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[一言]
ライトノベルの地位がわかって少し衝撃が走りました。
やはり純文学目指した方がいいのか?でもライトノベルのほうが若い人に読まれやすいし......
ライトノベルと文学の間のような小説が書こうという決意が固まりました。
 若者がライトノベルから文学に興味を持つような、ライトノベルの地位が上がるような小説を書くべきだなと思いました。

  • 投稿者: 悩む人
  • 2015年 03月15日 13時22分
ご感想ありがとうございます。

果たして文学――ここでは、純文学とラノベ――に地位とかあるのかな、とか思います。「ラノベは文学ではない」とはぼくは思いません。純文でこそないですけど。
ぶっちゃけた話、こんなこと記事では書けないですけど、純文学とか既に死語というか終わったコンテンツであることに違いはないですし、その点ラノベはまだ生きてます。
内容だって純文学が良いとかラノベが良いとか、あるいはその逆とか、ないんじゃないかと思います。

考えてみれば、「天体の観測について」や「ミミズクと夜の王」のような作風やそれこそ「僕は友達が少ない」や「えむえむっ!」のようなものと幅広いので、この混沌としたものを一緒くたに「ライトノベル」と呼んでいることこそが最も「???」って思っちゃいますよね。余談ですけど。
  • 人鳥
  • 2015年 03月15日 15時57分
[一言]
更新を お疲れさまです。
少し時間がないので、「世界最弱の希望」は、十五話まで流し読み程度にさせてもらいました。流して読んだので 変なことを言っていたり、失礼なことを言っていたら申し訳ありません。

前半だけしか読んでいませんが、軽く読んでもキャラクターが深い動きをしている余韻が漂っていたのを感じる事ができました。今回の解説を読んで、その理由に合点がいき、思わず ひざを打ちました。プロットやキャラクターの役割についても、論理的であり 人鳥さんは実に研究熱心に執筆しているのだなと感心しました。かなり煮詰まった濃さの 展開の広げ方になりそうな予感がします。緻密な物語になりそうです。

少し気になったところがあります。スタート地点でのカルタシスは 気にして書いているのかなと疑問に感じましたがいかがでしょうか。
ところで、最強系のメリットは、スタートから気分が良いことに尽きると思います。例えば、「不良に絡まれている女の子がいて、最強の力で颯爽と倒して 恰好良く去っていく」ベタな設定ではありますが、「不良に立ち向かう」、「異性の前で恰好をつけたい」など、カルタシスが山盛りのシナリオです。神様から力を貰う ご都合主義ですが、一般人がいきなり強くなる分には矛盾が無くて、綺麗な設定だと思います。
そこで、がめつい発言になりますが、早めの段階でカルタシスが得られることを小説内に示さないと、四、五話程度で読み捨てられると思っています。かなり早めの段階で九話のような活躍するシナリオを展開したり、十二話、十三話の知識を崇められるようなカルタシスを感じる話を入れればもっと人気になのではないかと、素人目の考えですが感じました。

もちろん、プロットを見てみれば精巧な作りなのは一目瞭然です。しかし、カルタシスを使うタイミングが自分とは違うなと感じた文章でした。人鳥さんは、どのようなタイミングでカルタシスを意識していますか?


  • 投稿者: 退会済み
  • 2011年 11月02日 16時55分
管理
 感想ありがとうございます。
 褒めていただいてありがたいです。

 では、残りの第一章と第二章以降を読むにあたって、差し支えない程度に回答させてもらいます。

 
 『世界最弱の希望』の主人公のヒジリは、自分に力がある自覚がありません。最弱と言われ続けますから。であるならば、戦いに赴くための意志、決意、決断には相応の時間がかかると思いました。ぼくがある種の重大な決断を――それも命にかかわる決断を迫られた時、必ず迷いが生じます。
 第一話~第六話までは、その決断を助けるために必要な手続きだったと思っています。ぼくは「最弱の主人公がすぐに活躍する」という場面が、すごく不自然に感じられたのです。

 ただ、仰る通り、早い段階で活躍の場を描くのは、読者的には面白いというのも事実です。そこは意識していなかったわけではありません。けれど、ぼくはそれでもそれを選べなかったのです。最強系のメリットである「爽快感」と「カッコよさ」は、最弱系では使えないと思ったのです。言ってみれば、最弱系のメリットはどこまでも「人の意識」を現実のそれに即して書ける――ということでしょう。そこがこの『最弱』のテーマのひとつである「現実」にあたります。

