感想一覧

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[良い点]
筆者の説明が入ったり、末尾が「である」だったりで楽しかったです(*´ω`*)
アダムが自分で決められない子だなぁと思ったら…信者の性質を表しているのですね。(感想をみました!)
若い女性に対して、甘い果物を食べるのを禁じるって、たしかに酷いですよね。
ないわー!って言われちゃいそうです(*´艸`*)
エデンの園にいながら、蛇はヨコシマであることが許されるなら、あるがままで許されるのでは(アダムと女が欲に従って禁断の果実を食べていいのでは?) と思いました。

死は救いでもありますから、それを否定する宗教って、どんな風に生まれて、形作られていったのか。背景が気になりますね。
[一言]
コロナ前はエホバの会のお婆さんが、毎月冊子を持ってきてくれました。
折れたり汚れたりしていない淡い色の帽子に、長いスカートにカーディガン姿で、老婦人という言葉がピッタリくる、笑顔が素敵な、謙虚な方でした。
会には入りたくないですが、あのお婆さんは好きでした。
また会えたらいいのですが(*´ω`*)

宗教に入る人って、家族が大病していたり、障害のある子供を抱えていたりして、それぞれ事情がある人が多いのかなと。たまたまそういう人が目につくのかもしれませんが。
平和な教えであれば、それをきっかけとして集まり、本質的には人と人が支え合う場所としてあってほしいですよね。
宗教を作品化すると、信者を増やしてしまう可能性もあるので、それが目的でないなら、けっこう慎重に書かないといけないですよね。

少なくとも、これを読んで、キリスト教に入信する人はいないはず。^^

アダムは、敬虔な信者ですね。
でも、敬虔だったばかりに、禁断の果実を食べず、楽園から追い出されるイベントが発生せず、世界に人類が広がるきっかけを逃してしまった、というオチです。

エデンの園では、食べる事が数少ない楽しみだろうから、なおさら、目の前に置かれると食べてみたいですよね。蛇も勧めて来るし。
ここで踏ん張ってこそ、真の敬虔な信者なんだよ、という訓示の意味が込められているのかもしれないけど、それを守ると、人類は広い世界を知らないままになってしまう。

ただ、箇条書きで、すごく簡潔に物語を紡いでいるに過ぎない聖書から、ここまで空想を広げられるという点に、聖書の物語としての魅力の大きさがあるとは思います。

仏教も、釈迦が死の恐怖とどう向き合うかを突き詰めた結果、生まれた宗教ですからね。
宗教というのはいずれも、死に対する処方箋的な意味合いがあるんだろうと思います。

エホバの会の勧誘をしている人たちは、個人個人で見ると、とても素直で、おとなしくて、善良な人ばかりなんです。
でも、彼らは教義に従って進化論を信じないし、その教えを信じさせるために、非科学的でいい加減な事も言います。
例えば、「生物が進化して現在の姿になったという証拠は見つかっていない」とか。
それが、宗教の危うさです。

善良な人ほど、信じ込んで利用されて、善良な人を騙す手先として使われます。


だだ集まって、善行をなす活動なら、応援したいくらいですが、人を騙して惑わせる事をしているので、擁護する事は出来ないです。
  • Kobito
  • 2021年 05月23日 23時09分
[良い点]
読みやすかったです
[一言]
食べちゃいけない、死ぬよって
警告されるのは親心です
麻薬と同じ、
吸っちゃダメ、打ってもダメ
死ぬよって教わってるのに
わざわざ手を出す方が間抜けというものです

