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[一言]
 目が見えること=文字を読めることではないのと同じように、耳が聞こえること=話を聞けることではないはずなのにね。

 私は頭を怪我して、高次脳機能障害を負ったクチです。
 怪我をしてからの世界は、(経験ないですけれど)ディスコのお立ち台から見る景色にも似ています。ぎらぎら光を振りまくミラーボールの下、大音量の曲が流れて、落ちないように人を避けるだけで精一杯というか。みんなとリズムに合わせて踊る……努力します、楽しむ……無理っす。

 ですが、人と違う世界の見方をすることは不便であっても、必ずしも「不幸」なことではないように思われます。他の人がどのような風景を見ているのか、自分とどう違うのか、そしてどうすればそのズレを埋められるのか、その辺りのすり合わせが大切なのだろうとも。
 もっとも、これは私が負ったのが、軽度の傷害であるからそう思えるのかもしれませんが。

 いろいろ調べていて、やりきれないのは、「治せませす」「治ります」という文言だったりします。ガラスの靴を前に、「踵を削ったら、履けますよ」と言われている気分になるのです。そりゃ、「フツウ」のシンデレラは履けるのかもしれないけれど、いろいろなサイズがあってもいいじゃん、ガラスの靴でなくてもいいじゃんと思うのです。
感想どうも有難うございます。

この症状は発達障害者限定の障害だと認識していましたが、高次脳機能障害でも同じような症状が起きるのですね。心中お察しいたします。

私自身は、性格なのか不便よりも不幸の方にウェイトを置いてみてしまいがちです。自分が成り切れなかった定型発達者という能力に、未練を抱いているせいかもしれません。

今度生まれ変わるときは、健常者になりたいと常日頃思っています。
(みんな、人生が大変なのは変わらないはずなんですけどね)

治りますというのは、目にしたことがありますが、その方の書籍を読んでもさっぱり理解できませんでした。期待した分だけ、喪失感が大きくなりました。
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