感想一覧
▽感想を書く[一言]
ゆとり教育にも段階があった(実際には1970年代後半から徐々に始まっていますうわ)という話は既に出ていますのでそちらはとりあえず保留することにしまして。
実は、2002年からのゆとり教育を受けていた世代の学力低下したは嘘だったというデータがあります。
2012年に当時の高校1年生が対象となっていたテストで、それまで海外と比較し下がり続けていた順位が上昇に転じのがこの年でした。
さて、あなたは2012年時、何歳でしたか?
完全なるゆとり世代だというのなら、このテストの示す意味が分かる筈です。
ゆとり教育をやめた成果だと言われたこの世代、実際にはゆとり教育下で育った世代でした。
移行期間のどっち付かずの教育を受けた世代が海外との比較で順位を落としていっていただけで、完全なゆとり世代はまさしく当初の予定通りの成果を発揮していたわけです。
結局のところ、ゆとり世代というのは単なるレッテルでしかなく意味のない言葉です。
だって2002年、今から15年前にに小学1年生だった人は、今いくつでしょう?
21ですよね?
なのに何をもってしてゆとり世代は仕事ができないというのか?
大学進学率が五割近い現代において、半数が社会に出ていないというのに、どうやって仕事の出来不出来を決められるのでしょうね?
あまりゆとり世代という言葉を気にしすぎないことです。寧ろ、あなた方の真価が問われるのはこれからです。これから次第で評価ががらりと変わることもあり得ます。
大人達の勝手なラベリングは気にせず、頑張っていってください。
ちなみに、私は「キレる17歳」「理由なき犯罪世代」といわれた世代です。
酒鬼薔薇やネオ麦茶、秋葉原の通り魔事件の犯人と同世代だったばっかりに、あまりにも酷い言われようだと思いました。
ちなみに、この世代の犯罪率が特に高いというデータはないそうです。
ただ単に、分かりやすく○○世代と呼びたいだけなんですから、放っておきましょう。
それがある意味、日本の伝統なのでしょうから。
ゆとり教育にも段階があった(実際には1970年代後半から徐々に始まっていますうわ)という話は既に出ていますのでそちらはとりあえず保留することにしまして。
実は、2002年からのゆとり教育を受けていた世代の学力低下したは嘘だったというデータがあります。
2012年に当時の高校1年生が対象となっていたテストで、それまで海外と比較し下がり続けていた順位が上昇に転じのがこの年でした。
さて、あなたは2012年時、何歳でしたか?
完全なるゆとり世代だというのなら、このテストの示す意味が分かる筈です。
ゆとり教育をやめた成果だと言われたこの世代、実際にはゆとり教育下で育った世代でした。
移行期間のどっち付かずの教育を受けた世代が海外との比較で順位を落としていっていただけで、完全なゆとり世代はまさしく当初の予定通りの成果を発揮していたわけです。
結局のところ、ゆとり世代というのは単なるレッテルでしかなく意味のない言葉です。
だって2002年、今から15年前にに小学1年生だった人は、今いくつでしょう?
21ですよね?
なのに何をもってしてゆとり世代は仕事ができないというのか?
大学進学率が五割近い現代において、半数が社会に出ていないというのに、どうやって仕事の出来不出来を決められるのでしょうね?
あまりゆとり世代という言葉を気にしすぎないことです。寧ろ、あなた方の真価が問われるのはこれからです。これから次第で評価ががらりと変わることもあり得ます。
大人達の勝手なラベリングは気にせず、頑張っていってください。
ちなみに、私は「キレる17歳」「理由なき犯罪世代」といわれた世代です。
酒鬼薔薇やネオ麦茶、秋葉原の通り魔事件の犯人と同世代だったばっかりに、あまりにも酷い言われようだと思いました。
ちなみに、この世代の犯罪率が特に高いというデータはないそうです。
ただ単に、分かりやすく○○世代と呼びたいだけなんですから、放っておきましょう。
それがある意味、日本の伝統なのでしょうから。
感想ありがとうございます。
2012年。私は18歳でした。
私も何かと「ゆとり」「ゆとり」と言われる中でそのデータを発見し、「ダメなゆとり」という風潮に疑問を抱きはじめました。
ゆとり教育廃止を決定した2007年からあと5年待っていれば、ゆとり教育も詰め込み教育のように時代にあったひとつの教育法のひとつのとして評価されていたかもしれない。
それなのに5年という短いスパンで廃止を決定した為にゆとり教育には「ダメ」のレッテルが貼られてしまった事をとても残念に感じました。
そうなんですよね。
2002年に小1の子達が社会に出て、結果が出るのは短く見積もってもあと10年以上はかかります。
新人なんて要領の良し悪しはあれど、その後に結果を出せる人材に育つかは10年は分からないのですから、10年後にどれだけのゆとり世代が結果の残せる人材になっているかがきっと本当のゆとり教育の良し悪しを決定付けるのでしょう。
はい。
私は、私が受けた教育だって捨てたもんじゃないと思っていますし、そんな教育や社会を作ってくれた当時の大人達に感謝しています。
だから当時の大人達に否定されたくないですし、どうせなら「流石、私達の作った社会で育った子供だ」と唸らせてやりたいと思っていますので、精一杯努力して、結果を残していくつもりです。
日本の伝統という言葉にとても納得して、スッとしました。
