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[一言]
私は強迫性障害で不潔恐怖に苦しんできました。
儀式は過酷ですし、日常生活に大きく支障をきたしています。
いい加減やめたいという思いはあるものの、治療への恐怖から勝手に思考する脳の指示に従っていました。
私もここに体験談を投稿しています。
一切前向きな内容ではなく陰鬱とした内容です。
一向に成功しない禁煙やダイエットの様なものかもしれません。
あるいは、躁鬱気質でたまたま一時的にそういう気持ちに変化しているだけかもしれません。
しかし、私は今になってやっと強迫性障害の治療へ真剣に向き合ってみようと思っています。
それから、この体験談にたどり着きました。
新しく気付かされる事がありました。
コメントせずにはいられませんでした。
私は強迫性障害で不潔恐怖に苦しんできました。
儀式は過酷ですし、日常生活に大きく支障をきたしています。
いい加減やめたいという思いはあるものの、治療への恐怖から勝手に思考する脳の指示に従っていました。
私もここに体験談を投稿しています。
一切前向きな内容ではなく陰鬱とした内容です。
一向に成功しない禁煙やダイエットの様なものかもしれません。
あるいは、躁鬱気質でたまたま一時的にそういう気持ちに変化しているだけかもしれません。
しかし、私は今になってやっと強迫性障害の治療へ真剣に向き合ってみようと思っています。
それから、この体験談にたどり着きました。
新しく気付かされる事がありました。
コメントせずにはいられませんでした。
コメントありがとうございます。強迫観念を持ってらっしゃる方にとって、コメントするということ自体、大変なことだと思っております。そんな中、メッセージをおっくってくださり、誠に感謝しております。
このエッセイが治療へのきっかけになったというのであれば、このエッセイを書いた意味もあったと思います。大変な体験をしてらっしゃったようですね。
私は、自分の体験についてほとんどエッセイに記してはないですが、あなたのエッセイを読んで、憂鬱としている時期があったのだろうと伝わってきました。
ここで、私はこれを読む皆様にお伝えしたいことがあります。強迫性障害は、必ず治ると思っております。体験談をお読みした限りでは、小説に没頭するということがあったようですね。私も、中学の頃に、あらゆる作品に没頭しておりまして、なるほどと思いまいした。何か、想像力というものに、強迫観念が関係しているのではないかと、勝手ながら推測しております。
私は、普通の小説を書くとき、初めの数ヶ月は、書いたのちに強迫観念がありました。つまり、想像するという作業が、なんらかの作用をしていたのではないかと思われます。
不潔恐怖という、一番知られてはいるが厄介な症状。
お願いと注意。ここからはかなり長文を書きます。私の知識で役立ちそうなことをできるだけ書いておきます。しかし、すべて読むのも疲れるでしょうし、書きすぎてどこが大切か分散してしまうかもしれません。
これを読む人の強迫観念はどのタイミングで出るのか、私には定かではないので、これから先を読む際は自己責任でお願いいたします。ぜひ、役立ててください。
私は、この不潔恐怖に、とある仮説を立てました。少し難しい話になるかもしれませんが、ここに書いておきます。
この仮説が、治療の役に立つとは限りません。できれば、鵜呑みにせず、自分なりに参考にするという形をとっていただければ幸いです。占いのように、鵜呑みにせず参考にするということです。
不潔恐怖というのは、主に汚れているという『勘違い』から起こっているものだと思います。では、その勘違いの原因はなんぞや? そこを考えたとき、上記の『小説に没頭(想像の世界に没頭)』を踏まえたとき、おそらく、想像の世界内に『何かしら汚れているという勘違いが起こっているのではないか』と、思いました。
では、その勘違いをどうやって払拭するか。強迫行為を持っていらっしゃる人ならば、何度も掃除をしたり、手を洗ってしまったりするのではないでしょうか。
では、汚れているとはなんぞや?
