感想一覧
▽感想を書く[一言]
うーん、商業小説の問題は、業界の文学的な知的探求として、世界および政治を無視し続けた結果、敗戦国主観のままニッチな個人に耽溺しすぎたせいだと思いますよ。
文学的なダイナミズムとは、時代における人々の動き、つまり国内情勢や世界情勢とリンクしてしかるべきで、であるなら、最新の右翼思想とまではいかなくとも、最新の保守的傾向において、向き合う事すらできないのは逃避。
未だに敗戦直後のふわふわした革命思想としてのユートピアイズムを引きずって、もしくは、今やすでに否定されている原始共産主義を前提とした小さな政府理論とかね、それでしまいには反米反日の親中親欧で『日本人なんて止めや、今日からコスモポリタンや』『臥薪嘗胆や!』『サムゲタン!』『コムタン!』『アンニョンハシムニカ』『せーの!』『アベやめろ!』。コレですからね、もうね、反知性どころか、ゾンビです。
若者だって現実を生きてるし、むしろ、中年や年寄り以上に現実に対して切実だから、文学、小説、物語において、そりゃ、そうした現実を土台にした、あるべきストーリーというか、もしくは、提案すべき生き方というか、そうしたものを提示できなきゃ、そりゃ、手にしないでしょ。
センチメンタルな恋愛ものでもいいけど、なんで、そこにかならず、ゲイとかレズとかエイズの話とかがあるわけ?
それって、リアルじゃないよね。
病気ものでもいいけどさ、でも感動ポルノで留まって、そこから先がない。まじでクソ・クソ・クソ&クソ。島本理生とか、特に読んでてイライラするわ。どこぞのトレンディドラマかいな? それ現実の日本かいな? 失われた30年とか、震災とか、外国人が氾濫している街の景色とか、又は少子化で過疎化した地方都市とか、そーいうのないんかいな?
なんや、その都合よく作られたような世界は、なら、まだファンタジーにせいや、その方が少しは説得力があるわ。
あと、いくらエンタメで現実逃避だとしても、それなら都合よくサヨク的な社会問題を絡めるなや!って思うわ。
小説はフィクション、ウソでしかない。だけど、そのウソを語る作家を信頼して、読者はそれを読む。
だから、ウソだとしても、そのウソの中に、作家の思想もしくは理想、もしくは現実感覚っていう奴を、求めて読んでいる。
だから、それだけの説得力を作家はもっていないといけない。 だから、左翼的なテンプレ的ストーリーとか、なろうテンプレ以上に、お腹いっぱいなんすよ。
それが本当に読者に届いていると思っているんだろうか。
そもそも病気モノとか卑怯だと私は思うですよ。なろうだけど『君の膵臓を食べたい』とか、泣かせものは、嫌いなんですよ。そんなん泣くにきまってるしょうに。
『いつもさ、教室にすみっこにいるあの娘とさ、偶然、街で出会って、なんか仲良くなってさ。俺って恋愛とか無理とか思ってたけど、たぶん好きになったんだ。そしてたぶん相手もそうじゃないかなぁとか。デートっていうのをした。定番の映画とか遊園地とか海とか。でもさ、死んじゃったんだ。病気だったんだってさ。俺は最初はちっとも、でもだんだん分かってきてさ、彼女の親友っていうの? そいつから教えてもらった。けどさ、分からないふりをしてた。彼女も普通がいいんだろうと。でもさ、なんとなく永遠だと思ってたんだよ。そうだろ。彼女の手に触れた瞬間のさ、やわらかくて、暖かい感じが、今でも残っている。シャンプーの香りにドキドキしたあの瞬間も。』
こうしたもんは、すべからくテンプㇾ。愛した誰かが死ぬ話を読んで、泣けないってのは、相当にへぼな話か、読み手が感動したくないって抵抗しているかぐらいでしかない。
舌ったらずで言葉足らずで語っても、通じるもの。
だから、嫌いなんだよ。病気もんの恋人が死ぬ話は。
あざとすぎて、作家がそうしたテーマのみを抽出して扱う姿勢そのものを軽蔑すんだよ。そんなん物語にして卑怯だなって。
でも、宮本輝の『星々の悲しみ』は別だけどな。あれは、まぁ、別格や。
長文しつれいしました。
うーん、商業小説の問題は、業界の文学的な知的探求として、世界および政治を無視し続けた結果、敗戦国主観のままニッチな個人に耽溺しすぎたせいだと思いますよ。
文学的なダイナミズムとは、時代における人々の動き、つまり国内情勢や世界情勢とリンクしてしかるべきで、であるなら、最新の右翼思想とまではいかなくとも、最新の保守的傾向において、向き合う事すらできないのは逃避。
未だに敗戦直後のふわふわした革命思想としてのユートピアイズムを引きずって、もしくは、今やすでに否定されている原始共産主義を前提とした小さな政府理論とかね、それでしまいには反米反日の親中親欧で『日本人なんて止めや、今日からコスモポリタンや』『臥薪嘗胆や!』『サムゲタン!』『コムタン!』『アンニョンハシムニカ』『せーの!』『アベやめろ!』。コレですからね、もうね、反知性どころか、ゾンビです。
若者だって現実を生きてるし、むしろ、中年や年寄り以上に現実に対して切実だから、文学、小説、物語において、そりゃ、そうした現実を土台にした、あるべきストーリーというか、もしくは、提案すべき生き方というか、そうしたものを提示できなきゃ、そりゃ、手にしないでしょ。
センチメンタルな恋愛ものでもいいけど、なんで、そこにかならず、ゲイとかレズとかエイズの話とかがあるわけ?