なるほど、昔から特にデータに基づかない否定的な世代名はあったんですね。
伝統とは言え、メディアが大々的に取り上げた結果、不名誉な世代名をつけられるのは、悲しいものです。
2012年。私は18歳でした。
私も何かと「ゆとり」「ゆとり」と言われる中でそのデータを発見し、「ダメなゆとり」という風潮に疑問を抱きはじめました。
ゆとり教育廃止を決定した2007年からあと5年待っていれば、ゆとり教育も詰め込み教育のように時代にあったひとつの教育法のひとつのとして評価されていたかもしれない。
それなのに5年という短いスパンで廃止を決定した為にゆとり教育には「ダメ」のレッテルが貼られてしまった事をとても残念に感じました。
そうなんですよね。
2002年に小1の子達が社会に出て、結果が出るのは短く見積もってもあと10年以上はかかります。
新人なんて要領の良し悪しはあれど、その後に結果を出せる人材に育つかは10年は分からないのですから、10年後にどれだけのゆとり世代が結果の残せる人材になっているかがきっと本当のゆとり教育の良し悪しを決定付けるのでしょう。
はい。
私は、私が受けた教育だって捨てたもんじゃないと思っていますし、そんな教育や社会を作ってくれた当時の大人達に感謝しています。
だから当時の大人達に否定されたくないですし、どうせなら「流石、私達の作った社会で育った子供だ」と唸らせてやりたいと思っていますので、精一杯努力して、結果を残していくつもりです。
日本の伝統という言葉にとても納得して、スッとしました。
なるほど、昔から特にデータに基づかない否定的な世代名はあったんですね。
伝統とは言え、メディアが大々的に取り上げた結果、不名誉な世代名をつけられるのは、悲しいものです。
- アキラ
- 2017年 08月05日 21時06分
[一言]
人間も機械もおんなじだ。不良品の多いロットで作ったものなんか廃棄されて当然よ。不良在庫になるだけだもの。そうされないだけマシだ。諦めろ。
円周率の件?そりゃそれの方が多かったんだろう?順位の件もそうだろう。例外をもって全体を擁護したってどうにもならん。
ゆとりほど役に立たんのはおらんよ。これは事実だ。
人間も機械もおんなじだ。不良品の多いロットで作ったものなんか廃棄されて当然よ。不良在庫になるだけだもの。そうされないだけマシだ。諦めろ。
円周率の件?そりゃそれの方が多かったんだろう?順位の件もそうだろう。例外をもって全体を擁護したってどうにもならん。
ゆとりほど役に立たんのはおらんよ。これは事実だ。
- 投稿者: General der Nationale Volksarmee
- 2017年 08月04日 23時21分
感想ありがとうございます。
円周率や順位の事が少数派だと理解されててとても嬉しいです。
私の周りだとそれがゆとり世代の代表みたいな顔をしていたので、そんなの一部の例外だと分かってて貰えるだけでも有り難いです。
破棄されるのは困るので、役に立たないなりに努力していきます。
そして次の子供達は、役に立つ大人に育てられるような社会と学校に変えなければいけないですね。
私は10年後、20年後に社会に携わった一員として、社会に出てきた子供達に良い社会で育った思って貰える、そして良い大人達に育てられた学校と社会を作れたと誇れる大人になりたいと思います。
円周率や順位の事が少数派だと理解されててとても嬉しいです。
私の周りだとそれがゆとり世代の代表みたいな顔をしていたので、そんなの一部の例外だと分かってて貰えるだけでも有り難いです。
破棄されるのは困るので、役に立たないなりに努力していきます。
そして次の子供達は、役に立つ大人に育てられるような社会と学校に変えなければいけないですね。
私は10年後、20年後に社会に携わった一員として、社会に出てきた子供達に良い社会で育った思って貰える、そして良い大人達に育てられた学校と社会を作れたと誇れる大人になりたいと思います。
- アキラ
- 2017年 08月05日 20時17分
[一言]
自分は小中高とずっぽりゆとり教育の完全ゆとり教育世代ですが、知識という面では後発の方が最新版であったりより正しい理論であったりを学べているはずなのに、ただその世代であるってだけで馬鹿にされるというかバイアスのかかった目で見られるのは嫌な気分になりますね。
経済情勢やら政情やら、色々と上の世代とは違うのにその世代と同じことを求められても……という感じですね。
欲がないさとり世代なんて言葉もありますが、単に欲を満たすだけの収入やら時間的余裕が無いだけだったり。
ゆとりだから常識やモラルの無い人が多いというよりは、メディアやSNSの発達でそういう人が見つかりやすくなっただけだと思うんですよね。
まあ、ゆとりは害悪!みたいな風潮を作ったり助長したのもそのメディアなんでしょうけど
自分は小中高とずっぽりゆとり教育の完全ゆとり教育世代ですが、知識という面では後発の方が最新版であったりより正しい理論であったりを学べているはずなのに、ただその世代であるってだけで馬鹿にされるというかバイアスのかかった目で見られるのは嫌な気分になりますね。
経済情勢やら政情やら、色々と上の世代とは違うのにその世代と同じことを求められても……という感じですね。
欲がないさとり世代なんて言葉もありますが、単に欲を満たすだけの収入やら時間的余裕が無いだけだったり。
ゆとりだから常識やモラルの無い人が多いというよりは、メディアやSNSの発達でそういう人が見つかりやすくなっただけだと思うんですよね。
