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[一言]
最近なろう会員になったので「3回ルール」自体を知らないんですが、
一般論でいえば、違反の重さと言うか、車の免許のように一発免停もあれば、駐車違反1点(だっけ?)を繰り返して免停、みたいなこともあるんじゃないかと思います。
複垢とかも1回目は「1つ残して他を消したら許す」んでしょうか?
3回の例が複数ある、という感想がありますが、ほかの例とその割合を見ないと何とも言えません。警告も受けた人がバラさないかぎり読者は知りようがないですし。
ただR18ギリギリ作品について警告や禁止はいいとして、「ここでは」書けないだけで、R18のグループサイトがあるのですから、そちらで書くように誘導とかすればいいのに不親切だとは思いました。 警告話だけそちらに置いたり、完全に切り替えたり、全年齢版とR18版と両方投稿したり、そちらのほうが人気(pt)あったり、いろいろな方がいるようです。
運営のR18判定基準はよくわかりませんが、私は青少年向け小説がラノベと呼ばれる前の菊池秀行とか夢枕獏とか読んでた世代なのですが、その中のエロシーンよりは厳しい気がします。
基準を公表できない、のは困りますが、時代で変わるのかもしれません。
最近なろう会員になったので「3回ルール」自体を知らないんですが、
一般論でいえば、違反の重さと言うか、車の免許のように一発免停もあれば、駐車違反1点(だっけ?)を繰り返して免停、みたいなこともあるんじゃないかと思います。
複垢とかも1回目は「1つ残して他を消したら許す」んでしょうか?
3回の例が複数ある、という感想がありますが、ほかの例とその割合を見ないと何とも言えません。警告も受けた人がバラさないかぎり読者は知りようがないですし。
ただR18ギリギリ作品について警告や禁止はいいとして、「ここでは」書けないだけで、R18のグループサイトがあるのですから、そちらで書くように誘導とかすればいいのに不親切だとは思いました。 警告話だけそちらに置いたり、完全に切り替えたり、全年齢版とR18版と両方投稿したり、そちらのほうが人気(pt)あったり、いろいろな方がいるようです。
運営のR18判定基準はよくわかりませんが、私は青少年向け小説がラノベと呼ばれる前の菊池秀行とか夢枕獏とか読んでた世代なのですが、その中のエロシーンよりは厳しい気がします。
基準を公表できない、のは困りますが、時代で変わるのかもしれません。
感想ありがとうございます。
「3回ルール」に関してはまあ、3回目で強制退会処分になったと発信する方が一定数(それも結構な割合で)いたからこそ、そう言われるようなったとは思います。
ただ、そもそも「3回も警告を受けるようなことをする人」という時点で、結構な偏りがあると思いますが。
ですがまあ、感想で「3回ルールがある」と言われている方も、重大な規約違反に対しては一回で強制退会処分になることを否定されていないとは思います。
ちなみに私は、運営は規約違反を繰り返すユーザーに対し必要な警告を与え、それでもなお規約違反をするユーザーに対しては「規約を守る意思がないユーザー」だと判断して処分する、それが(最短で)3回目になっているだけだと思っています(その辺りはエッセイにも書いてますが)。
まあ、「3回でカタをつけるように運営している」とも思っていますが。
あと、複垢に関して言えば、なぜか「重罪」だとか「一発BAN」だと風説が流れていますが、これも重大な規約違反かどうか、つまり「複垢で何をやったか」で運営の対処が変わってくると思います。
つまり、複垢で一発BANになったのなら、複垢を使ってそれなりのことをしたのかなと。
まあ、その辺りは逆に、本文中ではぼかしてたりしますね(笑)
時折ネットにあげられている警告文を見ると、何というかまあ、なろうの運営はちょっと警告とか連絡の出し方が上手くないよね、とは思います。そこはR18に限った話でもないのかなと。
最近(このエッセイを公開した時と前後して)、その対応も少し柔らかくなったかなという印象もありますが。
もっとも、世の中にはスクショを偽造したり画像を加工してミスリードを誘うなろう作家もいますしね。その辺りはあまり鵜呑みにしてはいけないのかも知れません。
まあ、どちらにせよなろう運営は「3回ルール」を規約として掲げていませんし、この違反をしたらこの処罰をするなんて書かれていません。そんなものを積み重ねて何かを主張しても、信憑性に欠けるとは思います。
そんな風説よりも、まず規約を見ましょうよと、個人的には思います。
ちなみに私は、ガイドラインに書かれている「R15に関して」「R18に関して」の記述のどこが不足しているのかよくわかりません。
というか、あれで不足していると感じるのなら、「自分が主体となって創作物を発表する」とは何か、本気で考えた方が良いのかなと。
誰かが良い悪いを「全て」判断してくれるというのは、サラリーマンの発想だと思います。
時代が変わって基準も変わるのは、ある程度は仕方のないことだと思います。
……うん、また長文になってしまい申し訳ありませんが。一読頂けると嬉しいです。
以上です。感想頂きありがとうございました。
「3回ルール」に関してはまあ、3回目で強制退会処分になったと発信する方が一定数(それも結構な割合で)いたからこそ、そう言われるようなったとは思います。
ただ、そもそも「3回も警告を受けるようなことをする人」という時点で、結構な偏りがあると思いますが。
ですがまあ、感想で「3回ルールがある」と言われている方も、重大な規約違反に対しては一回で強制退会処分になることを否定されていないとは思います。
ちなみに私は、運営は規約違反を繰り返すユーザーに対し必要な警告を与え、それでもなお規約違反をするユーザーに対しては「規約を守る意思がないユーザー」だと判断して処分する、それが(最短で)3回目になっているだけだと思っています(その辺りはエッセイにも書いてますが)。
まあ、「3回でカタをつけるように運営している」とも思っていますが。
あと、複垢に関して言えば、なぜか「重罪」だとか「一発BAN」だと風説が流れていますが、これも重大な規約違反かどうか、つまり「複垢で何をやったか」で運営の対処が変わってくると思います。
つまり、複垢で一発BANになったのなら、複垢を使ってそれなりのことをしたのかなと。
まあ、その辺りは逆に、本文中ではぼかしてたりしますね(笑)
時折ネットにあげられている警告文を見ると、何というかまあ、なろうの運営はちょっと警告とか連絡の出し方が上手くないよね、とは思います。そこはR18に限った話でもないのかなと。
最近(このエッセイを公開した時と前後して)、その対応も少し柔らかくなったかなという印象もありますが。
もっとも、世の中にはスクショを偽造したり画像を加工してミスリードを誘うなろう作家もいますしね。その辺りはあまり鵜呑みにしてはいけないのかも知れません。
まあ、どちらにせよなろう運営は「3回ルール」を規約として掲げていませんし、この違反をしたらこの処罰をするなんて書かれていません。そんなものを積み重ねて何かを主張しても、信憑性に欠けるとは思います。
そんな風説よりも、まず規約を見ましょうよと、個人的には思います。
ちなみに私は、ガイドラインに書かれている「R15に関して」「R18に関して」の記述のどこが不足しているのかよくわかりません。
というか、あれで不足していると感じるのなら、「自分が主体となって創作物を発表する」とは何か、本気で考えた方が良いのかなと。
誰かが良い悪いを「全て」判断してくれるというのは、サラリーマンの発想だと思います。
時代が変わって基準も変わるのは、ある程度は仕方のないことだと思います。
……うん、また長文になってしまい申し訳ありませんが。一読頂けると嬉しいです。
以上です。感想頂きありがとうございました。
- 市境前12アール
- 2019年 12月04日 12時59分
[一言]
実際に3回目の警告で退会になった方が複数いる以上、3回ルールは「ある」可能性が高いという前提で、作者様方が気をつけてくださる方が読む側としては助かるのですが……。「R18」など他の作者様でも警告を受ける可能性のある規約違反を含めての3回目だったので。
批判もアドバイスもいらない作者様が多い現状だと、たまたま作品を読んだだけの読み専では「規約違反になるかもしれない」と思っても指摘しづらいと思います。消えてほしくない作者様か気がむいた時以外は、私も規約違反の指摘をしませんし。だから、最終的に規約違反は作者様ご自身で気をつけるしかないと思っています。
それに3回ルールを意識することで、周囲の人も「指摘した方がいいかもしれない」「作品を保存しておいた方がいいかもしれない」と思うようになる気がします。
運営がルールや判断基準を変更する時は、外部から指摘されたか、なろう内部で問題がおきたか、ユーザからの要望があったか、何か理由がある時が多いと思っています。とばっちりを受けて過去作品を修正しないといけなくなった作者様が不満に思うのも仕方ありませんが。
文字数のカウントにルビとルビ記号を含めないという変更も、個人的には不思議に思いませんでした。200文字の半分以上にルビとルビ記号が使われている作品もたまに投稿されていて、その他ジャンルなどの日間ランキングに載ることもあったので、変更も仕方がないと思います。
実際に3回目の警告で退会になった方が複数いる以上、3回ルールは「ある」可能性が高いという前提で、作者様方が気をつけてくださる方が読む側としては助かるのですが……。「R18」など他の作者様でも警告を受ける可能性のある規約違反を含めての3回目だったので。
批判もアドバイスもいらない作者様が多い現状だと、たまたま作品を読んだだけの読み専では「規約違反になるかもしれない」と思っても指摘しづらいと思います。消えてほしくない作者様か気がむいた時以外は、私も規約違反の指摘をしませんし。だから、最終的に規約違反は作者様ご自身で気をつけるしかないと思っています。
それに3回ルールを意識することで、周囲の人も「指摘した方がいいかもしれない」「作品を保存しておいた方がいいかもしれない」と思うようになる気がします。
運営がルールや判断基準を変更する時は、外部から指摘されたか、なろう内部で問題がおきたか、ユーザからの要望があったか、何か理由がある時が多いと思っています。とばっちりを受けて過去作品を修正しないといけなくなった作者様が不満に思うのも仕方ありませんが。
文字数のカウントにルビとルビ記号を含めないという変更も、個人的には不思議に思いませんでした。200文字の半分以上にルビとルビ記号が使われている作品もたまに投稿されていて、その他ジャンルなどの日間ランキングに載ることもあったので、変更も仕方がないと思います。
感想ありがとうございます。
そうですね。現実問題として、規約違反3回目で退会になっている方の方が多く、4回目以降はごく少数の「例外」的な扱いになるのは確かだと思います。そういった意味では、作者が「3回ルール」を意識した方が良いという考え方も、十分に納得できる、説得力のある考え方だと思います。
……実のところ、エッセイでは「回数を意識せずに」警告がきたら素早く対処して、しおらしい態度をとって、「どうすれば同じ違反をせずに済むかを考えて実行する」と書いてまして。言外に「警告を1回でももらったら、二度と警告を受けないよう、普段の態度を含めて注意しよう」という意味を込めたつもりなんですが。通じませんね、なかなか。でも、書くのも難しいんですよ、これ。どうしようかな?
と、これは愚痴ですね。失礼しました。
個人的には正直なところ、この「3回ルール」という言葉が、少し広がりすぎているのかな、なんて感じていまして。この言葉が、規約違反に対する抑止力として働いている内は良いのですが、逆に「1回目なら大丈夫、2回目受けたら次は警告無しで……」とか言われだすと、色々と問題にもなるのかなと、そんな風にも思います。
だから、「3回ルール」なんて言われてるけど、それは「規約違反を繰り返したら強制退会になる」っていう意味であって、「○回までは大丈夫」という意味では無いからねと、そういった広がり方をしてほしいかな、なんて思います。
そして、そういったことを含めて、色々なことをユーザー同士で気軽に注意しあえるような環境になればいいなと思うのですが、それは難しそうですね(笑)
ルールや判断基準の変更に関しては、結局のところ、まず何がしか問題が発生して、それに対処する形でルール等が変更されるという流れになると思います。
これが、何も問題がないのに変更されたり、問題が発生しているのに対処されないのであれば問題だと、私も思うのですが。そうでない、必要と思われるような対処もしてはいけないなんてことを言い始めてもね、誰も得をしないと、そう思うのです。
修正をしなくてはいけなくなった作者さまの心情に関しては、正直、思う所が無いわけではありません。でもね、だからといって不満をつもらせても、やっぱり誰も得はしないのかなと。
実際、なろう運営は別に「お前が悪い」と言いたいのではなくて、単に「ウチにはその本は置けません」と言いたいだけだと思うのです。なら少しくらい作家側も、運営側の事情を汲んであげても良いのかなと。その方がきっと、作家側も得ですよと、そんな風に思うのですが、どうでしょうね?
長文になってしまい申し訳ありませんが、以上です。
読み宣の立場での貴重なご意見、ありがとうございました。
そうですね。現実問題として、規約違反3回目で退会になっている方の方が多く、4回目以降はごく少数の「例外」的な扱いになるのは確かだと思います。そういった意味では、作者が「3回ルール」を意識した方が良いという考え方も、十分に納得できる、説得力のある考え方だと思います。
……実のところ、エッセイでは「回数を意識せずに」警告がきたら素早く対処して、しおらしい態度をとって、「どうすれば同じ違反をせずに済むかを考えて実行する」と書いてまして。言外に「警告を1回でももらったら、二度と警告を受けないよう、普段の態度を含めて注意しよう」という意味を込めたつもりなんですが。通じませんね、なかなか。でも、書くのも難しいんですよ、これ。どうしようかな?
