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[一言]
>>初等講座
『太公望』

作者様がどういう意図で書いたかはわかりませんが、感想としては悪意ある話です。

>> ただ優秀なだけでは、誰も認めてはくれず、必要ともしてくれません。その優秀さが初めて輝くのは、事を成し、他人の役に立った時です

優秀でない人間に、認められず、必要ともされなくても、優秀さは輝きます。
清い心の持ち主だけを乗せる空飛ぶ絨毯。悪しき心の人間が、「敵だけを乗っける可能性のある物だ」と言って燃やしても、その空飛ぶ絨毯は良いものです。
たとえ世界中の全てが乗れなくても、それは絨毯が優秀でないのではなく、世界中の全てが優秀でなかったにすぎません。

……といっても、私たちは絨毯ではなく人間なので、本当にその判断が正しいのかを自分に問う必要があります。そして、なんの保証もないですが、最終的には決めなければなりません。
開国派と攘夷派で、結果論的には開国して文明開化しましたが、攘夷派が通ったときにどうなったかは誰にもわからないのでどちらが悪かはわかりません。ですが、彼らは自分たちが優秀だとして生きたのでしょう。幕末はうわべしか知らないですが……
攘夷派が開国派からしたらテロリストであれば、開国派は攘夷派からしたら恥知らずです。そういう意味では、どちらも評価されず、疎まれています。

太公望という周国の偉人を会うにも値しない悪しき者だとして、それを処刑されると知った上で処刑されたのであれば、狂矞は自分自身に対して優秀な人間であったのでしょう。そもそも彼は太公望に評価されようとも思っていないですし。

なんにせよ、多数派に評価されるため、敵を作らないためという理由で自分を曲げる人間は間違いなく優秀ではありません。ただただ都合が良い人間です。
たとえ敵に燃やされても、それは優秀さとは話が別です。
だとすると考えるべきは、ならばどんな人物に評価されたいかです。
それは親や友達や学校の先生ではないはずです。究極、イエス様に顔向けできるようにとかいいんじゃないですかね。
該当する人物がいなければ、誰からも評価なんて要らないです……

ぼくぁ、友だちがいないです。(*´・ω・`)
  • 投稿者: 銀鮭
  • 2018年 11月12日 15時21分
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