まあ、ゆとりは害悪!みたいな風潮を作ったり助長したのもそのメディアなんでしょうけど
感想ありがとうございます。
そうですね。
完璧な教育はなく、教育とは時代の流れと共に最適だとされるものに移ろうものですから、ずっと同じ教育を続けていたら、きっとそれこそ時代にそぐわない大人を量産し、社会が低迷してしまうかもしれないです。
だからこそ、10年後、20年後に違う教育を受けた子供達が社会に出たとき、私達はバイアスのかかった目で見ないようにしたいですね。
確かにそれはありますね。
私も「若い内に遊ばないと」と言われても、なんとか一月生活出来る程度のお金でどう遊べば良いのだろうとは思います。
メディアの発達で身近にいない非常識な人すら身近に感じるようになったため、ゆとり世代に非常識な人が多いように感じられるようになったのだとは思います。
ただ、メディアの発達が急激過ぎて、モラルが追い付かなかった気はします。
そして当時、中高大学生だったゆとり世代は、最も早く新しいメディアに馴染み、それを一番活用し、そして未熟な精神と常識の元にモラルというモラルが存在しなかったメディアで問題をお越し、その問題がモラルに変わっていったのだと思います。
メディアも良し悪しですよね。
そうですね。
完璧な教育はなく、教育とは時代の流れと共に最適だとされるものに移ろうものですから、ずっと同じ教育を続けていたら、きっとそれこそ時代にそぐわない大人を量産し、社会が低迷してしまうかもしれないです。
だからこそ、10年後、20年後に違う教育を受けた子供達が社会に出たとき、私達はバイアスのかかった目で見ないようにしたいですね。
確かにそれはありますね。
私も「若い内に遊ばないと」と言われても、なんとか一月生活出来る程度のお金でどう遊べば良いのだろうとは思います。
メディアの発達で身近にいない非常識な人すら身近に感じるようになったため、ゆとり世代に非常識な人が多いように感じられるようになったのだとは思います。
ただ、メディアの発達が急激過ぎて、モラルが追い付かなかった気はします。
そして当時、中高大学生だったゆとり世代は、最も早く新しいメディアに馴染み、それを一番活用し、そして未熟な精神と常識の元にモラルというモラルが存在しなかったメディアで問題をお越し、その問題がモラルに変わっていったのだと思います。
メディアも良し悪しですよね。
- アキラ
- 2017年 08月05日 20時03分
[一言]
面接したり、入社させたり、試用期間で首を切ったりという立場のものですが。
自分の体感ではゆとりもゆとりでないのも、特に差は無いですね。
面接したり、入社させたり、試用期間で首を切ったりという立場のものですが。
自分の体感ではゆとりもゆとりでないのも、特に差は無いですね。
感想ありがとうございます。
人事部の方(と利便上呼ばせて貰います)の意見が聞けてとても興味深かったです。
やはり、「ゆとりは‥」というのは「最近の若い者は‥」と同じ意味のようですね。
人事部の方(と利便上呼ばせて貰います)の意見が聞けてとても興味深かったです。
やはり、「ゆとりは‥」というのは「最近の若い者は‥」と同じ意味のようですね。
- アキラ
- 2017年 08月05日 19時24分
[一言]
ゆとり世代を擁護する感想が多いようですが、私は基本ゆとりが嫌いです。
自分達は犠牲者だという被害者面をまずやめていただきたい
社会人になったら、ゆとりとか言われないよう
頑張れば良いじゃないですか
仕事ができて周囲と良好な関係が築ける人間なら
ゆとり世代など関係ないと思います
ゆとり世代を擁護する感想が多いようですが、私は基本ゆとりが嫌いです。
自分達は犠牲者だという被害者面をまずやめていただきたい
社会人になったら、ゆとりとか言われないよう
頑張れば良いじゃないですか
仕事ができて周囲と良好な関係が築ける人間なら
ゆとり世代など関係ないと思います
感想ありがとうございます。
私としてもゆとり世代を擁護する感想が多くて驚いていた所です。
あれだけダメだダメだと繰り返されていたので、もっとボロクソに言われる事を覚悟した上であげていたので、むこうぶちさんのようなゆとり嫌いの方にも読んでもらえていたと思うと安心と嬉しさを感じます。
なるべく社会のゆとり世代への風潮や事実に基づいて、私の中に生れた疑問を並べたつもりだったのでそういう見方もあることに驚いています。
ただひとつ、今までの感想は擁護派だったので流していましたが、オブラートに包みすぎて伝わっていない私個人としての意見は、風潮に流されつつも「ゆとり教育が悪いゆとり教育が悪いって、お前らの受けた教育がなんぼのもんじゃい!」「所詮ゆとり教育と同じ廃止された教育受けてた癖によく偉そうにに人の受けた教育にケチつけてんじゃねぇ!」「それでも批判すんならそれを支持したお前らの残念なおつむを省みろ!」という反骨精神です。
ゆとり世代にとってゆとり教育は青春時代です。
教師に殴られて当たり前の世代の人だって青春時代を美しく語るのだから、青春時代は多くの人にとって一番否定されたくない時代だと思います。
だから人の青春時代否定する気ならそれ相応の覚悟を持てよ?を作中では「嗤う権利」としてオブラートに包んで表現させて頂いております。
職業柄、私が言われなくてもお客様の話題として出てくるので、にこやかに返しつつ内心モヤモヤした内容といった所です。
