エピソード900の感想一覧

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[気になる点]
 第一に、矛盾に陥っていながらそのことに気付いていないように思われることです。
 この作品的に言えば努力は決定論的で排除もしくは定義の変更をしなければならないのに、そういうアプローチを行わず放置しているのはよくありません。

 第二に、主張したいことが主張できていないことです。
 『どんな汚い手段を用いようとも必ず目標を達成すること』が努力でなければならない理由が一切示されていないため、克服や才能や運のような言葉でも本当の意味と言い訳すれば成り立ちます。したがって親ガチャといったものを全否定することができません。

 第三に、努力の意味を万能にしすぎていることです。
 願望が叶えられなかったら努力不足で元々そんなに叶えたかった願望では無かったといった発言から、努力によって内心を規定されるらしいのですがこのことをうまく利用すれば人格攻撃ができるため努力あるいは努力不足という言葉そのものを使いづらくしているのが気になりました。メリーさん太が反論できないのも納得です。 

 第四に、バイセクシャルを悪にしている回のときも思いましたが、ちょい悪令嬢と悪い例が私には同じに見えるということです。
 選挙結果を有権者のせいにしている候補者と努力の意味を社会のせいにしているちょい悪令嬢が重なってみえました。
[一言]
 この回や東京一極集中を絶対善だと主張する回などまれにとんでもなく論理展開が雑な回があります。そのような回はメリーさん太が全く食い下がらずよくある疑問すら解消できてないのでその点を気にすると良いと思います。
 どうもお久しぶりです!

 またまたご丁寧なご感想をいただき、誠にありがとうございます!

 さて、ご指摘の第900話についてですが、これは要約すると、「『親ガチャ』なんて存在しない、要は本人の努力次第だ』と言うものだったと思いますが、基本的には現在においても、考えは変わっておりません。

 ──ただし、かなり時間が経過しており、分楽博打様のご指摘もごもっともと思われる点も少なくありませんので、現在の心境に基づいて、『第三の道』を模索してみたいかと存じます。

 具体的に申せば、例えばある女性が国会議員になれなかったのは、『本人の努力不足』だと決めつけましたが、これについて訂正させていただきます。

 ぶっちゃけ、この世には『努力不足の人間』なぞ存在せず、現在の状況はすべて、本人の『努力の結果』と言えるのでは無いでしょうか?

 例えば、女性で弁護士をしながら国会議員になることを目指している方がおられるとします、たとえその方が何度挑戦しても議員になれなかったとして、その人は本当に努力不足なのでしょうか?

 否!

 その方は国会議員になれずとも、現時点で弁護士であられるのです!

 弁護士になるためには、どんなに不断の努力が必要であることか!

 これは別に、弁護士とか国会議員とかの、特別な職業に限った話ではありません。

 たとえ現時点において、平凡なサラリーマンであろうが、専業主婦であろうが、それはご本人の努力のたまものであり、これからも努力を重ねていくことに関しては、国会議員や弁護士と比べても、何の変わりも無いのです。

 別に国会議員にならずとも、いいじゃ無いか!

 良き夫であり、良き父親であれば、それでいいです!

 別に弁護士にならずとも、いいじゃ無いか!

 良き妻であり、良き母親であれば、それでいいです!

 本当に駄目なのは、現在国会議員や弁護士どころか、良き夫でも良き父親でも良き妻でも良き母親でも無いことを、人のせい──特に、『親ガチャ』のせいにすることなのです!

 たとえ現時点においてどのような立場にあろうが、それはひとえに『本人の努力の結果』以外の何物でも無いのです。

 仮にそれが自分にとって真に望んだもので無かろうとも、いつまでも人のせいにし続けていたのでは、自分自身はもとより、周りの人をも含めて、けして幸せにはなれないでしょう。
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