 他にこれを読んでいる人がいれば申し訳ないのですが、『最弱』は、とことん敗北しとことん後味の悪い物語になる――現実ってそういうものだよね。という考えのもとで書かれています。

 見せ場や気分爽快な場面を描くことも勿論ありますが、『最弱』の場合は冒頭付近に持ってくることは困難でした。
 それを一番意識するのは、『最弱』では後味が悪い話を書いた時です。ずっとそのままでは読んでられませんし、書くのもつらいですから。
 それ以外の小説の場合は、少年漫画のセオリーに従い冒頭、もしくはその付近に配置することがあります。それでもやっぱり、ご都合主義過ぎたり急すぎる展開は嫌なので、少し遅くそれを配置する事が多いですね。


 ご指摘の通り、この小説は第四話付近ではぐれてしまう読者の方が多いようです。
 それから、ぼくも書き手としてはド素人でしかないただの大学生ですよ。『ライトノベルを書く。』を書けているのは、それが自分が書いた小説をもとにして書いているにすぎません。

 これからもよろしくお願いします。
  • 人鳥
  • 2011年 11月02日 19時42分
[一言]
本当にすぐに執筆しましたね。執筆 おつかれさまです。
色々な種類の「間」があり、非常に勉強になりました。例も取り上げてあって分かりやすく、非常に綺麗に纏まっていて、人鳥さんの心遣いが垣間見えるような体裁の良い仕上がりで素晴らしいです。

法則自体はありそうですが、こうして並べてみると、かなり個性が出てきますね。自分の場合は、動作を丁寧にゆっくり書く感じでしょうか。『世界最弱の希望』の例が似ているかもしれません。次点で風景を使っています。風景は次回に繋げる余韻に使ったりもするので、なるべく避けたいなと思いながら書いてますが、どうもボキャブラリーが足りないと使ってしまいます。そのおかげで余韻が微妙だったりと、歪さが広がっていき書くたびに未熟さを痛感しております。

クビキリサイクルは以前に読んだことがありますが、例で使った「間」は確かに面白いと思いました。たった二行なのに、かなりの間が空いた印象を持ちます。恥ずかしながら、読んだ時は言葉のボキャブラリーの量に気をとられていて、思いっきり流して読んでいました。たった二行にも関わらず、物凄い容量が見事に入っている文章だと感動しました。

  • 投稿者: 退会済み
  • 2011年 09月15日 01時32分
管理
 ありがとうございます。
 そうほめていただけるとぼくとしては(以下略)

 書き方に正解はなく、演出したもの勝ちなのかもしれませんね。誰かが「稚拙な表現だね」とか言ったとしても、そこには相応の理由があって、思惑があるものです。『クビキリサイクル』の間の取り方もある種、そういう批判を受けかねない表現ではありますしね。

 ももも。さんのような熱心な方が読んでくれていてうれしいです。
 これからもよろしくお願いします。
  • 人鳥
  • 2011年 09月15日 12時47分
[一言]
はじめまして。
お気に入り登録をさせて読ませていただいています。久しぶりの更新 お疲れさまです。
私も自己解析はしていますが、あくまで感覚的な物です。ちゃんと文章で表現して伝わりやすく加工する技術は、なかなかできるものではないですし、感想の返信も何度か目を通していますが、真摯に対応し、その上で自分の考えをしっかりと持って応答して いつも感心しています。

今回の『小説を分解する』ですが、他人の小説を批評しているタイプは何度か見た事があります。ですが、書き手側からの視点での解説は せいぜいあとがき程度でしか見られず、悪く言えば楽屋話で止まっているものがほとんどです。

しかし、今回の話は 細かく自己分析している珍しいタイプでしたので、とても新鮮で非常に感性が磨かれたようでした。起承転結をちゃんと教本通りに守るので無くて、キャラクターなどの土台を構成して、いかに雰囲気を高める演出の描写を書くかが大切なのかもしれないと、読んで ひしひしと感じました。


今回の話とは関係が少ないですが、少し気になった点があります。『テンポを考える』を読み返した時に思いつきましたが、『間の開け方』については、どのように捉えていますか? 例えばドラマなら「犯人はこの中にいる!」の後の沈黙した雰囲気や、大きな啖呵を切る前の 独特な空白の時間と云えば良いでしょうか。ドラマなら役者の沈黙で間が空きますが、小説だと読み進んでしまうので、非常に難しく解析が必要な描写だと思います。改行も確かに間を開ける表現ですが、それ以外についても書いてあったなら さらに良くなると思うのですが いかがでしょうか。