私としてもゆとり世代を擁護する感想が多くて驚いていた所です。
あれだけダメだダメだと繰り返されていたので、もっとボロクソに言われる事を覚悟した上であげていたので、むこうぶちさんのようなゆとり嫌いの方にも読んでもらえていたと思うと安心と嬉しさを感じます。
なるべく社会のゆとり世代への風潮や事実に基づいて、私の中に生れた疑問を並べたつもりだったのでそういう見方もあることに驚いています。
ただひとつ、今までの感想は擁護派だったので流していましたが、オブラートに包みすぎて伝わっていない私個人としての意見は、風潮に流されつつも「ゆとり教育が悪いゆとり教育が悪いって、お前らの受けた教育がなんぼのもんじゃい!」「所詮ゆとり教育と同じ廃止された教育受けてた癖によく偉そうにに人の受けた教育にケチつけてんじゃねぇ!」「それでも批判すんならそれを支持したお前らの残念なおつむを省みろ!」という反骨精神です。
ゆとり世代にとってゆとり教育は青春時代です。
教師に殴られて当たり前の世代の人だって青春時代を美しく語るのだから、青春時代は多くの人にとって一番否定されたくない時代だと思います。
だから人の青春時代否定する気ならそれ相応の覚悟を持てよ?を作中では「嗤う権利」としてオブラートに包んで表現させて頂いております。
職業柄、私が言われなくてもお客様の話題として出てくるので、にこやかに返しつつ内心モヤモヤした内容といった所です。
- アキラ
- 2017年 08月04日 00時11分
[良い点]
ぶっちゃけているところ。
[気になる点]
「ゆとり世代」を嘲っている人たちと同じく、「ゆとり世代」を否定していること。
[一言]
はじめまして。
独創的で刺激的なエッセイですね。
ただ、生産第一主義の前近代世代からの罵倒を真に受け過ぎ、な印象を持ちました。
私は産業革命からこっち、経済最大の問題は過剰生産だと思います。
奪うための戦争が、壊すための戦争になり、ソレができなくなると公共事業で穴掘りと穴埋めを繰り返すように。
まるでダイエットに狂奔しながら三食とも滿漢全席を喰らい、拒食と過食を繰り返すようなもの。
バカですね。
それが、競争万歳な旧世代です。
地球は丸く、人類は有限で、合理的に考えれば生産を下げるしかない。
であれば、「ゆとり世代」大成功です。
余計な生産をせず。
過大なソレを強要されれば停止し。
失敗を自覚できない不良品(旧世代)から自らを隔離する。
ブレーキの無い欠陥世代がそれを否定するのは当然ですが。とはいえ、根本的に有限の世界である以上どうにもなりません。
今後も別な形でそれが続きます。
残念ながら、欠陥世代が死に絶えるまで無駄な摩擦と、それに伴う犠牲が生じるでしょうが。
一人一人の生産性は落ち続けるでしょう。
モラトリアム期間は大学でも吸収しきれずに生涯へと延長されます。
……もはや、ニートではくくれないほどに。
存在しないパイを奪い合って間抜けが潰し合いに走ります。
……あぶくの如く入れ替わるブラック企業ですね。
25年後に「無駄な百年があったね」と嗤うことになるのは、いささか気の毒な気もしますが。
……と、ここまでエラそうに書いてしまいましたが、気を悪くしてしまわれたら申し訳ありません。
勝手ながら、20年後のエッセイを楽しみにしております。
ぶっちゃけているところ。
[気になる点]
「ゆとり世代」を嘲っている人たちと同じく、「ゆとり世代」を否定していること。
[一言]
はじめまして。
独創的で刺激的なエッセイですね。
ただ、生産第一主義の前近代世代からの罵倒を真に受け過ぎ、な印象を持ちました。
私は産業革命からこっち、経済最大の問題は過剰生産だと思います。
奪うための戦争が、壊すための戦争になり、ソレができなくなると公共事業で穴掘りと穴埋めを繰り返すように。
まるでダイエットに狂奔しながら三食とも滿漢全席を喰らい、拒食と過食を繰り返すようなもの。
バカですね。
それが、競争万歳な旧世代です。
地球は丸く、人類は有限で、合理的に考えれば生産を下げるしかない。
であれば、「ゆとり世代」大成功です。
余計な生産をせず。
過大なソレを強要されれば停止し。
失敗を自覚できない不良品(旧世代)から自らを隔離する。
ブレーキの無い欠陥世代がそれを否定するのは当然ですが。とはいえ、根本的に有限の世界である以上どうにもなりません。
今後も別な形でそれが続きます。
残念ながら、欠陥世代が死に絶えるまで無駄な摩擦と、それに伴う犠牲が生じるでしょうが。
一人一人の生産性は落ち続けるでしょう。
モラトリアム期間は大学でも吸収しきれずに生涯へと延長されます。
……もはや、ニートではくくれないほどに。
存在しないパイを奪い合って間抜けが潰し合いに走ります。
……あぶくの如く入れ替わるブラック企業ですね。
25年後に「無駄な百年があったね」と嗤うことになるのは、いささか気の毒な気もしますが。
……と、ここまでエラそうに書いてしまいましたが、気を悪くしてしまわれたら申し訳ありません。
勝手ながら、20年後のエッセイを楽しみにしております。
感想ありがとうございます。
おっしゃる通り私は真に受けやすい性格です。
だからこそ「ゆとり否定」が社会の風潮だと思っています。
そして今作品では、その風潮の基づいた上で私が疑問に感じた事を書かせて頂きました。
なるほど、感想をすべて読んで独創的で刺激的と言われた意味が分かりました。