対象は人それそれでしょう。もしかすると、没頭した作品は『ホラー』関係だったのかもしれません。何かしらの、不潔なイメージを、刻み込んでしまったのでは? この考えを払拭するのには、『PTSDの呼吸法トレーニング』が有効かと思われます。
やり方は簡単です。
強迫観念がてたら、強迫行為をする前に、次の行動をします。
三秒吸って、三秒止めて、6秒かけて吐く。これを5〜10回ほど、続けます。
理由としては、『まず、強迫観念に抗うこと』これだけでも有効です。トラウマを消すための呼吸法であるため、続けることで効果が出ると思われます。精神的に疲れたときにも、別の呼吸法でとにかく落ち着く。落ち着くことこそ、大切です。
そして、できれば、自分に不利な想像を無視すること、ここでは否定すらしないこと。私は初め、強迫性障害を『イメージのコントロール不足』ととらえました。今では『ひとりブラック企業』と言っています。イメージをコントロールすることは、森田療法や暴露療法の、強迫観念にひたすら無心で向き合うということもやりました。例えるならば、『ぼやーっと、不潔だと思うことものを眺めるイメージ』すると、エッセイにも書いてある通り、『恐怖に慣れてきます』。
高いところが苦手な人や、大きな石像が苦手な人、金属の擦れる音が苦手な人は、ずっと高いところにいたり、奈良の大仏の前に吊るされたり、ゲームセンターのコインの擦れる音を聞き続けることで治る、というのをテレビで見たことがあります。強迫観念も同じかとお考えました。必ず、慣れます。汚いということを思っていても、汚いというだけで、汚いと思わない自分が出てくるかもしれません。
森田療法、暴露療法、この二つがその役に立つと思われます。そして、それらを行動することこそ、行動認知療法の第一歩と言えるでしょう、なぜなら、ずっと触れて(行動して)慣れている(認知している)のですから。
長文失礼いたしました。
コメントするということだけでも、もしかすると、手を洗うなどのことがるかもしれません。もしかすると、この文章自体に、そういう強迫観念を抱いた可能性もあります。
強迫観念を持っている人は、思考の中のモデリング(イメージ)という、現在現時点の現世から注目点は別のところに向いているかもしれません。もし、心療内科に通院しているのならば、ぼーっとすることを勧められることもあると思います。ここについても、少しだけお伝えしておきます。
ぼーっとする、というのは、普通の人は本来日常である程度は瞑想している状態だと思っています。瞑想にも幾つかあり、歩くこと、食べること、書くこと、描くこと、映画を見ること、仕事など、あらゆることに集中している場合があります。
イメージをより活発にする方法として、部屋を散らかすということがあります。これはすぐにかたずけろといいうのではなく、散らかっていることで集中力を分散させ、発想を得やすくするというものです。
では、反対に、イメージに縛られないためには、何かに集中するということです。
私は小説に集中したことで、かなり良くなったと思われます。確かに、途中途中に強迫観念はあったものの、その度に部屋の中を歩くなどの方法で別のことに集中しました。これは、意識的にではなく、おそらく自分が望んでやったことだろうとも思います。
腰痛の話を絡めるとすると、脳みそが思い込んで、腰痛を感じる場合もあるそうです。私の知るその話は、ラジコンヘリに夢中になったり、飼い犬に夢中になったりすることで、治ったと言えるところまで来たそうです。
『私がここでお勧めするのは、やはり瞑想です』
瞑想と言っても、イメージの世界にとらわれると、むしろ逆効果だという人もいます。正しくやることこそ、大切なのです。
