感想一覧

▽感想を書く
感想絞り込み
全て表示
[良い点]
読みました。セリフがとても魅力的で、ストーリーがしっかりている印象でした。キャラクターも立っていて、完成度が高いです。
  • 投稿者: 退会済み
  • 男性
  • 2019年 02月06日 08時09分
管理
狸塚月狂@狸監督さん、感想ありがとうございます!

な~んだ、貶して欲しかったのに!
時代はムカサリ絵馬ですよ^^。
[一言]
 遅ばせながら、完読いたしました。

 思い出した事として、雪の降り始めるのが例年より遅かった年の12月にちょうど天童へ行ったことがありました。天童って街中に山がありますよね。街が普通でも山だけが霞?霧やら凄くて、そんななか登りましたが、とても幻想的でした。その様が脳裏に浮かびまして。

 冥婚ですか……これで仲が悪かったら最悪ですが(苦笑) 哀しみの中に幸せが感じられました。
 かんからさん、感想ありがとうございます!

 残念ながら僕は天童市に行ったことはありません。完全に想像の産物です。
 へえ……靄だか霧がかかっている山を登られたのですか。それはタイムリーなものを書いたわけですねw
 柳田國男か谷川健一だか折口信夫だかの著書に、人は死ぬと山へ還っていくものだと言及しており、その考えを踏襲しました。

 一応創作するにあたり、事前にグーグルストリートビューで天童市を練り歩き、雰囲気はつかみました。
 ちなみに、玲也が通う某高校と、自宅をおおよそ目星をつけたり、萌の職場である清酒製造会社の位置や、事故現場となる県道267号線のゆるやかなカーブなども細かく設定し、僕のなかではリアリティを出せたつもりです。

 最後の1フレーズは、まさしく哀しみのなかに、ひと握りの希望の光がさせばと、願いをこめました。
 ちなみにその手前の萌のセリフ、「まるで、毎日がキャンプ生活みたいになるかもしれないね」は、あとで気づいたのですが、80年代にヒットしたレベッカのなにかの歌詞であったような気がします……w
[良い点]
はじめまして、千葉と申します。
拝読いたしました。

個人的な話で恐縮なのですが、私は以前、供養絵額を題材に小説を書いたことがあり、それと類似する(それとも本家なのでしょうか……?)ムカサリ絵馬が出てきたのを見かけ、敬意と共感を抱き、その勢いのまま感想を述べさせていただきます。

ムカサリ絵馬、冥婚を始めとする追悼は、生と死の概念区分を明確ないし相対化させるものであり、文化による死への克服――すなわち、生者のためのものでしかないと私は考えていました。これを、玲也と萌の死者側の目線からも描くことに、新鮮さと興味深さを強く感じました。「誰かが既に書いてそうで、なかなか書けない話だよなあ」とうなりました。また、玲也の兄の容態云々――という一文で締めるのも、実に上手いなあと思いました。ただただ敬服するばかりであります。

長文乱文悪文雑文、大変失礼しました。
次回作、期待しております。
千葉さん、感想ありがとうございました!

へえ……千葉さんもかつて供養絵額を題材に作品を書かれたと。興味深いですね。ぜひ『なろう』に投稿して欲しいところです。
恥ずかしながら、供養絵額という概念は知りませんでした。僕の手落ちです。なるほど、発祥はあの遠野物語の土地ではありませんか。
まさに冥婚習俗は東北特有の文化。同時に、志半ばで亡くなった若い命を弔う親たちのやさしさがあふれていますね。

拙作が出来上がったあと、『なろう』作品を検索してみますと(ガチで出来上がったあとですってば^^)、冥婚・ムカサリ絵馬をネタに使った他の作家さんの作品は、思いのほか少なくなかったので驚いております。

キーワード『冥婚』で検索してみますと、現在6作品が引っかかります。拙作はあえてキーワードに『冥婚』『ムカサリ絵馬』とは入力していません。だって、ネタバレしちゃうから。これは一発芸みたいなものです。そんなわけで、実は水面下に埋もれてしまっている冥婚・ムカサリ絵馬ネタの作品は多いのではないか。

……少なくとも6作品中、黒井雛さんという方の『死人の花嫁』なる作品が、総合評価974ptという高評価を獲得しているようです。しかも10万文字超えの長編。ウ~ム、上には上がいるなあ……。

この冥婚・ムカサリ絵馬ネタはやはり表現者として扱ってみたいと思うなにかがあるのでしょう。大抵は故人の伴侶に、生者を絵馬に描き込むと、『つれていかれる』というオカルトチックな部分が一人歩きして、ホラーの題材として使われるようです。

僕の場合、あえて冥婚・ムカサリ絵馬の本質に迫りたかったのです。
親が子を思う、純然たる気持ち、そして悲しみ。そして生者の視点と並行して、死者側の視点で描くのもアリかなと。
読了後、心の襞に染み入るような悲しみ、そしてわずかな救いが残せればいいな、と思いました。はたしてうまくいったかどうかは、実のところ僕にはわかりませんが^^;
[一言]
 うむむ、「昆虫のような冷酷な心をもった」わたしですら、涙がとまりません(´;ω;`)

 なにも、プロットがすべてではありませんね。人の心にうったえるような作品も書けるようになったんですね(・∀・)

 ほうびにレビューでも書いてあげましょう。




 じつは後半、おんぼろ家屋を建てているさなか、萌ちゃんの頭から顔面にかけて、ダラ~ッと真っ赤な鮮血が流れ出すシーンを挿入しようかとの案があった。
 玲也がそっと後方から伺うと、頭頂部がバックリ割れ、グズグズに崩れた脳みそが見える描写まで考えていたが……やっぱりやめた経緯があるのでございます。

 どうも怖い話が苦手の読者がいるみたいなので^^;
[一言]
こんばんは! つぶらやこーらです!
拝読しました!

死出の旅に至る、生の最期の一歩は自分一人で踏み出さねばならない、と聞いたことがあります。
年若ければ、なおのこと一人で歩むことによるリスクが、それぞれの文化の中で語られることでしょう。

何事にも「道連れ」は、あらまほしきことなり……。
そのような心情が、どこにも根付いているのかもしれませんね!
 つぶらやこーらさん、いつも感想ありがとうございます!

 人が死んだらどこへ行くのか……柳田國男の著書の影響か、人は死ぬと山へ還るだとか、沖縄の方では海の彼方へ行く海上他界観がかつて広まったと言います。その考えに則って、二人を山へ登らせました。
 これといってドラマチックな出来事は発生させませんでした。ただ、若い二人が朽ち木を組み合わせて建てたあばら家で住んでいるシーンが頭に浮かびました。『家』はまさに、生者においても夫婦の拠り所でしょう。
 事故死し、ムカサリ絵馬を奉納された魂は、そうやって折り合いをつけていくのではないかと想像してしまうのです。
↑ページトップへ