長々と書いて申し訳ありません。
とても有意義で素晴らしい時間を執筆していただき ありがとうございました。

  • 投稿者: 退会済み
  • 2011年 09月09日 22時02分
管理
 感想ありがとうございます。なかなか記事テーマが浮かばず、ない頭絞って書きました。

 そうほめていただけると、ぼくとしては有頂天になるしかないわけで、これから書き続けていく気力がわいてきます。書き手としても考察者としても未熟ですが、これからもよろしくお願いします。


 さて、『間の開け方』について、ですか。貴重な記事テーマの原石なのであえてここで回答する事は少なめにしますが(考えも全くまとまっていません)、そうですね――ぼくは一人称小説で書くことがほとんどなので、語り手の感じ方に頼っている感が否めません。間については、『テンポを考える。』のように記号でどうこうできませんから、やはり文章による間の演出になってきますよね。
 あまりそういうものを書いた記憶がないのでたしかなことは言えませんが、食事の時の会話での間の演出は、Aがお茶を飲む動作を入れることで表したりしています。

 ここでは長くなりすぎますし、せっかくのテーマですから、次の記事で書きたいと思います。少しばかり遅くなるかもしれませんが、書かないなんてことはないはずですからご了承ください。

 あ、そうそう。長文の感想は個人的には大好きなので、遠慮せずに書いちゃってくださいね。
 それではまた、次の記事でお会いしましょう。
  • 人鳥
  • 2011年 09月09日 22時50分
[一言]
「ライトノベルを書く。」の最新記事、拝読させていただきました。深い洞察で大変面白く読めました。
その中で少し気になったのが、

文章のテンポ(=リズム)

とされている点です。音楽用語においては、テンポとリズムは意味がはっきり違います(テンポは「速さ」で、リズムは「拍」ですね。メトロノームで設定するのが速さであり、ワルツやマーチという拍子の違いがリズムということになります)。どうせ同じ意味で使われるのなら、使い分けはせず、どちらかに統一されてはどうでしょう。
……まぁ、そんなところに引っかかる偏屈者はそういないとは思いますけど^^; というか、なんかいちゃもんみたいですねこれ。うーん、ここまで書いておいてなんですが、「そこが引っかかる読者もいる」程度に留めておいてくださいm(__)m

そして本題、ライトノベルの特徴である改行の多用の効果が強意であるというくだり。個人的な意見としては、改行の多用そのものではなく、一文の「どこで」改行するかがライトノベルは独特なのではないかと感じます。つまり、述語を迎えていないのに句点をつけて改行するパターンが非常に多いということなんですが。
そして、そういう文章は、妙に舌足らずというか、幼い印象を受けます(言い切って終わらないわけだから、ある意味当然なんですね。青少年の悩める内面をそのまま文にしたようなどっちつかずさ、不安定さというか。さらにそれを「強意」するのですから、良くも悪くも効果は倍増するという仕組みですね)。中高生をメインターゲットにしているだけに、この手法はひどく的を得ているような気もします。体言止めの多用が稚拙さやくどさに直結してしまうのと同じで、一般文芸作品の場合、きっちり文章効果を狙った場面以外では、まず使われることはないでしょう。

こうした「特殊な改行法の多用」は、今のライトノベルでは一種のお約束のようなもので、逆にそれがないとウケる文章になれないのかもしれませんね。
……すみません、どうも批判的というか、トゲのある内容になっているかもしれませんが、他意はまったくありません。面白い記事にはつい喰いついてしまう困った性分なもので……。三度、長々失礼いたしました。
  • 投稿者: 退会済み
  • 2011年 02月02日 19時58分
管理
 感想ありがとうございます。

 ご指摘ありがとうございます。タイトルでテンポと表記していますから、そちらで統一をしました。nakonokoさんの指摘から考えると、こちらの方が良いとの判断です。

 さて、改行の件ですが、たしかにそのような書き方もありますね。ぼくもその書き方をした覚えがあります。というよりも、多用しています。記事を書いている時は、それを失念していました。できるだけ早い段階で、そのことに関しても追記をしようと思います。
 nakonokoさんの指摘の通り、その表現法は普通の(記事内で紹介してる)改行法とは違い、文章効果を狙った場面で用いるべき表現ですね。ぼく自身のことを言えば、主人公が胸の内を語る場面で用いている場面が多いようです。それも、主人公が動揺している時ですね。

