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[良い点]
知らなかった知識を得ることが出来ました。
[一言]
「008『北条氏の年貢は四公六民だ』なんて誰がそんな大ウソを言ったんだ?」が削除されてました、、、
ありがとうございます。最近は知識のアップデートもさぼりがちなので、執筆当時の知識が、今の段階でどこまで適切なのかは断定できませんが、何らかの知的刺激になれば幸いです。豆知識ばかり集めても体系的なものにはならないんですが、体系的なものばかりでも面白くはなりませんしね。その辺のバランスが、個々で許容範囲がことなるのが、面白いところだと思います。
その面白さを個人で突き詰めると、歴史小説になるのかなと。ぼんやりと考えています。
独自色を突き詰めすぎるとアレだし、体系的な知識を網羅していくだけでも、どこかで見たような展開になるという

>削除

え……まじですか。ショック……
本作は(本作以外も)しばらく更新していませんが、削除するつもりは全くありません。
気長にお付き合いいただけるとありがたいです。
  • 神山
  • 2023年 01月05日 20時19分
[一言]
>フレデリカ・グリーンヒルの記憶力を持ったエドウィン・フィッシャーかな?(性格と体系はパトリチェフ)

いいとこどりじゃん!
そりゃ周りから可愛がられるよね。
ありがとうございます。まあ無理にたとえるのもどうかと思ったんですが、案外しっくりきたようなw。なんかもう同じ人間なのかと疑いたくなる記憶力です。それでも寺内の副官時代が一番輝いていた気もします。まあ本郷大将ほどの記憶力はなくても、やっぱりどんな環境でも腐らずに精勤すれば見ている人はいると思えばいろいろがんばれる気がします。
  • 神山
  • 2020年 01月06日 06時09分
[良い点]
はじめまして、ロータスと申します。

他の小説も読んでみたのですが、この作品が一番読みやすかったです。多分コラム形式だからだと思いましたw。あとサブタイトルが面白いです。
[気になる点]
吉田茂氏と近衛文麿氏の比較がとても興味深かったです。
別の作者さまの感想で書いた私の推しキャラの大山柏氏は、本当に運が良くて戦後を生き残ったのかもしれません。明治の元勲である父親の大山巌氏の戦場での在り方は、後の沖縄戦の指揮官の一人だった牛島満氏に大きな影響を与えたらしいです。

ご一読ありがとうございました。
  • 投稿者: 退会済み
  • 2018年 05月28日 16時32分
管理
ありがとうございます。う、痛いところをwww

やっぱりこうストーリーとか関係なく書きたいことを書き連ねるというのが性に合ってるのかもしれません。サブタイトルは毎回、ああでもないこうでもないと考えているので、楽しんでいただけて幸いです。

吉田茂と近衛公爵との対比は、書いているうちに自分でもそういえばそうだよなと科思うところがあって楽しかったです。大山柏公爵ですか。確かほかの学者肌の華族とも親交があったと記憶しています。戦前の華族史をやると、案外名前が出てくる人なんですよね。あ、こんな会合に出てるとか。あ、このゴルフコンペに出てたんだとか。人付き合いが苦にならないタイプだったのかもしれませんね。近衛文麿の妹婿なんですよねえ…文麿さんは本当に、何処にでもどことでも誰とでも繋がりがあるんですよね。本当に良くも悪くも吉田茂とは対照的な人で。

まったくの余談になるのですが、私の母方の祖父は陸軍士官学校の何かの選抜の最終選考で落とされて内地に残れずビルマあたりを転戦させられたそうなんです。しかし最優秀の成績の人は牛島中将の幕僚として命運をともにしたそうで。本当に運命とはわからないものだと牛島中将の名前を見るたびに思い出します。

ぼつぼつ書いていきたいと思います。頑張ります。
  • 神山
  • 2018年 05月28日 21時11分
[気になる点]
ではなぜこの時期(1886-90)の4年足らずの間に決着させたのか。

年代が飛んどる。

ほぼ時期に(おそらく中央の黙認のもと)盛親を後継者とします。

同時期かな?
[一言]
私が勉強していた頃は、元親の乱心と溺愛で盛親が後継者に選ばれたとなっていましたね。
朱子学に染まった江戸史観は大概こんな感じです。
二千年以降は、その史観も大分揺らぎました。

ところ変われば、見方変われば色々と違ってきますね。

盛親を主人公に短編を書いてみても面白いかも?
結構野心家で諦めの悪い男みたいな感じで、どうだろう?

