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[一言]
ブラックユーモアですね……。
いや、本当に……平成という時代を見返すと、まさに『自らの幸福をなげうって天下の幸福を真面目に考える老人はもう不要かな?』
そんな事を暗に言ってる世の中になってしまいましたね……。
生きるのが辛い。
  • 投稿者: 無機名
  • 男性
  • 2018年 08月15日 22時14分
 無機名様、ご感想ありがとうございます。

> ブラックユーモアですね……。

 ですね!

> そんな事を暗に言ってる世の中になってしまいましたね……。

 ですねえ。

 私はいわゆる道徳というものに非常な興味を持っていまして、現代においては道徳が不合理に軽視されていると感じました。そのため、現代で道徳が不合理に軽視される理由を、主に集団心理の観点から分析してきましたが、分析できたからどう、ということもないですね。ある時代のある地域の文化の思潮というものは、どう抗うこともできない大きな力だと感じます。

 翻って見れば、昔より良くなったところも様々にはあるとは思います。
 科学技術による物質的な豊かさはもちろんですが、人々の人間性についてもです。
 リスクテイクしてまで他人を助けるという雄々しさは失われた気がしますが、能動的な加害というのも減ったように思います。拝金主義的でしかないものの、遵法主義はずっと行き渡ったように思います。(まるで羊のように心優しい。)
 しかし、だからこそ、過去の美点を次世代に告げることは、決して理解を得られないのかもしれません。

 いわゆる勝ち組や負け組みたいな社会階層があるとして、中流以上の勝ち組からすればそれは、大いにフェアな競争の妥当な結果でしょうが、そこまで自由競争の合理性を信じていない私には、そうは見れない。昔の特攻隊じゃありませんけど、多くの善人(/有能)が善人(/有能)であるがゆえに死んだと思っている老害からすれば、それに見向きすることなく笑い栄えてゆく現代は、自分の価値観がどこまでも孤独になり、行き辛いです。
 私自身が人生で、利他的に努めた部分は、非常に報われませんでした。(どんな献身も嘲笑されて終わりました。) そんな社会を次世代に手渡すことが、申し訳ないように思われる。しかしそれを憂えることも、若い人々には伝わりはしない。私としてはただ、次世代に環境に適応する次世代の子供達が、なるべく幸福であってくれと、そう祈るばかりです。

 全く仮に、国が貧しくなったとして、質の低い食事を食べて美味しいと笑う子供に、「昔はもっとずっと美味しいものがあった」と言っても意味がない。むしろ、時代がそんな過去を忘れ去っていってくれるほどありがたい。煩悶の苦しみを分け与えたくない私は、そんな気分です。あっさりした相愛が今風の味つけかなと。
 長期的には破滅に向かうとしても、今を利己的に生きる気楽さに無限大の価値を見るなら、正義を忘れることも数理的には肯定されます。それが現代的な大衆性であって、彼ら本人の選択であるなら、事実を告げることはできても、事実を強いることはできない。

 ところで、「平成」の次は何になるのでしょう? 明治大正昭和平成、ときたから……。気になる気になる。「聖遷」は……、色々だめか。
[気になる点]
中国うんぬんはまあ事実ではあるが、戦わない(戦争という意味ではない)のは間違い。中国は広いし、民族意識はあるとは言っても自己的な民族だから、都市部と内陸部の格差とかを煽って、分断させるとか何かを目指すべき。
[一言]
うーん、少子化と移民の問題なあ。グローバル化もそうだけど、国益を無視して自分の利益を考えると困る。外国語が苦手ってのもあるけど、僕らの世代(二十代)の恋愛力が低いからな~。人生を賭けてまで、愛したい誰かがいない。自由だからこそ、愛のための覚悟を持つこともなく生涯独身で居そう。


  • 投稿者: 黒目夜
  • 2018年 07月31日 01時51分
 黒目狩人様、ご感想ありがとうございます。

> 戦わない(戦争という意味ではない)のは間違い。

 自己の戦力を過大に、相手を過小に認知して防衛線を築けば、無理な戦いは敗北に結末してコストは増大する。

 第二次大戦後の日本の立場は日米安全保障条約を背景として西側に帰属するものであったから、日本のメインストリームの思想も、自由と民主主義を文明の進歩と見て、近代中国を一段低く見る傾向が強かった。しかし今や米国は、太平洋の西側に防衛線を維持する力を失いつつある。その現実に対して、日本人の意識の更新が遅れるならば、その意識の甘さの分だけ、合理的なラインよりも防衛線は前進して配置され、不合理なコストを生じる。

 ゆえに、中国や朝鮮半島が行うプロパガンダが、いかに荒唐無稽のものであれ、それを「許容できない」と一笑に付すことは合理的ではない。真実そのものに力はないし、正直者を守ってくれる神様などいない。米国に寄り添う立場から中朝を否定のみすることは、将来世代の日本人のために合理的とは思われない。そのため、日本人の思想は、様々な意味で、中国に迎合していくことになるだろう。逆に言えば、迎合に遅れを取ることは、老人の属性なのだとは見なせる。