死なせたくないから
傷つけたくないから
「良かれ」と思って教えてる
それを聞かず誘惑に負けるのは
自分のせい

神様のせいなんかじゃない
  • 投稿者: ダストブランチ
  • 2020年 05月25日 18時57分
読んで頂いて、ご感想までありがとうございます。

人間は、弱い生き物ですからね。
強い者になびいたり、ずる賢い者にだまされたり、自分より劣ると思う相手を見下して攻撃したり。

そういう性質を、克服して行こうとする姿勢が、私は好きだし、克服しようと努力している人を、私は尊敬します。

親と同じように、神様だって、間違う事はあると思うんです。

私は、神様とは、心の中にある「良心」の事だと思っていますが、その良心だって、時には独善的な判断によって過ちを犯させる事がありますよね。

だから、神様を絶対視するのは、私は危ういと思います。

そういう思いを、物語に込めました。
  • Kobito
  • 2020年 05月25日 19時39分
[良い点]
拝読しました。

私には遠い存在の聖書や宗教。Kobitoさんはこういう作品も書かれるのですね。無宗教とのことですので、そういう公正な目で見るとこういったお話になるのだと思うと、興味深かったです。確かに聖書をもって、信者に信仰させなければならないという視点から見ると、私が知る数少ないエピソードにも、強引で過剰な力を感じることができますね。違った視線で見ることも大事だなあと思った次第です。あまり聖書や宗教に詳しくないので語れませんが、興味深く拝読しました。読ませていただきありがとうございました。
  • 投稿者: 三千
  • 2020年 02月11日 08時28分
この作品は、エホバの証人の勧誘の人が家によく来ていた頃に書いたものです。

私はその人の説明をじっくり聞いた上で、聖書を史実であると受け止める事の矛盾点や危うさを指摘したんですが、その人は私が教団の主張を信じないと分かると、来なくなってしまいました。

「信じる者は救われる」、という姿勢は、考えなくなることで楽になる効果はあるんですが、教義の矛盾点を指摘できなくするという、支配のためのテクニックにもなっていると思うんです。

そこを、勧誘の人に教えたかったんですが、上手く行かなかったので、聖書を絶対視しない姿勢を、小説の形で表す事にしました。

物語としては、聖書はとてもユニークで面白いエピソードが多いので、素材として用いて楽しめる余裕を持つのが良いんじゃないかな、と思います。
  • Kobito
  • 2020年 02月11日 10時44分
[一言]
神の理屈は絶対だ、というある種の理不尽な部分も、信仰を強める効果があるのでしょうね。
信じれば救われる(厳密に言えばユダヤ教は……っていうのは置いといて)、背けば破滅する。畏怖ってことばもありますし。

途中から女が複数になったと思ったら、最後には男も女もひっくるめた「善良な人々」一般の話になっていて、ふしぎな感覚でした。
男女の描き方のバランスを考えると、男の間抜けな部分をもうちょっと見たかったな……とも思いましたけど。
聖書でも神話でもそうですが、権力者(神)の裁定が、事案の程度に対して過剰な事が多いですよね。
これは、強権というものに、気の弱い人ほど恐れを抱いて服従しやすいという心理を狙った仕様なのだと思います。

自作品の解説を作者が行うと、読み方を制限してしまって良くない面もあるんですが、おかしいと思う所が多かったようなので、少し話しますね。

私は、信仰の面では、聖書に対して批判的な立場です。
だから、登場人物を魅力的に面白おかしく書く事で、読者が私の聖書に対する立場を誤解してしまう事は、私の望みではないです。

アダムには、信者というものの性質を表わさせています。
彼の言動は、一見、敬虔さの表れのように思えるけれど、実際は権力に対する無批判という危うさです。
それを見抜けるかどうかで、アダムへの印象は相当変わって来ます。

現実世界と聖書の物語は、私の中では完全にかい離しているので、人間が二人しかいない世界と、そうではない世界が、物語的にも心情的にも並行して存在しています。

篤い信仰を持つアダムによって、人間はエデンの園から出る事ができなくなった。その場合、ますます現実世界と聖書の世界は交わり難くなります。

そういう状態を、作品の最高権力者である私が作り出した事について、聖書中の神の強権と重ねて考えてみてほしい。
といった感じです。
  • Kobito
  • 2019年 02月16日 17時07分
[一言]
面白かったです!
美悪の華 という漫画を思い出しました。

主人公が『神ほど残酷な存在はいない! 美味そうな木の実を見せておいて、食べるなと言う! これが傲慢、残酷でなくて何た!』
みたいなことを言ってました。
可哀想な主人公でしたが、面白い漫画でした。
  • 投稿者: 暮伊豆
  • 2019年 02月15日 00時26分
ありがとうございます。
美悪の華、読んだことが無かったので、ウィキであらすじを読んでみました。
かなりハードな内容の漫画のようですね。
悲惨な経験をした末に非道になった主人公が語るそのセリフには、重みを感じます。
聖書の中の神は、いかにも問題が起こりそうな状態を作り出したり、思い通りにならないと重い罰を与えたり、けっこうわがままですよね。
それが、最高の権能によって、許されているのが、無宗教の私から見ると、狡いなと感じます。
  • Kobito
  • 2019年 02月15日 17時13分
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