ありがとうございます。2点訂正しました。
>元親の乱心と溺愛で盛親が
なにせ改易されましたので結果論から推理する側面があるのはやむをえないんですけどね。史料も散逸してしまっていますし。私のこの解釈もいろんなところのつまみ食いですので。
いいですねそれ。新しい盛親像になりそうですね。再チャレンジしようとして出来なかった男。あの時、どうして進撃しなかったのだと悩みながら、もう一度と考える。うん。いいですねこれ。
ありがとうございます。
  • 神山
  • 2018年 03月18日 22時12分
[一言]
>色々はしょりますとロシア帝国の前身であるモスクワ大公国
>は、このモンゴル人を追放して自らの国を作りました。

東洋史センコー者としては、↑この部分に異議あり。
モスクワ大公国は、モンゴル帝国に屈服したルーシ諸公がジュチ・ウルス(=チンギスの長男ジュチの末裔が君臨する国)の支配下で再編される中で勃興した国。

雷帝ともあだ名されるイワン四世(モスクワ大公位1533 - 1547、ツァーリ位1547 - 1574、1576- 1584)は、1574年から1576年にかけて、ジュチ・ウルスの政争にやぶれてモスクワで保護されていたモンゴル皇族のサイン・プラトー(シメオン・ベクブラトヴィチ)に、「全ルーシの大公」という称号を与えてクレムリンの玉座に登らせ、臣下として仕えたりしています。

イワン雷帝のこの行動について、ロシア史プロパーの研究者はその意義をひくくみつもり、「単なる奇行」としたがっているようですが、モンゴル史の研究者(宮脇淳子など)には、逆にこれを高くみつもり、「ロシアにはこの時までチンギス・ハン(とりわけジュチの子孫)こそ主君という「チンギス統原理」の観念が定着しており、イワンは、「モンゴル皇族たるサイン・プラトーから禅譲を受けるという手順を踏むことにより、ジュチ・ウルスからの自立や、ツァーリ位の権威を高めることを目指した」と評価する人もあります。

  • 投稿者: キリノ
  • 2017年 12月19日 16時32分
ご指摘ありがとうございます。不勉強故に大変参考になりました。特にイワン雷帝とモンゴル皇族の関係は非常に興味深いですね。モンゴル帝国の秩序が崩壊して勃興したという浅い理解しかしていなかったので、まさかそのような関係性があったとは。単純なる反モンゴル意識により建国された国ではないという理解でいいでしょうか?

>「チンギス統原理」の観念が定着しており(略)「モンゴル皇族たるサイン・プラトーから禅譲を受けるという手順を踏むことにより、ジュチ・ウルスからの自立や、ツァーリ位の権威を高めることを目指した」と評価する人もあります。

なるほど。今のロシアをモンゴル帝国の後継者とする文章を読んだことがありますが、この下りを見るとまさにそれですね。建国の段階から、まさにDNAに組み込まれていたんですね。あくまでモンゴル帝国内の秩序の中から段階を踏まえて権力をのしあがり、最終的に帝国の衰退とタタールのくびきから逃れられるだけの実力を蓄えたと。

勉強になりました。該当部分はどうするか考えて見ます。ありがとうございます
  • 神山
  • 2017年 12月19日 19時50分
[良い点]
いつも面白いお話やコラムをありがとうございますー
[気になる点]
「遠江は現在の伊豆を除いた大井川より東の静岡県です。」とありますが、大井川の西から浜名湖までが遠江です。大井川より東ではなく西ですし、伊豆は関係ないです。


【記述場所】
『【四方六方八方美人】性懲りもなくネット小説の世界に戻ってきた神山の、歴史や歴史モノの小説に関する妄想あれこれ【テストで書いたら0点だぞ】』

の、7番目のお話

『「平将門の理想を実現するために!江戸よ!私は帰って来たぁ!」「これが、三河武士か」(ざっくりとした関東の歴史、関東独立王国の系譜とその終焉。三条実美の功績)


の三小節目です。
[一言]
いつも読むのを楽しみにしています、ありがとうございますー
  • 投稿者: 友好
  • 2017年 11月24日 06時51分
ありがとうございます。ご指摘いただいた点、加筆修正込みで訂正しました。勢いで文章書いたので詰めきれておりませんでした。西と東は、もう言い訳しようがありません。ありがとうごいます。

長文お付き合いいただきありがとうございます。楽しんでいただけたのなら幸いです。こちらも気長にボツボツと更新したいと考えていますので、お付き合いいただけるとありがたいです。がんばります!
  • 神山
  • 2017年 11月24日 19時30分
[気になる点]
自らの側近に政治の実験を与えたわけです

なるほど『実験』をした訳ですね!(実権)
[一言]
予告を鵜呑みになんてしないよ。

秀忠は確かに評価が別れますね。
漫画『へうげもの』の秀忠は中々に好人物でした。
もうすぐ終わってしまうので少し寂しい。

家光はまあ、あれだ。
個人の趣味はどうしようもないのですよ!