 ライトノベル特有の改行法は、ライトノベルを書いている人にしてみれば、「ウケる」「ウケない」というよりも、書いているうちに自然とそうなっていた、という感じなのではないかなと思います。なぜって、ぼくがそうでした。というのも、ライトノベルを書く人は、大方、ライトノベルをよく読みます。すると、その表現が体に染みついているわけですね。いざ自分が書くと、そのような表現が出てくる。書くことになれれば余計にでしょう。そして、それを読んだ人が……。というサイクルなのでしょう。
 そしてライトノベルの表現の形式が、どんどんと形を明らかにしていくわけですね……。

 批判的な感想の受け入れ態勢は万全です。遠慮せずに送ってください。そこから見えてくるものも多いはずですから。あと、何度でも長々と送ってください。ぼくの投稿しているものは、ほぼすべて深刻な感想不足ですから。熱心に読んでくれている方がいるという実感がわき、送られるたびに喜んでいるのです。
  • 人鳥
  • 2011年 02月02日 20時21分
[一言]
連投で恐縮です(本当はメッセを利用しようかと思ったんですが、それも重いかと……)
人称についての章を拝読させていただきましたが、少し気になるところがあったので、書き込みさせてください。

>【視点の切り替え】
 疑似三人称小説。
 地の文は一人称だが、語り部が変わることにより、読者は疑似的に神さま視点で物語を見ることができる。つまり、物語を全体的に見ることができる。

という箇所について。「擬似三人称」というのは形式としては(文字どおり)三人称なのでは? つまり、主語が「私」でも「彼or彼女(あるいはその人物の名前)」でもどちらでも成り立つ文章だと思うのですが。
人鳥様の書き方ですと、一人称の地の文の、語り手だけがリレーのように変わっていくやり方のように取れ、違和感を覚えました。

ちなみに自分の場合、三人称を書こうとしてもほぼ必ずこの擬似三人称のスタイルに終わることが多いです。人称のコントロール、ブレない作者視点を保つことって本当、むずかしいですよね……。
  • 投稿者: 退会済み
  • 2010年 11月07日 21時50分
管理
 感想ありがとうございます。

 連投でもお気になさらないでください。人鳥へ送られる感想はとても少ないので、それを気にすると感想を送れなくなってしまいます。

 
 疑似三人称についてのことですか。
 たしかに、主語が「私」でも「彼」でも成り立つ文章です。ただ、ここで問題となってくるのは、『フィルター』なんです。つまり、一人称形式なら、語り部というフィルターを通して読者に伝わります。
 三人称の場合、語り部は神視点、つまりは書き手そのものであり、厳密には違いますが「不在」に近いものです。フィルターがない状態なんですね。
 
 何が言いたいのかと言うと、そこに「私」というフィルターが存在する限り、「三人称」ではありえないわけです。あれ? これで説明になってますか?
 
 視点が変わることで、その世界を見る価値観が変わってしまうなんて、三人称形式ではまずないことです。
 三人称に近いものがあるけれど、やはり三人称形式とは言いづらい。だから「疑似」なんです。 

 なんだか説明になっているのかなっていないのか、はなはだ疑問で仕方ないのですが、今後、三人称形式に関する記事や二人称小説に関する記事(こちらは未定)も掲載する予定なので、読み比べて見てください。
 もしかしたら疑問が氷解するかもしれません。
 もしそれでも納得がいきませんでしたら、またここに書き込んでいただくか、メッセを送っていただければ幸いです。

 今回の記事に関しても、今後一切修正がなされないわけではないので、いずれ納得のいく記事なるかもしれません。
  • 人鳥
  • 2010年 11月08日 18時25分
[良い点]
人鳥さん、こんにちは。
dalmabowzと申します。
読ませていただきました。

ライトノベルのアプローチがとても分かりやすく、「ああ、あの作品はそう書かれていたのか!」と既読ラノベの骨組みが理解できました。
私は「読み手としては」、雑食なので文学も本格もラノベも単なる作品だと思って読んでます。飾りや看板に興味はないので^^
音楽にクラシックやジャズやロックがあって、それぞれいい曲も駄目な曲もあるのと何が違うんだろうと思ってますし。
そんな意味でラノベの負のイメージを恐れて、文学やエンタメを標榜する、過去に読んだ隠れラノベ小説にもこの分析が当てはまる点も興味深かったです。
[一言]
実は、最初の感想はこの作品の内容ではなく、これを書く決断をされた人鳥さんが「なんか、すごい人だ」と思いました。
私には正直無理です。

