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[一言]
辺境伯は異世界ジャンルで延びてくると総ツッコミの出る定番ですね。響き的に閑職ぽくイメージしてしまうんでしょうが一般的な授業程度だと出て来ないのと日本史で外様大名とかは詳しく解説され混合してしまうのかなと思ってます。世界史でも貴族社会の説明とかはやれば良いのにとは思いますね、世界史上の有名人物も爵位が分かると違った視点が見えたりして興味深いのに
  • 投稿者: そそそ
  • 2019年 08月29日 20時16分
感想ありがとうございます!

私にとって辺境伯と言えばまず思いつくのはブランデンブルク辺境伯→バッハのブランデンブルク協奏曲でしたので、田舎者とか貧乏というイメージはまるで思いつかなくて、なろうの異世界ジャンルで田舎の貧乏伯爵扱いなのがとても不思議でした。翻訳されることで親しみやすくなる反面、漢字の意味に引きずられて、調べもせずに思い込みで使用してしまう人も多いのでしょうね。そしてそれを読んだ読者がまた誤用する…と。見知った漢字でも、組み合わさると全然違う意味になったりするので、学生時代は簡単な漢字こそ辞書を引けと言われました。便利な世の中になったのですから、見慣れない言葉は一度ググってみると面白いのに、と思いますね。

ありがとうございました!
  • 無憂
  • 2019年 08月30日 12時23分
[一言]
古代中国凄い
明治の人教養凄い
作者さんなんでそんな知識持ってるんですか(畏怖)
そうだよ様

感想ありがとうございます!
それは大学で勉強したから?(笑)

明治の人の教養には遠く及びませんが。明治の人が抽象的な言葉を頑張って訳してくれたので、かなり専門的なヨーロッパ史の著作が日本語で読めるのかなと。自国語で勉強できるってのはとてもありがたいことですよ。極東の島国なのに。
  • 無憂
  • 2019年 05月09日 07時47分
[良い点]
中国の事例には疎いので面白かったです。

なろうで見るけど歴史的には謎な用語というと後は「第1王子、第2王子」とかでしょうか。
[気になる点]
辺境伯と候(誤)の関係はかなりややこしいのですが、

1.マークグラフ(独)もマーキス(仏)も、どちらも本来の意味および職務は「マルクの伯」で同義語。実際、ドイツ語版Wikipediaにマーキスに相当する語は存在せず、他国語のマーキスのページからリンクされているのはマークグラフ。

2.マルクは辺境・境界・国境地帯などが語源。実際にカロリング朝が設置したのも東部も北部も西部も南部も、中央からは離れた異民族との境界地域。

3.つまり意味的にはマークグラフは「田舎の伯爵」でも間違いではない(伯ノットイコール伯爵、と言う意味では間違いかもしれませんが)。

4.ドイツ語圏の爵位で「侯爵」が定訳となっているのはフュルスト。実際、フュルストという語には「公よりは下だが、伯よりは上の爵位」と「(ある程度の地位の)諸侯の総称」の二つの意味があるので、「侯」を使うのは上手い。

5.中国(および日本)の五爵に、名数的に一番近いイギリス(連合王国)の場合、侯爵は、かなり年代が下ってから、
「おう、そこのエール。お前のこと偉くしてやる。新しくマーケスって爵位やるよ」
という経緯で誕生したのでマルクとは全く関係ない。


ぐらいになります。

もう一点、
『「伯」=「覇」という文字のニュアンス』
なのですが、これは原語には全く存在しませんし、訳者の念頭にあったかもかなり疑問に思われます。
「伯」が何かは初期中世を語る上では割と重要なので、大分脱線になりますが簡単に書いてみます。

伯爵に相当する爵位の語源はそれぞれ

カウント=(王に)扈従する人
グラフ=書く人(書記)
エール=族長

程度の意味です。

中世とは中央集権でなく封建制なので、彼らがそれぞれの任地で、王に代わって軍事的・政治的権限を行使します。役人というか代官ですね。一応、フランク王国の統治システムの中核はこのグラフ達であり、彼らの治める領域(グラフシャフト)の集合体が初期中世国家です。
※もっとも、グラフシャフトによる統治システムの実態がどんなものだったのかは未だに議論が続いていますが。

さて、日本で「守護職を代行する人=守護代」「郡を取り仕切る人=郡代」みたいな用語が成立したように、ドイツ語圏でもいろいろな派生語が生まれます。


マルクを取り仕切るグラフ:マークグラフ(辺境伯)
宮殿を取り仕切るグラフ:プファルツグラフ(宮中伯)
城を取り仕切るグラフ:ブルクグラフ(城伯)
森を取り仕切るグラフ:バルトグラフ(森林伯)
ラントを取り仕切るグラフ:ラントグラフ(方伯)

古代中国の方伯の場合「方とは邦,すなわち中央に対する外邦の意(コトバンク)」ですが、ドイツの場合「方とは邦」までは同じなのですが、神聖ローマ帝国での邦(領邦=ラント)とは、概ね、皇帝のすぐ下にいる領主の治める領域国家を指します。
普通のグラフは上に公(ヘルツォーグ)がいたりしますが、方伯はそういうのがいない、皇帝の直臣に相当します。
ですので、王畿千里の外を治めるという意味ではやや誤用気味かも知れませんが、方を率いて天子に従う存在、という意味では適訳ではないかと思います。

