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[良い点]
一部から最終話まで拝読いたしました。
まず吉又と薮田と出会いから本番で無言漫才を披露するところまでで、胸を鷲掴みにされました。
お笑い頂上決戦で無言漫才をするところは、緊張感で震えがきました。そして何故か涙が流れました。
文章に力があって、小説で表すのには難かしい世界を見事に描き切っていて、作者さまの筆力にひれ伏しそうです。
[一言]
笑いと仮想通貨が連動していたり独自の設定がユニークでした。
作品中のネタだけでなく小説自体のラストがまさかのシュールさでヒバナの世界が完成されて驚きました。
ヒューマンドラマとして胸に響きました。
薮田という逸材を掘り出す仏師の役目が吉又だったと前半では思っていましたが、紆余曲折(面白かった~)を経て、吉又もまた覚醒していくのが痛快でした。そしてタコ入道も大好きです!
本当に面白くて胸に突き刺さりました。
拝読出来て幸せでした。ありがとうございます。
一部から最終話まで拝読いたしました。
まず吉又と薮田と出会いから本番で無言漫才を披露するところまでで、胸を鷲掴みにされました。
お笑い頂上決戦で無言漫才をするところは、緊張感で震えがきました。そして何故か涙が流れました。
文章に力があって、小説で表すのには難かしい世界を見事に描き切っていて、作者さまの筆力にひれ伏しそうです。
[一言]
笑いと仮想通貨が連動していたり独自の設定がユニークでした。
作品中のネタだけでなく小説自体のラストがまさかのシュールさでヒバナの世界が完成されて驚きました。
ヒューマンドラマとして胸に響きました。
薮田という逸材を掘り出す仏師の役目が吉又だったと前半では思っていましたが、紆余曲折(面白かった~)を経て、吉又もまた覚醒していくのが痛快でした。そしてタコ入道も大好きです!
本当に面白くて胸に突き刺さりました。
拝読出来て幸せでした。ありがとうございます。
エピソード16
綿花さん。読了&感想ありがとうございます。
この作品の見どころといったら熱量ですね! 高評価がとても嬉しいです。
今振り返ってみて、ちゃんと長い作品なんてこれを除いてない、というような執筆状況ですが、わりとちゃんと濃密に小説を日常的に書いていた時期だったので、それなりにしっかり熱意を持って本気で書いた面白い作品、という自己評価は、未だに続いていたりもする作品でした。綿花さんからおすすめは?と聞かれて、これを真っ先に、と言ってしまうのは必然の流れでした。
制作にかかる動機というのが特殊でして、今回の返信ではその裏話をしたいと思います。
心残りから話すと、お笑いの台本がそこそこ豊富に登場する、珍しい文学作品だろうと自任しているのですが、じっくり時間を使っての制作ではなかったと記憶していてそれがゆえ登場するコントや漫才が、大したことのない思いつきをどうにか強引に形にしただけというような、アドリブの勢いばかり、そしてきちんと練られた上質ものではなかったよなぁ、という後悔。
しかし、後にお伝えするつもりの裏話にも言えることですが、例えばテレビでやっていた、劇団ひとり監修のドラマ、べしゃり暮らしの登場ネタ、はそれ以上に酷いというか、お粗末なお笑いの、テンプレをなぞったにすぎないような熱量のない非リアル、なお笑いだったので。
そういう一般的なレベルとは一線を画すのだろうけれど、ボクの標榜しているシュールへの愛、だったり、お笑いへの想い、だったり、そういう熱いものに照らし合わすと、とことん甘い出来だったよなあ、という心残りがあって。
いずれはバッサリ書き直したいなあ、などと思いながらも、ずっとそこは放置しています。
今回、感想を頂き、改めてヒバナを読んでみました。
文章の良いところは、素晴らしいな、と感じています。
後半、ストックも消え一日一話ペース、がガチになってきたあたりから、ちょっと表現が上手くない部分が散見しているなあ、という印象は受けました。
