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[良い点]
すごくエッセイでした
[一言]
お久しぶりです

覚えてますかね?

桃丞です。


僕は僕の文章がきっかけで自殺した人を知っています。

自殺をしたくてしたくて何度も未遂してた子で、

今度こそ出来るように勇気づけて欲しいと依頼され、

色々ありましたが、渋々書くことになりました。

その子が辛いのは知っていたから。

もちろん、僕としては生きていて欲しいから生きる勇気についても書きましたが、

ダメでした。

2ヶ月後にその子は自殺してます。

でもそれはきっとその子にとっての救済には違いないのです。

それほど苦しんでいましたから。

ただ、僕としてはやるせない気持ちで、

なんとなくそれが今回のゆりさんの文章と似ているなって思いました。

ただ一つ言えるのは、

ゆりさんは特別に何かしたわけではないので、あまり気負わずにいて良いと思います。

そんな風に思いました。
桃丞さん、足跡を残してくださりありがとうございます。
もちろん忘れるはずがありませんとも。

>僕は僕の文章がきっかけで自殺した人を知っています。

文章というものは、人を傷つけもするし、助けることもある、諸刃の剣だと考えております。
桃丞さんの書かれた文章が、その方の背中をどれだけ押したかをおしはかることはできません。
助けというのが、一体生きることを指すのか死ぬことを指すのかも、まったく分かりません。
ただ一ついえるのは、文章というものの持つ力の二面性を知っているひとは、その力の使い方を少なからず知っているということです。
桃丞さん、どうかそのことを覚えておいてください。

お気遣いのメッセージ、ありがとうございました。
[良い点]
ごく私的であること。記憶と向き合うこと。たしかにそうなのですが、深く読む人の心を穿つエッセイです。
できるだけ冷静に当時を振り返り、故人を含むそれぞれの距離感にあった人たちとの関係性を、現時点から俯瞰しようとしていらっしゃる点に引き込まれました。

大切な記憶を拝読させていただいたこと、お礼申し上げたいです。また、作者様ご自身のお心もいたわっていただきたいです。

いずれ非公開に、とのことでしたが、可能ならばちゃんと必要なひとのところに届いて欲しい文章でした。

[一言]
文を結ばれましたこと、おつかれさまです。
教授のお言葉にとても共感しました。
筆をとり、文章を書くことの重みも感じ入りました。
読ませていただき、本当にありがとうございました。

  • 投稿者: 汐の音
  • 女性
  • 2021年 02月23日 13時55分
汐の音さん、読んでいただき、またお言葉を残していただきありがとうございました。

冷静に書けていたでしょうか……友人に対して失礼になっていないか、なるべくそうならないように制御していたつもりなのですが、こうして言葉にしてしまった時点で、友人を裏切っているのかもしれない。
そんな風に怖くなっているところです。

先生のお言葉はずっと胸の深いところにあって、今もなおその言葉を信じたいと強く願っています。
汐の音さんのおっしゃる「必要なひとのところに届く」ということがもしもあったなら、前述の恐怖も少しは和らぐのかもしれません。

お気遣いいただき、本当にありがとうございます。
[一言]
全部読ませてもらいました。
白月です。
まずはこの文章を書き切ったゆりさん、おつかれさま。
この文章を書くのに、自身の記憶を辿ることはとても辛かったでしょうね。

私は違いますが、身の回りの鬱を患い自殺願望のある人のことを近頃、頻繁に考えることが多いので、ゆりさんの文章をふらりと読み出してしまいました。
結果、とても考えさせられ、もう二度となろうで文字を入力することはないだろうと思っていたのに、いてもたってもいられず文章を入力しています。

数年前、闘病中だった私は、創作活動で生きる希望を見つけ出した人間です。
暗い気持ちを人知れない場所で露吐するために、当初の私は小説家になろうで文章を書いていました。
いつしかそれが創作活動で癒され、創作といもので希望を見出したい、生きた跡を残したいと思うようになりました。

文章が、創作が、人の心の奥深くをじっくり見つめる行為で、悲しいけれども人を死に追い詰めてしまうこともあるかもしれません。
けれど、今を生きる自分にとっては、創作活動に触れてる人の一人でも多くの人が癒される方へ向いてくれることを望みます。