当然私には小説をこの様に分析する知識もありません。でもそういった問題ではなく、こんな風に自作を腑分けして「ほら、この臓器の働きが駄目なんだよ」と、ここまで冷静に言えません。それをあえて「なろう」に掲載する人鳥さんの勇気こそが凄いと思います。
自分に当てはめてみると、精神衛生上良くないです。
でも、とても参考になったので、気持ち的にがんばれる間はがんばっていただけると嬉しいです^^

  • 投稿者: 西門
  • 2010年 11月05日 19時34分
 感想ありがとうございます。
 なんだかもう、うれしくてなんども読み返し、ほめていると見せかけて実は……という要素を探してしまった人鳥です。基本的にほめられ慣れていないのです。

 わかりやすかったと言っていただけたら、ぼくとしては有頂天になるしかありません。


>音楽にクラシックやジャズやロックがあって、それぞれいい曲も駄目な曲もあるのと何が違うんだろうと思ってますし。
 たしかにその通りですね。小説のジャンルのひとつである、という認識がまだ一般的になっていないのかもしれません。第一項で書いていましたが、純文学しか読めない人も、ラノベしか読めない人も、それは同じことなんですよね。まずは「ラノベ」が「軽い読み物」である、つまりは「チープなもの」であるというような考えはとっぱらわなければいけません。
 まあ、がっかりするかもしれませんが、ぼくはこれを書くにあたってそこまでは考えていなかったのですけれど。
 

 勇気、ですか。
 たしかに自分の小説をボロクソに言ってしまうわけですし、押しつけがましく思えるような書き方で自分の小説観を書いていくという点で、躊躇がなかったわけではありません。むしろ「投稿」をクリックした時点で「やっちまった!」と思ったくらいです。
 でも思ったんです。
 書き方指南のような文章は「なろう」にはいくつかありますし、優れた参考書たるものもありますが、「小説そのもの」について考えたものってないよねって。
 文章作法やテンプレのような設定にならないようにするのも大切ですが、自分が扱っているものを理解する方が先じゃないかなって。だからこうして書いているんですよ。きっと。

 自分は自分の小説をボロクソ書くことにあまり抵抗はないので(言われると涙目ですから、優しくしてくださいね)、自分が納得するまで書き続けていこうと思います。
  • 人鳥
  • 2010年 11月05日 20時24分
[良い点]
良くも悪くも、自分の筆力を客観視できているところと、どう向上させるかというメソッドを試行できているところに好感を持ちました。それができる人は必ず伸びていきます。
[一言]
まず短編をたくさん書くことをおすすめします。短編が書けなくて長編が書けるはずがないからです。

日常のシチュエーションを脳内で文章化するクセをつけるのもおすすめです。描写力はあって邪魔になりません。

あと、ラノベではない「ノベル」をたくさん読むことです。
ちゃんとしたノベルの構成が理解できて初めて、そこからどう引き算してラノベを作るかが見えてきます。
それに、ラノベだから設定や描写は引き算(割愛・省略)していいんだ、例として、とにかくキャラに「不幸だーっ!」とか言わせてればラノベは成立するんだ、と思うのは、ただの手抜きですし、誰かが一回やったら、後はパクリにすぎません。

すべてを頭痛がするほど考え抜くべきです。

そうすれば、数百万語書いても下手なままみたいな人より、必ずうまくなれます。

通りかかりのおせっかいでした。がんばって下さい。
  • 投稿者: 美濃勇侍
  • 30歳~39歳 男性
  • 2010年 11月03日 01時40分
 感想ありがとうございます。

 なんと言いますか……恐縮です。自分の小説を客観することは、読者視点を持つための第一歩ですから、そのように言っていただけると、その点に関しては成長しているのかなと思えます。

 たしかにラノベとそれ以外の小説なら、ぼくは2:1の割合になってしまい、やや足りないのでしょう。そういう部分はどうしても文章に出てしまっています。反省すべき点です。
 日常のシチュエーションを脳内で文章化、ですか。文章表現の練習には良いかもしれませんね。頭をよぎった時にやってみることにします。
 
 せっかくご意見をいただきましたが、ぼくとしては見逃せない点がありましたので、失礼と思いながらも書かせていただきます。揚げ足取りのようになってしまうかもしれませんが、ご了承ください。