と、これは愚痴ですね。失礼しました。
個人的には正直なところ、この「3回ルール」という言葉が、少し広がりすぎているのかな、なんて感じていまして。この言葉が、規約違反に対する抑止力として働いている内は良いのですが、逆に「1回目なら大丈夫、2回目受けたら次は警告無しで……」とか言われだすと、色々と問題にもなるのかなと、そんな風にも思います。
だから、「3回ルール」なんて言われてるけど、それは「規約違反を繰り返したら強制退会になる」っていう意味であって、「○回までは大丈夫」という意味では無いからねと、そういった広がり方をしてほしいかな、なんて思います。
そして、そういったことを含めて、色々なことをユーザー同士で気軽に注意しあえるような環境になればいいなと思うのですが、それは難しそうですね(笑)
ルールや判断基準の変更に関しては、結局のところ、まず何がしか問題が発生して、それに対処する形でルール等が変更されるという流れになると思います。
これが、何も問題がないのに変更されたり、問題が発生しているのに対処されないのであれば問題だと、私も思うのですが。そうでない、必要と思われるような対処もしてはいけないなんてことを言い始めてもね、誰も得をしないと、そう思うのです。
修正をしなくてはいけなくなった作者さまの心情に関しては、正直、思う所が無いわけではありません。でもね、だからといって不満をつもらせても、やっぱり誰も得はしないのかなと。
実際、なろう運営は別に「お前が悪い」と言いたいのではなくて、単に「ウチにはその本は置けません」と言いたいだけだと思うのです。なら少しくらい作家側も、運営側の事情を汲んであげても良いのかなと。その方がきっと、作家側も得ですよと、そんな風に思うのですが、どうでしょうね?
長文になってしまい申し訳ありませんが、以上です。
読み宣の立場での貴重なご意見、ありがとうございました。
- 市境前12アール
- 2019年 07月21日 02時13分
[一言]
「最後」と言いながら追記。
>私は私で、自身が正しいと思う意見を述べています
「自分が正しい、相手が間違っている」という前提で議論を行っても、何ら進展はありませんよ。
だって、「自分が正しい」という主張を押し通す、一番簡単な方法は、「相手の言うことを聞かない」ですから。
だから、「相手が正しい、自分が間違っている」という前提で、自分の主張を組み立て直してみることを、老婆心ながらご忠告申し上げます。
「運営が正しい、それを批判することは間違っている」という、一種の宗教的な考えに拘泥しているように思われますから。
「最後」と言いながら追記。
>私は私で、自身が正しいと思う意見を述べています
「自分が正しい、相手が間違っている」という前提で議論を行っても、何ら進展はありませんよ。
だって、「自分が正しい」という主張を押し通す、一番簡単な方法は、「相手の言うことを聞かない」ですから。
だから、「相手が正しい、自分が間違っている」という前提で、自分の主張を組み立て直してみることを、老婆心ながらご忠告申し上げます。
「運営が正しい、それを批判することは間違っている」という、一種の宗教的な考えに拘泥しているように思われますから。
感想ありがとうございます。
そうですね。「善意解釈の原理」は、wikipedia「批判的思考」にも記載されていますし、私も好きな考え方ですよ。ただ、今回のやり取りに関して言えば、その考え方に従った上で、自分が正しいと信じられない論に対して反論をしている、ただそれだけです。
(wikipediaの記載が上手くまとまっていないのは残念に思いますが。クリティカルシンキングという思考法に関して、綺麗にまとまったページが有れば良いのですが。綺麗にまとまっているのはニコニコ大百科「批判的思考」あたりかなと思いますが、あれは創作者批判に寄った記載になっていて、こういったエッセイには当てはめることができないのは少し残念です)
今回で五回目となるたかあきらさまとのやりとりですが、そのやり取りの中で、以下のようなことを述べています。
・二回目の返信で、意見がすり合わせられるとは限らないこと。
・三回目の返信で、正しさは本人同士ではなく、見た方(第三者)が判断すればいいこと。
・四回目の返信で、自分は感情や対抗心で自分の正しさを曲げないようにしていること。
その上で、
> だって、「自分が正しい」という主張を押し通す、一番簡単な方法は、「相手の言うことを聞かない」ですから。
仮にこの方法で「盲目的且つ無理筋の」主張を通したのなら、それは単に主張が通ったと「私が思い込んだ」だけで、このエッセイや感想欄を見た方々からは影で冷笑されるとか、そういった結果になると思います。でも、それも一つの結果ではないでしょうか。……まあ、影で何を言われているのかわからないというのは少し怖いですが。何かを主張する以上、それは仕方のないことだと思います。
それでもね、例えそんな結果になったとしても、このエッセイはそれなりに時間をかけて、推敲を重ねて書き上げたエッセイです。当然、その論が自身に恥じないものであるか、自信が正しいと胸を張って言えることなのか、時間をかけて検討もしています。その結果、自分自身の考え方や論に自信を持つようになる、それがそんなにも悪いことなのでしょうか。私にはそうは思えません。
感想返信に関しても、限られた時間の中ではありますが、自身が正しいと思えることを正直に、自身が納得のできる論を組み立てて返信をしています。それが「自分が正しい、相手が間違っている」「相手の言うことを聞かない」ことと受け取られるのは、本当に、とても残念なことだと思います。
それでも、私は、私が正しいと思ったことしか論じることはできませんし、それが本当に正しいのかを判断するのは第三者で構わないという考えは変わりません。自分が自信をもって主張し、その結果、宗教的だと影で冷笑されることになっても、それは仕方のないことだと思います。
少なくとも、このエッセイで論じた「自身の正しさ」を撤回しなければいけないような出来事や反論はまだ来ていません。もちろんその判断は主観です。ですが、それで構わないと、私は思います。
そうですね。「善意解釈の原理」は、wikipedia「批判的思考」にも記載されていますし、私も好きな考え方ですよ。ただ、今回のやり取りに関して言えば、その考え方に従った上で、自分が正しいと信じられない論に対して反論をしている、ただそれだけです。
(wikipediaの記載が上手くまとまっていないのは残念に思いますが。クリティカルシンキングという思考法に関して、綺麗にまとまったページが有れば良いのですが。綺麗にまとまっているのはニコニコ大百科「批判的思考」あたりかなと思いますが、あれは創作者批判に寄った記載になっていて、こういったエッセイには当てはめることができないのは少し残念です)
今回で五回目となるたかあきらさまとのやりとりですが、そのやり取りの中で、以下のようなことを述べています。
・二回目の返信で、意見がすり合わせられるとは限らないこと。
・三回目の返信で、正しさは本人同士ではなく、見た方(第三者)が判断すればいいこと。
・四回目の返信で、自分は感情や対抗心で自分の正しさを曲げないようにしていること。
その上で、
> だって、「自分が正しい」という主張を押し通す、一番簡単な方法は、「相手の言うことを聞かない」ですから。
仮にこの方法で「盲目的且つ無理筋の」主張を通したのなら、それは単に主張が通ったと「私が思い込んだ」だけで、このエッセイや感想欄を見た方々からは影で冷笑されるとか、そういった結果になると思います。でも、それも一つの結果ではないでしょうか。……まあ、影で何を言われているのかわからないというのは少し怖いですが。何かを主張する以上、それは仕方のないことだと思います。
それでもね、例えそんな結果になったとしても、このエッセイはそれなりに時間をかけて、推敲を重ねて書き上げたエッセイです。当然、その論が自身に恥じないものであるか、自信が正しいと胸を張って言えることなのか、時間をかけて検討もしています。その結果、自分自身の考え方や論に自信を持つようになる、それがそんなにも悪いことなのでしょうか。私にはそうは思えません。
感想返信に関しても、限られた時間の中ではありますが、自身が正しいと思えることを正直に、自身が納得のできる論を組み立てて返信をしています。それが「自分が正しい、相手が間違っている」「相手の言うことを聞かない」ことと受け取られるのは、本当に、とても残念なことだと思います。
それでも、私は、私が正しいと思ったことしか論じることはできませんし、それが本当に正しいのかを判断するのは第三者で構わないという考えは変わりません。自分が自信をもって主張し、その結果、宗教的だと影で冷笑されることになっても、それは仕方のないことだと思います。
少なくとも、このエッセイで論じた「自身の正しさ」を撤回しなければいけないような出来事や反論はまだ来ていません。もちろんその判断は主観です。ですが、それで構わないと、私は思います。
- 市境前12アール
- 2019年 07月20日 23時52分
[一言]
今回の書き込みを最後にします。
私が市境前12アールさんの言葉を「盲目的且つ無理筋の運営擁護」と断じた理由。
>執筆した作品がどの位の分量になるのか、作者や読者が判断
>するために設けられた機能だと思います。
[2019年07月05日08時20分]
⇒主観的にして不正確。
小説大賞の応募要項に字数制限があり、その字数は出版社独自のカウントルールに基づくものでない以上、「小説のボリューム感を知るため」などという曖昧な理由だけでは擁護とはならない。そもそも、「そうである」ことを運営に確認を取りましたか?
>この件で運営を批判するのならむしろ、「なぜ200字未満は
>ダメなのか」という方向性でしょう
[2019年07月05日08時20分]
⇒的外れ。
『200文字』は、運営が決定した「ルール」です。今回問題になっているのは、「自分で決めたルールを自分勝手に改変した上で、新ルールを遡及適用している」ことです。
運営が「200文字以下は小説と認めない」と定めたというのなら、それを守ることが求められこそすれ、「今回の改変で171文字になっちゃったから、最低文字数を170文字にして」と批判・要求するのは、それこそが「無理のある運営批判」でしょう。せめて、自分の主張の軸くらいは守ってください。
>小説家になろうの運営は、文字数が影響しそうな所に連絡
>しなくてはいけないし
[2019年07月05日22時24分]
⇒無意味な正論。というか、「していない運営」を批判している?
運営が、出版社に事前にこの改変を報告し了承を得ていたのでしょうか? そうだとおっしゃるのであれば、その根拠を教えてください。事前の報告が無かったのであれば、市境前12アールさんの言葉は「しなければいけないことをしていない」という運営批判の言葉になります。というか、運営に確認しましたか?
>「1234567890」という十文字の文章に(入力補助
>機能で)傍点をつけると「(中略)」というように
[2019年07月05日22時24分]
⇒反論として成立していない。
私は、『200文字小説』を例にとった[2019年07月05日01時10分] の書き込みから、一貫して「ルビ」を問題にしています。
が、市境前12アールさんは「傍点」を以てそれに反論しています。
「傍点」は、確かに「ルビ機能」で振る事が出来ますが、それは「ルビ」ではありません。
そしてシステム上、漢字「一字」にひらがなのルビを最大「二十字」まで振る事が出来ます。
漢字一字にひらがな二十字のルビを振った場合。これを「1文字」とカウントすることは、如何なものでしょうか?
また、市境前12アールさんは『「1234567890」という十文字の文章に(入力補助機能で)傍点をつけると「|1《・》|2《・》|3《・》|4《・》|5《・》|6《・》|7《・》|8《・》|9《・》|0《・》」というように、五十文字の文字列になる』とおっしゃいましたが、「|1234567890《・・・・・・・・・・》」とすれば23字です。また、『漢字にひらがな又はカタカナのルビを振る』場合、「漢字(ひらがな)」でもルビになります。今回の例では、「一二三四五六七八九十(・・・・・・・・・・)」とすれば、22文字。つまり、ルビの振り方一つで最小22文字、最大50文字と幅が出てしまうのです。
このことから、「ルビ記号」(|《》)」をカウントから除外するのは正しく、また除外されていなかったこれまでは不十分だったと言わざるを得ないでしょう。つまり、私は「ルビ記号をカウントしない」と改修《・・》するのであれば、それは歓迎すべきものと思えます。
市境前12アールさんのエッセイに私が噛みついている理由。
それは単に、「運営は正しい。それを批判するのは間違っている。そう考える自分の考えは正しい」ということを前提に論を発し、それに対する批判を、根拠のない、自身の思い込みだけで反論しているからです。
レーティングの問題にしてもそうです。字数制限についてもそうです。市境前12アールさんは、その「運営はこう判断したはずだ」「運営はこうしているはずだ」と(エッセイ本文中から感想返信に至るまで)主張為されていますが、実際にそれを運営に確認したことはありますか? そしてどの程度のサンプルを確認して、今回のエッセイを書かれましたか? よもや、とは思いますが、ネット上で話題になった運営とのトラブルだけが全てと断じて、それを前提に論じている、訳ではありませんよね?
ちなみに私は、(友人の作品がレーティングで警告を喰らった時と自身の作品がレーティングに引っかかる可能性があった時に)運営に問い合わせをしています。その一件は、どちらもネット上では話題になっていません。
根拠のない擁護、運営に確認せずに発する批判の否定。
それを指して、「盲目的且つ無理筋の運営擁護」と私は申しております。
今回の書き込みを最後にします。
私が市境前12アールさんの言葉を「盲目的且つ無理筋の運営擁護」と断じた理由。
>執筆した作品がどの位の分量になるのか、作者や読者が判断
>するために設けられた機能だと思います。
[2019年07月05日08時20分]
⇒主観的にして不正確。
小説大賞の応募要項に字数制限があり、その字数は出版社独自のカウントルールに基づくものでない以上、「小説のボリューム感を知るため」などという曖昧な理由だけでは擁護とはならない。そもそも、「そうである」ことを運営に確認を取りましたか?