この文章を頑張って書いてくださったゆりさん、ありがとうございます。
白月さん、お言葉をありがとうございます。
今はご執筆のためには使われていないアカウントで、こうしてコメントを残して下さり、感謝の気持ちを筆に尽くせません。

創作活動には、暗闇のような部分もたくさんある一方で、それでもなお希望の持てるものですね。
死してなお残る創作物に向き合うというのは、生きるということそのもののようだと感じます。
白月さんが光の見える方向へ向かわれたこと――みてみんでお会いする前のことでしょうか――本当によかったです。

自殺願望のある方がお近くにいらっしゃるとのことですが、ご本人はもちろん、周囲の人間もとてもつらい体験であるかと存じます。
きれいごとでなく、気が滅入ること、苛立つこと、絶望すること、たくさんおありかと。
鬱を患っていると、きっとどうしようもなく負の方向へ引きずり込まれてしまう時があるでしょう。
そんなとき、白月さんまで一緒に引きずり込まれてしまわないよう、出来る限り白月さんご自身と、おひとりの時間を、大切になさってください。
白月さんが白月さんであることが、きっとその方にとっても安心材料になるのではないかと愚考します。
決して無理をなさらないでくださいね。
[一言]
志茂塚 ゆりさま、
読ませていただいて良かったと思っております。
ありがとうございました。

そして書き上げられたこと、本当にお疲れさまでした。


別れというのは、いろいろなことを心に残しますが、
この世から居なくなるということで受けるものは、本当に大きく重いものであるのですね。←自分もおぼえがあります。

だからこそ、その想いを綴られたことは、大変であることもわかるように思えますし、今は感謝したい気持ちで一杯になっています。

志茂塚さま、重ねてお礼申し上げます。
どうもありがとうございました。
みなはらさん、お言葉を残してくださりありがとうございます。
読んでよかったと言って頂けて、ほっとしております。

人の生死というのは本当に個人的な体験で、誰かと比べることはできません。
できるのはただ、その重みを推しはかることくらいなのではないかと思います。
みなはらさんのご経験は、きっとみなはらさんの中で大きく重いものとして、みなはらさんの核の一部分となっているのでしょうね。

読んで頂き、ありがとうございました。
[一言]
よく書いて下さいました。ぼくの、生きる糧、生きる力となりそうな文章です。
  • 投稿者: 退会済み
  • 40歳~49歳 男性
  • 2019年 02月10日 21時45分
管理
ご感想ありがとうございます。
文章を書く人の中には、どうにも死へと引き寄せられていくような方が多いように感じられるのです。
そういう方にとって、反対のベクトルへと向かうきっかけとなるような文章が書けたらと、いつも願っております。
[良い点]
もちろん、決して楽しい話ではありませんが、それでも綺麗な話だと思いました。ゆりさんの優しさや、優しさ故の冷たさなども、読んでいて苦しさが十分に伝わってきました。これが創作でなく、エッセイなのだということを、5話まで読んだ後再確認して、なんとも言えない感情になりました。5話の終わり方に思わず涙しそうになりました。
[一言]
どうかこのエッセイを書くことで、ゆりさんの気が少しでも軽くなればと願います。それと同時に、このエッセイで助けられる人が一人でもいたらいいなと思います。私自身、前向きな方ではないので、このエッセイの行く末をできる限り見ていたいと思います。
ご感想ありがとうございます。
もし本稿を綺麗な話だと感じて頂けるのなら、それは10年という月日が、本件にかかる雑多な後悔や迷い、苦しみのうちの幾分かを濾して濾過したからではないかと思っています。
彼の死は、乗り越えていくべき類のものでも、そこから何かを学ぶ類のものでもありません。そこへ向かって行った彼の精神を含めて、丸ごと受け入れるべきものです。ただ、ときどきこうして彼のことを振り返らなければ、それを飲み下すことができないのです。
本稿を書いているのは、第一には自分のためです。ただ、今まさに生に迷っているひとがもしもこれを見たときに、その人に寄り添うような文章を書きたいとも願っております。
[一言]
ご友人……どうなんでしょう。
最近、自殺企図ばかり毎日のように浮かべている私ですから、どうにも……。
以前に、詩の企画を楽しく参加させていただきましたが、それでも、楽しむと共に、シラケ、排泄物をぶち撒けてるだけなんて嫌悪が湧いて……。

