感想一覧
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[良い点]
「晴れの狭霧、葬式に対する懐疑、死の所在」までを読みました感想です。一場面につきひとつの主題が掲げられ、それを中心にして舞台が回る・歯車の伝達のような仕組みを、これほど大規模に展開できるのはひとえに前河さんの深い造詣だけがなせるわざでしょう。それだけに、全体をひとつの主題に要約して感想を述べるのは困難で、ある意味、これら独立した細部に対し失礼かとも存じますので、ひとまずこの辺で、所感を述べさせていただきたく云々。
村上春樹の影響が随所に見られると思います。具体的には「セリフの体言止め」や「~のように。と比喩で結ぶ語り口」です。
尾籠ながら、私は村上春樹に苦手意識を持っておりますので、「このセリフ回し、リアルにやったら相当不自然だろうな(笑)」とか「時々、この二人は意識がリンクしてるみたいにセリフがかみ合いすぎている」などと思ってしまうのですが、常々、その美点を理解したいとも思っております。何せ、人気がありますから。
影響というより、ところどころ、村上春樹を優に上回っている思索と描写の深さを感じます。
ことに情景は、固有名詞を効果的に登場させて現実の具象性を補償し(綿密な下調べに、わたくし、脱帽でございます)、読者を其場に臨在せしめ、人物たちの皮膚を介して読者の感覚にじかに訴えて来るような描写は、前河さんの観察眼の鋭さをうかがわせます。またその際、言葉は自在に変形して、従来の用法から解き放たれております。
[気になる点]
村上春樹は、朝起きてからの、何の変哲もない描写を呶々書き連ねる癖がありますが、それと似た傾向が若干看取されます。描写が精確でも、論理が不足しているような気が致します。登場人物たちの心理が外界に氾濫して、外界を歪める作用、心象風景化が施されれば、精緻さが今度は意味を帯びてまいります。「なぜこの描写がなされ、ここまで精緻に描かれるのか」そんなささやかな疑問を解消して余りある論理が、描写のあとに続きますと、正確な描写を読む事が、一層楽しみになるかと思います。
葬式の件りについて、私も狭霧とよく似た憤りを覚えた事がございます。そういえば、三島由紀夫『盗賊』のなかに「虚礼」に関する記述があります。
「婚礼もまた、火災保険のようなものである。誰でも一生のうちに百回の結婚式に出席するものだとして、その百回のうちの一回が自分の結婚式だとすると、社会というものはおのおの一回の実質的な儀礼でつながっているように見えながら、実は九十九回の虚礼のおかげで支えられているものだった。」
まあ、二人が的にしている話題から少し逸れますが(笑)
狭霧は、「自分らしさ」という言葉の俗っぽさに焦点をあてて述べておりますが、私はむしろ、この言葉を用いる人々の心理に興味があります。
「自分らしさ」とは、個性の比較的希薄な人物が、仮にそんなものを措定してみて、自分の嗜好の後ろ盾を―――或いは衝動に拠らない行動の根拠を―――つとめさせるために案出したもので、結句、その「自分らしさ」を説明する事を、たぶん、当人は惜しむだろうと思います。おそらく数語で語りつくされてしまう「自分らしさ」の貧弱さを目の当たりにしないために。
強烈な個性を持つ人間は、否が応でも「個性の活動」に規定され、掣肘され続けますから、「自分らしさ」などと云うお節介な弁護人を立てる必要がないのではないでしょうか。個性は現に屹立しており、これに属性はあり得ない。個性は類型化が不可能なものですから、「自分らしさ」を口にした時点で、当人は個性の薄弱を自覚している事になります。
[一言]
私の知り得ない感覚が満載されてあって、毎回、目を瞠らせられます。この小説を読む事が私にとって、ひとつの実体験にすらなっております。
紙媒体で、縦書きで読んだら、さぞかしと思います。