それを除いて、光る所が光ってるなあ、とは考えています。
本家の又吉さんが、火花制作で、しっかり丁寧に綴っていった文章には、敵わない部分もあったかと思います。
いろいろ良いとこありましたが、最終話ですね。あれはとことん素晴らしいと自画自賛します。
さて、今回の裏話です。はっきりと当時の気持ちを思い起こすことはできませんが、ひょんなことから、又吉さんの火花に対する、審査員の講評を目にして、そこに違和感と怒りを覚えてしまった、というアンチテーゼから、純粋に、それだけのリベンジ、という自己顕示欲からの動機以外何もなかったのだと思うのです。
だけど、そんな不純な動機であれ、価値のある作品にはなったよなあ、という実感はありますね。
芥川賞の審査員はもちろん小説家ですが、とくに、島田雅彦さんの「楽屋オチ」という言葉を使った講評への違和感、そしてふざけんじゃねえよ、というよく分からない怒り、がこみ上げてしまって。
ボクってきっと、精神的なものを成分を二分すれば、お笑いでもなければ小説家でもない、だけど誰よりも、その両方に脚を突っ込んだ表現者なんだ、という気持ちがあって、約めるとどっちでもないんだけど、両方の橋渡しとしてのプライドが、おそらくは又吉さん本人よりも大きい、そんな自意識を持っているのかもしれません。
まあ、とにかくそういうエネルギー、アドレナリンから始まるような勢いを活かして進めた制作でした。
又吉さんの原作火花は、なんぼのもんじゃい、という気持ちから、発売のころ本屋で立ち読みをして、そこそこに力のこもった大太鼓のこだまする冒頭を読み、それ以降をパラパラと拾い読みして、まあ、この程度か、と立ち去った感じで、芥川賞の本流と呼ぶに値する出来とまではいかないよなあ、と、その程度の評価で、その後あまり意識することなく過ごしていたものでしたが。
しかししばらく経って、そのような個人的因縁が生じた、そういうわけでした。
ヒバナを書くにあたって、又吉さんの火花が、どうやら衝撃のオチとやらを売りにしているらしい、と知って、今回は、出来の良い冒頭へのオマージュ、そして調べてみて、なんだその程度かよ、とがっかりしてしまった大したことのないその衝撃を百倍超えてやるぞ、という2点のみをモチーフにして制作へとかかりました。
ただ、ある程度は又吉さんの大枠を認知していたので、師匠と崇める伝説の芸人への出会いから対峙、突然の別離から、ラストちかくで衝撃の再開、という大きいあらすじは踏襲しました。
幸い、仮想通貨とサイバーパンクという、お笑いとはかけ離れたモチーフを融合させた着想のおかげで、ずいぶんとオリジナリティにあふれる、興味深い世界にすることができたなあ、と考えています。
書いていくうちに、創作全体への熱い思いがキャラや展開に命を吹き込んでくれたのだと思います。
やっぱ、藪田につきますね、彼は最高です。
タコ入道は、ハリウッドザコシショウの完全オマージュでして。
ボクが思うに、お笑い界で唯一無二の芸人とは、彼なのかもしれないなあ、そういう気持ちが真理としてあるんですよね。
藪田が最高でしたが、しかし吉又も、藪田とは違った熱を持った、ナイスキャラであり、優れたストーリーテラーだったなあ、と思っています。ライバルのコンビがジャルジャルだったり、参考にした芸人はいくつかありますが、主人公である一見控えめな吉又、というのは、本家、又吉さんという芸人なくしては生まれなかった素晴らしいキャラだったと思います、そういう又吉さんという人物は、偉大だなあ、なんて思ったり。
結果的に、すごくいい作品になったと思っています、そして、答え合わせとして、緊張しながら、本家「火花」を書き上げ後に読みました。
結論として、ホッとした、というか、書き手としては、まだ、当時のボクに分があったな、というか、しょうじき圧勝、くらいの気持ちは受けましたね。しかし、今読んでみたら、そういううぬぼれも少しは拭えているかもしれませんし、久しぶりに読んでみたいなあ、という気になりました。