それって、リアルじゃないよね。
病気ものでもいいけどさ、でも感動ポルノで留まって、そこから先がない。まじでクソ・クソ・クソ&クソ。島本理生とか、特に読んでてイライラするわ。どこぞのトレンディドラマかいな? それ現実の日本かいな? 失われた30年とか、震災とか、外国人が氾濫している街の景色とか、又は少子化で過疎化した地方都市とか、そーいうのないんかいな?
なんや、その都合よく作られたような世界は、なら、まだファンタジーにせいや、その方が少しは説得力があるわ。
あと、いくらエンタメで現実逃避だとしても、それなら都合よくサヨク的な社会問題を絡めるなや!って思うわ。
小説はフィクション、ウソでしかない。だけど、そのウソを語る作家を信頼して、読者はそれを読む。
だから、ウソだとしても、そのウソの中に、作家の思想もしくは理想、もしくは現実感覚っていう奴を、求めて読んでいる。
だから、それだけの説得力を作家はもっていないといけない。 だから、左翼的なテンプレ的ストーリーとか、なろうテンプレ以上に、お腹いっぱいなんすよ。
それが本当に読者に届いていると思っているんだろうか。
そもそも病気モノとか卑怯だと私は思うですよ。なろうだけど『君の膵臓を食べたい』とか、泣かせものは、嫌いなんですよ。そんなん泣くにきまってるしょうに。
『いつもさ、教室にすみっこにいるあの娘とさ、偶然、街で出会って、なんか仲良くなってさ。俺って恋愛とか無理とか思ってたけど、たぶん好きになったんだ。そしてたぶん相手もそうじゃないかなぁとか。デートっていうのをした。定番の映画とか遊園地とか海とか。でもさ、死んじゃったんだ。病気だったんだってさ。俺は最初はちっとも、でもだんだん分かってきてさ、彼女の親友っていうの? そいつから教えてもらった。けどさ、分からないふりをしてた。彼女も普通がいいんだろうと。でもさ、なんとなく永遠だと思ってたんだよ。そうだろ。彼女の手に触れた瞬間のさ、やわらかくて、暖かい感じが、今でも残っている。シャンプーの香りにドキドキしたあの瞬間も。』
こうしたもんは、すべからくテンプㇾ。愛した誰かが死ぬ話を読んで、泣けないってのは、相当にへぼな話か、読み手が感動したくないって抵抗しているかぐらいでしかない。
舌ったらずで言葉足らずで語っても、通じるもの。
だから、嫌いなんだよ。病気もんの恋人が死ぬ話は。
あざとすぎて、作家がそうしたテーマのみを抽出して扱う姿勢そのものを軽蔑すんだよ。そんなん物語にして卑怯だなって。
でも、宮本輝の『星々の悲しみ』は別だけどな。あれは、まぁ、別格や。
長文しつれいしました。
長文の感想、ありがとうございました。
- カキヒト・シラズ
- 2018年 09月03日 08時46分
[良い点]
物事を表層だけ捉える人たちからは、妙なことをやっていると思われて叩かれてしまうんですね。
大目標は何なのか。
そのために、何をすればいいのか。
そして……すべきことが突飛だった場合でも、行うことが出来るか。
色々と考えさせられました。
物事を表層だけ捉える人たちからは、妙なことをやっていると思われて叩かれてしまうんですね。
大目標は何なのか。
そのために、何をすればいいのか。
そして……すべきことが突飛だった場合でも、行うことが出来るか。
色々と考えさせられました。
感想ありがとうございます。
批判的意見が来るかなと恐れていたのですが、好意的意見でしたので光栄です。
批判的意見が来るかなと恐れていたのですが、好意的意見でしたので光栄です。
- カキヒト・シラズ
- 2018年 09月02日 11時38分
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