村上春樹の弱さは、結局、曰く言い難いものを曰く言い難いままにとどめて、情念の究極を、「不可思議」の一言でまとめてしまうところにあります。「名状しがたい感情に打たれた」「説明しがたい或るものに突き当たった」等々。そんなものは最早描写ではないし、誰にだって書けます(笑)。もちろん僕にだって、ね。へへへ
譬えん方ない或るものを、あの手この手で素描して見せる前河さんの自在な筆致に、陰ながら注目しております。
「晴れの狭霧、葬式に対する懐疑、死の所在」までを読みました感想です。一場面につきひとつの主題が掲げられ、それを中心にして舞台が回る・歯車の伝達のような仕組みを、これほど大規模に展開できるのはひとえに前河さんの深い造詣だけがなせるわざでしょう。それだけに、全体をひとつの主題に要約して感想を述べるのは困難で、ある意味、これら独立した細部に対し失礼かとも存じますので、ひとまずこの辺で、所感を述べさせていただきたく云々。
村上春樹の影響が随所に見られると思います。具体的には「セリフの体言止め」や「~のように。と比喩で結ぶ語り口」です。
尾籠ながら、私は村上春樹に苦手意識を持っておりますので、「このセリフ回し、リアルにやったら相当不自然だろうな(笑)」とか「時々、この二人は意識がリンクしてるみたいにセリフがかみ合いすぎている」などと思ってしまうのですが、常々、その美点を理解したいとも思っております。何せ、人気がありますから。
影響というより、ところどころ、村上春樹を優に上回っている思索と描写の深さを感じます。
ことに情景は、固有名詞を効果的に登場させて現実の具象性を補償し(綿密な下調べに、わたくし、脱帽でございます)、読者を其場に臨在せしめ、人物たちの皮膚を介して読者の感覚にじかに訴えて来るような描写は、前河さんの観察眼の鋭さをうかがわせます。またその際、言葉は自在に変形して、従来の用法から解き放たれております。
[気になる点]
村上春樹は、朝起きてからの、何の変哲もない描写を呶々書き連ねる癖がありますが、それと似た傾向が若干看取されます。描写が精確でも、論理が不足しているような気が致します。登場人物たちの心理が外界に氾濫して、外界を歪める作用、心象風景化が施されれば、精緻さが今度は意味を帯びてまいります。「なぜこの描写がなされ、ここまで精緻に描かれるのか」そんなささやかな疑問を解消して余りある論理が、描写のあとに続きますと、正確な描写を読む事が、一層楽しみになるかと思います。
葬式の件りについて、私も狭霧とよく似た憤りを覚えた事がございます。そういえば、三島由紀夫『盗賊』のなかに「虚礼」に関する記述があります。
「婚礼もまた、火災保険のようなものである。誰でも一生のうちに百回の結婚式に出席するものだとして、その百回のうちの一回が自分の結婚式だとすると、社会というものはおのおの一回の実質的な儀礼でつながっているように見えながら、実は九十九回の虚礼のおかげで支えられているものだった。」
まあ、二人が的にしている話題から少し逸れますが(笑)
狭霧は、「自分らしさ」という言葉の俗っぽさに焦点をあてて述べておりますが、私はむしろ、この言葉を用いる人々の心理に興味があります。
「自分らしさ」とは、個性の比較的希薄な人物が、仮にそんなものを措定してみて、自分の嗜好の後ろ盾を―――或いは衝動に拠らない行動の根拠を―――つとめさせるために案出したもので、結句、その「自分らしさ」を説明する事を、たぶん、当人は惜しむだろうと思います。おそらく数語で語りつくされてしまう「自分らしさ」の貧弱さを目の当たりにしないために。
強烈な個性を持つ人間は、否が応でも「個性の活動」に規定され、掣肘され続けますから、「自分らしさ」などと云うお節介な弁護人を立てる必要がないのではないでしょうか。個性は現に屹立しており、これに属性はあり得ない。個性は類型化が不可能なものですから、「自分らしさ」を口にした時点で、当人は個性の薄弱を自覚している事になります。
[一言]
私の知り得ない感覚が満載されてあって、毎回、目を瞠らせられます。この小説を読む事が私にとって、ひとつの実体験にすらなっております。