なので、綿花さんが、キャスにて読み比べてみようかな、とおっしゃってくれたことが、いちばん嬉しいリアクションっだったりするんですよね。
エッセンス以外は割愛しますが、どの部分が又吉さんの火花を凌駕していた、と考えるかというと、又吉さんって、無類の読書家だったりするわけで、それがゆえ、小説にそこはかとなく漂っている、気分というか、小説全体の意志、というものが、独特だったりするんですよ。ひと言で、読み専論。
それは又吉さんの芸としての質もそこだったりするんですよね。
メタな視点で世の中を斬る、という資質。
だから、作家の有する、藪田らしさ、という恐ろしい気分は扱えないんですよ。ボクのヒバナは、作家、という気分、恐ろしい領域をリアルに扱っていましたから。
又吉さんが敬意を払う文豪にならってみれば、テーマでいうと中上健次、文章でいうと古井由吉、そのような、ギラギラとしている訳のわからなさ、そういう表現というエネルギー、ではなしに、どちらかというと、というか明らかに、彼は批評家としての資質にあふれた小説家なんだな、と判ったんですね。
もう一点は、漫才師という題材を扱うにあたって、お笑い業界が、いかにサラリーマン社会なのか、という新聞記者的視点、そんなものをこれでもかと注いでいたんですけど、やはり、創作というものは、そういう表向きな現実とは、真逆に位置する、掴みどころのない非現実、それを描かなきゃな、そこが物足りないし、一般的にウケがいい、そのような現実の浅い部分のトレースを主体としただけの類の、そんなパターンの流行りの創作は、やっぱり物足りない世の中だよな、そんなことを考えたりしました。
それに匹敵するような芥川賞作品も、時々生まれているので、又吉さんは、余計そうじゃないパターンだったんだよな、という物足りなさがあります。
でも、再び読んでみると、当時とは違った印象も受けるかもしれませんし、又吉さんには又吉さんの、作家を続けていく以上は成長しつづけていくであろう、独自の芸風、というものが魅力を増しつづけるのだろう、とも考えます。
まあ、あの時点でのボクはボクで、未熟ですし、又吉さんも、あれから成長をとげているでしょうし。
あのころ抱いた怒りは、ヒバナを書く動機になったとはいえ、今ではそれが何だったのかなど、思いもよりませんし、結果的にあの作品の素晴らしい青春感、が生まれたこと、そして期間をまたいで綿花さんにお読みいただけたこと、それはかけがえのないことです。
何より大切なことは、これから先、新しい作品を書き、未知の世界へと突入していくことだ、と考えています、その流れのなかで、今回のように、綿花さんや、それ以外の方々に、ボクの作品に触れてくれたら嬉しいよなあ、と考えます。
この作品の見どころといったら熱量ですね! 高評価がとても嬉しいです。
今振り返ってみて、ちゃんと長い作品なんてこれを除いてない、というような執筆状況ですが、わりとちゃんと濃密に小説を日常的に書いていた時期だったので、それなりにしっかり熱意を持って本気で書いた面白い作品、という自己評価は、未だに続いていたりもする作品でした。綿花さんからおすすめは?と聞かれて、これを真っ先に、と言ってしまうのは必然の流れでした。
制作にかかる動機というのが特殊でして、今回の返信ではその裏話をしたいと思います。
心残りから話すと、お笑いの台本がそこそこ豊富に登場する、珍しい文学作品だろうと自任しているのですが、じっくり時間を使っての制作ではなかったと記憶していてそれがゆえ登場するコントや漫才が、大したことのない思いつきをどうにか強引に形にしただけというような、アドリブの勢いばかり、そしてきちんと練られた上質ものではなかったよなぁ、という後悔。
しかし、後にお伝えするつもりの裏話にも言えることですが、例えばテレビでやっていた、劇団ひとり監修のドラマ、べしゃり暮らしの登場ネタ、はそれ以上に酷いというか、お粗末なお笑いの、テンプレをなぞったにすぎないような熱量のない非リアル、なお笑いだったので。
