エピソード2の感想一覧

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[良い点]
剣道経験者ですが、共感できる部分が多くあります。

自分の場合、師にはいつも恵まれました。ありがたい限りです。
しかし、小中を通してクソみたいな先輩がおりまして……「アレにだけはならない」と歯を食い縛り、結果として彼がいなくなった後の部は穏やかなものにすることができました。いい反面教師です笑

発声については、起源は存じていました。確かに、古の剣術家は(ジゲン流を除き)死合の中で声を発することはなかったでしょう。
しかし、たとえ始まりがどうであれ、大事なのはそこに意味を見出しながら稽古に励むことだと思っています。
己を鼓舞し、相手を威圧する。単なるポイント稼ぎのためでなく、実のある気勢を発せられるよう心がけています。

[気になる点]
剣道の姿勢がドイツ流の影響を受けているとのことですが、剣道の大きな源流の一つとされる北辰一刀流や小野派一刀流の演舞を見ていると、同様の姿勢が見られます。
加えて江戸後期には、北辰を始め、鏡心明智流、神道無念流などの竹刀稽古重視の流派が台頭し、他流試合も積極的に行われるようになりました。
以上のことから、明治に入って撃剣興行が始まる以前から、江戸後期の剣術は竹刀の試合重視であり、現代剣道の基本姿勢はその時点で得点の取り合いに最適なスタイルとして確立されていたのでは?
[一言]
これからの剣道は、目下の者から目上の者への敬意だけでなく、それを受けた目上の者が敬意を払われるにふさわしい振る舞いをすること、またはそういった新たな礼儀を教えることが重要だと思います。武道としても、スポーツとしても。
  • 投稿者: 蜻蛉切
  • 18歳~22歳 男性
  • 2020年 09月21日 20時25分
目を通していただきありがとうございます。

習い事は善き師に出会えるかどうかが重要ですね。私は剣道でダメな師に会ったことから、剣道よりも古流の剣術に興味が湧き、その後、素晴らしいチャンバラの師匠と出会うことができました。

ダメな先輩というのは、何処にでもいるものですなあ。

かつての剣術家でも声を術として使っていました。幻視術、金縛りの術など。これは失伝しておりどんなものだったかは断片でしかわかりませんでした。

現代で使おうとすると、自分の名前を知らない筈の人物にいきなり名前を呼ばれると、たいていの人は驚いて動きが止まります。

発声は、新たな意味を見い出しこじつけなくとも、声を取り入れた身体操作法、呼吸法や太極拳、ヨガなどから声と身体の関わりを調べた方が良さそうに思えます。

己を鼓舞し、相手を威圧する発声と、舞台から見ている観客に聞こえるようにする発声とは、目的が違いますから。

江戸時代後期には竹刀稽古が普及し、竹刀で競い会うようになっていったようです。竹刀の為に特化すれば、重量の違いと速く当てるために、手首のスナップで竹刀を振るやり方に変わっていきそうですね。

現在、残る古流剣術の型の中には伝える人がいなくなり一度失伝したものの、新撰組人気から復活したものなどがあります。

これは一度失伝したあと、復活させたのが義務教育で体育からドイツ式の行進練習をしていた現代人なので、型もかつての術理を失い見た目をなんとなく真似したもの、というのもあります。

かつての明治以前の日本人の身体の動かし方を知っている人が少なくなりました。現代人のスポーツ感覚で古流の動きを再現しよう、となるとかなり難しいようです。

暖簾をくぐる動きひとつとっても、肩を落とし粋に見せる、なんて人もいなくなりましたから。

もし興味があれば、『黒田鉄山 駒川改心流剣術 演武 』など検索して見てみて下さい。柳生の流れを組む剣術の動き方とはこういうものではないでしょうか。

日本は年功序列が悪い意味で使われる団体が増えました。
これからの若手の剣道家は、反復稽古と根性だけの老害よりも、剣道の歴史と成り立ち、伝統に詳しくなり、世界大会で審判にクレームをつける選手を説得できる言葉を持ち、使えない年寄りが恥をかく前に追い出した方が良かろうと思います。

その中で尊敬できるちゃんとした師が残ると良いのですが。
  • NOMAR
  • 2020年 09月21日 22時16分
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