>この件で運営を批判するのならむしろ、「なぜ200字未満は
>ダメなのか」という方向性でしょう
[2019年07月05日08時20分]
⇒的外れ。
『200文字』は、運営が決定した「ルール」です。今回問題になっているのは、「自分で決めたルールを自分勝手に改変した上で、新ルールを遡及適用している」ことです。
運営が「200文字以下は小説と認めない」と定めたというのなら、それを守ることが求められこそすれ、「今回の改変で171文字になっちゃったから、最低文字数を170文字にして」と批判・要求するのは、それこそが「無理のある運営批判」でしょう。せめて、自分の主張の軸くらいは守ってください。
>小説家になろうの運営は、文字数が影響しそうな所に連絡
>しなくてはいけないし
[2019年07月05日22時24分]
⇒無意味な正論。というか、「していない運営」を批判している?
運営が、出版社に事前にこの改変を報告し了承を得ていたのでしょうか? そうだとおっしゃるのであれば、その根拠を教えてください。事前の報告が無かったのであれば、市境前12アールさんの言葉は「しなければいけないことをしていない」という運営批判の言葉になります。というか、運営に確認しましたか?
>「1234567890」という十文字の文章に(入力補助
>機能で)傍点をつけると「(中略)」というように
[2019年07月05日22時24分]
⇒反論として成立していない。
私は、『200文字小説』を例にとった[2019年07月05日01時10分] の書き込みから、一貫して「ルビ」を問題にしています。
が、市境前12アールさんは「傍点」を以てそれに反論しています。
「傍点」は、確かに「ルビ機能」で振る事が出来ますが、それは「ルビ」ではありません。
そしてシステム上、漢字「一字」にひらがなのルビを最大「二十字」まで振る事が出来ます。
漢字一字にひらがな二十字のルビを振った場合。これを「1文字」とカウントすることは、如何なものでしょうか?
また、市境前12アールさんは『「1234567890」という十文字の文章に(入力補助機能で)傍点をつけると「|1《・》|2《・》|3《・》|4《・》|5《・》|6《・》|7《・》|8《・》|9《・》|0《・》」というように、五十文字の文字列になる』とおっしゃいましたが、「|1234567890《・・・・・・・・・・》」とすれば23字です。また、『漢字にひらがな又はカタカナのルビを振る』場合、「漢字(ひらがな)」でもルビになります。今回の例では、「一二三四五六七八九十(・・・・・・・・・・)」とすれば、22文字。つまり、ルビの振り方一つで最小22文字、最大50文字と幅が出てしまうのです。
このことから、「ルビ記号」(|《》)」をカウントから除外するのは正しく、また除外されていなかったこれまでは不十分だったと言わざるを得ないでしょう。つまり、私は「ルビ記号をカウントしない」と改修《・・》するのであれば、それは歓迎すべきものと思えます。
市境前12アールさんのエッセイに私が噛みついている理由。
それは単に、「運営は正しい。それを批判するのは間違っている。そう考える自分の考えは正しい」ということを前提に論を発し、それに対する批判を、根拠のない、自身の思い込みだけで反論しているからです。
レーティングの問題にしてもそうです。字数制限についてもそうです。市境前12アールさんは、その「運営はこう判断したはずだ」「運営はこうしているはずだ」と(エッセイ本文中から感想返信に至るまで)主張為されていますが、実際にそれを運営に確認したことはありますか? そしてどの程度のサンプルを確認して、今回のエッセイを書かれましたか? よもや、とは思いますが、ネット上で話題になった運営とのトラブルだけが全てと断じて、それを前提に論じている、訳ではありませんよね?
ちなみに私は、(友人の作品がレーティングで警告を喰らった時と自身の作品がレーティングに引っかかる可能性があった時に)運営に問い合わせをしています。その一件は、どちらもネット上では話題になっていません。
根拠のない擁護、運営に確認せずに発する批判の否定。
それを指して、「盲目的且つ無理筋の運営擁護」と私は申しております。
そうですね。「盲目的且つ無理筋の運営擁護」という言葉に関しては、私は既に、『私は私で、自身が正しいと思う意見を述べています。この感想欄を見た読者さまが「この作者の言っていることは違う」と思ったのなら、私の発言で私の信用が失われていく、たったそれだけのことです。それでいいと、私は思います。』と述べています。
その考えに関しては、今回のたかあきらさまの感想を見ても、特に変わっておりません。
私は、私が正しいと思うことしか主張できませんし、常に自分が正しいと思うことを主張するよう、感情や対抗心で自分の正しさを曲げないよう、心がけて発言をしているつもりです。
私の返信に触れて、たかあきらさまがどのようなことを思ったのか、他人の私にはわかりません。ですが、私は無軌道に「運営が正しい」と主張しているつもりはありません。ただ、「自分の考えは正しい」という立場で主張しているのは確かですし、それは恥じることでは無いと思っています。
その上で、どの言葉が正しいのかは、第三者が見て判断をすればいいと思います。
だから、今回のたかあきらさまとの四度にわたるやり取りも、第三者が見て判断すればいいし、その結果私が間違っていたのなら私の信用が失われていくだけのことです。その上で、自分は自分が正しいと思える発言をすればいいと、そう思っています。
最後に頂いたご指摘も、どちらの言い分に理があるのかは、この文章を見た方にお任せしたいと思います。
◇
感想の途中や最後の方で質問された「運営への質問」ですが、今回のエッセイや感想返信では不要と判断し、特に行っていません。
その結果、本エッセイが客観的な正しさを担保できていないと言われるのであれば、その通りだと思います。
ここの規約は徹底的に明文化された規約とは違います。ある程度の判断を運営にゆだねる、そんな規約です。私はそういった規約で運営されているのが悪いというスタンスでは論じていません。また、社会的事情の変化のように、規約が作られた時点からなにがしかの事情変更があった場合、ある程度規約が変更されるのは仕方がないし、また変更されるべきだというスタンスで本エッセイは論じています。
ですが、そういった規約で運営する場合、信用というのがとても大切になってくるとも思います。
ここで活動を続けるつもりであれば、運営を信用した方が得だと私は思っています。少なくとも、あんまり敵視するのはどうかなと。だから私は、ネットでよく見かける「運営を信用していない人」の批判に対して反論をした上で、そんな態度で良いのですかと問いかけをする形でエッセイを閉めました。
――運営を信用していない人が「あいまいな基準」で断じられれば、何か言いたくなるのは当然のことでしょう。それでも私は、その対応として「明確な基準」ではなく「運営への信用」を掲げたい、そう思っています。
私は「盲目的且つ無理筋の運営擁護」をしたつもりはありません。ですが、そんな私の書いたエッセイですからね。「運営をもっと信用をしよう」という意図をもって、「事実関係があいまいなことに関しては、疑うよりも信用しよう」というスタンスで書いたのも紛れもない事実です。
それが、たかあきらさまに「盲目的且つ無理筋の運営擁護」に見えたのなら、少し悲しいとは思いますが、それが現実なのでしょうね。
その辺り、反対意見を抱える方にも伝わるような文章が書けるよう、目指していけたらいいなと、そんな風に思います。
以上です。重ねての感想、ありがとうございました。
その考えに関しては、今回のたかあきらさまの感想を見ても、特に変わっておりません。
私は、私が正しいと思うことしか主張できませんし、常に自分が正しいと思うことを主張するよう、感情や対抗心で自分の正しさを曲げないよう、心がけて発言をしているつもりです。
私の返信に触れて、たかあきらさまがどのようなことを思ったのか、他人の私にはわかりません。ですが、私は無軌道に「運営が正しい」と主張しているつもりはありません。ただ、「自分の考えは正しい」という立場で主張しているのは確かですし、それは恥じることでは無いと思っています。
その上で、どの言葉が正しいのかは、第三者が見て判断をすればいいと思います。
だから、今回のたかあきらさまとの四度にわたるやり取りも、第三者が見て判断すればいいし、その結果私が間違っていたのなら私の信用が失われていくだけのことです。その上で、自分は自分が正しいと思える発言をすればいいと、そう思っています。
最後に頂いたご指摘も、どちらの言い分に理があるのかは、この文章を見た方にお任せしたいと思います。
◇
感想の途中や最後の方で質問された「運営への質問」ですが、今回のエッセイや感想返信では不要と判断し、特に行っていません。
その結果、本エッセイが客観的な正しさを担保できていないと言われるのであれば、その通りだと思います。
ここの規約は徹底的に明文化された規約とは違います。ある程度の判断を運営にゆだねる、そんな規約です。私はそういった規約で運営されているのが悪いというスタンスでは論じていません。また、社会的事情の変化のように、規約が作られた時点からなにがしかの事情変更があった場合、ある程度規約が変更されるのは仕方がないし、また変更されるべきだというスタンスで本エッセイは論じています。
ですが、そういった規約で運営する場合、信用というのがとても大切になってくるとも思います。
ここで活動を続けるつもりであれば、運営を信用した方が得だと私は思っています。少なくとも、あんまり敵視するのはどうかなと。だから私は、ネットでよく見かける「運営を信用していない人」の批判に対して反論をした上で、そんな態度で良いのですかと問いかけをする形でエッセイを閉めました。
――運営を信用していない人が「あいまいな基準」で断じられれば、何か言いたくなるのは当然のことでしょう。それでも私は、その対応として「明確な基準」ではなく「運営への信用」を掲げたい、そう思っています。
私は「盲目的且つ無理筋の運営擁護」をしたつもりはありません。ですが、そんな私の書いたエッセイですからね。「運営をもっと信用をしよう」という意図をもって、「事実関係があいまいなことに関しては、疑うよりも信用しよう」というスタンスで書いたのも紛れもない事実です。
それが、たかあきらさまに「盲目的且つ無理筋の運営擁護」に見えたのなら、少し悲しいとは思いますが、それが現実なのでしょうね。
その辺り、反対意見を抱える方にも伝わるような文章が書けるよう、目指していけたらいいなと、そんな風に思います。
以上です。重ねての感想、ありがとうございました。
- 市境前12アール
- 2019年 07月06日 19時29分
[一言]
連投失礼しますが、前回書き込み後に気付いたのですが、実害が出た可能性があります。
小説大賞の応募要項に、「十万文字以上」とある場合があります。
そして、この「十万文字以上」は、その出版社でカウントするのではありません。なろうのシステム上で表記される文字数です。
文字数カウントのルールなど、プラットフォームごとに違っていて不思議ではありません。例えば、「英単語を一字と数える」(MSWord)か「アルファベット一文字を一字と数える」(なろう)か、という具合に。「執筆した作品がどの位の分量になるのか、作者や読者が判断するために設けられた機能」と解するのなら、アルファベット一文字を一字と判断する方がおかしなことになりますが、それはともかく。
だからこそ、賞の募集要項の「文字数」は、なろう(他無料小説公開サイト)のシステムカウントに依存しています。
けれど、作者がその賞に応募した時には十万字以上あったはずなのに、出版社がその作品を評価する際に(今回の改変で)十万字未満となり、「要項未達に伴い評価対象外」となったのなら。
これは一体誰の責任でしょうか? 「作者や読者が判断するため」だけでなく、出版社が評価の基準としてこの文字数を利用しているのです。それに対し、作者は一文字も加減していないのに、運営の基準変更で不利益を被るのです。
ついでに。なろう標準読了時間というモノがあります。これは、「500文字/分」でカウントします。
では、例えば「時間」と書いて「タイムスパン」とルビを振る場合。これを二文字とカウントしたらこの標準読了時間の基準が崩壊します。
「ルビをカウントに含める」か「含めない」かは、基準の違いであり正誤の問題ではありません。が、一度定められた基準を、後に一方的に変更するのは、やはり「一方的且つ遡及的なルール変更」ではありませんか?
連投失礼しますが、前回書き込み後に気付いたのですが、実害が出た可能性があります。
小説大賞の応募要項に、「十万文字以上」とある場合があります。
そして、この「十万文字以上」は、その出版社でカウントするのではありません。なろうのシステム上で表記される文字数です。
文字数カウントのルールなど、プラットフォームごとに違っていて不思議ではありません。例えば、「英単語を一字と数える」(MSWord)か「アルファベット一文字を一字と数える」(なろう)か、という具合に。「執筆した作品がどの位の分量になるのか、作者や読者が判断するために設けられた機能」と解するのなら、アルファベット一文字を一字と判断する方がおかしなことになりますが、それはともかく。
だからこそ、賞の募集要項の「文字数」は、なろう(他無料小説公開サイト)のシステムカウントに依存しています。
けれど、作者がその賞に応募した時には十万字以上あったはずなのに、出版社がその作品を評価する際に(今回の改変で)十万字未満となり、「要項未達に伴い評価対象外」となったのなら。
これは一体誰の責任でしょうか? 「作者や読者が判断するため」だけでなく、出版社が評価の基準としてこの文字数を利用しているのです。それに対し、作者は一文字も加減していないのに、運営の基準変更で不利益を被るのです。
ついでに。なろう標準読了時間というモノがあります。これは、「500文字/分」でカウントします。
では、例えば「時間」と書いて「タイムスパン」とルビを振る場合。これを二文字とカウントしたらこの標準読了時間の基準が崩壊します。
「ルビをカウントに含める」か「含めない」かは、基準の違いであり正誤の問題ではありません。が、一度定められた基準を、後に一方的に変更するのは、やはり「一方的且つ遡及的なルール変更」ではありませんか?
