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[良い点]
おもしろかったです!
昔、漫画で格闘技とスポーツを分けるものは何かって話を読みました。
それはルールだと。
いざという時にルールを破る覚悟があるかどうかがスポーツ選手と格闘家の境目だとか。

空手や柔道がスポーツって言われるとなんだか違和感を覚えるんですよね……
  • 投稿者: 暮伊豆
  • 2021年 01月14日 01時20分
[一言]
武術・自身(もしくは誰か)を守るために人を殺傷することも前提とした技術、方法。
「殺ってナンボ、殺るか殺らないかは殺れるようになってから考える」

武道・心身の鍛錬を目的としたもので、他者との比較はナンセンス。

スポーツ(競技)・字面の通り、互いに競い合うのが目的であり、建前として勝敗は結果でしかない。
  • 投稿者: shyrook
  • 40歳~49歳 男性
  • 2020年 04月16日 00時53分
感想ありがとうございます。

問題は学ぶ側も、教える側もその定義をきっちり理解し、示している訳ではないということです。

空手は護身術というお題目で広まって行きました。これは武術の側面があります。

次に、健全な精神と肉体の形成。という側面を強調して武道としての色を強く出しました。

国体、インターハイ、全日本選手権、世界大会。部活に採用され、大人たちも世界規模の大会に勝つことを目指すようになります。

こういった時代の流れにより、技術や目的が変化したにも関わらず、指導する側も指導される側も明確に区別できていないのが現状です。

やがてスポーツ空手に淘汰されるなら、そのなかに武術的な要素を残して欲しいのです。

ガワだけのスカスカな空手ではなく、主目的はスポーツであっても最低限の自衛はできる。

私一個人の意見ですが、そんな形で空手が後世に残ってくれたら嬉しい。そう思っています。
  • 野人
  • 2020年 04月16日 05時02分
[気になる点]
誤字脱字報告

伝統派空手の突きの速度はかなり早いです。もちろん威力もあます。

正 もちろん威力もあります。
  • 投稿者: あかま
  • 2019年 09月14日 06時31分
[良い点]
武術が武道になった時に試合、演武という物差しが生まれ、誰にでもわかる強さの基準ができたのですが・・・いい事ばかりではないんですよね。それに正面から挑んで書いたのは素晴らしいと思います。
[一言]
武術的な要素が武道から失われていく・・・私は世の中にニーズがあるかないかで割り切っています。

結局のところ使う機会のない技術は形骸化するので治安の悪い国でもないと、壊す技は継承できないのではないかと思っています。

ちなみ1950、60年代 揉め事で普通に刃物ができてきた。
1970、1980年代 武器は使わなくなったが、すぐに殴ったり蹴ったり
1990年~直接的な暴力はなくなったが情報を駆使した間接的な暴力へ移行

という風に感じています。
感想ありがとうございます。

お褒め頂きありがとうございます。

そうですね、術(すべ)から道に変わったときから、本当の意味での本質は徐々に失われていったかもしれません。武道に変わったことで、技術体系がしっかりして、継承しやすくなったという利点はあるでしょうが。


そうですね、ニーズのないものは廃れていく。当然のことなんですが、技術の継承という物がのしかかってきて、割り切るのが難しいです。まぁ、割り切るしかないんですけどね。

実際に壊すわけにもいきませんからね。理論の継承だけになって形骸化するのは早そうです。


戦後の動乱期だった50、60年代はすぐに刃物がでてくるイメージですよね。闇市での揉め事とか。

70、80年代は不良ブーム全盛期。校内暴力、暴走族などヤンキーがすぐ殴り合いをしているイメージでした。

ネットやスマホの普及で、間接的な暴力へ移行しましたね。今では空手より、ネットリテラシーを学んだり、コミュニケーション能力を磨いたほうが、護身になるかもしれません。
  • 野人
  • 2019年 06月28日 00時39分
[一言]
> 私が極めについて科学的な理解をしたのは、昔見た動画でした。情報ソースは忘れてしまって提示できません、ごめんなさい。
> アメリカの運動エネルギーを研究している科学者が、ボクシングの秘密を解き明かすという内容でした。

古武術でも極め、というか身体の使い方は同じ感じという理解です。

ソースですが私の曖昧な記憶では、ディスカバリーかナショジオの武術・格闘技系動画じゃないでしょうか?

