感想一覧

▽感想を書く
[良い点]
返信ありがとうございます。イデオロギストが絶対的な善を主張する事は有ると思います。しかし規制か自由かという議論では善悪は相対的に優劣をつけられることと思います。もちろん他者の権利を侵害しない範囲で個人の自由は最大限認められるべきです。これから人権意識が高まっていく中で公共の利益と表現の自由は社会に幅広く議論されていくと思います。
さて善悪の価値観の外に経済力があるという現状ですがこれって近現代の悪いとこだと思います。紛争や環境破壊といった問題を解決していこうという現代の潮流においてしばしば政治権力や巨大資本が悪事に手を染める、金や利害を優先してるからですよ。スターリンの被害者も国家経済の犠牲者です。
そりゃ個人としては金欲もゲスイ欲望も人一倍持ってますが、善悪の判断を金銭欲に委ねるなんて危険としか、また人間性を失いますよ


[一言]
いや社会的制裁でヘイトスピーチが止められなければ刑罰で対応という議論になりかねない ヘイトスピーチに限らず犯罪というのは未然に防ぐに越したことはないと思います。身バレしたネトウヨを見るに格差社会で将来の不安を外国叩きで発散しているのでしょう。そう考えると元凶は自己責任論だと思うし義務教育で適切な指導を受けられなかった日本社会の弊害が溢れて来たのかなと。
感想ありがとうございます。
「絶対的な善(だと、思われがちな主観的な善)」を勝ち取れば、人間やることは同じだということは、スターリン時代のソ連や戦前の日本を見れば、明らかです(そして、それは「スターリニズム」や「軍国主義」と呼ばれます)。この場合は「反差別」という「絶対的な善」がそれに当たるのですが、ご指摘の通り、ヘイトスピーチに対し、厳罰をもって臨むと言う論調はあり得るでしょうし、そういう主張を見かけることもあります。
もちろん、私はヘイトスピーチを擁護する立場ではありません。無いほうがいいと思います。
ですが、それをなくしていく過程で、過度に「反差別」という「絶対的な善」を振りかざした結果、誰も何も言えなくなるということを、何としても避けるべきだと考えます。この「二度目の人生を異世界で」の「発禁」問題は、このような事態を示唆する問題だと思います。
こう言った事態を、招き寄せかねない状況にどのように対応するかという話になるのですが、そうだよさんのご提言は、格差社会で不当に搾取されている「負け組」への「分配」を最適化し、将来への不安を取り除くことにより精神的安寧を与え、外国叩きによる不安の発散を防ぐということだと理解しました。つまり「絶対的な善(この場合はヘイトスピーチをなくすこと)」を「厳罰化」以外の方法で実現するということです。ですが、それだけでは、私の懸念である「誰も何も言えない」状況を防ぎ得るとは思えません。実際、そうだよさんが提唱する方法を実践する場合「負け組」への搾取を何らかの方法で辞めさせ、分配を最適化し、それでも「治らない」者には、再教育を施し改善を図る、といったところだと思います。「絶対的な善」に沿うやり方、という意味では「厳罰化」も「分配と、それを補完する再教育」も同じです。これらの施策を実施した結果「それでも治らない者」の末路が「刑務所」や「強制収容所」「精神病院の閉鎖病棟」という名前だけが違う実質同じ機能を持った施設であるということも同じです。これでは「収容所群島」と言われたスターリン時代のソ連と同じです。誤解しないで欲しいのですが、ヘイトスピーチをなくすことに反対しているのではなく、ましてや、ヘイトスピーチを黙認するべきだとも思ってはおりません。単一の「絶対的な善(と、思われがちな善)」に純化された問題意識で、何かをしようとすると「収容所群島」へのお先棒を担がされるということを指摘したいのです。
私が、このエッセイで「経済的価値」つまり「金の力」による対抗策を提唱したのは、金は「善悪」の価値体系の外部にある価値体系だからです。災害の義援金を募って集めた金も、投機で儲けた金も「金は金」ということです。
金は多く持っていればそれは強大な「力」です。それだけで十分に「善悪」の価値体系で支えられた「力」に対抗し得る「力」になります。そして、その「力」はその大小によって、相対的な差を生み出し、その差は「絶対的な力の差」を生み出します。簡単にまとめれば金(という力)の無い「善」は金という力によって屈させることができるのです(もちろん、金以外にも、軍事力など、他にもこういった「例外的な力」は存在しますが、思いついた中では「金の力」が最も想像しやすく、現実味があるも思ったので金の力にしました)。
表現の自由を破壊する「絶対的な善(と思われがちな主観的な善)」という暴君を倒すことができるのは、こういった善悪の体系の外にある、力であると思います。

また、ヘイトを行うネット右翼が、格差社会で搾取されている貧乏人と言うステロタイプも、疑問があります。経験も交えて申しますが、評論家の古谷経衝氏が指摘する通り(参考URL:https://www.j-cast.com/2013/09/07182928.html?p=all)ネット右翼は貧困に規定されて「格差社会によって幸福が得られなくなる不安」を紛らわすために、外国叩きに興じていると言う場合もありますが、ミドルクラス以上アッパークラス未満の中年が、ある日突然、ネットでネット右翼の言説に感化されるというパターンを多く見かけます。そして、彼らは「格差社会によって、幸福を得られなくなる不安」ではなく「日本社会によって得ている幸福が、反日勢力の策謀で失われる不安」によって「反日勢力」を憎悪し「切実に」外国叩きに奔走します。ネットで目立つタイプはどちらかというとこのタイプでは無いでしょうか? このタイプは現状の日本社会に満足していて、その満足が侵害される不安から「反日勢力」を叩きますが、日本社会に満足しているので、格差社会を改善できない安倍自民党政権に批判的どころか、「反日勢力」という憎悪の対象に毅然と立ち向かっているように見えることから好意的です。もし、ネット右翼が格差社会の不安を感じている層なのであれば、TPP問題の時に「安倍晋三は売国奴」ぐらいのことはいいそうなものですが、管見では当時そう言っていたのは「民族派」と言われる人たちで「ネット右翼」ではないと記憶しています。

そうだよさんのご感想は、大変多くの示唆をいただきました。悪く言えば、あなたの感想をダシに書きたいことを長々と書き散らしてしまいましたが、これに懲りずにまた、ぜひご感想をください。
↑ページトップへ