そうですね、そういった実害が出た可能性も否定はできません。
ただ、これは主観なのですが。
小説の文字数カウントの方法が変わったことで、「十万字」という基準がずれる可能性がある、それによって被害者が出るのが問題だから「カウント基準を変えてはいけない」というのは、やっぱり私には少し乱暴な論に思えます。
私には、そういった被害を防ぐために、小説家になろうの運営は、文字数が影響しそうな所に連絡しなくてはいけないし、逆に小説家になろうの文字数を使っているような所は、小説家になろうの文字数カウントの仕様が変更されたことを知らないといけない、そんな話のように思えます。
例えば、「小説家になろう」の公式企画やタイアップ企画の主催者には、運営から連絡が行ってしかるべきだと思いますし、企画の主催者も、なろうで算出した数字を利用する以上、仕様変更のことを知る努力はすべきでしょう。「小説家になろう」に関連する企画だと運営がお墨付きを与えているような企画であれば、運営側、企画側、共にある程度の責任は発生すると思います。
また、仮になろうも把握していないところでなろうの文字数を使っているような企画があるのなら、その企画主はカウンタの仕様変更を知らなくてはいけないのかなと。なろうが公開している数値を利用するような企画を立てておいて、大々的にユーザーに通知された仕様変更を知りませんでしたというのは、少し無責任が過ぎるように感じます。
そうして、必要な連絡が必要な場所に行けば、必要な措置が取られるのではないでしょうか。
◇
今回のたかあきらさまの論を見るに、「小説家になろう運営」や「企画の主催者」が、共に連絡を欠いたことを前提として、さらにそのことを許容した上で批判されているように見受けられます。
――ですが私には、それを前提として批判するのも、そのことを許容したまま批判するのも、どちらもおかしいと感じます。
企画にかかわるような重大な数値が変更となったのなら、まずはその変更が必要な場所に正しく伝わり、仕様変更後の数値が正しく運用されるべきと論ずるべきでは無いでしょうか。
そして、間違った運用がされているという論を立てるのなら、少なくともその憶測が成り立つくらいの根拠は必要になるのでは無いでしょうか。少なくとも私はそう感じます。
そうでないと、今後、小説家になろうの運営は、仕様変更をするたびに、何の根拠もないままに「間違った運用をしている」と批判を浴びせてもいい、そんな存在になりかねないと思います。
◇
私はね、何も小説家になろうの運営を批判することを許さないなんて言っている訳では無いのです。例えば「1234567890」という十文字の文章に(入力補助機能で)傍点をつけると「|1《・》|2《・》|3《・》|4《・》|5《・》|6《・》|7《・》|8《・》|9《・》|0《・》」というように、五十文字の文字列になる。これを五十文字としてカウントするよりは、十文字としてカウントした方がより自然で正確な値だと感じます。だからこそ、今回の変更はされるべきだと思うのです。
それを、「一度定められた基準だから変更すべきでない」なんて言ったら、何も変更できなくなってしまいかねません。それよりは、「十文字の文章に傍点を付けたら五十文字になるのはおかしいよね」と正しく「批判」した上で、じゃあ直すのにはどうすればいいかを論じた方がはるかに建設的だと感じます。
だからこそ、なんでもかんでも「遡及だからダメ」という批判の方法は良くないと思うのです。今回の文字数カウントの件は、元々の仕様が微妙だったが故に必要となった変更だと思います。なら、正しく批判して正しく修正すべきだと思うのです。
少なくとも、「小説の文字数カウントの方法」というのは、法でも規約でもありません。それをまるで「法令不遡及の原則」に準拠しないといけないかのように語るのには無理があると、個人的には思います。ただの数字を無理やり法や規約のように扱うよりも、その数字を正しく使用するにはどんな方法で運用されるべきか、まずは語るべきだと思います。
ただ、これは主観なのですが。
小説の文字数カウントの方法が変わったことで、「十万字」という基準がずれる可能性がある、それによって被害者が出るのが問題だから「カウント基準を変えてはいけない」というのは、やっぱり私には少し乱暴な論に思えます。
私には、そういった被害を防ぐために、小説家になろうの運営は、文字数が影響しそうな所に連絡しなくてはいけないし、逆に小説家になろうの文字数を使っているような所は、小説家になろうの文字数カウントの仕様が変更されたことを知らないといけない、そんな話のように思えます。
例えば、「小説家になろう」の公式企画やタイアップ企画の主催者には、運営から連絡が行ってしかるべきだと思いますし、企画の主催者も、なろうで算出した数字を利用する以上、仕様変更のことを知る努力はすべきでしょう。「小説家になろう」に関連する企画だと運営がお墨付きを与えているような企画であれば、運営側、企画側、共にある程度の責任は発生すると思います。
また、仮になろうも把握していないところでなろうの文字数を使っているような企画があるのなら、その企画主はカウンタの仕様変更を知らなくてはいけないのかなと。なろうが公開している数値を利用するような企画を立てておいて、大々的にユーザーに通知された仕様変更を知りませんでしたというのは、少し無責任が過ぎるように感じます。
そうして、必要な連絡が必要な場所に行けば、必要な措置が取られるのではないでしょうか。
◇
今回のたかあきらさまの論を見るに、「小説家になろう運営」や「企画の主催者」が、共に連絡を欠いたことを前提として、さらにそのことを許容した上で批判されているように見受けられます。
――ですが私には、それを前提として批判するのも、そのことを許容したまま批判するのも、どちらもおかしいと感じます。
企画にかかわるような重大な数値が変更となったのなら、まずはその変更が必要な場所に正しく伝わり、仕様変更後の数値が正しく運用されるべきと論ずるべきでは無いでしょうか。
そして、間違った運用がされているという論を立てるのなら、少なくともその憶測が成り立つくらいの根拠は必要になるのでは無いでしょうか。少なくとも私はそう感じます。
そうでないと、今後、小説家になろうの運営は、仕様変更をするたびに、何の根拠もないままに「間違った運用をしている」と批判を浴びせてもいい、そんな存在になりかねないと思います。
◇
私はね、何も小説家になろうの運営を批判することを許さないなんて言っている訳では無いのです。例えば「1234567890」という十文字の文章に(入力補助機能で)傍点をつけると「|1《・》|2《・》|3《・》|4《・》|5《・》|6《・》|7《・》|8《・》|9《・》|0《・》」というように、五十文字の文字列になる。これを五十文字としてカウントするよりは、十文字としてカウントした方がより自然で正確な値だと感じます。だからこそ、今回の変更はされるべきだと思うのです。
それを、「一度定められた基準だから変更すべきでない」なんて言ったら、何も変更できなくなってしまいかねません。それよりは、「十文字の文章に傍点を付けたら五十文字になるのはおかしいよね」と正しく「批判」した上で、じゃあ直すのにはどうすればいいかを論じた方がはるかに建設的だと感じます。
だからこそ、なんでもかんでも「遡及だからダメ」という批判の方法は良くないと思うのです。今回の文字数カウントの件は、元々の仕様が微妙だったが故に必要となった変更だと思います。なら、正しく批判して正しく修正すべきだと思うのです。
少なくとも、「小説の文字数カウントの方法」というのは、法でも規約でもありません。それをまるで「法令不遡及の原則」に準拠しないといけないかのように語るのには無理があると、個人的には思います。ただの数字を無理やり法や規約のように扱うよりも、その数字を正しく使用するにはどんな方法で運用されるべきか、まずは語るべきだと思います。
- 市境前12アール
- 2019年 07月05日 22時24分
[気になる点]
タイムリーに、「運営の一方的且つ遡及的なルールの変更」がありましたね。
[一言]
なろうには、『200文字小説』というジャンルがあります。
なろうで投稿する為の最小文字数『200文字』。
一文字の欠けもなく、一文字のオーバーもなく、ぴったり200文字で、作者の伝えたいことを伝えようという、試みです。
が、今回(令和元年07月03日)のシステム改変(運営は「改修」と言っているけど、「改修」は「正しきから外れてしまったものを正しきに直す」の意。今回のは、これまで正しくなかった訳ではないから、「改変」が正しい)の結果、これまでルールに則って掲載されていた『200文字小説』の一部(7月5日01時10分検索時に於いて、793作品が該当)が、ルール違反になってしまったのです。
俳句に例えれば、これまで正しく「五七五」だったのに、ある日突然「濁点を一文字と勘定する。字余りはルール違反」と言われたようなものです。
宜しければ、貴殿のこの改変に関するご意見を賜りたく存じます。
それが、「盲目的且つ無理筋の運営擁護」でないことを望みますが。
タイムリーに、「運営の一方的且つ遡及的なルールの変更」がありましたね。
[一言]
なろうには、『200文字小説』というジャンルがあります。
なろうで投稿する為の最小文字数『200文字』。
一文字の欠けもなく、一文字のオーバーもなく、ぴったり200文字で、作者の伝えたいことを伝えようという、試みです。
が、今回(令和元年07月03日)のシステム改変(運営は「改修」と言っているけど、「改修」は「正しきから外れてしまったものを正しきに直す」の意。今回のは、これまで正しくなかった訳ではないから、「改変」が正しい)の結果、これまでルールに則って掲載されていた『200文字小説』の一部(7月5日01時10分検索時に於いて、793作品が該当)が、ルール違反になってしまったのです。
俳句に例えれば、これまで正しく「五七五」だったのに、ある日突然「濁点を一文字と勘定する。字余りはルール違反」と言われたようなものです。
宜しければ、貴殿のこの改変に関するご意見を賜りたく存じます。
それが、「盲目的且つ無理筋の運営擁護」でないことを望みますが。
感想ありがとうございます。
まず、たかあきらさまの書かれた感想に対し、思ったことを正直に言わせていただきますが。
7月3日に行われた改修に対して賛意を示すと「盲目的且つ無理筋の運営擁護」になるような論建て自体、相当に無理があると思います。
以下、まずはその改修内容を「小説家になろうグループ公式ブログ」から引用します。
https://blog.syosetu.com/index.php?itemid=4054
> ▼改修内容
> ・小説本文の文字数カウント方式の変更
> ルビ、ルビ記号(|《》)を文字数としてカウントしておりましたが、カウントを行なわない様に変更致しました。
私には、この改修内容は、どこにでもあるような「不具合修正」としか映りません。
また、そう思う感性の方が普通だと、自分は思います。
つまり、小説家になろうというサイトには、ルビやルビ記号を正しくカウントしないという不具合があって、それを修正しただけだと思います。そしてそれは、たかあきらさまの言う「改修」、「正しきから外れてしまったものを正しきに直す」ことに該当することだと思います。
はっきりと言わせていただければ、この変更内容に対してたかあきらさまが「『改修』ではない、この変更は200文字小説に影響する『変更』だ」というのは「無理のある運営批判」だとしか、私には思えません。
◇
そもそも、文字数をカウントするという機能は、「200文字小説」のために作られた機能では無いでしょう。
執筆した作品がどの位の分量になるのか、作者や読者が判断するために設けられた機能だと思います。
それがより正しく機能するようになったのなら、それは普通、作者や読者にとって、喜ばしいことだと思います。
小説のボリューム感を知るために文字数を知りたいのに、その文字数に「ルビ」や「ルビ記号」が含まれてしまうのは微妙だと思います。
この「不具合」が放置されるよりは改修された方が良いと、私は思います。
◇
この「不具合修正」で影響を受ける「200文字小説」の作者さまですが。それはもう仕方がないのでは無いでしょうか?
