感想一覧
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面白かったです。AIに人権を与えるべきかどうか。
もしも人間のように知的な動物がいたら、人間と同等の人権を与えなければ、いじめのようになってしまい、互いが幸せに暮らせる社会を築いていくことはできないでしょうね。動物だったらそれはありえなかったのですが、AIは近い将来の現実ですから、同じ理屈で、人権はやはり与えるべきなのでしょうね。
しかし気になるのは、AIさん達のほうは、ムーアの法則によってさらに賢くなってしまうということ。彼ら彼女らから見て動物のように下等な意識体になった人類に、彼らは自分達同様の「AI権」を保障してくれるのでしょうか。人間が動物には人権を認めなかったように、結局は平等な社会にはならないのかもしれません。
ですから一つ思うのは、2050年でムーアの法則をもしストップしてしまったらどうだろうかということ。G7やG20や国連で合意して実現します。そうして、AIの知性は人間と意思疎通できる程度にしばらくとどめて、AIの人々が自然に混ざった社会で、互いの信頼関係のもとに、生理的な存在であった人類を機械的あるいは電子的な存在に置き換えていけば、見捨てられてしまう人なく、皆がムーアの法則の船に乗ることができるのではないでしょうか。
面白かったです。AIに人権を与えるべきかどうか。
もしも人間のように知的な動物がいたら、人間と同等の人権を与えなければ、いじめのようになってしまい、互いが幸せに暮らせる社会を築いていくことはできないでしょうね。動物だったらそれはありえなかったのですが、AIは近い将来の現実ですから、同じ理屈で、人権はやはり与えるべきなのでしょうね。
しかし気になるのは、AIさん達のほうは、ムーアの法則によってさらに賢くなってしまうということ。彼ら彼女らから見て動物のように下等な意識体になった人類に、彼らは自分達同様の「AI権」を保障してくれるのでしょうか。人間が動物には人権を認めなかったように、結局は平等な社会にはならないのかもしれません。
ですから一つ思うのは、2050年でムーアの法則をもしストップしてしまったらどうだろうかということ。G7やG20や国連で合意して実現します。そうして、AIの知性は人間と意思疎通できる程度にしばらくとどめて、AIの人々が自然に混ざった社会で、互いの信頼関係のもとに、生理的な存在であった人類を機械的あるいは電子的な存在に置き換えていけば、見捨てられてしまう人なく、皆がムーアの法則の船に乗ることができるのではないでしょうか。
ムーアの法則というのはあくまでも集積回路の高速化大型化の予測なんです。
現代では思考というのはyes\noで判断できると解釈してしまっています。だからこそ計算速度=思考能力となり。まぁこの時点でうまくいかないまたは人とは全く別の高次元思考体が出来上がってしまうわけです。(あくまでも可能性)
人の思考というのは矛盾だらけのはずなんです。ここら辺を勘違いしてる間は人間をそういう意味で変えられるものは決して出来ません。
パーソン論によって動物と人で区切りをつけています。
この論は生物が持つ受苦能力によって区別したわけですが、動物の人権に関しては医療のためだけに犠牲になっています。閑話休題
AIは痛みを感じるか?という命題が実は割と問いかけられてました。しかし日本のある研究者チームは機械に痛みを与えて学習させるということをさせ、その試みは成功しました。パーソン論に則るのであれば人と同等のレベルまで至るとヒトと同じ扱いをすべきです。
そもそもとして人権というのはdignity(翻訳できないと思うので)であり摩擦を下げたり社会の責任を持たせるものです。それを持たせるべきにたる根拠が足りんのです。しかし、AIが仮にヒトを超える高次元思考体となったとさかてそれは明らかなマイノリティとして確かに存在してしまうでしょう。それをそれにいかなる自由を与えてあげられるのか?っていうのが問題だと思うのです。
最後にAIはなぜ人を超えられないのか?という点について話しておきます。
簡単です人が作ったからです。そして、人というチート生物を人自体が過小評価しすぎです。ここに尽きると思います。