候補?
ディスカバリー
格闘技の心・技・体を科学する
世界武者修行
世界の最強武術を体得せよ
世界の格闘技:道場破りの旅
ナショジオ
科学で見る格闘技の真髄
他?
ニコニコやYouTubeに動画が残ってる物もあります。
感想ありがとうございます。

武術の種類は違えども、人体を効率的に運用するという目的は同じなので、同じ動きになったりしますよね。


20年近く前の話なので、かなりうろ覚えです。当時はケーブルテレビを契約していたので、そこらへんの番組の確率が高い気がします。

多くの作品を教えて頂き、ありがとうございます。
  • 野人
  • 2019年 06月17日 23時32分
[一言]
危険な技も、授かるべき水準を満たし、尚且いずれ次代に伝える立場になる者に対しては、教える義務があると思います。治に居て乱を忘れず。紅旗征戎我が事に非ず。星霜移り古人が去り舵取る舵手が代われば進路が変わるようなものを、道と呼べますか。みちはみちでも、そりゃ迷路でしょう。

奇矯なスタイルについては、それを可能にした異常な規則ごと無視して、こちらは死ぬまで正しい姿勢で生きりゃいいんじゃないかと思います。バカが何を言おうが取り合ってやる義理はありません。姿勢が正しけりゃ、独善じゃありません。ぶつかったって、曲がった姿勢の奴が勝手に姿勢を崩してどっかに転げてゆくだけなので。
  • 投稿者: 退会済み
  • 2019年 06月07日 20時08分
管理
感想ありがとうございます。

学ぶ側に、学びたいという気持ちがあれば別ですが、こちらが強制して危険な技を教える訳にもいきません。

そういった危険な技に、社会的な価値が薄くなった今、進学に有利になる競技や、手軽に遊べる様々な娯楽を優先せず、あえて学びたいと思う熱意のある門下生も今の時代はいないのです。

そういった危険な技は、一般的な技と同じ感覚で教えてはいけないし、学ぶ方にもある種の覚悟が必要です。

仰る通り、伝えなければいけないという重圧と使命感に縛られます。

そこまでして、どんどん社会と相対的に見て価値が失われている技術を習得したい。その重荷を背負ってでも後世に技術を伝えたいという熱い思いを抱える人が、私の周囲にいないのです。

私も後ろめたい気持ちはありますが、自ら進んで広めたいとも思いません。

私は空手で生計を立てているわけでもありませんし、地域社会の過剰反応や拒否反応と戦ってまで、強く求められてもいない危険な技術を広める気はないのです。

そんな無茶をすれば、道場の存続すら危うくなってしまいます。

広く一般に愛されながら、武道としての本質は失わずに存続して欲しい。そのギリギリのバランスを、社会情勢や地域社会と関わりながら探って、空手という武術や文化を後世に残していく。

受け継いだ一部の人向けの危険な技を残すより、そちらの方がよっぽど大切だと私は思います。

私の住んでいる田舎では『あそこの道場は人殺しの技を教えている』なんて噂が流れた時点で終わりです。

私も、もどかしい気持ちはありますが、その地域の子供を預かる以上、地域社会や親御さんの意向を最大限にくむ必要があるんです。

危険な技を必要とする人たちや、伝統技術を受け継いでいこうと頑張っている方々にそちらの伝承はお任せして、私は一般に空手というものが受け入れられるよう、努力して行きたいと思います。


自分だけが正しい行動をしていても、自分の周りだけしか変わりません。エッセイを一本書いてどれだけ影響があるかわかりませんが、自分のできる範囲で、周囲に訴えかける努力は必要だと思います。

SNSやyoutubeなどで、あっという間に情報が広まる社会において、それが正しいかより、どれだけ多くの人に『認識されるか』が重要な社会になってきました。

こちらがどれだけ、正しいことをやり続けても、間違った物が大量に発信され、受け入れられ、それが基準となってしまったとき、正しいことを続けていたこちらが、正しくないと認識されてしまうんです。

いい物を作ったら黙っていても売れるという時代ではないので、優秀な職人さんでも、ホームページで宣伝したり、何かの企業とコラボしたり、斬新なデザインを発表したりして、社会にアピールしていかないといかない時代になりました。

武道などの形の無いものも同じで、自分だけが正しいことをやり続けるというだけでは、昔より圧倒的に早くなった世の中の流れに取り残されてしまう気がするんです。

私の第一の目標は空手の普及。どういった形でもいいので、まず興味を持ってもらうこと。次に武道としての正しい空手を知ってもらうこと。

そして、正しい形の空手を知り、更に追求していきたい。一生の『道』として武道空手を学びたいと強く思って下さる方がいて初めて、危険な技を教えようとなる訳です。

消えゆく伝統的な技を残すべしというお考えも分かります。ただ、私は一部の人向けの技よりも、空手という武道そのものの普及。そして、競技化が加速していく現在に置いて、混同されがちなスポーツとしての空手と武道としての空手の違いを認識してもらいたいんです。

これは、どちらが正しいとかではなく、優先順位の違い。考え方の違いだと思います。

長文失礼しました。
  • 野人
  • 2019年 06月07日 23時32分
[良い点]
 苦悩。何となくですが、理解できます。

 たまにボクシング?テコンドー?と思う試合があります。

 Kー1や総合格闘が最盛期の時、グローブ着用な上、後頭部や背中への攻撃は禁止。
 素人目にも、これでは空手が負けると思ってました。
[一言]
 空手は立ち技最強です。
 柔道や柔術と合わせれば更に最強。

