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[一言]
どちらかが絶対の正解とかではなく、悩んで決めたならそれがその人にとって正解なんだと思います

公平な正しさと理屈に委ねて命を計ってしまえば、その正しさと理屈に命の重さを肩代わりさせるようなものです
それは人が命の重さから逃避する事に他なりません

命を比べる事のない時代になったとしたら、その時人は自分達が知る人でなくなっているでしょうね

  • 投稿者: ぶとう
  • 2018年 08月29日 09時38分
思わず、読んでいて「おお~…………」と声を上げて唸ってしまいました。「公平な正しさと理屈」に委ねるのは良くない、とぶどうさんはお考えなのでしょうか。説得力があるな、と思いました。(違っていたらごめんなさい)
 「悩んで決めたら、それが正解」――――確かにそういう考え方もできますね。私は、今も悩み中ですが、もし私が「こっちが正解だ!」と結論にたどり着いたなら、それが私にとっての正解なのかもしれません。
「命を比べる事のない時代になったとしたら、その時人は自分達が知る人でなくなっているでしょうね」―――――ぶどうさんの最後のこの言葉に、ぞわっとしました。いい方向への変化とは限らない…………? 私は後書きで、とんでもないことをサラッと書いてしまったのでしょうか…………? 怖いので、このあたりで考えるのをやめます。すみません、怖いのは苦手なので。
 最後に。拙作をお読みくださり、また、感想をくださり、本当にありがとうございました!
  • 証明も反例も、証明も反例も為せない事の証明も為せない事の証明が出来る命題があるか、証明か反例か証明も反例も為せない事の証明か、証明も反例も、証明も反例も為せない事の証明も為せない事の証明を為せ。
  • 2018年 08月29日 19時13分
[一言]
自分はこういう話に疎いので回答になっていないかもしれません。


もしも人の命が皆、平等ということになるのではあればどうあがいても二人の人が乗った皿の方が重いということになってしまいます。

しかしそうすることができないのが人あるいは生き物の命です。


「人の命に重いも軽いも無い」という人がいれば、
「大変な偉業を成し遂げた人や、世界的に有名な資産家、人々を救ってきたヒーローの命の方が重い」という人、
「何の力もない人々だからこそ、その命は重い」という人がいるかもしれません。
そして、「その人は自分にとって大切だからその命は重い」という人、
「その人は嫌いだからその命は軽い」という人。
その人の考えによって人の命はさまざまな重さに変わってしまいます。

けれどそれは果たして本当に命の重さなのでしょうか?

自分は「人の命に重いも軽いも無い」この考えの人以外の考えはすべてその人の主観的な命の価値(ランク)だと思います。

というか、命に価値(ランク)をつけなければ人は生きていけないのではないかと思います。

でなければ他の動物や植物を殺して食べる何てこともできません。
言いかえてしまえば自分自身が殺されて食べられてもいい、ということになってしまいます。

ですので人は命を重い軽いで判断するのではなく命と命、どちらの価値が高いのかで決めているのかもしれません。

もしかしたらそんなことはなく、ただ直感的かもしれません。

それは誰にも分からないと思います。神にさえ。

ですので自分の答えを出すとすれば「自分には決められない」
これが答えです。


いつか、こんなことを考えなくてすむ世の中になってほしいと自分は思います。





  • 投稿者: 風凪 紫
  • 2018年 08月28日 22時06分
疎いだなんてとんでもない! 大変筋の通った貴重なご意見・ご感想をいただき、ありがたいです!
 失礼ながら、ヨーグルト紫味さんは私と考えが少し似ているかもしれない、と個人的には思いました。
 わたしは、いまだに答えを「自分では決められない」でいます。
 ヨーグルト紫味さんは、「自分には決められない」と考えている。
 異なりますが、少し似ている気がしました。
 それに私も、「いつか、こんなことを考えなくてすむ世の中になってほしい」と思っています。なんだか嬉しいです!
 「それはだれにも分からないと思います。神にさえ」————この言葉が心に残りました。真の答えは、神にも分からない…………それぞれの人に答えがあるのでしょうか。私には、まだ分かりません。
 さて。これほどの長文を書くのには、時間もかかったことだと思います。それだけの労力をかけて拙作を評価してくださるというのは、大変恐縮な思いでありつつ、光栄に思います。
 貴重なご感想、ありがとうございました!
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  • 2018年 08月29日 19時45分
[一言]
「ぼく」はただの観測者なんだよね。秤の傾きに何一つかかわってない。
でも、夢を見ているのはぼくで、観測者になりたがってる当事者でもあるのかな。