瞑想のやり方。
まず、楽な体勢を取ってください。椅子でもベットでもいいです。目をつむって、安静にできる体勢になってください。
次に、目を瞑るまたは半開きにする。あまりこだわらなくても、何かに集中すればいいので、目覚まし時計の針に注目してもいいです。
そして、体のあちこちに意識を向けます。これは、ボディースキャンという、瞑想の方法で、体の感覚を正しく受け取る練習です。フローリングが冷たいとか、ストーブが熱いとか、シーツの肌触りから、体のコリまで、正しく受け取ります。
この受け取るという行為は、慣れるという行為にも似ているのではないでしょうか。
今、手元にある本だと、1日45分だそうです。あとは、体を動かす、歩くことはあるこことに集中することで、瞑想になります。
著書によると、寛容的になること。自分のすべてを受け入れることだそうです。
集中力を保つことはとても良いことですので、ぜひお試しください。
ここまで書いたので、結論を書きます。
『イメージをコントロールする。そのためには、慣れること。暴露療法、森田療法、そしてそれをすることこそ、行動認知療法』
『イメージから別のところに意識を向け、現在(瞑想や散歩、食事、今やっている行動)に没頭すること』
アドバイスとしては、この辺でも十分だと思います。あとは、自ら、自分を知ることで、より良い方法を見つけてください。では、ご武運を。
このエッセイが治療へのきっかけになったというのであれば、このエッセイを書いた意味もあったと思います。大変な体験をしてらっしゃったようですね。
私は、自分の体験についてほとんどエッセイに記してはないですが、あなたのエッセイを読んで、憂鬱としている時期があったのだろうと伝わってきました。
ここで、私はこれを読む皆様にお伝えしたいことがあります。強迫性障害は、必ず治ると思っております。体験談をお読みした限りでは、小説に没頭するということがあったようですね。私も、中学の頃に、あらゆる作品に没頭しておりまして、なるほどと思いまいした。何か、想像力というものに、強迫観念が関係しているのではないかと、勝手ながら推測しております。
私は、普通の小説を書くとき、初めの数ヶ月は、書いたのちに強迫観念がありました。つまり、想像するという作業が、なんらかの作用をしていたのではないかと思われます。
不潔恐怖という、一番知られてはいるが厄介な症状。
お願いと注意。ここからはかなり長文を書きます。私の知識で役立ちそうなことをできるだけ書いておきます。しかし、すべて読むのも疲れるでしょうし、書きすぎてどこが大切か分散してしまうかもしれません。
これを読む人の強迫観念はどのタイミングで出るのか、私には定かではないので、これから先を読む際は自己責任でお願いいたします。ぜひ、役立ててください。
私は、この不潔恐怖に、とある仮説を立てました。少し難しい話になるかもしれませんが、ここに書いておきます。
この仮説が、治療の役に立つとは限りません。できれば、鵜呑みにせず、自分なりに参考にするという形をとっていただければ幸いです。占いのように、鵜呑みにせず参考にするということです。
不潔恐怖というのは、主に汚れているという『勘違い』から起こっているものだと思います。では、その勘違いの原因はなんぞや? そこを考えたとき、上記の『小説に没頭(想像の世界に没頭)』を踏まえたとき、おそらく、想像の世界内に『何かしら汚れているという勘違いが起こっているのではないか』と、思いました。
では、その勘違いをどうやって払拭するか。強迫行為を持っていらっしゃる人ならば、何度も掃除をしたり、手を洗ってしまったりするのではないでしょうか。
では、汚れているとはなんぞや?