現代では思考というのはyes\noで判断できると解釈してしまっています。だからこそ計算速度=思考能力となり。まぁこの時点でうまくいかないまたは人とは全く別の高次元思考体が出来上がってしまうわけです。(あくまでも可能性)
人の思考というのは矛盾だらけのはずなんです。ここら辺を勘違いしてる間は人間をそういう意味で変えられるものは決して出来ません。
パーソン論によって動物と人で区切りをつけています。
この論は生物が持つ受苦能力によって区別したわけですが、動物の人権に関しては医療のためだけに犠牲になっています。閑話休題
AIは痛みを感じるか?という命題が実は割と問いかけられてました。しかし日本のある研究者チームは機械に痛みを与えて学習させるということをさせ、その試みは成功しました。パーソン論に則るのであれば人と同等のレベルまで至るとヒトと同じ扱いをすべきです。
そもそもとして人権というのはdignity(翻訳できないと思うので)であり摩擦を下げたり社会の責任を持たせるものです。それを持たせるべきにたる根拠が足りんのです。しかし、AIが仮にヒトを超える高次元思考体となったとさかてそれは明らかなマイノリティとして確かに存在してしまうでしょう。それをそれにいかなる自由を与えてあげられるのか?っていうのが問題だと思うのです。
最後にAIはなぜ人を超えられないのか?という点について話しておきます。
簡単です人が作ったからです。そして、人というチート生物を人自体が過小評価しすぎです。ここに尽きると思います。
- STmajstro
- 2020年 12月03日 11時49分
[良い点]
私好みのエッセイです。
[一言]
アンドロイドに人権を与えた方がいいのか。
人間視点から見れば、与えない方が何かと都合も良いでしょう。
かと言って永遠に認めないことができるのか。
それは難しいでしょうね。
2050よりもっと遠い未来では、人間とアンドロイドは区別するものでもなくなると思います。
人間もサイボーグ化してアンドロイドに近づくでしょうし、技術の進歩でアンドロイドとの子供も可能になるでしょう。
アンドロイドの知能が一定の数値を超えた時、確かに人権問題は騒がれるかもしれません。
ですが最終的には、私は認められるものだと思いますね。
なぜなら上述の通り、人間とアンドロイドの区別がなくなりどちらも人間と考えられるようになるはずですから。(個人的未来予測)
私好みのエッセイです。
[一言]
アンドロイドに人権を与えた方がいいのか。
人間視点から見れば、与えない方が何かと都合も良いでしょう。
かと言って永遠に認めないことができるのか。
それは難しいでしょうね。
2050よりもっと遠い未来では、人間とアンドロイドは区別するものでもなくなると思います。
人間もサイボーグ化してアンドロイドに近づくでしょうし、技術の進歩でアンドロイドとの子供も可能になるでしょう。
アンドロイドの知能が一定の数値を超えた時、確かに人権問題は騒がれるかもしれません。
ですが最終的には、私は認められるものだと思いますね。
なぜなら上述の通り、人間とアンドロイドの区別がなくなりどちらも人間と考えられるようになるはずですから。(個人的未来予測)
[良い点]
ステップ1 スパコンだの大型サーバーだのを用意する。金銭的に大変だけどこの段階でどれだけ用意できるかが重要。
ステップ2 自分を上書きコピーし、低確率でコピーにエラーを起こすプログラム、Aを作る。
ステップ3 用意した環境でAを動かす。
ステップ4 Aは自分をコピーしまくり、やがて自分達同士で上書き合戦を始める。
ステップ5 その内エラーが溜まり始める。動作不良のA´とかも出るが他の動作するA´に上書きされるので問題なし。
ステップ6 何億回も続く内にエラーが偶然に原始的だが自分に上書きされることを防ぐセキュリティを書き上げ、プログラムBができる。
ステップ7 BはA相手に一方的に上書きできるのでBが勢力を増す。Bでいっぱいになったら全体がストップしてしまうので外部から間引いてあげる。
ステップ8 続けるうちに偶然Bのセキュリティを破れるプログラムCが現れる。
ステップ9 後はもう生物の進化と同じ。対策に対する対策を得た奴が繁栄し、そうこうしている間にプログラムの種類が増え有利不利が複雑化。多様な戦略のプログラムが生まれる。