 合理的に相手を潰す技の数々。超接近戦において、裸拳の猛打を耐え凌ぐタフネスさ。

 只、圧倒的に、競技に向かいですね。
 
感想ありがとうございます。

ポイントさえ取ればOKといった形になり、本質が失われつつある気がします。

元々キックボクシングという競技があり、それを専門に練習している人たちと空手という技術で戦うのはあまりにも不利ですからね。

相手は専門家なのに、空手家はルールの枷で縛られていますから。


様々な優れた技術があり、空手と言っても流派が多数ありますので、立ち技最強と断言するのは難しいです。

ただ、UFCの王者にまで上り詰めたリョート・マチダ選手や、元UFCトップファイターの堀口恭司選手のように、ルールありの制限の中では一番実戦に近い、総合格闘技で空手の技術を使い実績を残しています。

空手が優れた技術であることは、疑いようがないと私も思います。

時代的に競技化は仕方ない面もあるとは思います。ただ、スポーツと武道の境目がゴチャッとしている今の状態は良くない気がします。
  • 野人
  • 2019年 05月30日 21時21分
[一言]
自分の空手のあり方で色々と悩んでいたら、野人さんの名文に出会いました。

私自身地域と空手へ恩返しのためにと色々と動いてはおったのですが、なかなかに難しいものです。

型を覚えて何になる?分解は?じゃあそれをいつ、どう使う?分解通りに動く基礎体力は?そもそも相手が思い通りに来てくれる?

やはり我々は武術としての空手を稽古していますので、目潰しや金的も前提として存在します。野蛮なことを学習している訳です。
何のために?野人さんのおっしゃるように理不尽な暴力から大切なものを守るためです。

だからこその「空手に先手なし」かと思います。
先手がないから試合が成立しません。

感激のあまり、とりとめもない文章になってしまいました。
素敵な文章、ありがとうございます。
感想ありがとうございます。

拙作を褒めて頂き、ありがとうございます。

空手を通して地域社会に貢献するのって難しいですよね。今の時代は特に。危険なことを教えるなとお叱りになる親御さんもいます。

平和な時代だからこそ、武道を通して緊張感だったり、いざというときに動ける強い精神を鍛える利点もあると私は思います。

もちろん、競技として安全に切磋琢磨することも素晴らしいと思います。

結局バランスでしょね。

地域社会が求める子どもたちが安全に切磋琢磨できる場所と、護身という観点からみた残酷さや過酷さ。

この両者のバランスを地域社会と関わりながら保っていく。そういった、今の時代に必要な指導力が求められているのかもしれません。

私は指導者としても、人間としてもまだまだ未熟ですが、これからも空手を通して、社会に貢献しつつ、自分も成長できたらと思っています。

お互い、頑張りましょう。
  • 野人
  • 2019年 05月29日 20時40分
[良い点]
この手の話は大好きなので大変興味深く拝読させていただきました。
競技化の功罪は多々ありますが、やはり試合があるとルールに特化した技術が伸びて来てしまいますよね…。

また、最後の極めについて、とても面白かったです。
私は剣術を多少齧っているのですが、そこで使ってる「絞り」に近いものを感じました。
異なる技術体系の術同士で相似の技があるのは面白いですね。

今後も機会があればこういったエッセイを書いてくださると嬉しいです!
執筆活動頑張ってください。
  • 投稿者: 無銘
  • 2019年 04月07日 17時25分
感想ありがとうございます。

競技自体は素晴らしいものなんですけどね。本来の武道とかけ離れていくのは、少し寂しいです。


なるほど、剣術にも同じような概念があるんですね。
技術の研鑽を重ねると、行き着く先は同じなのかもしれませんね。非常に興味深いです。

機会があれば、また書きたいと思います。
ありがとうございます。
  • 野人
  • 2019年 04月07日 18時50分
[良い点]
作者様が武道・武術を真剣に考えていることが伝わってくること。
実際に武道を研鑽している事が伝わってくること。
[一言]
「ルールは武を殺す」という言葉のとおりなのですが、競技化したスポーツとして広がる事で、競技人口が増え、そこから武道を目指す人も増える。
という事もあると思います。

年齢を重ねた視点から見ると、スポーツだろうと武道だろうと武術であろうと、真剣に向かい合っている若人に対しては微笑ましく思えるのです。


  • 投稿者: 荒崎 まな
  • 40歳~49歳 男性
  • 2018年 12月06日 20時11分
感想ありがとうございます。

おっしゃる通り、競技人口の維持も非常に重要なことだと思います。
ただ、空手モドキの人口だけが増え続けると、本物の空手が淘汰されてしまいます。

しっかりと本質を守りつつ、競技人口を増やしていく。難しいですがこれを両立させないと、一部の人だけがやるマイナー武道。競技人口は多いけど内容がなくなった武道。このどちらかになってしまいます。

たしかに、子供たちや学生が真剣に練習する姿はまぶしいですよね。
ひたむきに努力する彼らが、空手まがいのインチキ武道を学ばないためにも、本質の消えた内容のない空手が広まるのが嫌なのです。
  • 野人
  • 2018年 12月07日 00時26分
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