 もとより、人間社会とは、あらゆる層であらゆる部分が各々の利益追求を角逐させているものであるから、自らの利益のために他者を否定することをやめる、言わば非武装中立主義に類する行為は、常にナンセンスだ。その意味で、今後の日本もまた、中朝の全てを「許容する」べきではない。
 しかしそれは当然のことであって、非武装中立主義が合理的だと思う国家など存在しない。日本には、あらゆる戦力の不保持を確約した憲法があるが、客観的に見れば、それは敗戦の結果、強要されたものにすぎない。闘争を否定することは病的な思想であり、それはむしろ過去的である。むしろ、老人の属性だと考えられる。

 米朝が国家戦略として反日プロパガンダを徹底することは、自然である。それを批判することは良いけれども、その行為が間違っていると言うことには意味がない。むしろ、日本は日本の立場から総力をもって国際的な宣伝戦に取り組まねばならない。しかしそもそも、国家戦略を統合的に実行する実力は、大戦での敗戦によって失われている。(軍隊も愛国心も悪者になった。) ゆえに、核も持ちえず自我も持ちえない国家が、中国という勢力に飲み込まれていくことは自然だろう。

「米国に近い日本の既存の秩序が、地理的に近い中国側から破壊されていくことは必然である」

 と本文に書きましたことは、そういった考えによるものでした。

> 分断させるとか

 まず、国家の大きさを考えてみる。Wikipediaの「list of countries by GDP (nominal)」および「list of countries by GDP (PPP)」を見てみる。すると名目GDPにおいて日本は5兆米ドル、中国は12兆米ドルだ。購買力平価では5兆米ドルと23兆米ドル。仮に分断されたとしても、中国は、強力な経済圏であることを維持するだろう。
 確かに、例えば中国が民主主義国家でないことは、政権の正当性を宣伝するために日本を敵視する必要性を生じ、その反日教育を経て、日本への攻撃性を助長している。あれほどに多様性を内在している国家が、もし民主化を果たしたならば、国家はいくらか分裂し、その内紛に多忙となって、反日プロパガンダを行う動機も減少するかもしれない。
 民主主義的な視点から見れば、格差を言うことは確かに、政権の支配力を減少させるだろう。しかし、例えば北朝鮮においては、非常な格差と政権の維持とは現実に両立してきた。中国は一定の情報封鎖に成功しているし、すでに構築に成功した、言語圏としてのナショナリズムは強力に存在している。また、高い経済成長率を維持していることは、国民が国家を肯定する大きな理由になる。よってむしろ、格差が無限大に拡大されたとしても、中国というシステムに崩壊はありえないとも考えられる。
 中国は北京語(普通話)による統合と統合された歴史教育とに成功した。ゆえに、いかに捏造されたものであれ、中国人としての民族意識は半ば確立されたと考えられる。いかなる民族であれ、異民族に優しい民族は存在しない。中国が仮に100個の国家に分裂したとして、そこに生じる種々の連合体は、日本にとって様々な脅威でありつづけるだろう。
 中国人は、所詮中国人である。人格的に優秀な中国人は、阿片戦争と文化大革命で滅んだと思います。

> 少子化と移民の問題

 労働力の価格は、経済成長の大きな因子であると考えられる。また、日本においては、老人介護を中心とする社会福祉の費用が、現実的には回避できない。相対的な国力を失えば、実質的には周辺国に隷属していくことになる。
 移民を拒むならば、その経済的リスクに立ち向かう戦略は必要になる。

> 国益を無視して自分の利益を考えると困る。

 国益を思って自分の利益を犠牲にしている人など、まずいないだろうと思います。
 いたとしても、そうすることで得をしてはいないでしょう。
 つまりは、淘汰されゆく人々の淘汰されゆく考え方なのではないでしょうか。
 大局的に不合理でも、ロビーも有権者も利己的に動きます。そしてそれが歴史を作る。

> 外国語が苦手ってのも

 誰でも外国語が苦手だと思います。人間の脳が深く理解できる自然言語は一つがせいぜいでしょう。
 国民が外国語を得意な国家の多くは、実際には国語を喪失しています。

> 恋愛力が低い

 人間の性質自体は、かなり普遍性があります。あらゆる現象には、時代と地域における理由があると考えられる。
 私は、日本の若者が「恋愛力が低い」とは思いません。ただ、非常に不幸な立場に置かれていると思います。学校における教育、マスメディアの情報、結婚や財産に関する法制、世代間の財産の分布、世代間の人口の分布、様々な要因が関係しているでしょう。
 要するに、若者の不幸の全ては年長者の罪だと思います。若者自身にマイナスの属性を見る必要はないと思います。

