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感想一覧

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[一言]
 一言で言うと「生きる意味など無い」人間なんてそこらの蟻んこと一緒ですよ。がしかし、生きた事に意味を持たせる事は出来る。子孫を残すとかね。小さい事だと一人の心を動かした事にも、あなたの生きて居る事に価値を見出せるのではないのでしょうか?

 少なくも私は、感想を書いて見ようかな程度には心を動かされた。

 意味を見つけると言う程片肘を張らずに、生き甲斐を見つける位にして置いたが楽に生きれるとは思いますがね。

  • 投稿者: 星 武臣
  • 男性
  • 2018年 10月23日 23時18分
感想コメントありがとうございます。

生きることに意味を持たせることが出来る、素晴らしいです。
その通りだと思います。

子孫を残すことは多分僕には出来ませんが、誰かの心を動かすことなら僕にだってできるかもしれません。
ありがとうございます。
  • 山城 圭
  • 2018年 10月24日 07時03分
[一言]
生きる意味なんて、教えられないです。
私も、生きてるんだか死んでるんだか分からない。
体は健康だし、社会的にも「生きてる」と言えるけれど、心は体から離れて自由になりたがっている。

自殺は、出来ればしたくないですが・・・。
だから、詩や物語の中の世界で、遊ぶのです。
現実は変えがたい(自分だけの問題では無くなるから)けれど、思考は、自由なはずだから。
  • 投稿者: 退会済み
  • 30歳~39歳 女性
  • 2018年 10月23日 06時31分
管理
感想コメントありがとうございます。

やはり生きる意味なんて分からないですよね。

その通りです。
その点、文学は素晴らしいと思います。
  • 山城 圭
  • 2018年 10月23日 22時58分
[一言]
 生きる事は意味を越えてるんで、意味があるとしても、後付けでしかないっす。
 だから、生きる意味を求めて生きることは、すべての人にとっての真理になりえます。

◆
 生きることは、自意識をこえて在ります。
 意識しなくとも心臓は動くし、呼吸はするし、腹が減れば、食べ物を欲するし、何かを食べておいしいとか思う事もそうです。
 それは、自意識を越えた、自然発生する衝動もしくは感情です。

 生きること、そこにおいて、喜怒哀楽があります。
 それは、自意識として規定するまでもなく、自然として備わったものです。
 そこにおいて、意味を規定するのは、個々それぞれにおいてあります。食べる事が好きな人、眠ることが好きな事、しゃべることが好きな事、それらは、すべて、身体的な衝動が根っこにあって、後々に、己の気質としての好き嫌いにおいて、意味付けしたものにすぎません。
 そうした、身体的な、根源的な衝動から、精神的な意義として昇華させるのが、いわゆる文化といわれるものだと思います。
 食事をするときに、美しくたべよう、とか、又は、己の食欲を抑制しながら、少量だけたべよう、とか。
 つまり、己の精神性、そこにおける美を追求するわけです。

 美とは何か?
 それは、美しいとか醜いとかだけじゃなく、快か不快かも含まれ、そして、そこから、善悪といった秩序や混沌における感覚というものに到達します。
 これを、美意識といいます。
 意識の枠組み、の、形、です。
 英語では、パラダイム、といいます。
 物語論でいうなら、これを世界観と言います。世界観とは、『ある立場から観る世界の意味』ですか、これは、裏返しすると『ある世界を感じている、個人の価値認識』となり、つまり、パラダイム、美意識となります。

 自分の好きな事、嫌いな事、を、探してみるといいと思います。
 それは理屈を超えてあるモノです。
 好きとか嫌いの理屈というのは、後付けの考察にすぎません。その正しさも、その時の正しさに過ぎないこともよくあります。


とても考えさせられる感想コメントありがとうございます。

意味があるとしても後付け、その通りなんですよね。
僕はそれを分かっているつもりだったのに、自分で納得のいく意味を見つけようとして深く考え過ぎてしまっていました。
自分がふとした時に好きだと思えるものを1度探してみますね。
ありがとうございます。
  • 山城 圭
  • 2018年 10月21日 20時58分
[一言]
はじめまして、私もよく子供の時から同じ事を考えてました。

大人になった今もそうですが、お葬式に参列しても何処か覚めている自分がいます。

悲しんでる己を客観的に見てる自分、薄情だなぁとつくづく思います。

人間は死に行き、後の世に何かを遺す為に生きてると私は思ってます。

花が種から芽を息吹き、そして成長し、花開き、再び種を残して枯れて行き、その身は大地の栄養となり、種に力を与える事を、地球が出来上がり植物が生まれてから淡々と、繰り返している、それに習う様に生きてるかと、