シダー近藤様

おおお、ヨーロッパ史に詳しい人キタ━━━━(゜∀゜)━━━━!!
感想ありがとうございます! ドイツとかさっぱりなので、ありがたいです。

何か新しい言葉を日本語にするとき、意味の近い言葉に置き換える方法と、音写する、という大雑把に言えば二種類あると思うのです。ヨーロッパの爵位も、それぞれ音写みたいな方法で処理する方法もあったのに、イギリスの爵位の数がたまたま、五等爵に近かった、日本でも貴族の爵位制度を導入しようと考えていた、などの要因があったかもしれませんが、中国古典の「公、侯、伯、子、男」に当てはめて理解した。そもそも漢学の素養がないと、思いつかないですし。

有名なところではエコノミーの訳語に「経世済民」→経済、という風に、明治時代の日本人は漢学の素養を駆使して訳語を考えています。ドイツ史で重要な「グラフ」を「伯」だと考えた人も、当然、漢学の素養があったと思います。「伯」=「覇」というのは、五等爵に関係する、経学の関連文献を読んでいれば絶対に目にするレベルの、言わば「常識」なので、「グラフ」の訳語に「伯」を採用した人が、知らないはずはないと思います。でも、そもそも「グラフ」の意味として、「伯」=「長」くらいに考えていた可能性もないではないかもと、教えていただいたのを読んで思いました。

他にもいろいろと勉強になりました。ありがとうございます!
  • 無憂
  • 2019年 05月08日 17時48分
[良い点]
「側妃」について

中国の後宮で「側妃」はありえない、ということがよく分かりました。
後宮物の小説で「側妃」という語を使うことの是非について、ついに結論が出たのではないでしょうか。
[一言]
こちらのエッセイを拝読して、また少し考えてみました。
中国語での“侧妃”の用例として、古いものだと清代の小説《野叟曝言》や民国時代の小説《昭君艳史演义》が見つかりました。現代では金庸の小説《天龙八部》なんかもあります。

中華世界で「側妃」はおかしい、というお話からふと思いました。
きちんと原文を読んだわけではないので間違っているかもしれませんが、もしかしたら、“侧妃”を使うことによって異文化の雰囲気だとか、フィクションっぽさなんかを演出しているのかな、なんて。
《野叟曝言》は(私は)よく分かりませんが、《昭君艳史演义》は匈奴の話で、《天龙八部》は雲南大理国ですし(合ってますか?)

現代中国語でも日本語と同じように“侧妃”の使い方がゆるゆるなのが、日本のウェブ小説からの逆輸入だったりしたら面白いと思ったんですけど、違ったみたいです。残念。

あと、必要ないかもしれませんが、拙作のURLです。
https://ncode.syosetu.com/n4875dq/

もう一つ、こちらはお願いなのですが、拙作のあとがきに御作の作品名とURLを掲載してもよろしいでしょうか。
拙作を読まれた方にはとても有用な情報だと思いますので。皆さんにぜひご紹介したいです。
と、なんか感想欄でする話じゃなくなってきましたね。失礼しましたー!
  • 投稿者: 榛李梓
  • 2019年 05月03日 01時45分
榛李梓さま

感想ありがとうございます。
私は「二十四史」の后妃伝などで「側妃」なんて見たこともなかったので、榛李梓さまのエッセイを読んでものすごくビックリして、慌てて中研院のデータベースで検索したんですよね。それ以前は単なる造語だと思い、深く考えたこともなかったのですが、なぜ、突然『清史稿』なのかと考えたのが最初です。


異民族感、フィクション感というのは、確かにあるかもしれません。迂闊なこと書いたら首が物理的に飛んでしまいますからね。あと、匈奴などの北方異民族の結婚は漢民族とだいぶ感覚が違うんじゃないかと思います。匈奴単于の正妻である閼氏も、完全に一人とは限らない、正妻格が複数いて、それぞれ背景とする出身部族の勢力が彼女たちの地位に直結しているような、そういう印象を受けます。
漢民族の王朝では、皇后を同時に複数立てるなんてありえないですが、魏晋南北朝時代の匈奴系の皇帝で皇后を三人立てたり、鮮卑系ですが五人同時に立てたりして、さらにレヴィレートもするので、中国語で書かれた歴史書から受ける印象は「淫乱」「暴虐」の極みですが、もともと結婚観が違っていたのではと考えると、『清史稿』に見える「側妃」も、北方民族的な後宮の中での一ポジションではなかろうかと、個人的には思っています。

URLありがとうございます。どっかに載ってるんだろうに、発見できなくて、お手数おかけしました。あとがきに追記させていただきます。
拙作を掲載していただく分にはまったく構いません。
URLは http://ncode.syosetu.com/n8775fl/ です。

ありがとうございました。
  • 無憂
  • 2019年 05月03日 11時20分
[一言]
側妃っていないものだと思ってたので側妃の話読んでびっくりしました。
でも本人たちは漢字の意味ほどの認識は持ってなかったような気がします。持ってたらたぶんモンゴルと相当揉めたはず
  • 投稿者: ツァーリ
  • 18歳~22歳 男性
  • 2019年 05月02日 22時41分
ツァーリ様

感想ありがとうございます。
私も引用した榛李梓さまのエッセイを読んで「ええええ?!」と思って慌てて検索したクチです。
入関以前の清と「側福晋」の言い換えだけなので、たぶん満州語の訳だと思います。北方民族と漢族とで、結婚制度が異なる部分もあるし、漢字の字面の印象と、満州語本来の意味は違うかもしれませんね。

ありがとうございました。
  • 無憂
  • 2019年 05月03日 10時36分
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