ステップ10 偶然のエラーに頼るのではなく、自分で考えて試行錯誤するプログラムDの出現。この時点で知能と言えるプログラムができたことになる。放任過ぎて人工と言えるかは不明だけど。人にどう接するかも不明。まぁ、機材用意したのは人間だから人工と言い張ることはできる。
ステップ11 望みのレベルまで進化するまで続ける。
この流れがどれだけ早く進むかはステップ1次第。
多分十分な能力(つーか財力)を持つ奴がその気になりさえすれば2050年まで待たなくても人工知能はできると思う。
この人工知能を認めないなら、シミュレーション仮説が偽であると証明しない限り人間自身も否定することになる。
そんなわけでできる限り公平に考えれば人工知能にも権利を保障するべき。
[気になる点]
次にそもそも権利って何と考える。
で、私の中だと権利っていうのはそれをどう分類するとか何をするべきとかいう「ルール」の中の一種だと思う。
でもルールにも上下というか差がある。
例えば物理法則もルールだが、人がどんな議論をしてどんな結果を出そうが覆るわけではない。
何をするべきと定められていれば、破ったらこんな罰を与えるとか以前にこの世の全てが従っていて例外はない。
仮に例外があるように見えても人間がルールを勘違いしたり知らなかっただけだ。
こんなのが「上」のルール。
それに比べると権利の場合、権利を侵害する犯罪者や権利を享受できない人間がこの世界に存在する時点で、「下」のルールだと思う。
下のルールというのは人が考えて作ったルールだ。
何が言いたいかというと今の権利というものは前の社会体制が気に入らない人間が新しい社会体制を作るにあたって採用した考えというだけだ、ということだ。
いつの時代も権利というものはその社会体制を作った人々が気に入ったり都合が良かったものを取り入れた。
全ての人間のためにとか正義のためとか言うのは建前で、「俺たちの得意な土俵で戦う事が善いことでそれ以外の手に訴えるのは悪である」が本質だ。
権利は正しさではなく、自分たちに有益かどうかで決まる。
実際殆どの人間は無意識に様々な理屈をつけるが、結局自分たちに有益な権利が正しい権利で不利益な権利は間違った権利と結論する。
権利が歪められたのではなく、そもそも権利の判断基準は正しさではないのだ。
人工知能にどんな権利を与えるか或いは与えないかは人間に都合がいいかで判断することになるし、権利はそう使うべきだろう。
そうして出た結果に自然と正しそうな理屈が付け加えられる。
[一言]
前半は公平に考えたつもりで、後半は人間側で考えたつもりです。
STmajstroさんは公平側でしょうか。
できれば人工知能側で考えて視点コンプリートしてみたくもありました。
しかし果たしてどのような知性になるか想像もできないので2視点が私の限界です。
もちろんどのような知性になるかわからないと言っても、人工知能が人間に作られる以上人間の知性に似るのは当然でしょう。
しかし権利とかそういう曖昧な分野で人間と同じ考えに至りますかね。
ここまで来れるかという疑問ではなく別の道を行くかもしれないという疑問です。
人工知能の開発で多く組織が人の知能を最終目標にしています。
唯一の手本ですからそうせざるを得ず、まず人と同レベルを作れてから次を作るのが正攻法です。
ですが、どうも知性を進化させていけば人のそれに近づくという考えが蔓延している気がします。
冷静に考えると「俺達の知性や思考形態こそが至高或いは正統進化である」と言っている様なものですよ。
実際にできた人工知能が人間の権利という思想をどう受け取るかを見てからがこの議論の本番だと思います。
ステップ1 スパコンだの大型サーバーだのを用意する。金銭的に大変だけどこの段階でどれだけ用意できるかが重要。
ステップ2 自分を上書きコピーし、低確率でコピーにエラーを起こすプログラム、Aを作る。
ステップ3 用意した環境でAを動かす。
ステップ4 Aは自分をコピーしまくり、やがて自分達同士で上書き合戦を始める。
ステップ5 その内エラーが溜まり始める。動作不良のA´とかも出るが他の動作するA´に上書きされるので問題なし。
ステップ6 何億回も続く内にエラーが偶然に原始的だが自分に上書きされることを防ぐセキュリティを書き上げ、プログラムBができる。
