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[一言]
『SFってなんなんだろう? 番外編 ―― SFはいかにファンタジーに回帰したか ――』を読んで、こちらに来ました。

 一応、私はFT寄りの人間なので、そうした視点になってしまいがちである事を、ご理解いただければ幸いです。


>哲学的な疑問
 うーん、むしろ、ファンタジーにおける寓意が、その象徴だと思うし、その意味では、SFもファンタジーと変わらないと思います。

 で、個人的にFTとSFを分ける違いというのは、舞台設定の問題で、つまるところ、世界観(世界に対する観方)の問題だと思っています。つまり、

 神秘性を世界の根底においているならば、FT
 科学や合理性を世界の根底においているならば、SF

 なので個人的に、ディックやレムは、SFでありながら、FTでもある、という認識です。


 個人的に、「SFは死んだ」と思っているのは、人々の認識において、科学が、日常となったからですが、もっと言えば、『科学観を通した未来世界への実感の有無』です。

 ヴェルヌが冒険活劇だとしても、そこに未来への提示があった。読者は未来を想像できた。
 しかし、今の、ロボットものにせよ、スペオペにせよ、それが虚構であることから、踏み出せないでいる。
 私はSFに詳しくないですが『電脳コイル』はソレに成功した例だと思う。それはエンタメ的な完成度にしても。
 アニメ作品および冒険活劇としては失敗しましたが『フラクタル』は、世界観においては正しいと感じます。

 つまり、『現実の延長にあるというリアリティ(実感)』、これが、おそらく、今の時代を生きる人々に足りていない為に、「SFは死んだ」と思っています。
 「今を生きる人々」は、「未来そのものを魅力的に感じていない」だけでなく「今の現実に対して、どう生きればいいのか分からなくなっている」。
 ニーチェは「神は死んだ」と言いましたが、その虚無的な態度は、宗教が、現実や世界に対して、遠い存在になった事と、無関係ではないと思います。 SFでもこれが起きているのだと。

 これは作家の問題という以上に、社会や読者の問題なのですが、しかしながら、人々が感じる現実感覚がそうなってしまっている、という事を前提としてSFを取り戻す活動があったかというと、ちと微妙で、しいて言えば、『伊藤計劃』がそうであったと思う。
 とはいえ、彼の作品はSFというには、内省的すぎたけども。しかし彼は、未来ではなく、将来を書こうとした事で、そうした壁を乗り越え、『実感』を達成していたと思う。

 伊藤の例を考えたとき、SFを取り戻すために、作家は、科学技術だけでなく、現在の世界がどうなっているのか?といった、政治や経済や文化、そして、様々な思想に興味深くならなければならない事になる。 そして、なによりもリアリストである必要があると思う。

 が、大抵の作家というのは、理想主義者かロマンチストで、これに向かない。
 ここら辺が、難しい問題なんだろうなぁ、とか思いました。 

クロスオーバーさん、感想ありがとうございます。

> 個人的に、「SFは死んだ」と思っているのは、人々の認識において、科学が、日常となったからですが、もっと言えば、『科学観を通した未来世界への実感の有無』です。

および、
> つまり、『現実の延長にあるというリアリティ(実感)』、これが、おそらく、今の時代を生きる人々に足りていない為に、「SFは死んだ」と思っています。

この点ですが、「SFは、未来であることが期待されすぎた」のではないかとも思っています。
未来であろうとする限り、主に読者の知識や理解によって、それは制限されるでしょう。
そうすると、ファンタジーと化したSF(スペオペ、あるいは広義のスペオペ)に変容し、またそこに戻るしかなかったのかもしれません。
SFではなぜ未来を扱うことが多いのかと言えば、哲学的な疑問を扱うためにそれが必要だったからであって(あるいは未来にすることがそれを容易にするからであって)、未来を扱っているからSFだという認識は、主客や主従の転倒のようなものが起きていると思います。

>という事を前提としてSFを取り戻す活動があったかというと、ちと微妙で、しいて言えば、『伊藤計劃』がそうであったと思う。

「伊藤計劃」については高く評価されるかたもいますが、私としてはあまり高い評価にはなりません。
映画板「クラウド・アトラス」における「ソンミ451」のように、作られた偶像としか思えないのです。
(ソンミ451は、他者の信念のために作られた偶像であり、伊藤計劃は商業のために作られた偶像であるというように。)

> 伊藤の例を考えたとき、SFを取り戻すために、作家は、科学技術だけでなく、現在の世界がどうなっているのか?といった、政治や経済や文化、そして、様々な思想に興味深くならなければならない事になる。 

ここについては、おそらく基本線では同意します。
ただ、それが出来ない理由はかならずしも作家側にあるのではなく、受け手の側の理由でもあるのではないかと思います。
「SFとはこういうもの」と思われてしまったということもありますし、受け手側に要求される知識量などなどの課題でもあるかと思います。

ともかく、感想をいただきありがとうございました。
[一言]
理科は昔から苦手です。
今日、塾で地震をやったのですが、
震源から90キロメートル地点の初期微動継続時間が9秒でなかったら、パッと解けなかった。わかりやすい数字ゆえに、
60キロメートル地点の初期微動継続時間が6秒と出たから、
その地点のS波の到着時間がすぐにわかりました!


これ分数だったら死んでた。


理科は嫌いです!



  • 投稿者: 退会済み
  • 2017年 08月26日 22時56分
管理
パイナップル☆パイナップルさん、感想ありがとうございます。

理科を例に挙げられている本意はわかりませんが、今回のエッセイは基本的に文系の話ですので、怖がらずに読んでやってください(笑。
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