そういう一般的なレベルとは一線を画すのだろうけれど、ボクの標榜しているシュールへの愛、だったり、お笑いへの想い、だったり、そういう熱いものに照らし合わすと、とことん甘い出来だったよなあ、という心残りがあって。
いずれはバッサリ書き直したいなあ、などと思いながらも、ずっとそこは放置しています。
今回、感想を頂き、改めてヒバナを読んでみました。
文章の良いところは、素晴らしいな、と感じています。
後半、ストックも消え一日一話ペース、がガチになってきたあたりから、ちょっと表現が上手くない部分が散見しているなあ、という印象は受けました。
それを除いて、光る所が光ってるなあ、とは考えています。
本家の又吉さんが、火花制作で、しっかり丁寧に綴っていった文章には、敵わない部分もあったかと思います。
いろいろ良いとこありましたが、最終話ですね。あれはとことん素晴らしいと自画自賛します。
さて、今回の裏話です。はっきりと当時の気持ちを思い起こすことはできませんが、ひょんなことから、又吉さんの火花に対する、審査員の講評を目にして、そこに違和感と怒りを覚えてしまった、というアンチテーゼから、純粋に、それだけのリベンジ、という自己顕示欲からの動機以外何もなかったのだと思うのです。
だけど、そんな不純な動機であれ、価値のある作品にはなったよなあ、という実感はありますね。
芥川賞の審査員はもちろん小説家ですが、とくに、島田雅彦さんの「楽屋オチ」という言葉を使った講評への違和感、そしてふざけんじゃねえよ、というよく分からない怒り、がこみ上げてしまって。
ボクってきっと、精神的なものを成分を二分すれば、お笑いでもなければ小説家でもない、だけど誰よりも、その両方に脚を突っ込んだ表現者なんだ、という気持ちがあって、約めるとどっちでもないんだけど、両方の橋渡しとしてのプライドが、おそらくは又吉さん本人よりも大きい、そんな自意識を持っているのかもしれません。
まあ、とにかくそういうエネルギー、アドレナリンから始まるような勢いを活かして進めた制作でした。
又吉さんの原作火花は、なんぼのもんじゃい、という気持ちから、発売のころ本屋で立ち読みをして、そこそこに力のこもった大太鼓のこだまする冒頭を読み、それ以降をパラパラと拾い読みして、まあ、この程度か、と立ち去った感じで、芥川賞の本流と呼ぶに値する出来とまではいかないよなあ、と、その程度の評価で、その後あまり意識することなく過ごしていたものでしたが。
しかししばらく経って、そのような個人的因縁が生じた、そういうわけでした。
ヒバナを書くにあたって、又吉さんの火花が、どうやら衝撃のオチとやらを売りにしているらしい、と知って、今回は、出来の良い冒頭へのオマージュ、そして調べてみて、なんだその程度かよ、とがっかりしてしまった大したことのないその衝撃を百倍超えてやるぞ、という2点のみをモチーフにして制作へとかかりました。
ただ、ある程度は又吉さんの大枠を認知していたので、師匠と崇める伝説の芸人への出会いから対峙、突然の別離から、ラストちかくで衝撃の再開、という大きいあらすじは踏襲しました。
幸い、仮想通貨とサイバーパンクという、お笑いとはかけ離れたモチーフを融合させた着想のおかげで、ずいぶんとオリジナリティにあふれる、興味深い世界にすることができたなあ、と考えています。
書いていくうちに、創作全体への熱い思いがキャラや展開に命を吹き込んでくれたのだと思います。
やっぱ、藪田につきますね、彼は最高です。
タコ入道は、ハリウッドザコシショウの完全オマージュでして。
ボクが思うに、お笑い界で唯一無二の芸人とは、彼なのかもしれないなあ、そういう気持ちが真理としてあるんですよね。
藪田が最高でしたが、しかし吉又も、藪田とは違った熱を持った、ナイスキャラであり、優れたストーリーテラーだったなあ、と思っています。ライバルのコンビがジャルジャルだったり、参考にした芸人はいくつかありますが、主人公である一見控えめな吉又、というのは、本家、又吉さんという芸人なくしては生まれなかった素晴らしいキャラだったと思います、そういう又吉さんという人物は、偉大だなあ、なんて思ったり。