お付き合いいただきありがとうございます。ええ、本当にお恥ずかしい…いつもありがとうございます。訂正しました。

ジョウノウチシス!みたいなのありますしね!(開き直り

さみしいですね。へうげもの。正直小堀遠州の介錯役までは想像してましたけど、まさかあそこで大権現www。もう想像の斜め上を行きまくりで大変大好物です。あの有楽いいですよねえ。

そう、趣味はひとそれぞれ!だからしょうがないんだよね(白め

お付き合いいただきありがとうございました。
  • 神山
  • 2017年 11月06日 23時19分
[気になる点]
北条氏と代々縁戚関係にあった現時の名門である足利尊氏が征夷大将軍となります

『現時』は『源氏』ね。
[一言]
頼朝の急死は暗殺説がありますね。

そうすると頼家と実朝の死も納得がいきます。
黒幕は北条一族。もしかしたら政子が率先して指揮したかもしれません。

足利は尊氏が上手く家臣達を纏められなかったのが減点ですね。なんで兄弟で争ったのかも意味不明ですよ。内容知っても何でやねん、と言いたい。

義詮は太平記で散々な書き方をされてますが実績を見ると稀に見る名君です。
やはり尊氏が酷すぎたのか?
尊氏を持ち上げる為に義詮を下げたのだろうと思いますね。

義満はまあ、書くことないね。

誤字訂正しました。いつもありがとうございます。

北条氏が権力闘争の商社になったため、どうしても北条黒幕論になりがちですが(豊臣政権下の徳川家康と共通しているかもしれません)、北条一族も内部で権力闘争してましたからね。長期的に陰謀を立てられるほど時政と正子と嫡男が仲良かったとも思えないし。でもあからさまに東鏡で改変している部分もありますしね。最終的に貧乏くじ押し付けられたイメージです

尊氏は大雑把なイメージですね。幕府創業当時のメンバーはどいつもこいつも、足利の庶流のはずなのに濃いメンバーばっかりでw。器量は同時代の人物の誰よりもでかかったと思います。だけど政治家としてはどうかと聞かれると。本来なら南朝勢力廃位したとき、不敬ですがそれなりの対応もできたはずなんですけどね。弟との関係だって、最終的にどうにもならなくなったときに始めて排除したわけだし。甘いともいえますが、そこが魅力だったのかもしれません。室町幕府の性格を体現していたのかもしれませんね。

義詮って、スーパーマンですよね。控えめに見ても。秀忠との比較は次回に

3代目の話なのに、どうして2代目ばかりwww

ありがとうございます
  • 神山
  • 2017年 10月12日 21時33分
[一言]
首都圏に山梨は忘れないでほしいです(元山梨県人より)じろさも泣いちゃいます。

首都圏は1都6県プラス山梨県ですね。
1都3県は東京圏(東京都市圏)といったところでしょうか。
ごっちゃにしていました。ご指摘ありがとうございます。東京都市圏に訂正しました。首都圏整備法(ういき参照)じゃ関東1都6県+山梨なんですねえ…なんで山梨?いや、別に他意はないんですけどw徳島が関西広域連合に加盟しているようなものですかね?案外地域の結びつきというのは、よそから見ていてはわからないものです。

ありがとうございます!
  • 神山
  • 2017年 10月10日 00時04分
[良い点]
相変わらず内容が濃くて楽しいです。
[一言]
閑話休題のルビが楽しいです。「それはさておき」って誰でしたっけ?

モロ○○は青山ではなく神戸が本拠でしたか。
近くを死ぬほどうろついていたのに初めて知りました^^

ちなみに横川の峠の釜飯の釜もまず使わないですねー
長文お付き合いいただきありがとうございます。返信のついでのようで恐縮ですが、季節の変わり目、どうぞお体ご自愛ください。我が家は両方ともコンプリートしてましたけど、両方とも母親に捨てられましたね(釜飯の釜と、空き瓶)。いらんやろの一言でw。反論できないのが悔しいwww

…誰でしたっけ?>それはさておき

ありがとうございます。がんばります!
  • 神山
  • 2017年 10月10日 00時00分
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