私とは違った視点の見方をされていて、Cさんの考え方は私にとって独創的な刺激的でしたので、きっと私の考え方もそう感じられたのでしょう。
「競争万歳な旧世代」という言葉になるほどと納得しました。
個人的な解釈ですが、産業革命時代はまだ戦争があり、(戦争に)勝てなきゃ国家が滅びるという現実があり、戦後も焼け野原から復興しないといけない事もあり、(経済で)勝てなきゃ国家が滅びるとその延長線で教えていたのかもしれません。
ゆとり世代にとって、日本の力とは武力や経済とは他に「文化」という他国と競い合うのではなく、国の中で洗練していくものがあったのが、競争を好まない一因になったのかもしれませんね。
日本は「もったいない」という言葉が作られたように大量に作って、大量に消費する社会ではなかったはずです。
目が内に向くゆとりが出来たので、日本を見つめ直し、中国の文化を日本に沿ように変えたように、欧米の文化も日本に沿うように変えていく転換期にいるのかもしれません。
きっと欧米の文化を満腹になるまで取り入れた期間だと思えばきっと日本の歴史の中で必要な時期だったのだと思います。
25年後にどう思われているかは分かりませんが。
私とは違う視点の見方でとても読んでて楽しかったです。
ありがとうございます。
そうですね、20年後にも小説家になろうがやっていることを願っています。笑
おっしゃる通り私は真に受けやすい性格です。
だからこそ「ゆとり否定」が社会の風潮だと思っています。
そして今作品では、その風潮の基づいた上で私が疑問に感じた事を書かせて頂きました。
なるほど、感想をすべて読んで独創的で刺激的と言われた意味が分かりました。
私とは違った視点の見方をされていて、Cさんの考え方は私にとって独創的な刺激的でしたので、きっと私の考え方もそう感じられたのでしょう。
「競争万歳な旧世代」という言葉になるほどと納得しました。
個人的な解釈ですが、産業革命時代はまだ戦争があり、(戦争に)勝てなきゃ国家が滅びるという現実があり、戦後も焼け野原から復興しないといけない事もあり、(経済で)勝てなきゃ国家が滅びるとその延長線で教えていたのかもしれません。
ゆとり世代にとって、日本の力とは武力や経済とは他に「文化」という他国と競い合うのではなく、国の中で洗練していくものがあったのが、競争を好まない一因になったのかもしれませんね。
日本は「もったいない」という言葉が作られたように大量に作って、大量に消費する社会ではなかったはずです。
目が内に向くゆとりが出来たので、日本を見つめ直し、中国の文化を日本に沿ように変えたように、欧米の文化も日本に沿うように変えていく転換期にいるのかもしれません。
きっと欧米の文化を満腹になるまで取り入れた期間だと思えばきっと日本の歴史の中で必要な時期だったのだと思います。
25年後にどう思われているかは分かりませんが。
私とは違う視点の見方でとても読んでて楽しかったです。
ありがとうございます。
そうですね、20年後にも小説家になろうがやっていることを願っています。笑
- アキラ
- 2017年 08月03日 21時59分
[一言]
ゆとり世代は失敗作では無い。
別段、著しい社会問題を作り出したわけでは無いからだ。結局の所、個人的な問題である。
ただし、ゆとり世代を作った世代は違う。少子化問題などの社会問題を作り出したのは、あの世代である。
ゆとり世代を失敗作だと言う、ゆとり世代を作った世代が居るのなら、何も出来ない者達だと言えよう。
ゆとり世代は、少子化という社会問題を作り出した世代に言ってやれば言いと思う。
ゆとりが無いから、失敗したんだと。
ゆとり世代は失敗作では無い。
別段、著しい社会問題を作り出したわけでは無いからだ。結局の所、個人的な問題である。
ただし、ゆとり世代を作った世代は違う。少子化問題などの社会問題を作り出したのは、あの世代である。
ゆとり世代を失敗作だと言う、ゆとり世代を作った世代が居るのなら、何も出来ない者達だと言えよう。
ゆとり世代は、少子化という社会問題を作り出した世代に言ってやれば言いと思う。
ゆとりが無いから、失敗したんだと。
感想ありがとうございます。
失敗作ではないという言葉、とても嬉しく感じます。
世代であれこれと語りますが、突き詰めれば確かに個人の問題でしかないですよね。
ゆとり世代が失敗作と直接的に言われた訳ではないですが、社会の風潮として「ゆとりはダメ」「根性がない」「ガッツが足りない」と言われるので、そんなに過去を美しく語るならなぜ前の教育を止めたのかと前の世代の方々に問いたくはなります。
失敗作ではないという言葉、とても嬉しく感じます。
世代であれこれと語りますが、突き詰めれば確かに個人の問題でしかないですよね。
ゆとり世代が失敗作と直接的に言われた訳ではないですが、社会の風潮として「ゆとりはダメ」「根性がない」「ガッツが足りない」と言われるので、そんなに過去を美しく語るならなぜ前の教育を止めたのかと前の世代の方々に問いたくはなります。
- アキラ
- 2017年 08月03日 20時56分
[良い点]
言いたいことが全部書いてあった。
[一言]
以前、ゆとり世代の子って悪い子はいないよね。と言われたのですが…
(仕事ができなくても)的にフォローするように言われたので、それはゆとり教育のせいではない、と言いたかったことを思い出しました。
私個人の低スペックのせいです…。
どうしてゆとり世代だと言うだけで、別の人類のように扱われなくてはいけないんでしょうか?