ちなみに、悟りを開き解脱すればわかるって宗教家は言っとるで、修行してみよう。

なしたら教え導いておくれ。
  • 投稿者: 雉杜
  • 2018年 08月28日 16時46分
 ご感想、ありがとうございます!
 「ぼく」は、 雉杜さんの言う通り「観測者になりたがっている当事者」なのかもしれませんし、そうでないのかもしれません。どうぞ、想像力の赴くままにご自由にお考えください。作者の私がどう考えているかは…………ふっふっふ、ナイショです。すみません。
 悟りを開くのは…………もうちょっと生きてから考えます。年を取ってから悟りを開くのは良いかもなあ、とは思う事もあるので。
 貴重なお時間をいただき、感想まで書いていただき、大変ありがたいです!
 本当にありがとうございました!
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  • 2018年 08月28日 20時58分
[一言]
そもそも論なるかもしれませんが命はの定義によって命が平等であるか否かは変わると思います。
もし命の定義を心臓が動いているなどといった生命活動をしている状態とするなら平等と言えると思います。
なので仮に天秤に載せたなら人数が多い方に、傾くと思います。

しかし、命はの定義を人の状態を含めた(お金持ちやヒーローといったもの)その人の全てとするなら平等ではないと思います。
仮に天秤にのせたなら、測る人によって傾く方が変わると思います。
これは私個人の、考えなので、他の考え方の人も当然いると思います
  • 投稿者: 黒音
  • 15歳~17歳
  • 2018年 08月28日 14時59分
 ご意見、大変興味深く拝見いたしました。
 命の定義によって平等かが変わる…………なるほど、そういう考え方もあるのですね。黒音さんのおかげでまた一つ賢くなることができました、ありがとうございます。
 生命活動をしている状態か、その人の全てか…………確かにどちらを取るかで天秤の傾き方は変わってきそうですね、同感です。
 「他の考え方の人も当然いると思います」――――この言葉を最後に書けるという事に、黒音さんの寛容さ・優しさを感じました。私も見習って、自分が正しいと思い込んで他人に怒ることなどが無いよう、注意して生きていきたい次第です。
 わざわざ時間をいただき拙作をお読みくださり、感想までいただいて大変嬉しいです! 本当にありがとうございました。
  • 証明も反例も、証明も反例も為せない事の証明も為せない事の証明が出来る命題があるか、証明か反例か証明も反例も為せない事の証明か、証明も反例も、証明も反例も為せない事の証明も為せない事の証明を為せ。
  • 2018年 08月28日 20時31分
[良い点]
私が直感で選んだのは、1.二人 2.一人(ヒーロー) 3.一人(金持ち) 4.二人(嫌いな人) 5.一人(自分の大切な人)でした
 なるほど! 興味深いです。私自身、自分の答えはいまだに定まっていないのですが、絶対に選べと言われたなら、1番と5番は同感かなあ、という気がします。
 ふうりんさんの直感で、2番と3番は一人の方を選んだのに対し、4番の方は二人の方を選んだのは、現実と優しさが混在した風鈴さんのお人柄をよく表しているのかもしれませんね。個人的な直観を申し上げますと、ふうりんさんは、現実に対応しつつ優しさも忘れない方のような気がします。

 拙作をお読みいただき、手間をかけて感想まで書いていただき、大変ありがとうございました。
  • 証明も反例も、証明も反例も為せない事の証明も為せない事の証明が出来る命題があるか、証明か反例か証明も反例も為せない事の証明か、証明も反例も、証明も反例も為せない事の証明も為せない事の証明を為せ。
  • 2018年 08月28日 20時12分
[一言]
面白い挑戦というか、哲学ですね。
  答えになるか判りませんが。
1、良い人悪い人は法治国家である以上、差が出ます。
2、金持ち貧乏、民主主義、共産主義、思想国家である以上差が出ます。
3、好き嫌いな人、宗教思想がある以上差が出ます。
4、家族か以外か、人間が人間である以上差が出ます。
極論ですが、人間は所詮猿と一緒ですが、猿は猿でも理性がある分、厳しい猿です。
 猿=生物である以上、食物連鎖からは逃げられません、生物である以上生存本能からは逃げられません、よって生存率を上げるために他者を頼り上下関係が生まれ、他者を見捨てて家族を守り、そうして猿山=国家を作り、理性があるから法律=安心を求めます。
 命は平等と仰りたいなら、思想国家法治国家の国民である以上、無理ではないかと思います。
 どうしても平等を求めるなら、国民の立場を完全に捨て、どこの国家にも属さない土地で完全自給自足で、独りきりで誰にも頼らず生活するしかないでしょう。それがだめなら、某アニメでのセリフにも有りましたが、「目と耳と口を閉じて静かに生きろ」しか無いと思います。
 生きるって難しいですね、でも、幸せって案外身近にあるもんです。
 わざわざ手間をかけた感想、大変ありがたいです。
 一見厳しい意見かとも思いましたが……おっしゃる通りですね。完全に納得したわけではないですが、確かに「命は平等ではない」ですね。
 ただ、それでも心のどこかで平等を求めてしまうのが人間ではないか、なんて思ったり……。
 私は、完全に「命は平等」と思っているわけではなく、また完全に「命にはっきりとした優劣がつけられる」と思っているわけでもありません。正直、まだ勉強不足で自分の中で答えは出ていません。これからも考えていこうと思っています。
 最後のお言葉「生きるって難しいですね、でも、幸せって案外身近にあるもんです」に、救いを感じました。
 お読みくださり、ありがとうございました。
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  • 2018年 08月26日 17時41分
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