>あと、ラノベではない「ノベル」をたくさん読むことです。
>ちゃんとしたノベルの構成が理解できて初めて、そこからどう引き算してラノベを作るかが見えてきます。 

 とのことですが、ラノベは「ちゃんとした」ノベルとは言えないのでしょうか?
 ぼくはそのようには思えません。内容の濃さ、メッセージ性に差異が出てしまうのは否定する部分が全くありませんが、少なくともぼくは、人鳥という書き手としても個人としても、ラノベはその他の小説と同じステージに立っている小説群であると考えています。

>それに、ラノベだから設定や描写は引き算(割愛・省略)していいんだ、例として、とにかくキャラに「不幸だーっ!」とか言わせてればラノベは成立するんだ、と思うのは、ただの手抜きですし、誰かが一回やったら、後はパクリにすぎません。

 割愛・省略しても良いとは書いていません。また、キャラの口癖・特徴・行動の癖などの、ある種単調なものでラノベが成立するとも思っていません。そのように思っている書き手は、おそらくいないでしょう。
 ぼくがこの『ライトノベルを書く。』で書いていることは、それらを「ギミック」として扱うことです。
 手抜きを指南しているつもりは毛頭ありません。
 予備知識を持っていることで楽しみが増す、という前提のもとでそう書いているのです。
 そのように読み取ってしまわれたのなら、おそらくぼくの書き方が悪いのでしょう。けれども、ひとまずそこだけはご理解をいただきたいと思います。
  • 人鳥
  • 2010年 11月03日 10時02分
[良い点]
文章にポリシーを感じました。「ぼく」(←「僕」ではないところ)、傍点が「・」ではなく「、」なところなど、おそらくかなりの読書家でいらっしゃるのでは。
[一言]
初めまして。

私自身はライトノベルが苦手で、正直、読めません。
怖いもの見たさ的な心理でお邪魔させていただいたんですが、興味深い考察が多く、大変面白く読ませていただきました。

>ぼく、人鳥が思うに、ライトノベルであることを考える上で重要なのは『ゲーム的』であることと『キャラクター』がメインにあることであると思う。

おそらくそうなんでしょうね。
キャラクターを軸に物語を作るという手法そのものは別に間違っていないと思うんですが、そのキャラの立て方がどうもラノベって独特ですね。おかしな口ぐせを与えたがるというのはラノベならではだと思います。そういうお約束に抵抗を感じない人じゃないと楽しめないジャンルなんでしょうね、やっぱり。

人鳥様ご自身が一歩引いているというか、とても客観的なスタンスで書かれているので、私のように否定的な人間でも楽しめました。(ただ、もしかしてご気分を害されていたらすみません……) それでは。
  • 投稿者: 退会済み
  • 2010年 10月26日 20時09分
管理
 感想ありがとうございます。

 >文章にポリシーを感じました。「ぼく」(←「僕」ではないところ)、傍点が「・」ではなく「、」なところなど、おそらくかなりの読書家でいらっしゃるのでは。

 そう言っていただけるのはうれしい限りです。読書は中~高校生がピークで、恋愛ものとホラーもの以外は読みましたね。純文学系統も少々。

 ライトノベルはゲームや漫画、アニメの延長線上にあると思います。そう考えると、キャラ立てが大きな課題になるんですね。口癖は……たしかに、純文学系統のものを読むとあまり出てきませんね。口癖にとどまらず、決め言葉もラノベの特徴だと思います。
 ドラマ『相棒』の「あ、それともう一つ」とかアニメ『金田一少年の事件簿』の「じっちゃんの名にかけて」とか。
 『相棒』はラノベじゃないですけど。

 ここに書いていいものか、少し疑問ですが、キャラクタの項で挙げている西尾維新さんの『きみとぼくの壊れた世界』はライトノベルと(新)本格ミステリの両面からの読み方ができます。ご友人の方がお持ちなら、ラノベ入門的にお読みになるのもいいかもしれません。

 >人鳥様ご自身が一歩引いているというか、とても客観的なスタンスで書かれているので、私のように否定的な人間でも楽しめました。(ただ、もしかしてご気分を害されていたらすみません……)

 自分の小説をボロクソに書くわけですから(そうならないようになりたいものです)、客観的に書かないと涙があふれて止まりません。そうでなくても、こういう物を書くには客観性は大切ですからね。自分の主張を書きながらも、それは意識するようにしました。
 ご機嫌斜めになるような要素が全くありません。むしろ否定的な方に楽しんでもらえたことを、とてもうれしく思います。
  • 人鳥
  • 2010年 10月26日 20時51分
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