エピソード1500の感想一覧

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[気になる点]
 努力を再定義しなければ矛盾は解消されません。こんなアドホックな解決では900,1500回のみならず作者様の全作品の信用すらなくなります。
 集合的無意識の考え方で世界そのものを量子論の対象とする作者様の理論は集合的無意識にアクセスする努力の存在によって破綻していると思っています。
[一言]
 ちょい悪令嬢(誰もが男も女も好きになる可能性があるという主張、一人だけ愛する可能性しか考慮されていないのは意味不明)とバイセクシャル(自分が男も女も好きになる可能性があるという主張)で主語の大きさに違いがあれど全く同じ主張をしているのに、前者が後者を貶す586,587回、
東京一極集中(富、人の偏在)を絶対善と主張しておきながら主旨は地方交付税(富の再分配、遍在)のメリットであり、しかも他国の制度や経済以外の要素と比較しないためテーマ(東ロシア大陸人にとって良い国とは?)的にも全くわからない688回、
恐らく辞書的には達成や克服にあたる意味を努力という言葉に当てはめる誤用を犯し夢や目標を叶えられなかった者(つまりほぼ全人類)を努力不足と罵った899,900回、
ネット=疑似集合的無意識の影響の都合の良い可能性(危機予測)ばかり取り上げ都合が悪い可能性(犯人の動機や発想の元になったかも)を無視した1133回、
異能棋戦血風録のときの結論(『絶対負けない手』といった消極的肯定判断の繰り返しこそ幸福)と完全に矛盾しており、その変遷もみられないために破綻している1344回、
『現状が努力の成果』と言ったすぐ後『現在の自分は結果ではなく過程』というようなことを言う1500回など数多くの論理破綻回がありますが、一番破綻しているのは900回だと思います。

 そもそも全てが確率的であるとする量子論者が親ガチャを否定するのは酷く筋が悪く、やるとしたら更に発展させて『親の影響すら確率的である』という主張をしなければなりませんでした。
 しかしちょい悪令嬢の努力論はそこから離れたところにあります。例えのアニメ配信など各関係者(他者)の努力を個人のものとする傲慢さもさることながら、『努力は報われる。報われるのが努力』といった無意味なトートロジー、努力のところを運に変えるだけで全く逆の結論になり努力の意味がそもそも誤りであるためにそれに反論することができない論理的脆弱性、努力の意味を社会のせいにするちょい悪令嬢が反面教師の女性議員と重なるダブルスタンダード、そして何より断言することで今まで積み上げてきた量子論的立場、信用を完全に捨て去ってしまったことも含めて最悪な努力論だと思います。

 まず『一瞬前後の過去未来ですら可能性に過ぎないため不断の努力などありえない』という前提をちょい悪令嬢はしっかり認識することが大事です。
 お久し振りです!

 今回も熱のこもった感想を賜り、真にありがとうございます!

 しかも第1500話だけでは無く、他のエピソードも多数読み込まれているようで、光栄であります!

 さて、ご指摘いただいた、拙作における様々な誤謬や矛盾点については、連載が長期にわたっていることの弊害として、反省すべきは当然のことでしょう。

 ただし一つだけ言えるのは、『物事と言うものはすべて、捉え方によって変わってくる』と言うことです。

 本作の連載も今や1700話を超えておりますが、『……ただ惰性でここまで来た』と思うか、『いろいろと苦労が有ったけど、やっとここまでたどり着くことができた!』と思うかで、天と地ほどの差が有るでしょう。

 国会議員の女性進出も、そうです。

「現在のシステムは、女性が国会議員になりにくくなっている!」と、さも当たり前のように訴えていますが、ほんの少しでも『男性の立場』に立てば、けして正しくは無いことが理解できます。

 ──なぜなら、ただ男に生まれただけで、誰もが楽して国会議員になれるわけでは無いのだから。

 男とか女とかにかかわらずに、不断の努力をした者だけが、国会議員になれるのだから。

 そう言った意味では、第1500話に書かれていたことは、非常に単純明快だと思うのですけど?

 人は誰も、成功者も敗北者もいない。

 なぜなら、人は生きている限り、努力をし続けなくてはならず、

 誰もが現時点においては、『努力の過程』にいるのであり、

 今の自分こそが、これまでの努力の『成果』であり、

 今の自分を『失敗』とか『敗北者』とか決めつけるのは、自分のこれまでの努力の否定であり、これから努力することを放棄しようとするための、単なる『言い訳』に過ぎないのだ──と。

 ……これってまさに、某有名バスケ漫画における、『諦めたらそこでゲームセット』とまったく同じですよね☆
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