結果的に、すごくいい作品になったと思っています、そして、答え合わせとして、緊張しながら、本家「火花」を書き上げ後に読みました。
結論として、ホッとした、というか、書き手としては、まだ、当時のボクに分があったな、というか、しょうじき圧勝、くらいの気持ちは受けましたね。しかし、今読んでみたら、そういううぬぼれも少しは拭えているかもしれませんし、久しぶりに読んでみたいなあ、という気になりました。
なので、綿花さんが、キャスにて読み比べてみようかな、とおっしゃってくれたことが、いちばん嬉しいリアクションっだったりするんですよね。
エッセンス以外は割愛しますが、どの部分が又吉さんの火花を凌駕していた、と考えるかというと、又吉さんって、無類の読書家だったりするわけで、それがゆえ、小説にそこはかとなく漂っている、気分というか、小説全体の意志、というものが、独特だったりするんですよ。ひと言で、読み専論。
それは又吉さんの芸としての質もそこだったりするんですよね。
メタな視点で世の中を斬る、という資質。
だから、作家の有する、藪田らしさ、という恐ろしい気分は扱えないんですよ。ボクのヒバナは、作家、という気分、恐ろしい領域をリアルに扱っていましたから。
又吉さんが敬意を払う文豪にならってみれば、テーマでいうと中上健次、文章でいうと古井由吉、そのような、ギラギラとしている訳のわからなさ、そういう表現というエネルギー、ではなしに、どちらかというと、というか明らかに、彼は批評家としての資質にあふれた小説家なんだな、と判ったんですね。
もう一点は、漫才師という題材を扱うにあたって、お笑い業界が、いかにサラリーマン社会なのか、という新聞記者的視点、そんなものをこれでもかと注いでいたんですけど、やはり、創作というものは、そういう表向きな現実とは、真逆に位置する、掴みどころのない非現実、それを描かなきゃな、そこが物足りないし、一般的にウケがいい、そのような現実の浅い部分のトレースを主体としただけの類の、そんなパターンの流行りの創作は、やっぱり物足りない世の中だよな、そんなことを考えたりしました。
それに匹敵するような芥川賞作品も、時々生まれているので、又吉さんは、余計そうじゃないパターンだったんだよな、という物足りなさがあります。
でも、再び読んでみると、当時とは違った印象も受けるかもしれませんし、又吉さんには又吉さんの、作家を続けていく以上は成長しつづけていくであろう、独自の芸風、というものが魅力を増しつづけるのだろう、とも考えます。
まあ、あの時点でのボクはボクで、未熟ですし、又吉さんも、あれから成長をとげているでしょうし。
あのころ抱いた怒りは、ヒバナを書く動機になったとはいえ、今ではそれが何だったのかなど、思いもよりませんし、結果的にあの作品の素晴らしい青春感、が生まれたこと、そして期間をまたいで綿花さんにお読みいただけたこと、それはかけがえのないことです。
何より大切なことは、これから先、新しい作品を書き、未知の世界へと突入していくことだ、と考えています、その流れのなかで、今回のように、綿花さんや、それ以外の方々に、ボクの作品に触れてくれたら嬉しいよなあ、と考えます。
- 夢之ゆめぜっと
- 2020年 08月19日 19時52分
[一言]
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。
ようやく時間が取れまして、第1話を読まさせていただきました。ゆめぜっとさんの作風がカラフルなのとあいまって、独特の雰囲気を醸し出していますね。ゆめぜっとさんの作風はどちらかと言えば色彩を基調にしたものだと思うのですが、漫才で色彩を基調にした作品は見たことがないので、とても新鮮です。
今後も時間の合間に読まさせていただきます^^