対象は人それそれでしょう。もしかすると、没頭した作品は『ホラー』関係だったのかもしれません。何かしらの、不潔なイメージを、刻み込んでしまったのでは? この考えを払拭するのには、『PTSDの呼吸法トレーニング』が有効かと思われます。
やり方は簡単です。
強迫観念がてたら、強迫行為をする前に、次の行動をします。
三秒吸って、三秒止めて、6秒かけて吐く。これを5〜10回ほど、続けます。
理由としては、『まず、強迫観念に抗うこと』これだけでも有効です。トラウマを消すための呼吸法であるため、続けることで効果が出ると思われます。精神的に疲れたときにも、別の呼吸法でとにかく落ち着く。落ち着くことこそ、大切です。
そして、できれば、自分に不利な想像を無視すること、ここでは否定すらしないこと。私は初め、強迫性障害を『イメージのコントロール不足』ととらえました。今では『ひとりブラック企業』と言っています。イメージをコントロールすることは、森田療法や暴露療法の、強迫観念にひたすら無心で向き合うということもやりました。例えるならば、『ぼやーっと、不潔だと思うことものを眺めるイメージ』すると、エッセイにも書いてある通り、『恐怖に慣れてきます』。
高いところが苦手な人や、大きな石像が苦手な人、金属の擦れる音が苦手な人は、ずっと高いところにいたり、奈良の大仏の前に吊るされたり、ゲームセンターのコインの擦れる音を聞き続けることで治る、というのをテレビで見たことがあります。強迫観念も同じかとお考えました。必ず、慣れます。汚いということを思っていても、汚いというだけで、汚いと思わない自分が出てくるかもしれません。
森田療法、暴露療法、この二つがその役に立つと思われます。そして、それらを行動することこそ、行動認知療法の第一歩と言えるでしょう、なぜなら、ずっと触れて(行動して)慣れている(認知している)のですから。
長文失礼いたしました。
コメントするということだけでも、もしかすると、手を洗うなどのことがるかもしれません。もしかすると、この文章自体に、そういう強迫観念を抱いた可能性もあります。
強迫観念を持っている人は、思考の中のモデリング(イメージ)という、現在現時点の現世から注目点は別のところに向いているかもしれません。もし、心療内科に通院しているのならば、ぼーっとすることを勧められることもあると思います。ここについても、少しだけお伝えしておきます。
ぼーっとする、というのは、普通の人は本来日常である程度は瞑想している状態だと思っています。瞑想にも幾つかあり、歩くこと、食べること、書くこと、描くこと、映画を見ること、仕事など、あらゆることに集中している場合があります。
イメージをより活発にする方法として、部屋を散らかすということがあります。これはすぐにかたずけろといいうのではなく、散らかっていることで集中力を分散させ、発想を得やすくするというものです。
では、反対に、イメージに縛られないためには、何かに集中するということです。
私は小説に集中したことで、かなり良くなったと思われます。確かに、途中途中に強迫観念はあったものの、その度に部屋の中を歩くなどの方法で別のことに集中しました。これは、意識的にではなく、おそらく自分が望んでやったことだろうとも思います。
腰痛の話を絡めるとすると、脳みそが思い込んで、腰痛を感じる場合もあるそうです。私の知るその話は、ラジコンヘリに夢中になったり、飼い犬に夢中になったりすることで、治ったと言えるところまで来たそうです。
『私がここでお勧めするのは、やはり瞑想です』
瞑想と言っても、イメージの世界にとらわれると、むしろ逆効果だという人もいます。正しくやることこそ、大切なのです。
瞑想のやり方。
まず、楽な体勢を取ってください。椅子でもベットでもいいです。目をつむって、安静にできる体勢になってください。
次に、目を瞑るまたは半開きにする。あまりこだわらなくても、何かに集中すればいいので、目覚まし時計の針に注目してもいいです。
そして、体のあちこちに意識を向けます。これは、ボディースキャンという、瞑想の方法で、体の感覚を正しく受け取る練習です。フローリングが冷たいとか、ストーブが熱いとか、シーツの肌触りから、体のコリまで、正しく受け取ります。
この受け取るという行為は、慣れるという行為にも似ているのではないでしょうか。
今、手元にある本だと、1日45分だそうです。あとは、体を動かす、歩くことはあるこことに集中することで、瞑想になります。
著書によると、寛容的になること。自分のすべてを受け入れることだそうです。
集中力を保つことはとても良いことですので、ぜひお試しください。
ここまで書いたので、結論を書きます。
『イメージをコントロールする。そのためには、慣れること。暴露療法、森田療法、そしてそれをすることこそ、行動認知療法』
『イメージから別のところに意識を向け、現在(瞑想や散歩、食事、今やっている行動)に没頭すること』
アドバイスとしては、この辺でも十分だと思います。あとは、自ら、自分を知ることで、より良い方法を見つけてください。では、ご武運を。
- まつげ
- 2019年 02月13日 12時33分
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