不可解です。
本当に、義務教育での方針は選べないし、生きている人にレッテルを貼り、『ゆとり世代だから』と言われても…悪いことのように言われて、どうしろって言うんだ!と思うことがあります。
主にテレビの前で、ですが。
言いたいことが全部書いてあった。
[一言]
以前、ゆとり世代の子って悪い子はいないよね。と言われたのですが…
(仕事ができなくても)的にフォローするように言われたので、それはゆとり教育のせいではない、と言いたかったことを思い出しました。
私個人の低スペックのせいです…。
どうしてゆとり世代だと言うだけで、別の人類のように扱われなくてはいけないんでしょうか?
不可解です。
本当に、義務教育での方針は選べないし、生きている人にレッテルを貼り、『ゆとり世代だから』と言われても…悪いことのように言われて、どうしろって言うんだ!と思うことがあります。
主にテレビの前で、ですが。
感想ありがとうございます。
賛同してくれる方がいて嬉しいです。
私も低スペックなので、私のせいで「ゆとり世代」でまとめて貶されると同世代に迷惑をかけているようで心が痛いですよね。
週休二日になったのは印象的だったのかもしれませんね。
いろんな世代がありますが、教育方針を世代名にしたのは「ゆとり」だけですから。
賛同してくれる方がいて嬉しいです。
私も低スペックなので、私のせいで「ゆとり世代」でまとめて貶されると同世代に迷惑をかけているようで心が痛いですよね。
週休二日になったのは印象的だったのかもしれませんね。
いろんな世代がありますが、教育方針を世代名にしたのは「ゆとり」だけですから。
- アキラ
- 2017年 08月02日 23時36分
[一言]
厳密には、1990年の週休2日制導入からが、ゆとり教育だと思います。アレが非常にわかりやすい方向変換だったので。 だから1990~2010年の約20年がゆとり教育世代じゃないかなぁとは思う。
ゆとり教育は、行き過ぎた偏差値偏向を是正しようとしたのが、目的のハズだったんだけど、実際には、学校機能が低下し、塾への依存が高まり、結果的に子どもへの負担が高まった制度で、これが最大の失敗だと思います。いわゆる学校の質の低下。
これによって塾に行けない子供たちと、塾に行く子どもたちの格差が広がった。
私は団塊Jrと言われる世代で、別の言い方をすれば氷河期世代なんだけど、個人的には、ゆとり世代は使える印象しかありません。
むしろ、バブル世代以上の傲慢さの方が問題だと思っています。マナー一つにしても、歩きタバコやポイ捨ては、高齢者の方が圧倒的に多いですし。とにかく横柄なタイプが多い。
変な話だけど、ゆとり世代は、「ゆとりは使えない」と言われている部分で、ある程度、気軽な所もあると思います。 私が出会ったゆとり世代は、そうした飄々としてる人が凄く多かったので。
なので彼らに対しては「ゆとり世代」というより「さとり世代」というのが、個人的にはしっくり来ます。 打てば響く人たちという印象です。
団塊jrという世代は、「がんばればなんとかなる」という価値観がまだあった世代で、そしてソレが、当人たちを苦しめてきた所があるのですが、その中で成功した人は、やはりそうした価値観をもっている人が多いと思います。
そうしたガンバリズムから脱却する意味で、「さとり世代」を生み出したゆとり教育は、本来の目的とは別の効果があったとは思いますが、ゆとり教育を生み出した文部省ならびに日教組の行き過ぎたリベラリズムは、大きな問題だと思います。 リベラルリズム(自由主義)といっても、現実的なレベルで留めるべきで、現実じゃない空論で、子供を教育した罪は大きいと思う。
ただそれは、ゆとり教育の前からあった話でもあって、実は、団塊の老人も、団塊jrの中年も、もちろんゆとり教育をうけた子どもたちも含めて、現代教育の被害者と言えると思います。
特に、昭和期において、実験的な教育方法がずっと続いていて、どうすれば一番いいのか?というのがまだ手探りで、スパルタと謳った暴力を主体とする方法がふつーに蔓延していただけでなく、英才教育と名を打った、極端な詰め込み教育なんて基本で、所によってはTVやマンガを制限するだけでなく、遊びそのものを否定するような見方がありました。
こうした過去の教育の現状があって、ゆとり教育が生まれたのだと思います。 つまり、実はゆとり教育よりも酷い価値観が、それ以前にあったという事です。
個人的には、脱ゆとり教育というものが、そうした過去における負の遺産を省みた、本当の意味で子どもたちに意義あるものであればいいと思います。
厳密には、1990年の週休2日制導入からが、ゆとり教育だと思います。アレが非常にわかりやすい方向変換だったので。 だから1990~2010年の約20年がゆとり教育世代じゃないかなぁとは思う。