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。
ようやく時間が取れまして、第1話を読まさせていただきました。ゆめぜっとさんの作風がカラフルなのとあいまって、独特の雰囲気を醸し出していますね。ゆめぜっとさんの作風はどちらかと言えば色彩を基調にしたものだと思うのですが、漫才で色彩を基調にした作品は見たことがないので、とても新鮮です。
今後も時間の合間に読まさせていただきます^^
稲葉さんあけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
コメントありがとうございます。まさかこちらで新年の挨拶をするとは予想外でした笑 とてもうれしいです。
思えば色彩をよく使うようになって、この作品の冒頭にも自然と使ってました。
あらすじに書いたように普段の文体を極力抑えて読み易くすることを心がけました。ただ、どうしても硬い文になる癖は完全には抑えきれなかったですが。
お笑いが元々好きなのでこれまで漫才をなろうでたくさん書いてきて、テレビで流れているようなお笑いよりも、もっと小説的なネタがあってもいいじゃないかと、そういうネタ作りの流れを反映させてます。
キャラ作りなど、物語に組み込んだことで、これまでの漫才制作のひとつの集大成にできたなと思ってます。ドラマ面では、藪田のセリフに顕著ですが、制作関係者の思いをたくさん散りばめているので、作家の皆さんには共感できる部分のある、そういった興味がメインテーマになってます。
青春ストーリーとしてお読み頂けたらうれしいです。
よろしくお願いします。
コメントありがとうございます。まさかこちらで新年の挨拶をするとは予想外でした笑 とてもうれしいです。
思えば色彩をよく使うようになって、この作品の冒頭にも自然と使ってました。
あらすじに書いたように普段の文体を極力抑えて読み易くすることを心がけました。ただ、どうしても硬い文になる癖は完全には抑えきれなかったですが。
お笑いが元々好きなのでこれまで漫才をなろうでたくさん書いてきて、テレビで流れているようなお笑いよりも、もっと小説的なネタがあってもいいじゃないかと、そういうネタ作りの流れを反映させてます。
キャラ作りなど、物語に組み込んだことで、これまでの漫才制作のひとつの集大成にできたなと思ってます。ドラマ面では、藪田のセリフに顕著ですが、制作関係者の思いをたくさん散りばめているので、作家の皆さんには共感できる部分のある、そういった興味がメインテーマになってます。
青春ストーリーとしてお読み頂けたらうれしいです。
よろしくお願いします。
- 夢之ゆめぜっと
- 2018年 01月09日 13時32分
[一言]
ささっと書くのでご勘弁を。どっかで見た平和の名の芸人の片割れ、髪長い方のやつだすんかいなーとジャブにツッコミをいれましょう。
売れて気分いい悪い面白いの下りは、マジもんの芸人さんが言いそうな台詞かつ、なるほどと思える一種の心理のようで深いと思います。
十六話更新まで、お疲れの出ませんように。
ささっと書くのでご勘弁を。どっかで見た平和の名の芸人の片割れ、髪長い方のやつだすんかいなーとジャブにツッコミをいれましょう。
売れて気分いい悪い面白いの下りは、マジもんの芸人さんが言いそうな台詞かつ、なるほどと思える一種の心理のようで深いと思います。
十六話更新まで、お疲れの出ませんように。
アトリエスタさん早速の感想ありがとうございます! 連載で感想頂くことが稀なのですが、こうして細かく感想言っていただけると嬉しいです。まだ書き終えてないですがいい作品にしたいです。途中までは面白いことは決定してますので(現在7話終了です)。引き続きお楽しみに!
- 夢之ゆめぜっと
- 2017年 12月24日 18時58分
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