「200文字小説に影響するから改修をするな」というのであれば、そちらの方が横暴だと感じます。
……これは運営に問い合わせていないので、この対処方法が正しいかどうかはわかりませんが。この変更によって対処が必要となり、上手くその対処ができない作者さまに関しては、最悪の場合、小説本文の最後にでも「2019年7月3日のシステム改修で文字数が少なくなった」ことをネタにした(できれば小説としての体裁を守った)文章を書き加えれば良いのではないかと、そう思うのですが。
(今後投稿される小説においてはNGだと思います。また、本当にその対処方でいいかは、「200文字小説の作者さま」が運営に問い合わせるべきだと思いますが)
なお、私は先の感想返信で以下のようなことを書きました。
> そうですね、例えばこの先幾年か経って、エッセイ中で例に挙げた私の「カップ焼きそば純愛小説(但しお笑い)」がエロと判断されて警告が来たのなら、それはもう修正のしようがありません。素直に取り下げて、R18として公開する等の措置を考えると思います。
> 小説家になろうの運営はそう判断を下す権利はありますし、正しい判断としてそのような決断を下したのだろうと、少なくとも現時点では信用しています。その信用が続く限り、私は文句は言わずに対処すると思います。
今回の事例はレーティングとは違いますが、これも「運営の裁量で変更や対応を求めてもいい内容」だと感じます。
私は「200字小説」を持っていませんが、この件で運営から指摘が来たのなら、自分としては、やはり文句を言わずに対処すべき内容だと、そんな風に思います。
◇
あと、これは個人的な意見ですが。この件で運営を批判するのならむしろ、「なぜ200字未満はダメなのか」という方向性でしょう。機能を変更する際にこの200字という基準を170字に下げれば、そのルール違反になる作品は○○減るのにそれをしないのは何故か、200文字という基準になんの意味があるのかと、そちらに疑問を呈した方が、よほど自然だと思います。
また、そもそも「こんな不具合があったこと」も、批判としては正当でしょうか。ただ、この内容では、あまり激しく批判するような内容にならないとは思いますが。
もちろん、上記の論を検討した訳でもなければ反証をした訳でもないので、この意見を元に、正しい批判ができるのかはわかりません。それでも、不具合修正によるシステム変更を正当だ、不当だなんてぶつけあうより、よほど建設的だと思います。
◇
最後に。
> それが、「盲目的且つ無理筋の運営擁護」でないことを望みますが。
それを判断するのは、私やたかあきらさまでないと思います。
私としては当然、ここに書いたことは「盲目的且つ無理筋の運営擁護」でないと思っています。
そして、たかあきらさまも、自身が書かれた批判を「無理のある運営批判」と思っていないと思います。
そんな両者が論をぶつけても、必ずしも意見を摺り寄せられるとは限らないでしょう。
私は私で、自身が正しいと思う意見を述べています。この感想欄を見た読者さまが「この作者の言っていることは違う」と思ったのなら、私の発言で私の信用が失われていく、たったそれだけのことです。それでいいと、私は思います。
以上です。長文となってしまい申し訳ありませんが、一読いただけると嬉しく思います。
まず、たかあきらさまの書かれた感想に対し、思ったことを正直に言わせていただきますが。
7月3日に行われた改修に対して賛意を示すと「盲目的且つ無理筋の運営擁護」になるような論建て自体、相当に無理があると思います。
以下、まずはその改修内容を「小説家になろうグループ公式ブログ」から引用します。
https://blog.syosetu.com/index.php?itemid=4054
> ▼改修内容
> ・小説本文の文字数カウント方式の変更
> ルビ、ルビ記号(|《》)を文字数としてカウントしておりましたが、カウントを行なわない様に変更致しました。
私には、この改修内容は、どこにでもあるような「不具合修正」としか映りません。
また、そう思う感性の方が普通だと、自分は思います。
つまり、小説家になろうというサイトには、ルビやルビ記号を正しくカウントしないという不具合があって、それを修正しただけだと思います。そしてそれは、たかあきらさまの言う「改修」、「正しきから外れてしまったものを正しきに直す」ことに該当することだと思います。
はっきりと言わせていただければ、この変更内容に対してたかあきらさまが「『改修』ではない、この変更は200文字小説に影響する『変更』だ」というのは「無理のある運営批判」だとしか、私には思えません。
◇
そもそも、文字数をカウントするという機能は、「200文字小説」のために作られた機能では無いでしょう。
執筆した作品がどの位の分量になるのか、作者や読者が判断するために設けられた機能だと思います。
それがより正しく機能するようになったのなら、それは普通、作者や読者にとって、喜ばしいことだと思います。
小説のボリューム感を知るために文字数を知りたいのに、その文字数に「ルビ」や「ルビ記号」が含まれてしまうのは微妙だと思います。
この「不具合」が放置されるよりは改修された方が良いと、私は思います。
◇
この「不具合修正」で影響を受ける「200文字小説」の作者さまですが。それはもう仕方がないのでは無いでしょうか?
「200文字小説に影響するから改修をするな」というのであれば、そちらの方が横暴だと感じます。
……これは運営に問い合わせていないので、この対処方法が正しいかどうかはわかりませんが。この変更によって対処が必要となり、上手くその対処ができない作者さまに関しては、最悪の場合、小説本文の最後にでも「2019年7月3日のシステム改修で文字数が少なくなった」ことをネタにした(できれば小説としての体裁を守った)文章を書き加えれば良いのではないかと、そう思うのですが。
(今後投稿される小説においてはNGだと思います。また、本当にその対処方でいいかは、「200文字小説の作者さま」が運営に問い合わせるべきだと思いますが)
なお、私は先の感想返信で以下のようなことを書きました。
> そうですね、例えばこの先幾年か経って、エッセイ中で例に挙げた私の「カップ焼きそば純愛小説(但しお笑い)」がエロと判断されて警告が来たのなら、それはもう修正のしようがありません。素直に取り下げて、R18として公開する等の措置を考えると思います。
> 小説家になろうの運営はそう判断を下す権利はありますし、正しい判断としてそのような決断を下したのだろうと、少なくとも現時点では信用しています。その信用が続く限り、私は文句は言わずに対処すると思います。
今回の事例はレーティングとは違いますが、これも「運営の裁量で変更や対応を求めてもいい内容」だと感じます。
私は「200字小説」を持っていませんが、この件で運営から指摘が来たのなら、自分としては、やはり文句を言わずに対処すべき内容だと、そんな風に思います。
◇
あと、これは個人的な意見ですが。この件で運営を批判するのならむしろ、「なぜ200字未満はダメなのか」という方向性でしょう。機能を変更する際にこの200字という基準を170字に下げれば、そのルール違反になる作品は○○減るのにそれをしないのは何故か、200文字という基準になんの意味があるのかと、そちらに疑問を呈した方が、よほど自然だと思います。
また、そもそも「こんな不具合があったこと」も、批判としては正当でしょうか。ただ、この内容では、あまり激しく批判するような内容にならないとは思いますが。
もちろん、上記の論を検討した訳でもなければ反証をした訳でもないので、この意見を元に、正しい批判ができるのかはわかりません。それでも、不具合修正によるシステム変更を正当だ、不当だなんてぶつけあうより、よほど建設的だと思います。
◇
最後に。
> それが、「盲目的且つ無理筋の運営擁護」でないことを望みますが。
それを判断するのは、私やたかあきらさまでないと思います。
私としては当然、ここに書いたことは「盲目的且つ無理筋の運営擁護」でないと思っています。
そして、たかあきらさまも、自身が書かれた批判を「無理のある運営批判」と思っていないと思います。
そんな両者が論をぶつけても、必ずしも意見を摺り寄せられるとは限らないでしょう。
私は私で、自身が正しいと思う意見を述べています。この感想欄を見た読者さまが「この作者の言っていることは違う」と思ったのなら、私の発言で私の信用が失われていく、たったそれだけのことです。それでいいと、私は思います。
以上です。長文となってしまい申し訳ありませんが、一読いただけると嬉しく思います。
- 市境前12アール
- 2019年 07月05日 08時20分
[気になる点]
問題は、
・ 規約を一言一句違反していないにもかかわらず、運営の「情緒的感受性」から違約と看做す、という例(R-18基準)があること。
・ 昨日までは規約に於いて認められていたはずなのに、今日いきなり規約が改正されて、且つ昨日以前に掲載された作品が新規約に基づき規約違反と評価されること。
この二点でしょう。
[一言]
法や規約は、客観性のある基準によって定めれるべき。にもかかわらず、「基準はない」(運営曰く「規約に定めた基準以外の基準はあるけど公表出来ない」)などということが罷り通り、それを恥じないという点が問題の根幹です。
また同時に、「規約違反の箇所がある」「けれどそれがどこかは言えない(規約の文言的に違反している部分はないけど公表出来ない内規に抵触している)」「猶予期間内にそれが修正されなければBANする」と言われたら(実話)。どう対応したらいいのでしょうか?
なら、「なろうというプラットフォームをはじめから使わなければいい」という話かもしれませんけれど、同時に不特定多数に対してプラットフォームを提供している企業としては、あまりにもその運用が恣意的に映りますよね。
実際、同様の「規約の文言的には違反していない」レベルのR-18表現で、必ずしも全作者が規約違反を指摘されるとは限らないのですから。
問題は、
・ 規約を一言一句違反していないにもかかわらず、運営の「情緒的感受性」から違約と看做す、という例(R-18基準)があること。
・ 昨日までは規約に於いて認められていたはずなのに、今日いきなり規約が改正されて、且つ昨日以前に掲載された作品が新規約に基づき規約違反と評価されること。
この二点でしょう。
[一言]
法や規約は、客観性のある基準によって定めれるべき。にもかかわらず、「基準はない」(運営曰く「規約に定めた基準以外の基準はあるけど公表出来ない」)などということが罷り通り、それを恥じないという点が問題の根幹です。
また同時に、「規約違反の箇所がある」「けれどそれがどこかは言えない(規約の文言的に違反している部分はないけど公表出来ない内規に抵触している)」「猶予期間内にそれが修正されなければBANする」と言われたら(実話)。どう対応したらいいのでしょうか?
なら、「なろうというプラットフォームをはじめから使わなければいい」という話かもしれませんけれど、同時に不特定多数に対してプラットフォームを提供している企業としては、あまりにもその運用が恣意的に映りますよね。
実際、同様の「規約の文言的には違反していない」レベルのR-18表現で、必ずしも全作者が規約違反を指摘されるとは限らないのですから。
感想ありがとうございます。
まず、本感想でたかあきらさまが問題だと考える点を挙げて頂いていますが。
そうですね、それに関しては、『3.文章表現で「明確な基準」なんて、意味がないよね。――レーティングについて考える』の項で、私が執筆した別作品とこの十年の時代の移り変わりを例に上げて、自分の考えを述べています。
この項では、レーティングの基準が「たかあきらさまのような」作者の方には曖昧に見える前提で、私はそうは思わない、ここは「ヒナプロジェクト直営書店のような場所なのだから、その棚にどんな本を並べるのかを決める権利はヒナプロジェクトが持っている」と既に論じています。
当然、書店が棚にどんな本を並べるかを決めるのに対し、書店側がいちいち恥を感じたりする必要も無いと思います。
「小説家になろう」というサイトは「小説投稿サイト」です。運営としては「小説以外のものを並べない」という方針で運営するのは至極当然だと思いますし、たかあきらさまが例に挙げたレーティングでも、運営は大方針はしっかりと掲げています。
その上で、その判断基準が明記されていなかったり時代とともに変わるからといって、それが問題だと、私は思いません。
これが例えば「明らかにR18に値しないものをR18と判断された」という話なら、話は変わると思いますが。あいにく私は、そのような例を未だ知りません。私の認識するレーティング基準となろう運営の認識するレーティング基準は大体一致していると思っています。
◇
なろう運営が規約違反の場所を明言しないことにはまあ、賛否両論あるでしょうね。私は「明言しない方が対処方としては現実的」だと思っていますが。
ですがまあ、まず「わいせつに該当する」と警告を受けて、どこがその部分に当たるのか本当にわからない作者は、正直どうかと思います。それ、なろうの規約云々を抜きにして、「周りから見てエロと判断されるような描写をしているのに、そのことがわかっていない」という話になりかねません。
……本当にその作者、エロを書いても良い作者ですか? 私はちょっと、そんな作者がエロを書くのは無責任じゃないかなぁなんて思いますが。
まあ、「どう対応したらいいのでしょうか?」という問いに関しては、
1.修正箇所がわかるのであれば修正して運営に確認する。
2.修正箇所がわからないのであれば取り下げて、エロを投稿しても良い場所に投稿する。
上記のどちらかだと思います。
何も難しいことは無いと思いますが、どうでしょうか。
◇
たかあきらさまは「なろうというプラットフォームをはじめから使わなければいい」と書き込まれていますが、私としては、そこから既にずれていると思います。そもそも「小説家になろう」というのは、数あるプラットフォームの一つでしかないし、他のプラットフォームと共用することを禁じていません。
繰り返し述べますが、私は小説家になろうというサイトは「ヒナプロジェクト直営書店」のような場所でしかないと思っています。ここに並べるのに適さない本は、他の書店に並べればいいだけとしか思えません。
そうですね、例えばこの先幾年か経って、エッセイ中で例に挙げた私の「カップ焼きそば純愛小説(但しお笑い)」がエロと判断されて警告が来たのなら、それはもう修正のしようがありません。素直に取り下げて、R18として公開する等の措置を考えると思います。
