もありません。三人称小説でありながら、ここまで主観に徹するのも妙ですが、二人が見たのであろう光景だけで表現されています。これは、思い出というものが、印象的なものだけを選び残してゆくということにもとづきました。


③オノマトペと「静けさ」についてです。オノマトペが少ない為に「静けさ」が漂っているというご指摘もすごく嬉しいものです。静けさに関しましては、意識して表現したわけではありませんので、次回からは意識的にも表現できるようにしたいと思いました。

 僕自身の思い出は、まず雑多な音の記憶というものが消えてしまって、鐘の音のような印象的なものだけが頭に取り残されているものでした。そこで、本作も、印象的な風景・音などに限定して、追想を書いてゆきました。


④妖怪についてです。唐傘につきましては、僕自身の妖怪観、⑴滑稽⑵廃れてしまった悲しさ、という2点を反映させて、書かせていただきました。それに比べると、狐は、お稲荷様のお使い姫なので、滑稽さも、廃れてしまった悲しさもあまりないのではないかなと思い、そこには皮肉がありません。というのはあくまでも作者の勝手なイメージですが……(笑)

 妖怪の数が少ないことは、ご指摘の通りだと思います。僕自身は妖怪に対する知識やこだわりが少なく、したがって出店や祭りなどとの兼ね合いも難しく、下手なものを多く書くのなら、狐と唐傘の二種に絞ろうと思ったのですが、やはり読み返しますと妖怪がさびしいですね(汗)

 一反木綿の木綿豆腐売りなどもいても良かったかもしれませんね(笑)


⑤その後の展開についてです。このまま、ノスタルジー万歳な雰囲気で終わることも考えたのですが、それはそれで、もやもやとしますし、妖怪や狐の本領は人を怖がらせることですから、やはり最後は恐ろしい目に合わそうと思いました。

 お玉さんを始めとして、妖怪たちが、一体何を考えているか分からない……これも意識してはいませんでしたが、ご指摘の通りだと思いました。お玉さんは消えてしまったので、結局、何を考えていたのか、またなぜ消えてしまったのかも正解を用意しませんでした。

 この⑤の愛理さんのお言葉が、非常に嬉しいです。一応、怪談ともホラーとも言えるジャンルを想定して投稿したのですが、何が怖さとなるのか、見破れずにいました。怖さというよりは雰囲気ですが、その得体の知れなさを分析して、本質を教えて頂いて「そういうことか!」と非常に納得してしまいました。ありがとうございます!


⑥ラストについてです。ラストには意外性はありませんが、狐ものの定番ということでこのようにしました。ただし、変えたのは、目が覚めたら野原に寝ていたというのではなく、廃虚に変わってゆくところをじっくりと目撃したというところですかね。こっちの方が、本当は怖いのじゃないかな、ということです。このラストは、狐の昔話に加えて、雨月、それに番町皿屋敷なども参考にしました。

 お玉の「怖いと思うから、怖いことが起こるのよ」というセリフを書いた理由は、それこそ、妖怪というものが、子供自身の心の世界が生み出してゆくものだったのではないかな、とふと思ったことでした。伏線につながって嬉しいです。


⑦「私」と「僕」この点は完全な誤記ではないのですが、執筆時に、意識して書いたわけではありません。流れで、そのように書いしまったのを、読み返した時にひとつの効果となっていましたので、あえて修正をしなかったということでした。「私」というのは成人している「私」で、遡った時には「僕」ですから、本当に臨場感を出すとしたら「僕」とすべき部分がいくつかあったと思います。もし、そうしなくて、子供の話なのに「私」が云々というと、それは、やはり効果が薄れるのかなと思います。ただ統一されている方が読みやすいので、この点はまた考えてゆきたいと思いました。

 ご指摘の通りで「私」という表記に戻す時が、分かりづらいと感じました。修正案までありがとうございます。こちら大変に感動しましたので、次回の勉強だけでなく、早速、修正をかけたいと思いました。


⑧ありがとうございます。「気が付いたら」ではなく「いつの間にか」という表現ですが、これを無我的な書き方……というと仏教くさいですが、主人公にこの時、少なくとも「この場に我あり」というような自我があり、それに基づく視点で見ているのであれば「気が付いたら」になると思います。しかし、それを主観ではなく客観、あるいは傍観しているように、状況を捉えている表現にしました。ここでは、完全に記憶の世界に戻っているのかな、とあらためて思いました。