辛いことと想いますが、綴ってくださいな。早く死にたいという気持ちを、残るものがどのような気持ちかを知ることが出来れば、とどまれるかもしれない。なんて思ってますから……。
  • 投稿者: 無機名
  • 男性
  • 2019年 01月16日 12時18分
物書き界隈には、同じ悩みを持つ者が多く集うという印象があります。ここで言いたいのは、それがありふれた悩みだと切り捨てるのではなく、人を死へと誘う作用が言葉に宿っているという意味です。どうしてだか、今の私には分かりませんが、そう考えずにはいられません。
しかし、そういう方向へ流された者を引っ張り上げてくれるのも、やはり言葉に宿っている作用の一つなのです。
拙文の表題の繰り返しになりますが、どうも、文章、言葉というものには表裏一体の作用があるようなのです。
そしてそれは、希望に満ち溢れた明るい文章を書けば、それを読んだ者が救われるなどという単純なものではなくて、もっと、汚泥の中から蓮が花開くような、内側からひとりでに輝いてくるような――そういうものだと考えています。

私は、冬の詩企画に参加頂いた全作品を読ませて頂きましたが、その中で、無機名さんの作品を「排泄物」だなどとは感じませんでした。いえ、もしもあれらが「排泄物」であるなら、およそ全ての作品が「排泄物」であると言えるのではないでしょうか。排泄物は、作物を育てる肥料となります。私たち物書きは、排泄物をまき散らしながら、その次に芽吹き、実るはずの何物かを夢見ているのではないでしょうか。

残された者がどのような気持ちになるのか、友人が考えなかったはずがありません。恐らく、無機名さんも同じだと思います。「残された者が悲しむから死んではいけない」という言葉は、残酷な脅しです。
ただ、それでも――ひょっとして、最後の一歩を踏み出してしまわないためのブレーキの一つとなり得る可能性があるのならば、私は、語っていきたいと考えています。
無機名さん。縁あって詩企画に参加いただきました。ネットの向こうの、名も顔も存じ上げない仲ですが、その縁を信じて申し上げます。どうか、生きていってくださいね。
[良い点]
 すでに消えてしまった人を取り戻すことは出来ない、言葉はそのために積み重ねれば無力なものですが、もう二度と会うことが出来ないその人にとっては誰かの『記憶』になれると言う、いわばよすがのような最後の名残のような気がします。

[一言]
 実はわたしにも一つ、心当たりがあります。二十代のころ、わたしは同性の友人を病気で亡くしたのですが、わたしも自分の事情で友人からの連絡をおろそかにしてしまっていました。何度も残っていた着信に出れば良かったと思ったのは、友人が亡くなった後でした。

 通夜には駆けつけましたが、わたしの胸をよぎったのは「わたしは果たして悲しんでいいんだろうか」と言う、冷たい問いかけでした。いまだに当時のことを思い出すと、自分が出口のない分かれ道の真ん中に立ったままのような、そんな気持ちに捉われます。

 記憶はいつまでも残りますが、言葉にする限り、生きている誰かのこれからを考えるよすがになる限り、それはやはり意味のあるもののような気がします。詩に続き、こちらもとても、意義深いお話でした。

人の死に関しては、それぞれほかの人と比べることのできない複雑な思いが残るものです。丁寧にメッセージを綴ってくださり、ありがとうございます。
死というものは、乗り越えるものでも糧にするものでもなく、ただ丸ごと受け入れるしかないものだと思っています。ただ、それを受け止めるには、あまりにショックが大きすぎる。そんなとき、言葉にすることで、残された者としてその痛みを和らげようとしているだけなのかもしれません。
ただ、おっしゃるとおり、生きている誰かのこれからを、そして自分のこれからを考えるよすがになる限り、その誰かの死を言葉にする意味があるのかもしれませんね。
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