> 人生を賭けてまで、愛したい誰かがいない。

 それはきっと、錯覚ではなくて、実際にいないのではないかなと思います。
 たまたま座席が隣り合った異性が、人生を賭けて愛せる異性であることが、人類の自然状態だろうと思います。
 実際の社会がそうではないということは、現代の教育やマスメディアがクズを量産してしまったということだろうと思います。あるいは謙虚さを失わせてエゴイズムを膨らませた。
 また、普通の人が手を取り合って普通に努力して、そして幸せに生きていくのが難しい社会にしてしまった、ということでもあると思います。子育てなどを含めた経済的見通しなどについてです。

> 自由だからこそ、愛のための覚悟を持つこともなく生涯独身で居そう。

 経済的な法制などが、結婚のコストを不合理に高めてしまったのでしょう。
 また、シングルマザーなどに対する社会保障は一面で、モラルハザードも生じていることでしょう。
 結婚自体は本来、さほどの覚悟を要するものではなかっただろうと思います。

 恋愛のみならず子育ては、人生における大きな楽しみだろうと思います。
 非婚化が少子化を伴っていなければ、ある意味肯定できますが、実際は伴っている。
 そして世界的な低所得層における移民などは、多く結婚し多く子を持っている面がある。
 だから、現代の日本が、若者の幸せを犠牲にしているという面は、無視すべきでないのでしょう。
 個人的には、一人でも多くの若者が、家族愛に満たされた人生を送ることを望みます。

 しかし、古典的な社会倫理に寄り添ったところで、幸福に報われる時代ではないですね。
 人生を賭けてまで異性に誠実であることが、報われる時代ではない。利己的な大衆性の時代だと言えます。必要以上に知性的であることや、沈んでいく母国を愛することは、煩悶の苦しみしか生じない。愚かに恥知らずに低俗に生きるべきだと思います。
 「肉食系」が尊ばれて、女性の心身など物のようにもてあそんで、あざとい女性が身ごもって責めればやっと「でき婚」する。他者への深い愛情など持たずに、SNSに偽装した自己宣伝をアイデンティに人生を生きてやがて死ぬ。そういった風潮を嫌悪することは老人の属性だろうと思います。
 大国に挟まれた国家は、権威主義と拝金主義に陥り、人間は陰湿に利己的になって、誠実や正直の気風は失われます。昔は朝鮮、今は日本です。善でも悪でもない、柔弱な大衆性が、将来なのだと思います。

 生涯独身で、でも生涯、恋人がいるならいい気はします。
 でも実際、それは難しいですよね。歳を取れば若い異性に対して魅力がないし、お爺さんとお婆さんが出会っても、一心同体にまでなりにくい。
 若い時代の恋愛は大切だと思うし、生涯の相手を早く決めてしまうことは大切だと思います。若い時代を自分に捧げてくれた人だから、この人を愛しつづけようなんて、自然に思えるだろうと思います。
 私は結婚することも子を持つこともありませんでしたが、それは一つのコンプレックスになっています。妻子を殺されてしまったような恨みが、心にトゲのように刺さっています。
 お節介な話ですが、私としましては、素敵な方と出会い、喜ばしい人生を歩まれることをお祈りいたします。
 本文と矛盾するようですが、私は老害なので。笑
[一言]
こんなに綺麗に論破されると、かえって清々しいと思えました。

自分自身、こんな論破法を身につけたいとも思えました。ありがとうございます。
 豚化萌え様、ご感想ありがとうございます。

 この本文は、自省的な性質を含んでます。自分自身を論破してみる実験のような感じです。
 数学や科学実験ではないので、社会的な議論や人間的な議論はいつも、何らの角度からは否定できると思います。
 「作業仮説」なんて言葉があるらしいですけど、好意されない論説でも思いついたら文章にしてみて、でも翌日には自分自身、それを再び全面否定するような立場に立つ、なんて普通かなと思います。
 本文の二人、どちらも大いに自分自身です。
 彼らが頭の中で互いに論破を試みるみたいな、論理的に考えることってそんな感じがある気がします。
 それと、世間の常識を踏まえておくのも大切かなというところもある。特殊なことを主張しても、安易な常識で論破された雰囲気になるのが普通なので、自説を強くするために、読者の反論を想定するみたいな視点でしょうか。
 というわけで、別の作品じゃありませんが、この作品の題名の「老害」も、単純な意味でいわゆる老害を侮辱する気持ちはまるでございません。
 実際世の中、理屈よりも矛盾で回ってるでしょうから、論破する力なんて無駄な面もある気もします。しかし、考える力そのものだから、大事とも思います。
 現実の私は口下手ですね。考えないと言葉が出ない。「論破」なんてほど遠い人かもしれません。笑
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