 また、全ては夢だったという話を聞いて、背筋が冷たくなりました。夢オチなのに……こんなに恐ろしい夢オチがあったとは驚きです。作者の手を離れて、まったく予想外でありながらも、真実めいています。本作を「叙述トリック」と表現されていた方がいらっしゃいましたが、もしかしたら、人によって意味の異なる物語となっているのかもしれません。


⑨最後の言葉についてです。これは、ご指摘の通りでして、本当に味気のない言葉だな、と我ながらつくづく反省しているところです。

 心細さという言葉では、単に廃虚に一人で眠っているというだけの感情でして、作品のテーマを言い得ていない感がありました。ただ、作中の怖さの本質を、作者自身が見破れずにいたので、このような言葉を使ったのではないかと思います。

 愛理さんのおっしゃるように「大切なものを失った悲しみ」がテーマだとしたら、ずっと内容が深くなると思いました。いやはや感服です。お玉の関連性が最後まで謎であるために、作者自身、お玉が消えるということの意味を取り間違えていたように思います。主人公はお玉が消えて悲しいのですね。だから、廃墟となった寺の中で泣いたのですね。なるほど。ずっと深くなるように思いました。いやはや、勉強になります。


 為になる、さまざまなご指摘を沢山いただいて、非常に助かりました。刺激になりましたので、勉強を重ねて、修正なり、次回作に反映するなりしていきたいと思います。言われてみなければ気づかなかったことばかりで、それもすべて的確かつ本質的なところを突かれていて、ヒヤヒヤしながら、非常に楽しかったです。

 映画からのインスピレーションもかなりあったと思います。また思い出、それもかなり幼少期の記憶からくる印象的なイメージも、僕にとっては、かなり良い材料になっています。


 ご指摘の中で、すべてが夢であったという話や、お玉を失った悲しみで泣いたなど、作者が予期していなかったストーリーが聞けて、驚きました。「千と千尋の神隠し」のように、いろいろな解釈ができる作品というものを、いつか書いてみたいと思っていましたが、本作もそれができる作品なのではないかな、と思えて嬉しかったです。作者の手を離れても成立する作品というのは、ひとつの理想だと思いました。ただ、まだまだ勉強が足りないと思いますので、これからも挑戦してゆきたいです。


 この度は、拙作を深く読んでいただき、分析もしていただいて、さらには長文のご感想を下さり、貴重なご指摘をたくさん、ありがとうございました。今後とも是非是非、ご指導のほど、よろしくお願いします!
  • Kan
  • 2017年 07月28日 16時11分
[一言]
なんだか、幻想的な風景が浮かんできます。妖怪たちのお祭り。夏。しかし、主人公にとっては、なんだか心細くって・・・。心細いから、色々なものが恐くなってしまう。
主人公が大人になり、恐かった思い出も、たいしたことないと思い、いい思い出となればいいと思いました。
  • 投稿者: bashi
  • 男性
  • 2017年 07月23日 17時46分
bashiさん、ご感想ありがとうございます!

幻想的な夜、やはり子供の頃にはそういうものがありました。大人になるとだんだんと減ってゆくものですな。それでも、夏祭りの賑わいの中には、あの頃、触れ合った妖怪たちの面影が残っているような気がします。

誰しも、そういう記憶はあると思います。その時は怖くても、いつしかノスタルジーとなって、心を和ませてくれることでしょう。(!)
  • Kan
  • 2017年 07月23日 17時58分
[良い点]
祭りにお寺、そして妖。
不思議な雰囲気が楽しい作品ですね。
叙述トリックもさすが!
夏にぴったりのお話しでした。
  • 投稿者: 数々
  • 2017年 07月23日 00時14分
数々さん、ご感想ありがとうございます!

夏にぴったりの物語と言って頂けて嬉しいです。夏の夜はこうでなくっちゃと思います。こんな感じで夏の夜は楽しんでいきましょう!(?)

じょ、叙述トリックとは……?(汗)自覚がなさすぎて恐怖です(笑)
  • Kan
  • 2017年 07月23日 00時20分
[気になる点]
姉が狐なので『私』も狐だと思ってました……orz
『私』は人間なんですよね?
[一言]
狐に化かされちゃった訳ですね(^_^;)
master1415さん、ご感想ありがとうございます!

なんと……、お玉との関係性を不明にした為に、分かりにくいことになってしまいましたね(汗)

そうですね。一応、人間と思って書きました。子供の頃というのは、誰でも神仏や妖怪に近かった時期があると思うんです。それと夏の夜の印象を描きたかったのでした(笑)
  • Kan
  • 2017年 07月23日 00時11分
↑ページトップへ