私事ですが、私の父親は自ら亡くなりまして、発見したのは高校生の私、人口呼吸をしましたが、父親の望み通りに天国に逝かれました。

まわりは弱い父親とか言われましたが、生きる力を無くなる迄頑張った故の行動、仕方ありません。

しかし、問題なのは私、そんな時にも取り乱さなかった私は何処までも冷たい人間と、今も思ってます。

なので今もよく考えます。『死』とは何か、生きるとは、何か。考えるのも一生、考え無いのも、一生、

同じ時を過ごすなら、私は万物の全てに深く考え生きていたいです。

それだけで、生きてく意味は十分、空を見上げて雲は何処から生まれて消えて行くのか、そんな事をほやーんと気楽に考えてたら、世の中もなかなか面白いです。

深く考える貴方の事を、応援してます、頑張ってくださいね
はじめまして。
感想コメントありがとうございます。

僕と似たような境遇なのではないかと思いました。
物事は考え方次第だと思うので、明るく考えれば案外楽しいのかもしれませんね。
ありがとうございます。頑張ります。
  • 山城 圭
  • 2018年 10月21日 13時22分
[一言]
>でも、一度死んでしまったらもう生き返ることは出来ない。

それなら、生きるだけ生きてみてからでもいいと思うんだ。


ここにご自身の思いが集約されているように感じました。

私は中学校の時にいとこが病死したのですが、受験前だったことを理由に葬式にも参加しませんでした。
後々参加しておけば良かったと、二十歳を過ぎても罪悪感が残り、そんな悪人である(と、私はずっと思っていました)自分が生きる理由を真剣に探していました。

なので、今、悩みぬいているこのエッセイはまるで過去の私のようであると感じました。


生きる理由は、御作の中にもありました「愛」これを学ぶために尽きると思います。

恋人を作ることだけが愛ではありません。

年をとると、だんだんと親が老いてきて、その面倒を見なければならない場面も出てきます。
そのときに嫌な顔ひとつもせず、親のシモの世話ができることも立派な「愛」です。

生きる理由を学ぶにあたり、急ぐ必要はありません。

急ぎ過ぎると、人は自殺してしまうのかもしれませんね。

生きられる瞬間ひとつひとつを大切にして、一日一日、誠実に生きていけば、だんだんと分かってくることもありますよ。

陰ながら、真摯に問う生きる意味を探す旅路、応援しております。
長文での感想コメントありがとうございます。
とても嬉しいです。

たしかにそうですね。
愛は、恋愛的な意味だけではないですもんね。
また一つ考えが深まったような気がして、嬉しく思います。

自分らしく、ゆっくりと、生きていきます。
  • 山城 圭
  • 2018年 10月20日 22時14分
[良い点]
山城圭さん、こんばんは!最初から最後まで読んでいて、この人はよく死について考えたんだなぁとしみじみと思いました。なかなか凄い。死について考えると無感動になっていく気がします。葬儀のなかで涙が出なかった。それは貴方が冷酷だからではないと思います。私も知人の葬儀の席では涙がでませんでしたし、眠ってるようだなぁとしか感想がでてきませんでした。そうそう。死の覚悟、というのは動じないことではないでしょうか。貴方が不安なのは、知人と重ねてしまうからなのかもしれません。ただ貴方と知人は存在として別人です。なので貴方が知人のようになる必要はないですよね。死について思いを馳せるのは、私は良いことだと思います。皆が見ないものを見る。見たくないものについて考察する。それは素晴らしいことです。ただ、死というものは良くも悪くも重いので、それだけに目を向けると腕を捕まれてしまいます。だから客観的に考察することをおすすめします。深く深く踏み込むのは、準備ができてからでもいいのではないでしょうか。なぜ人は生きるのか。素晴らしい問いで、一生をかけて探求していくのも悪くないです。ただ私は「貴方はどう死にたいのか」。こちらも重要なんじゃないかなぁと思っています。こっちの方が解りやすくて私は好きです。疲れた時は日向ぼっこでもするといいですが、この時期の風は身体にこたえます。なので貴方の好きなことでまったりとしてください。死について考えるのは、ゆっくりと休んで気力が回復してからでも遅くはありません。楽しいことも十分楽しんで、死について考える。そうすればいつのまにか奥深くまで踏み込んで、帰ってこれない。そんなこともなくなると思います。けれど一生懸命考えている人は、私は結構好きです。考察に富む文章をありがとうございました.
  • 投稿者: 文月優
  • 2018年 10月20日 21時56分
長文での感想コメントありがとうございます。
少し泣きそうになってしまいました。

自分でもそうだと胸を張れるくらい、死についてはよく考えました。
僕が冷酷ではない、という僕が一番かけてほしくて、でも誰にもかけてもらえなかった言葉を今初めてかけてもらえて、とても嬉しいです。感謝しています。
「どう死にたいのか。」とても考えさせられますね。
でも、生きる意味、より暗くならずに考えられそうです。
本当にありがとうございます。
  • 山城 圭
  • 2018年 10月20日 22時18分