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[一言]
縄文時代の摂取カロリー(推測)だと基礎代謝が上回るらしく、空いた時間は少ない運動量で済む土器作り以外にやる事が限られていたのかもしれません。暇を飽かして作っていたらとんでもないレベルに進化していたとか。
現代人は科学思考と文字で失敗成功が記録できるので、当時の人間より効率的な試行錯誤が出来ますが、考えるのも窯を作るのもカロリーを使います。焼き物の前に食べ物ですね。
  • 投稿者: 粗笊
  • 2019年 06月03日 23時07分
感想ありがとうございます。

当時はまだ分業はやってなさそうですし、集落の皆で焼き物を焼いていたのでしょうか。
実りの秋、冬を越すための食糧を確保し、余った時間を土器製作に当てていたのか。
煮炊きできれば食べ物の選択肢は増えますから土器の優先度は高そうですが、その割にはあの装飾ですから、半分は芸術だったのか?
何となく物足りなくて盛ったのか?
出土品で当時の暮らしを推測はできますが、日記でもなければ人々の思いまでもはわかりませんね。
そこがロマンとも言えるのでしょうが。

やはり食べ物に事欠く状態ですと心に余裕が生まれませんね。
食べるのに懸命だと芸術なんて暇はない。
庶民が創作できる現代に感謝です。
火焔式土器の製作者は、現代ならランキングトップで書籍化しまくりな作者クラスでしょうか。
[一言]
実は縄文と弥生という区分が微妙に崩れてきている様で…
縄文式が弥生時代につくられたり、その逆もあるんだとか
元々無理やり設定した区分ですので、○○時代、というのが無理あったんでしょうね

石器も、打製→磨製→打製で、弥生時代は打製石器が主流で、縄文時代には磨製石器を使われていたとかあったりします、はい
なのでもうそういう時代区分を一掃しないといけないかもしれないっていう話があるそうですね
感想ありがとうございます。

考古学は定説を覆す新発見が定期的にあって、古い知識のままですと見当違いな事を言ってしまう事になり得ますね。
自戒せねばと思います。
まあ、学術誌に書いているのではないと強弁する事も出来ますが・・・

技術は常に進化し続ける訳ではなく、経済性といった理由で退化?する事もありそうです。
磨製石器ですと製作には日数がかかるでしょうから、数を揃えるという理由で打製石器に戻すとか。

地域の偏りもあるでしょうし、明確な時代区分は難しいでしょうね。
[良い点]
土器の作り方、良質な粘土の調達がハードル高いですよね。
縄文期は人の居住地が時代によって変わるので、場所の特定も難しいかもです。

縄文土器型式の流行は一形式数百年単位(ぼんやり)だったと思います。多分制作技術は作り手によって継承されていくので、文様の華美に拍車がかかった時期もあるかもしれないですね。

縄文土器も、デザインのピーク期があって、複雑化した土器が現れても、次代の型式ではスタイルの簡素化や製品を安易に作る傾向が出ることもあります。弥生の比ではないかもですが……

また、弥生土器ではミニチュア土器という用途不明な土器も出てきます。
[気になる点]
粘土だけでは土器を焼くときに、破裂してしまうので、粘土に不純物(粉末)を混ぜて作ります。不純物も、土地柄によって変わるかもです。雲母を含んだ縄文土器片を見たことがありますが、破片といえど美しいものでした。

それから弥生土器、縄文に比べてでかいです( ´ ▽ ` )☆
[一言]
` )一応、沖縄(本島)県での縄文、弥生土器ではこんな感じ?ですね。日本の縄文土器類(もちろん弥生土器も)は、詳しくは知らないです。ご一読ありがとうございました。
  • 投稿者: 退会済み
  • 30歳~39歳 女性
  • 2018年 12月30日 14時29分
管理
感想ありがとうございます。

縄文期も長いですから一概には言えませんね。
単純化し過ぎた表現でした、申し訳ありません・・・

時代による差異、地域による差異も大きいですね。
使える材料は近くにある物でしょうから、手に入る物によって出来上がる作品も変わってきそうです。
材料によって出来る事に幅が出て、それが土器の違いを生む、と。
質の良い粘土が手に入ったから薄い土器が作れたり、とか。

雲母を含んだ土器というのは知りませんでした。
キラキラとしていそうですね。
当時の人が何を考えてそれを使ったのか。
妄想すれば一つの物語になるのかもしれません。
ありがとうございました。
[一言]
 火焔式土器は主に日本海側で流行った土器の様ですね。主に漁師町で有る為、釣りの仕掛けなどを上手く作れる=手先が器用な男性がモテた様で、土器も技術の粋を集めて作られたとか。

 なお、他の地方は弥生土器と見た目があまり変わりません、縄であとを付けてオリジナリティーを出して居た位ですすね。驚く事に現代で売ってそうな急須とかも出土しています。

 現代人が逆行転生していても可笑しくないような下地はありますね。青森の三内丸山遺跡には舗装道路もありますし。

 ただ、縄文末期から弥生初期には小氷期に入り焼き物を作って居る暇が無くなるのでご注意を。
  • 投稿者: 星 武臣
  • 男性
  • 2018年 12月18日 14時39分
感想ありがとうございます。

火焔式土器が日本海側とまでは知りませんでした。
手先が器用な男がモテるとなると、あの盛り方はアピールの為だったとなりますね。
こんなの作れるんだぜぇ、と。
今とあんまり変わりませんね。
あの頃から美的センスが変わっていないとみるべきか、現代人が転生して価値観を持ち込んだのか、はたまた・・・

埴輪なども面白い造形をしていますので、当時の技術者は、やはりハイセンスな方々だったと思います。
技術は未発達かもしれないが、センスは一流だと。
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