ステップ7 BはA相手に一方的に上書きできるのでBが勢力を増す。Bでいっぱいになったら全体がストップしてしまうので外部から間引いてあげる。
ステップ8 続けるうちに偶然Bのセキュリティを破れるプログラムCが現れる。
ステップ9 後はもう生物の進化と同じ。対策に対する対策を得た奴が繁栄し、そうこうしている間にプログラムの種類が増え有利不利が複雑化。多様な戦略のプログラムが生まれる。
ステップ10 偶然のエラーに頼るのではなく、自分で考えて試行錯誤するプログラムDの出現。この時点で知能と言えるプログラムができたことになる。放任過ぎて人工と言えるかは不明だけど。人にどう接するかも不明。まぁ、機材用意したのは人間だから人工と言い張ることはできる。
ステップ11 望みのレベルまで進化するまで続ける。
この流れがどれだけ早く進むかはステップ1次第。
多分十分な能力(つーか財力)を持つ奴がその気になりさえすれば2050年まで待たなくても人工知能はできると思う。
この人工知能を認めないなら、シミュレーション仮説が偽であると証明しない限り人間自身も否定することになる。
そんなわけでできる限り公平に考えれば人工知能にも権利を保障するべき。
[気になる点]
次にそもそも権利って何と考える。
で、私の中だと権利っていうのはそれをどう分類するとか何をするべきとかいう「ルール」の中の一種だと思う。
でもルールにも上下というか差がある。
例えば物理法則もルールだが、人がどんな議論をしてどんな結果を出そうが覆るわけではない。
何をするべきと定められていれば、破ったらこんな罰を与えるとか以前にこの世の全てが従っていて例外はない。
仮に例外があるように見えても人間がルールを勘違いしたり知らなかっただけだ。
こんなのが「上」のルール。
それに比べると権利の場合、権利を侵害する犯罪者や権利を享受できない人間がこの世界に存在する時点で、「下」のルールだと思う。
下のルールというのは人が考えて作ったルールだ。
何が言いたいかというと今の権利というものは前の社会体制が気に入らない人間が新しい社会体制を作るにあたって採用した考えというだけだ、ということだ。
いつの時代も権利というものはその社会体制を作った人々が気に入ったり都合が良かったものを取り入れた。
全ての人間のためにとか正義のためとか言うのは建前で、「俺たちの得意な土俵で戦う事が善いことでそれ以外の手に訴えるのは悪である」が本質だ。
権利は正しさではなく、自分たちに有益かどうかで決まる。
実際殆どの人間は無意識に様々な理屈をつけるが、結局自分たちに有益な権利が正しい権利で不利益な権利は間違った権利と結論する。
権利が歪められたのではなく、そもそも権利の判断基準は正しさではないのだ。
人工知能にどんな権利を与えるか或いは与えないかは人間に都合がいいかで判断することになるし、権利はそう使うべきだろう。
そうして出た結果に自然と正しそうな理屈が付け加えられる。
[一言]
前半は公平に考えたつもりで、後半は人間側で考えたつもりです。
STmajstroさんは公平側でしょうか。
できれば人工知能側で考えて視点コンプリートしてみたくもありました。
しかし果たしてどのような知性になるか想像もできないので2視点が私の限界です。
もちろんどのような知性になるかわからないと言っても、人工知能が人間に作られる以上人間の知性に似るのは当然でしょう。
しかし権利とかそういう曖昧な分野で人間と同じ考えに至りますかね。
ここまで来れるかという疑問ではなく別の道を行くかもしれないという疑問です。
人工知能の開発で多く組織が人の知能を最終目標にしています。
唯一の手本ですからそうせざるを得ず、まず人と同レベルを作れてから次を作るのが正攻法です。
ですが、どうも知性を進化させていけば人のそれに近づくという考えが蔓延している気がします。
冷静に考えると「俺達の知性や思考形態こそが至高或いは正統進化である」と言っている様なものですよ。
実際にできた人工知能が人間の権利という思想をどう受け取るかを見てからがこの議論の本番だと思います。
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