小説家になろうの運営はそう判断を下す権利はありますし、正しい判断としてそのような決断を下したのだろうと、少なくとも現時点では信用しています。その信用が続く限り、私は文句は言わずに対処すると思います。
以上をふまえて、
> あまりにもその運用が恣意的に映りますよね。
私には、ここの運営が恣意的な運用をしているようには映っておりません。
以上です。長文で返すこととなり申し訳ありませんが、一読いただけると嬉しいです。
まず、本感想でたかあきらさまが問題だと考える点を挙げて頂いていますが。
そうですね、それに関しては、『3.文章表現で「明確な基準」なんて、意味がないよね。――レーティングについて考える』の項で、私が執筆した別作品とこの十年の時代の移り変わりを例に上げて、自分の考えを述べています。
この項では、レーティングの基準が「たかあきらさまのような」作者の方には曖昧に見える前提で、私はそうは思わない、ここは「ヒナプロジェクト直営書店のような場所なのだから、その棚にどんな本を並べるのかを決める権利はヒナプロジェクトが持っている」と既に論じています。
当然、書店が棚にどんな本を並べるかを決めるのに対し、書店側がいちいち恥を感じたりする必要も無いと思います。
「小説家になろう」というサイトは「小説投稿サイト」です。運営としては「小説以外のものを並べない」という方針で運営するのは至極当然だと思いますし、たかあきらさまが例に挙げたレーティングでも、運営は大方針はしっかりと掲げています。
その上で、その判断基準が明記されていなかったり時代とともに変わるからといって、それが問題だと、私は思いません。
これが例えば「明らかにR18に値しないものをR18と判断された」という話なら、話は変わると思いますが。あいにく私は、そのような例を未だ知りません。私の認識するレーティング基準となろう運営の認識するレーティング基準は大体一致していると思っています。
◇
なろう運営が規約違反の場所を明言しないことにはまあ、賛否両論あるでしょうね。私は「明言しない方が対処方としては現実的」だと思っていますが。
ですがまあ、まず「わいせつに該当する」と警告を受けて、どこがその部分に当たるのか本当にわからない作者は、正直どうかと思います。それ、なろうの規約云々を抜きにして、「周りから見てエロと判断されるような描写をしているのに、そのことがわかっていない」という話になりかねません。
……本当にその作者、エロを書いても良い作者ですか? 私はちょっと、そんな作者がエロを書くのは無責任じゃないかなぁなんて思いますが。
まあ、「どう対応したらいいのでしょうか?」という問いに関しては、
1.修正箇所がわかるのであれば修正して運営に確認する。
2.修正箇所がわからないのであれば取り下げて、エロを投稿しても良い場所に投稿する。
上記のどちらかだと思います。
何も難しいことは無いと思いますが、どうでしょうか。
◇
たかあきらさまは「なろうというプラットフォームをはじめから使わなければいい」と書き込まれていますが、私としては、そこから既にずれていると思います。そもそも「小説家になろう」というのは、数あるプラットフォームの一つでしかないし、他のプラットフォームと共用することを禁じていません。
繰り返し述べますが、私は小説家になろうというサイトは「ヒナプロジェクト直営書店」のような場所でしかないと思っています。ここに並べるのに適さない本は、他の書店に並べればいいだけとしか思えません。
そうですね、例えばこの先幾年か経って、エッセイ中で例に挙げた私の「カップ焼きそば純愛小説(但しお笑い)」がエロと判断されて警告が来たのなら、それはもう修正のしようがありません。素直に取り下げて、R18として公開する等の措置を考えると思います。
小説家になろうの運営はそう判断を下す権利はありますし、正しい判断としてそのような決断を下したのだろうと、少なくとも現時点では信用しています。その信用が続く限り、私は文句は言わずに対処すると思います。
以上をふまえて、
> あまりにもその運用が恣意的に映りますよね。
私には、ここの運営が恣意的な運用をしているようには映っておりません。
以上です。長文で返すこととなり申し訳ありませんが、一読いただけると嬉しいです。
- 市境前12アール
- 2019年 06月28日 23時48分
[良い点]
※返信が大変長くなってしまい……申し訳ありません……
市境前12アール 様
有難う御座います
何度も読み返し、やはり、市境前12アール 様 に聞いて頂いて、よかった、と心から思いました
私の思考の偏りがある箇所、そして、私が思考出来ていない箇所まで、幅広くカバーして下さるかのような包み込むようなお言葉のご返信に、ひどく安心感を抱いています
素敵なご返信を有難う御座います
※お忙しいのですね……、このような雑事、しかも、私のくだらない言葉へのご返信など、もうずっと後の優先順位で構いません、このような面倒な人間へのご返信など、……さぞ、きついことだろうと少し不安に思っています、どうか、ご返信できたら、で構わないのです、感謝しております、本当に申し訳ありません
※このご返信内容が今回のご作品とは直接的には関わらないものだというお言葉は受け止めました もしこのような形のやり取りが良くない場合は、ご返信、気になさらないで下さいませ 一度ご返信頂けたことだけでも感謝しております 有難う御座います
>『説得力があるというだけでは、そこに真実があるという証拠にはなりえないということを、情報を受け取る側は常に意識づけなければないのではないだろうか、
そうですね。私もその考えには同意します。そして同時に、その考え方も考え方の一つであって、相手に押し付けることはできない、そうも考えています』
>相手に押し付けることはできない、
私も、そのお考えに強く同意し、本当に聞いて頂いてよかった、と、心から思う瞬間でもありました
私は、そういったことを思考しているのにも関わらず、言葉を表出しようとした際、言わずに省いてしまおうとする悪癖が御座います、……それは、言いたくない、のでも、言いよどんだのでもなく、……恥ずかしい話、どのようにそれらの文言を文脈に入れ込めばよいのか、全く、思考に至らないから、です、
——この部分をこう言いたいのだが、ここの文言にはこういったニュアンスを加えたいのだが……(全く反対のニュアンスも含み、それも言いたいのだが……)……それをどのように文言に盛り込めばよいのか解らない……から、敢えて書くことは控えよう……(間違って解釈されるような半端な言葉を書くよりは寧ろ、行間に込めようとする思いで敢えて書くことをやめよう)と、手を控えようとすることばかりです……、その為か、よく解りませんが、そうではないのだけれどな……そのことも理解しているのだけれどな、私は別に偏った意見だけをそれが全ての善だと思い、主張したい訳ではないのだけれどな……、と、思わず息をついてしまいそうなご指摘を受けることが御座います、説明出来るときは行おうとするのですが、面倒になり放っておくことも多いです
>『だからこそ、本エッセイの感想欄で反対意見を書かれた方に対して私は、「私はこういう考え方をしています。考えてみては如何ですか」といった返信の仕方をしていますし、その結果、以前と同じ考え方をされるのであれば、その方がそういう考え方をされる方だということでしょう。私は、そこまで否定しようとは思いません。
――自分と他者とが異なる考え方を持っていてもいい。それは否定されるべきことでは無いと思います。もしもそれが、互いに考え方を交換した後であればなお良いのかなと。違う考え方でもその考え方を互いに認め合えるのなら理想でしょう。そうでなくても、違う考え方だと知っていれば、そこに触れ合わずに済むのかもしれない。それだって一つの答えです』
>『ただ、考え方もわからずに行動だけ見ていたら、どうやっても理解できないことはあります。そして、そんな時に放つ言葉が「数」や「感情」ではいけない。分かり合えない時にこそ、「言葉を重ねて」「言葉を納得して受け取ってもらう」必要があると、そんな風に思います』
>『※ なお、私は「ルール」というものには異なる考え方を持っていますので。その辺りは誤解なきようお願いしたい、なんて思います』
仰る通りですね 強く同意致します 分かり合えない時、放つ言葉、そこに感情や数を出来るだけ除けて
言葉で対話をすること
その為にはきっと、固定観念、(偏った思考を除ける)必要があるのだろうと……
>『冬子さまが感じて頂いた「本作品の底」、「誰かが言ったことがそのまま真実になっていく」という現象は、本作品の主題の一つだったことは間違いありません。
ですが同時に、それを「信じる」ことと「発信すること」の間には、大きな隔たりがあるはずです』
私の思考の偏りが出ていた部分ですね 本当に、ご指摘、感謝しております
信じることと、発信することは違う……目を開かされる思いです ガツンと頭を打ち付けられたような衝撃がありました 感謝しております
>『今回のエッセイで私の論に触れて頂いて、冬子さまはどう感じたでしょうか。
「これは借り物の意見」と感じたでしょうか。それとも「市境前12アール」という一人の人の意見だと感じたでしょうか。
もしこれが「市境前12アール」という一人の人間の意見だと感じたのであれば、これほど嬉しいことはありません』
……あまり、そのようなことを思考したことがなく、市境前12アール 様のご意見か、借り物のご意見か、どちらと思えたのかというご質問には、上手く声が出なくなってしまいますが、、
今、ふと、考えたのは、確かに私は、そのようなご意見を(私の)意見とは思えなかったな、ということなのです
エッセイを読む際の決まりごとなどもしあるのなら、私はそう言ったものをよく知らない無教養な人間ですが、書き物を目にする際、私は、無意識に、共感するか、勉強になるか、その辺りのことを思考しているように思います
他者が書かれた読み物は、当然、私が書いたものではなく、それは自然と思考しているのは当然な話なのかもしれませんが、時折、強く共感し、私と書き物の境目が殆ど無いのでは……と、錯覚してしまいそうな読み物に出会うことが御座います そういった場合、客観視が異様に難しくなってしまうのですが、市境前12アール 様の今回のご作品、このエッセイは、特にそのようなことを感じることはありませんでした きちんと客観的に読めていたという点で、私はこのご作品と向き合った時、きちんと丁度良い距離感があったことを示していると考えます
それは、私の今の言葉が、私なりに、私の意見として信頼出来ると思考出来る一因となっているように考えます 誰かの意見を言おうとしてしまう時、それは意識がどこか別 の場所に行ってしまっているものですから……
市境前12アール 様 のご意見が、市境前12アール 様 のご意志か、借り物の意見なのかそこを判断する術を私は持てていませんが、それを思考も出来ていませんが、
ただ、私は客観的に目にして特に奇妙に思えてしまうことを仰ってはいない、と信頼する目線でこのご作品を読み終わりました その理由については……言葉に出来る程しっかりと思考していた感覚ではないため、思考を拾いなおすのに少し時間を必要とします、上手く今すぐ拾うことが出来ず、申し訳ありません、
>『ある情報が提示されて、それを参考にするのも信じるのも良いと思います。ですが、それを発信するのであれば、信じるだけではだめなのかなと。「誰かが言ったことがそのまま真実になっていく」というのは、「発言者の意見になっていない、伝聞としての言葉が広がっている」状態だと思います。
ああ、なるほど……と、ストンと思考に滑り落ちるような、ぴったりはまり込むような感覚があったように思います 有難う御座います 伝聞としての言葉が拡がっている状態……それはまさに、頭を失った長い長い蛇の尾のようですね 、
伝聞とは伝聞であり、生の言葉ではなく、それは遊戯のような ある意味それはどこか面白がった、目線
そういった集合知のなりそこないの、それ自体が意志を持ってしまった危ういもののような そんな感覚を抱きました イメージとしては、百目とうわん を混ぜ合わせたような妖怪なイメージです 鬼太郎の愛すべき妖怪たちの中なら……
>『……その現象が発生することはどうしようもないと思いますが。それが仮に自分だけでも「起こっていることをそのまま言葉にする」のではなく、「起こっていることについてどう考えているか、どう感じたかを、伝わるように言葉を放つ」べきだと思います。
そして、常に自分の意思を自分の言葉として放つ、言葉の説得力を自分自身から持ってくる、これこそが「発言に責任を持つ」ということだと思います』
言葉の説得力を自分自身から持ってくる、ああ、その通りで、尚且つ、自分がそれを出来ているだろうか……と、つい、考え込んでしまいそうです 明日は我が身、何事も自分に関わりがあるかもしれない、といいう視点をもって、意識していく必要があるのかな、とまた認識を新たにしました
素敵なご返信のお言葉を有難う御座います 嬉しかったです
>『自分の考え方としてはこんな感じでしょうか。この言葉が、冬子さまにとって何かの一助になるといいなと、そう思います。
……あくまで参考程度として受け取ってもらえば良いですよ』
はい、参考にさせて頂きます とても助かりました 本当に有難う御座いました
もう少し、思考し直してみようと思います
素敵なご返信を有難う御座いました
失礼致します
※返信が大変長くなってしまい……申し訳ありません……
市境前12アール 様
有難う御座います
何度も読み返し、やはり、市境前12アール 様 に聞いて頂いて、よかった、と心から思いました
私の思考の偏りがある箇所、そして、私が思考出来ていない箇所まで、幅広くカバーして下さるかのような包み込むようなお言葉のご返信に、ひどく安心感を抱いています
素敵なご返信を有難う御座います
※お忙しいのですね……、このような雑事、しかも、私のくだらない言葉へのご返信など、もうずっと後の優先順位で構いません、このような面倒な人間へのご返信など、……さぞ、きついことだろうと少し不安に思っています、どうか、ご返信できたら、で構わないのです、感謝しております、本当に申し訳ありません
※このご返信内容が今回のご作品とは直接的には関わらないものだというお言葉は受け止めました もしこのような形のやり取りが良くない場合は、ご返信、気になさらないで下さいませ 一度ご返信頂けたことだけでも感謝しております 有難う御座います