ゆとり教育は、行き過ぎた偏差値偏向を是正しようとしたのが、目的のハズだったんだけど、実際には、学校機能が低下し、塾への依存が高まり、結果的に子どもへの負担が高まった制度で、これが最大の失敗だと思います。いわゆる学校の質の低下。
これによって塾に行けない子供たちと、塾に行く子どもたちの格差が広がった。
私は団塊Jrと言われる世代で、別の言い方をすれば氷河期世代なんだけど、個人的には、ゆとり世代は使える印象しかありません。
むしろ、バブル世代以上の傲慢さの方が問題だと思っています。マナー一つにしても、歩きタバコやポイ捨ては、高齢者の方が圧倒的に多いですし。とにかく横柄なタイプが多い。
変な話だけど、ゆとり世代は、「ゆとりは使えない」と言われている部分で、ある程度、気軽な所もあると思います。 私が出会ったゆとり世代は、そうした飄々としてる人が凄く多かったので。
なので彼らに対しては「ゆとり世代」というより「さとり世代」というのが、個人的にはしっくり来ます。 打てば響く人たちという印象です。
団塊jrという世代は、「がんばればなんとかなる」という価値観がまだあった世代で、そしてソレが、当人たちを苦しめてきた所があるのですが、その中で成功した人は、やはりそうした価値観をもっている人が多いと思います。
そうしたガンバリズムから脱却する意味で、「さとり世代」を生み出したゆとり教育は、本来の目的とは別の効果があったとは思いますが、ゆとり教育を生み出した文部省ならびに日教組の行き過ぎたリベラリズムは、大きな問題だと思います。 リベラルリズム(自由主義)といっても、現実的なレベルで留めるべきで、現実じゃない空論で、子供を教育した罪は大きいと思う。
ただそれは、ゆとり教育の前からあった話でもあって、実は、団塊の老人も、団塊jrの中年も、もちろんゆとり教育をうけた子どもたちも含めて、現代教育の被害者と言えると思います。
特に、昭和期において、実験的な教育方法がずっと続いていて、どうすれば一番いいのか?というのがまだ手探りで、スパルタと謳った暴力を主体とする方法がふつーに蔓延していただけでなく、英才教育と名を打った、極端な詰め込み教育なんて基本で、所によってはTVやマンガを制限するだけでなく、遊びそのものを否定するような見方がありました。
こうした過去の教育の現状があって、ゆとり教育が生まれたのだと思います。 つまり、実はゆとり教育よりも酷い価値観が、それ以前にあったという事です。
個人的には、脱ゆとり教育というものが、そうした過去における負の遺産を省みた、本当の意味で子どもたちに意義あるものであればいいと思います。
返信ありがとうございます。
1990年~2001年までは移行期間にあたると思います。
1992年に第二土曜が休日になり、1995年に第四土曜も休日になり、2002年に学校教育法施行規則により公立校の週休二日が義務付けられました。
ただ、地域差や通っていた学校により差異があり、私の兄は小学校の低学年の頃は土曜日も登校していましたが、兄と同い年の国立校に通っていた方は入学当初から週休二日だったそうです。
2002年からとさせていただいたのは、学校教育法施行規則による義務化がこの年からなので、クロスオーバーさんの地域はもっと早かったのかもしれませんがご容赦下さい。
ゆとり教育の学力低下が問題視されたのは2002年に義務化した翌年の2003年なのが逆に私は問題だと思います。
一年でどれほど劇的な変化を望んでいたのだろうと首を傾げてしまいます。
塾に行く子と行かない子の格差というけれど、塾に行く子は比較的勉強に積極的だから成績が良いってだけな気がします。
私の弟は塾に行かず、公立の小中高を出て、早慶に現役合格していますし、きちんと授業を受ければ、やる気のある子は公立の学校の授業だけで良い大学に行くことが出来ます。
詰め込まないから勉強に興味がある子だけが勉強する。
だから格差が広がる。
勉強に興味がある子が勉強している間にスポーツに興味がある子がスポーツをしている。
それがゆとり教育だったと思っています。
まだ未熟な私にはそれが良いか悪いかを判断することは出来ません。
だからゆとり教育が正しかったのか、間違っていたかなんて今回の内容ではどうでもいいんです。
ただ、学校教育という大人が決めたレールに乗っ取って勉強した子供達をその教育を受けていたと大人が嗤うことは無責任だと思っています。
ゆとり世代を使えると言って下さる方がいると思うととても嬉しいです。ありがとうございます。
それもまた時代なんでしょう。
それが当たり前の時代で幼少期を過ごしたか、問題視された時代で幼少期を過ごしたか。
そうですね。そういう子は多いですね。