>『説得力があるというだけでは、そこに真実があるという証拠にはなりえないということを、情報を受け取る側は常に意識づけなければないのではないだろうか、
そうですね。私もその考えには同意します。そして同時に、その考え方も考え方の一つであって、相手に押し付けることはできない、そうも考えています』
>相手に押し付けることはできない、
私も、そのお考えに強く同意し、本当に聞いて頂いてよかった、と、心から思う瞬間でもありました
私は、そういったことを思考しているのにも関わらず、言葉を表出しようとした際、言わずに省いてしまおうとする悪癖が御座います、……それは、言いたくない、のでも、言いよどんだのでもなく、……恥ずかしい話、どのようにそれらの文言を文脈に入れ込めばよいのか、全く、思考に至らないから、です、
——この部分をこう言いたいのだが、ここの文言にはこういったニュアンスを加えたいのだが……(全く反対のニュアンスも含み、それも言いたいのだが……)……それをどのように文言に盛り込めばよいのか解らない……から、敢えて書くことは控えよう……(間違って解釈されるような半端な言葉を書くよりは寧ろ、行間に込めようとする思いで敢えて書くことをやめよう)と、手を控えようとすることばかりです……、その為か、よく解りませんが、そうではないのだけれどな……そのことも理解しているのだけれどな、私は別に偏った意見だけをそれが全ての善だと思い、主張したい訳ではないのだけれどな……、と、思わず息をついてしまいそうなご指摘を受けることが御座います、説明出来るときは行おうとするのですが、面倒になり放っておくことも多いです
>『だからこそ、本エッセイの感想欄で反対意見を書かれた方に対して私は、「私はこういう考え方をしています。考えてみては如何ですか」といった返信の仕方をしていますし、その結果、以前と同じ考え方をされるのであれば、その方がそういう考え方をされる方だということでしょう。私は、そこまで否定しようとは思いません。
――自分と他者とが異なる考え方を持っていてもいい。それは否定されるべきことでは無いと思います。もしもそれが、互いに考え方を交換した後であればなお良いのかなと。違う考え方でもその考え方を互いに認め合えるのなら理想でしょう。そうでなくても、違う考え方だと知っていれば、そこに触れ合わずに済むのかもしれない。それだって一つの答えです』
>『ただ、考え方もわからずに行動だけ見ていたら、どうやっても理解できないことはあります。そして、そんな時に放つ言葉が「数」や「感情」ではいけない。分かり合えない時にこそ、「言葉を重ねて」「言葉を納得して受け取ってもらう」必要があると、そんな風に思います』
>『※ なお、私は「ルール」というものには異なる考え方を持っていますので。その辺りは誤解なきようお願いしたい、なんて思います』
仰る通りですね 強く同意致します 分かり合えない時、放つ言葉、そこに感情や数を出来るだけ除けて
言葉で対話をすること
その為にはきっと、固定観念、(偏った思考を除ける)必要があるのだろうと……
>『冬子さまが感じて頂いた「本作品の底」、「誰かが言ったことがそのまま真実になっていく」という現象は、本作品の主題の一つだったことは間違いありません。
ですが同時に、それを「信じる」ことと「発信すること」の間には、大きな隔たりがあるはずです』
私の思考の偏りが出ていた部分ですね 本当に、ご指摘、感謝しております
信じることと、発信することは違う……目を開かされる思いです ガツンと頭を打ち付けられたような衝撃がありました 感謝しております
>『今回のエッセイで私の論に触れて頂いて、冬子さまはどう感じたでしょうか。
「これは借り物の意見」と感じたでしょうか。それとも「市境前12アール」という一人の人の意見だと感じたでしょうか。
もしこれが「市境前12アール」という一人の人間の意見だと感じたのであれば、これほど嬉しいことはありません』
……あまり、そのようなことを思考したことがなく、市境前12アール 様のご意見か、借り物のご意見か、どちらと思えたのかというご質問には、上手く声が出なくなってしまいますが、、
今、ふと、考えたのは、確かに私は、そのようなご意見を(私の)意見とは思えなかったな、ということなのです
エッセイを読む際の決まりごとなどもしあるのなら、私はそう言ったものをよく知らない無教養な人間ですが、書き物を目にする際、私は、無意識に、共感するか、勉強になるか、その辺りのことを思考しているように思います
他者が書かれた読み物は、当然、私が書いたものではなく、それは自然と思考しているのは当然な話なのかもしれませんが、時折、強く共感し、私と書き物の境目が殆ど無いのでは……と、錯覚してしまいそうな読み物に出会うことが御座います そういった場合、客観視が異様に難しくなってしまうのですが、市境前12アール 様の今回のご作品、このエッセイは、特にそのようなことを感じることはありませんでした きちんと客観的に読めていたという点で、私はこのご作品と向き合った時、きちんと丁度良い距離感があったことを示していると考えます
それは、私の今の言葉が、私なりに、私の意見として信頼出来ると思考出来る一因となっているように考えます 誰かの意見を言おうとしてしまう時、それは意識がどこか別 の場所に行ってしまっているものですから……
市境前12アール 様 のご意見が、市境前12アール 様 のご意志か、借り物の意見なのかそこを判断する術を私は持てていませんが、それを思考も出来ていませんが、
ただ、私は客観的に目にして特に奇妙に思えてしまうことを仰ってはいない、と信頼する目線でこのご作品を読み終わりました その理由については……言葉に出来る程しっかりと思考していた感覚ではないため、思考を拾いなおすのに少し時間を必要とします、上手く今すぐ拾うことが出来ず、申し訳ありません、
>『ある情報が提示されて、それを参考にするのも信じるのも良いと思います。ですが、それを発信するのであれば、信じるだけではだめなのかなと。「誰かが言ったことがそのまま真実になっていく」というのは、「発言者の意見になっていない、伝聞としての言葉が広がっている」状態だと思います。
ああ、なるほど……と、ストンと思考に滑り落ちるような、ぴったりはまり込むような感覚があったように思います 有難う御座います 伝聞としての言葉が拡がっている状態……それはまさに、頭を失った長い長い蛇の尾のようですね 、
伝聞とは伝聞であり、生の言葉ではなく、それは遊戯のような ある意味それはどこか面白がった、目線
そういった集合知のなりそこないの、それ自体が意志を持ってしまった危ういもののような そんな感覚を抱きました イメージとしては、百目とうわん を混ぜ合わせたような妖怪なイメージです 鬼太郎の愛すべき妖怪たちの中なら……
>『……その現象が発生することはどうしようもないと思いますが。それが仮に自分だけでも「起こっていることをそのまま言葉にする」のではなく、「起こっていることについてどう考えているか、どう感じたかを、伝わるように言葉を放つ」べきだと思います。
そして、常に自分の意思を自分の言葉として放つ、言葉の説得力を自分自身から持ってくる、これこそが「発言に責任を持つ」ということだと思います』
言葉の説得力を自分自身から持ってくる、ああ、その通りで、尚且つ、自分がそれを出来ているだろうか……と、つい、考え込んでしまいそうです 明日は我が身、何事も自分に関わりがあるかもしれない、といいう視点をもって、意識していく必要があるのかな、とまた認識を新たにしました
素敵なご返信のお言葉を有難う御座います 嬉しかったです
>『自分の考え方としてはこんな感じでしょうか。この言葉が、冬子さまにとって何かの一助になるといいなと、そう思います。
……あくまで参考程度として受け取ってもらえば良いですよ』
はい、参考にさせて頂きます とても助かりました 本当に有難う御座いました
もう少し、思考し直してみようと思います
素敵なご返信を有難う御座いました
失礼致します
冬子さま。
こちらこそ、ご丁寧な返信をありがとうございます。
拙い意見でしたが、参考になる部分があって良かったと思います。
こちらも、冬子さまのご質問は、さまざまなことを考えて言葉にする良いきっかけになったのかなと、そう感じています。
冬子さまに適した言葉の形が見つかるといいな、そんな風に思います。
短くて申し訳ありませんが、これにて返信とさせていただきます。
私の言葉を真剣に受け取り、考えを巡らせて頂きありがとうございます。
こちらこそ、ご丁寧な返信をありがとうございます。
拙い意見でしたが、参考になる部分があって良かったと思います。
こちらも、冬子さまのご質問は、さまざまなことを考えて言葉にする良いきっかけになったのかなと、そう感じています。
冬子さまに適した言葉の形が見つかるといいな、そんな風に思います。
短くて申し訳ありませんが、これにて返信とさせていただきます。
私の言葉を真剣に受け取り、考えを巡らせて頂きありがとうございます。
- 市境前12アール
- 2019年 06月16日 09時00分
[良い点]
市境前12アール 様
有難う御座います
大分悩んだのですが、すこし整理をしたくて……市境前12アール 様なら、とんとんとんと言葉の手助けをしていただけるのではないかと、、思考したため、えいやっと失礼いたします
※もし微妙だった場合は、返信もされずに打ち捨てて下さいませ
>『自分で書き上げておいてこんなことを言うのは何ですが、「当たり前のことを、人に伝わるように説く」これは結構難易度の高いことだと思います。なのに、書きあがるのは「当たり前のことしか書かれていないのにやたらと長い文章」ですからね。なかなか書こうとする人が現れないのも道理だと思います』
説得力というのは、……私は、あまり信用していないのです、
……例を出すものが微妙ですが、ヒットラーの演説にあの時代、人々が魅了されていたように渦というのははまり込めば理屈もなにもない状態に堕とされますから
……それだけ、同調圧力とは、共感の力とは、集団の力とは恐ろしい
……でも、恐ろしいとは言っても、とっかかりがあり、そこから壁が消え去れば、クリスマスキャロルの小説によって、クリスマスに慈善事業が違和感なくとけこむ それらの意識が定着するように、時として、気難しい宗教政治のポスターのようなものより、童話のような小説の方がより人々の心を共感に向かわせるように、どのような『当たり前』であっても、それは初めから、当たり前であったのかしら、という意識は必要なように思えてしまいます
そうでなければ、いつの間にか気づかぬ内に自身すら偏った意識に取り込まれ、それが当然だと思えるようになってしまうのですから
……なんというのでしょう、今回、この、市境前12アール 様 のご作品を目にして、実は一番に考えたのは、底の部分だったように思います
……自らが目にした事実ではないものですら、壁を消し去った(特に身内と考える方々とのやり取りで)相手が、何か悪評を漏らしたとします それは、このご作品では運営様の悪評というものを提示されておりますが、その身内がそれを言った事実が在るというだけの目の前の状況のみを目にした周りの者たちがその(事実かどうか不明であり、受け売りの悪評のみを真実だと思い込み)今度はその周りの者たちが、(まるで受け売りの情報が真実のように自ら目にもしておらず、確かめても居ない不確かな情報を)今度は受け売りのまま伝えるのです まるで真実がどこにあるのかもわからない尾ひれのついた伝言ゲームを永遠続けるのでしょう
……そのような集団が持つ情報程、ひどく疑わしいと私は思えてしまいます
説得力があるというだけでは、そこに真実があるという証拠にはなりえないということを、情報を受け取る側は常に意識づけなければないのではないだろうか、
そう、私は考えるのです
このご作品を目にして、私が実は一番に考えたことはこのようなことでした
市境前12アール 様 、私は、変なことを思考し過ぎているのでしょうか……独りでは考えが偏って纏まってしまうように見えてぐるぐるしてしまうのです、
……変な感想を申し訳ありません、
市境前12アール 様
有難う御座います
大分悩んだのですが、すこし整理をしたくて……市境前12アール 様なら、とんとんとんと言葉の手助けをしていただけるのではないかと、、思考したため、えいやっと失礼いたします
※もし微妙だった場合は、返信もされずに打ち捨てて下さいませ
>『自分で書き上げておいてこんなことを言うのは何ですが、「当たり前のことを、人に伝わるように説く」これは結構難易度の高いことだと思います。なのに、書きあがるのは「当たり前のことしか書かれていないのにやたらと長い文章」ですからね。なかなか書こうとする人が現れないのも道理だと思います』
説得力というのは、……私は、あまり信用していないのです、
……例を出すものが微妙ですが、ヒットラーの演説にあの時代、人々が魅了されていたように渦というのははまり込めば理屈もなにもない状態に堕とされますから
……それだけ、同調圧力とは、共感の力とは、集団の力とは恐ろしい
……でも、恐ろしいとは言っても、とっかかりがあり、そこから壁が消え去れば、クリスマスキャロルの小説によって、クリスマスに慈善事業が違和感なくとけこむ それらの意識が定着するように、時として、気難しい宗教政治のポスターのようなものより、童話のような小説の方がより人々の心を共感に向かわせるように、どのような『当たり前』であっても、それは初めから、当たり前であったのかしら、という意識は必要なように思えてしまいます
そうでなければ、いつの間にか気づかぬ内に自身すら偏った意識に取り込まれ、それが当然だと思えるようになってしまうのですから
……なんというのでしょう、今回、この、市境前12アール 様 のご作品を目にして、実は一番に考えたのは、底の部分だったように思います
……自らが目にした事実ではないものですら、壁を消し去った(特に身内と考える方々とのやり取りで)相手が、何か悪評を漏らしたとします それは、このご作品では運営様の悪評というものを提示されておりますが、その身内がそれを言った事実が在るというだけの目の前の状況のみを目にした周りの者たちがその(事実かどうか不明であり、受け売りの悪評のみを真実だと思い込み)今度はその周りの者たちが、(まるで受け売りの情報が真実のように自ら目にもしておらず、確かめても居ない不確かな情報を)今度は受け売りのまま伝えるのです まるで真実がどこにあるのかもわからない尾ひれのついた伝言ゲームを永遠続けるのでしょう
……そのような集団が持つ情報程、ひどく疑わしいと私は思えてしまいます
説得力があるというだけでは、そこに真実があるという証拠にはなりえないということを、情報を受け取る側は常に意識づけなければないのではないだろうか、
そう、私は考えるのです
このご作品を目にして、私が実は一番に考えたことはこのようなことでした
市境前12アール 様 、私は、変なことを思考し過ぎているのでしょうか……独りでは考えが偏って纏まってしまうように見えてぐるぐるしてしまうのです、
……変な感想を申し訳ありません、
冬子さま
まずは、本感想の返信ですが、本エッセイで行った主張と関係しないということを、まずは宣言させてください。
そして私は、常に目の前にある言葉に対して誠実に対応したいと思っています。
……いるのですが。
実は今回、様々な要因(仕事的な時間上の制約)等がそろそろ深刻になっていまして。
もしかすると、色々と不足してしまうかもしれません。その辺り、ご容赦願えればなあ、なんて思います。
あと、私はそんな大した人間ではありません(笑)
なので、お力添えが出来ないこともあるかと思います。もしそうなってしまうようなら申し訳なく。
以上、前置きをさせていただいたところで。
まず、そうですね。私が冬子さまに返信差し上げた文章で、確かに言葉の使い方について、「当たり前のことを、人に伝わるように説く」と書かせていただきました。ここで私が言いたかったのは、冬子さまが受け取られたように、「人に何かを伝えるときは『説得力』を意識して話をすべき」、そんな意見でした。
まずはその点、受け取っていただけて感謝します。
そして、冬子さまのおっしゃるように、確かに言葉とは違う力に言葉が乗った時というのは恐ろしいと思います。そうですね、数とか権威とか感情とか、そういった類でしょうか。
数の力に言葉が乗った時というのは、言葉の持つ説得力を凌駕してしまうこともあるかと思います。そういった点で、確かに説得力というのは、確かに弱いところがあると思います。
だから、私が「言葉の説得力」にこだわるのは、単に自分的にその方がカッコいいと思っているだけかもしれません(笑)
ですけどね。それでも人を動かそうとするときには、言葉の説得力で動かそうとするのが、一番いいと思います。
――それは、「それは、その言葉を受け取ってもらう人に考えてもらって、納得できるようなら受け取ってもらう」ということに他ならないのですから。
◇
> 説得力があるというだけでは、そこに真実があるという証拠にはなりえないということを、情報を受け取る側は常に意識づけなければないのではないだろうか、
そうですね。私もその考えには同意します。そして同時に、その考え方も考え方の一つであって、相手に押し付けることはできない、そうも考えています。
だからこそ、本エッセイの感想欄で反対意見を書かれた方に対して私は、「私はこういう考え方をしています。考えてみては如何ですか」といった返信の仕方をしていますし、その結果、以前と同じ考え方をされるのであれば、その方がそういう考え方をされる方だということでしょう。私は、そこまで否定しようとは思いません。
――自分と他者とが異なる考え方を持っていてもいい。それは否定されるべきことでは無いと思います。もしもそれが、互いに考え方を交換した後であればなお良いのかなと。違う考え方でもその考え方を互いに認め合えるのなら理想でしょう。そうでなくても、違う考え方だと知っていれば、そこに触れ合わずに済むのかもしれない。それだって一つの答えです。
ただ、考え方もわからずに行動だけ見ていたら、どうやっても理解できないことはあります。そして、そんな時に放つ言葉が「数」や「感情」ではいけない。分かり合えない時にこそ、「言葉を重ねて」「言葉を納得して受け取ってもらう」必要があると、そんな風に思います。
※ なお、私は「ルール」というものには異なる考え方を持っていますので。その辺りは誤解なきようお願いしたい、なんて思います。
◇
冬子さまが感じて頂いた「本作品の底」、「誰かが言ったことがそのまま真実になっていく」という現象は、本作品の主題の一つだったことは間違いありません。
ですが同時に、それを「信じる」ことと「発信すること」の間には、大きな隔たりがあるはずです。
今回のエッセイで私の論に触れて頂いて、冬子さまはどう感じたでしょうか。
「これは借り物の意見」と感じたでしょうか。それとも「市境前12アール」という一人の人の意見だと感じたでしょうか。
もしこれが「市境前12アール」という一人の人間の意見だと感じたのであれば、これほど嬉しいことはありません。
ある情報が提示されて、それを参考にするのも信じるのも良いと思います。ですが、それを発信するのであれば、信じるだけではだめなのかなと。「誰かが言ったことがそのまま真実になっていく」というのは、「発言者の意見になっていない、伝聞としての言葉が広がっている」状態だと思います。
……その現象が発生することはどうしようもないと思いますが。それが仮に自分だけでも「起こっていることをそのまま言葉にする」のではなく、「起こっていることについてどう考えているか、どう感じたかを、伝わるように言葉を放つ」べきだと思います。
そして、常に自分の意思を自分の言葉として放つ、言葉の説得力を自分自身から持ってくる、これこそが「発言に責任を持つ」ということだと思います。
自分の考え方としてはこんな感じでしょうか。この言葉が、冬子さまにとって何かの一助になるといいなと、そう思います。
……あくまで参考程度として受け取ってもらえば良いですよ。
まずは、本感想の返信ですが、本エッセイで行った主張と関係しないということを、まずは宣言させてください。
そして私は、常に目の前にある言葉に対して誠実に対応したいと思っています。
……いるのですが。
実は今回、様々な要因(仕事的な時間上の制約)等がそろそろ深刻になっていまして。
もしかすると、色々と不足してしまうかもしれません。その辺り、ご容赦願えればなあ、なんて思います。
あと、私はそんな大した人間ではありません(笑)
なので、お力添えが出来ないこともあるかと思います。もしそうなってしまうようなら申し訳なく。
以上、前置きをさせていただいたところで。
まず、そうですね。私が冬子さまに返信差し上げた文章で、確かに言葉の使い方について、「当たり前のことを、人に伝わるように説く」と書かせていただきました。ここで私が言いたかったのは、冬子さまが受け取られたように、「人に何かを伝えるときは『説得力』を意識して話をすべき」、そんな意見でした。
まずはその点、受け取っていただけて感謝します。
そして、冬子さまのおっしゃるように、確かに言葉とは違う力に言葉が乗った時というのは恐ろしいと思います。そうですね、数とか権威とか感情とか、そういった類でしょうか。
数の力に言葉が乗った時というのは、言葉の持つ説得力を凌駕してしまうこともあるかと思います。そういった点で、確かに説得力というのは、確かに弱いところがあると思います。
だから、私が「言葉の説得力」にこだわるのは、単に自分的にその方がカッコいいと思っているだけかもしれません(笑)
ですけどね。それでも人を動かそうとするときには、言葉の説得力で動かそうとするのが、一番いいと思います。
――それは、「それは、その言葉を受け取ってもらう人に考えてもらって、納得できるようなら受け取ってもらう」ということに他ならないのですから。
◇
> 説得力があるというだけでは、そこに真実があるという証拠にはなりえないということを、情報を受け取る側は常に意識づけなければないのではないだろうか、
そうですね。私もその考えには同意します。そして同時に、その考え方も考え方の一つであって、相手に押し付けることはできない、そうも考えています。
だからこそ、本エッセイの感想欄で反対意見を書かれた方に対して私は、「私はこういう考え方をしています。考えてみては如何ですか」といった返信の仕方をしていますし、その結果、以前と同じ考え方をされるのであれば、その方がそういう考え方をされる方だということでしょう。私は、そこまで否定しようとは思いません。
――自分と他者とが異なる考え方を持っていてもいい。それは否定されるべきことでは無いと思います。もしもそれが、互いに考え方を交換した後であればなお良いのかなと。違う考え方でもその考え方を互いに認め合えるのなら理想でしょう。そうでなくても、違う考え方だと知っていれば、そこに触れ合わずに済むのかもしれない。それだって一つの答えです。
ただ、考え方もわからずに行動だけ見ていたら、どうやっても理解できないことはあります。そして、そんな時に放つ言葉が「数」や「感情」ではいけない。分かり合えない時にこそ、「言葉を重ねて」「言葉を納得して受け取ってもらう」必要があると、そんな風に思います。
※ なお、私は「ルール」というものには異なる考え方を持っていますので。その辺りは誤解なきようお願いしたい、なんて思います。
◇
冬子さまが感じて頂いた「本作品の底」、「誰かが言ったことがそのまま真実になっていく」という現象は、本作品の主題の一つだったことは間違いありません。
ですが同時に、それを「信じる」ことと「発信すること」の間には、大きな隔たりがあるはずです。
今回のエッセイで私の論に触れて頂いて、冬子さまはどう感じたでしょうか。
「これは借り物の意見」と感じたでしょうか。それとも「市境前12アール」という一人の人の意見だと感じたでしょうか。
もしこれが「市境前12アール」という一人の人間の意見だと感じたのであれば、これほど嬉しいことはありません。
ある情報が提示されて、それを参考にするのも信じるのも良いと思います。ですが、それを発信するのであれば、信じるだけではだめなのかなと。「誰かが言ったことがそのまま真実になっていく」というのは、「発言者の意見になっていない、伝聞としての言葉が広がっている」状態だと思います。
……その現象が発生することはどうしようもないと思いますが。それが仮に自分だけでも「起こっていることをそのまま言葉にする」のではなく、「起こっていることについてどう考えているか、どう感じたかを、伝わるように言葉を放つ」べきだと思います。
そして、常に自分の意思を自分の言葉として放つ、言葉の説得力を自分自身から持ってくる、これこそが「発言に責任を持つ」ということだと思います。
自分の考え方としてはこんな感じでしょうか。この言葉が、冬子さまにとって何かの一助になるといいなと、そう思います。
……あくまで参考程度として受け取ってもらえば良いですよ。
- 市境前12アール
- 2019年 06月15日 16時48分
[一言]
「ここの運営は、どこにでもいる、ちょっとコミュニケーションが苦手で、たまに人手不足なのかなぁなんて感じることもある、普段は処罰をするのに慎重なのに必要な時には即決果断になったりもする、だけど基本はユーザーの自由にさせてくれて、自分たちの悪口にやたらと寛大で評判も気にしない、ごくまれにドジっ子になったりすることもあるけど大部分においては信頼できる、そんな運営だと、自分は思います」
これが良い点に働くこともありますが、悪い方向に働くこともあります。
知り合いで弁護士を立てて運営と話し合った方がいたのですが、運営のぶっちゃけていえば素人さにご本人も弁護士さんも頭を抱えていました。
特にBANに関しては弁護士まで入った時はビジネスライクな規約と対応があった方がいいのではないかと思います。
結局その方はBANされてしまいましたが、もうこんなコンプライアンスめちゃくちゃなところはいい…と弁護士さんを立てるのもやめ、別サイトに移動されております。
「ここの運営は、どこにでもいる、ちょっとコミュニケーションが苦手で、たまに人手不足なのかなぁなんて感じることもある、普段は処罰をするのに慎重なのに必要な時には即決果断になったりもする、だけど基本はユーザーの自由にさせてくれて、自分たちの悪口にやたらと寛大で評判も気にしない、ごくまれにドジっ子になったりすることもあるけど大部分においては信頼できる、そんな運営だと、自分は思います」
これが良い点に働くこともありますが、悪い方向に働くこともあります。
知り合いで弁護士を立てて運営と話し合った方がいたのですが、運営のぶっちゃけていえば素人さにご本人も弁護士さんも頭を抱えていました。
特にBANに関しては弁護士まで入った時はビジネスライクな規約と対応があった方がいいのではないかと思います。
結局その方はBANされてしまいましたが、もうこんなコンプライアンスめちゃくちゃなところはいい…と弁護士さんを立てるのもやめ、別サイトに移動されております。
感想ありがとうございます。
えっと、その方がどんな形で運営と話しあったのか、私は見ていなかったので、その件の顛末については、正直何とも言えません。ただ、弁護士を立てて運営と話をする人は相当にまれだと思います。そういった意味では、運営は、今の方針で行くのが良いのか、規約を整備してビジネスライクな対応もできるようにするのが良いのか、この件を例として判断するのは少し難しいと、個人的には思います。
私としては、今の運営の性格はやっぱり、長所にも短所にもなりうる性格かな、なんて。
好みとしては、今の方が好きなのですが。ひいきかな、これ(笑)
ただ、そうですね。やっぱり人手不足とか、そういった面は改善してほしいと思います。
より多くの利用者に、このサイトが「良いサイト」になってほしいと思ってほしいなと、個人的には思っているのですけどね。
道は遠いです。
以上です。それなりの長さの作品でしたが、お読みいただきありがとうございました。
えっと、その方がどんな形で運営と話しあったのか、私は見ていなかったので、その件の顛末については、正直何とも言えません。ただ、弁護士を立てて運営と話をする人は相当にまれだと思います。そういった意味では、運営は、今の方針で行くのが良いのか、規約を整備してビジネスライクな対応もできるようにするのが良いのか、この件を例として判断するのは少し難しいと、個人的には思います。
私としては、今の運営の性格はやっぱり、長所にも短所にもなりうる性格かな、なんて。
好みとしては、今の方が好きなのですが。ひいきかな、これ(笑)
ただ、そうですね。やっぱり人手不足とか、そういった面は改善してほしいと思います。
より多くの利用者に、このサイトが「良いサイト」になってほしいと思ってほしいなと、個人的には思っているのですけどね。
道は遠いです。
以上です。それなりの長さの作品でしたが、お読みいただきありがとうございました。
- 市境前12アール
- 2019年 06月12日 21時34分
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