ゆとり世代もさとり世代もまだ若いせいでしょうが、ダメの代名詞みたいな使われ方をするので、そういう印象で似合っていると言われるととても嬉しいです。
「使えない」と言われるのも自信をなくしますが、「がんばればなんとかなる」というのもプレッシャーですね。
一部自由を履き違え始めた感じは否めないと私も思います。
そうなんですよね。
子供に暴力をふるう正当性なんて存在しないはずなのに、なぜそれを受けた人達がその時代を美しく語るのか、私には不思議で堪らないんですよね。
絞めに絞め、弛めに弛めたのだから、完璧な教育法は存在しなくとも子供達にとって少しでも有意義な学校と教育をして欲しいですね。
1990年~2001年までは移行期間にあたると思います。
1992年に第二土曜が休日になり、1995年に第四土曜も休日になり、2002年に学校教育法施行規則により公立校の週休二日が義務付けられました。
ただ、地域差や通っていた学校により差異があり、私の兄は小学校の低学年の頃は土曜日も登校していましたが、兄と同い年の国立校に通っていた方は入学当初から週休二日だったそうです。
2002年からとさせていただいたのは、学校教育法施行規則による義務化がこの年からなので、クロスオーバーさんの地域はもっと早かったのかもしれませんがご容赦下さい。
ゆとり教育の学力低下が問題視されたのは2002年に義務化した翌年の2003年なのが逆に私は問題だと思います。
一年でどれほど劇的な変化を望んでいたのだろうと首を傾げてしまいます。
塾に行く子と行かない子の格差というけれど、塾に行く子は比較的勉強に積極的だから成績が良いってだけな気がします。
私の弟は塾に行かず、公立の小中高を出て、早慶に現役合格していますし、きちんと授業を受ければ、やる気のある子は公立の学校の授業だけで良い大学に行くことが出来ます。
詰め込まないから勉強に興味がある子だけが勉強する。
だから格差が広がる。
勉強に興味がある子が勉強している間にスポーツに興味がある子がスポーツをしている。
それがゆとり教育だったと思っています。
まだ未熟な私にはそれが良いか悪いかを判断することは出来ません。
だからゆとり教育が正しかったのか、間違っていたかなんて今回の内容ではどうでもいいんです。
ただ、学校教育という大人が決めたレールに乗っ取って勉強した子供達をその教育を受けていたと大人が嗤うことは無責任だと思っています。
ゆとり世代を使えると言って下さる方がいると思うととても嬉しいです。ありがとうございます。
それもまた時代なんでしょう。
それが当たり前の時代で幼少期を過ごしたか、問題視された時代で幼少期を過ごしたか。
そうですね。そういう子は多いですね。
ゆとり世代もさとり世代もまだ若いせいでしょうが、ダメの代名詞みたいな使われ方をするので、そういう印象で似合っていると言われるととても嬉しいです。
「使えない」と言われるのも自信をなくしますが、「がんばればなんとかなる」というのもプレッシャーですね。
一部自由を履き違え始めた感じは否めないと私も思います。
そうなんですよね。
子供に暴力をふるう正当性なんて存在しないはずなのに、なぜそれを受けた人達がその時代を美しく語るのか、私には不思議で堪らないんですよね。
絞めに絞め、弛めに弛めたのだから、完璧な教育法は存在しなくとも子供達にとって少しでも有意義な学校と教育をして欲しいですね。
- アキラ
- 2017年 08月02日 23時25分
[一言]
全くその通りです。
ゆとり教育を提唱し実際にやらせた方方は誰も責任を取らず誤りもしない。
ゆとり教育は失敗だ失敗だと責め立てるなら自分たちの行動を反省するべきですよね。
ちなみに指示されたことしかできないのは詰め込み教育世代も同じでしょう。
たまたまその時代においてはそのほうが都合が良かっただけの話です。
全くその通りです。
ゆとり教育を提唱し実際にやらせた方方は誰も責任を取らず誤りもしない。
ゆとり教育は失敗だ失敗だと責め立てるなら自分たちの行動を反省するべきですよね。
ちなみに指示されたことしかできないのは詰め込み教育世代も同じでしょう。
たまたまその時代においてはそのほうが都合が良かっただけの話です。
感想ありがとうございます。
同じような事を思っている方がいてとても嬉しいです。
失敗作だと失策を支持した人達に嗤われるのだけはモヤモヤしていたので。
私は、逆に社会に出てすぐに指示なしで行動出来る世代がいたら恐ろしい気すらします。
同じような事を思っている方がいてとても嬉しいです。
失敗作だと失策を支持した人達に嗤われるのだけはモヤモヤしていたので。
私は、逆に社会に出てすぐに指示なしで行動出来る世代がいたら恐ろしい気すらします。
- アキラ
- 2017年 08月02日 13時56分
― 感想を書く ―