紙媒体で、縦書きで読んだら、さぞかしと思います。
村上春樹の弱さは、結局、曰く言い難いものを曰く言い難いままにとどめて、情念の究極を、「不可思議」の一言でまとめてしまうところにあります。「名状しがたい感情に打たれた」「説明しがたい或るものに突き当たった」等々。そんなものは最早描写ではないし、誰にだって書けます(笑)。もちろん僕にだって、ね。へへへ
譬えん方ない或るものを、あの手この手で素描して見せる前河さんの自在な筆致に、陰ながら注目しております。
- 投稿者: 退会済み
- 2019年 10月04日 15時02分
管理
遅くなってしまいましたが、感想ありがとうございます。肯定的な評価、投射的な指摘なので励みになります。
自覚していないところまで村上小説の影響が表れているようで驚きました。過剰に写実的、説明的な描写に向かいがちなのはあるいはサリンジャーの影響もあるかもしれません。
自分ではまさにこの「あるいは」の多用とか、会話中の相手の言葉の繰り返し程度のものだと思っていました。
くどくどした日常描写については、冗長さ、時間の積み重ねといったモチーフが後々表に出てくることになるので、あえて冗長にやっているというか、ある程度織り込み済みのものではあります。
ただそこに文学的意味が不在なのが問題だと。確かに書いている時からどう間を持たせるか所々苦難した記憶があります。
「登場人物たちの心理が外界に氾濫して、外界を歪める作用、心象風景化が施されれば……」
いただいた指摘をもとに見直すべき点は少なくなさそうです。
そもそもこの作品は成り立ちからして思索よりも場面の風景や状況が先行しているのがその根本的な原因のような気もします。むしろ連綿とした思索の道の傍らに現実の出来事がぽつぽつと浮き上がるような小説を書いたこともあるのですが、それはそれで何だか不気味だなあ、ということで逆に舵を切った頃に書き始めたのがこの作品なのです。たぶん。
「自分らしさ」についてのご意見も参考にさせていただきます。その言葉を安易に用いる人々の心理を掘り下げてみるのも確かに価値があることだと思いました。終盤で改めて「僕」と狭霧に話し合ってもらってもいいかもしれません。
第一章部分は「ツカミ」を良くするために何度か書き直しており(それでも狭霧の怒涛の語りで「引く」読者がいるのではないかと案じるくらいですが)、第二章以降はさらに意味の希薄な場面が現れてきます。「自分らしさ」とかアイデンティティの議論に本格的に踏み込んでいくのも後半からになります。所期の期待をそのままに読み進めるのは難しいかもしれませんが、それでもよければ――あるいはがっかりする覚悟をお持ちなのであれば――どうぞ先へお進みください。
では、重々に予防線を張ったこのあたりで失礼します。
自覚していないところまで村上小説の影響が表れているようで驚きました。過剰に写実的、説明的な描写に向かいがちなのはあるいはサリンジャーの影響もあるかもしれません。
自分ではまさにこの「あるいは」の多用とか、会話中の相手の言葉の繰り返し程度のものだと思っていました。
くどくどした日常描写については、冗長さ、時間の積み重ねといったモチーフが後々表に出てくることになるので、あえて冗長にやっているというか、ある程度織り込み済みのものではあります。
ただそこに文学的意味が不在なのが問題だと。確かに書いている時からどう間を持たせるか所々苦難した記憶があります。
「登場人物たちの心理が外界に氾濫して、外界を歪める作用、心象風景化が施されれば……」
いただいた指摘をもとに見直すべき点は少なくなさそうです。
そもそもこの作品は成り立ちからして思索よりも場面の風景や状況が先行しているのがその根本的な原因のような気もします。むしろ連綿とした思索の道の傍らに現実の出来事がぽつぽつと浮き上がるような小説を書いたこともあるのですが、それはそれで何だか不気味だなあ、ということで逆に舵を切った頃に書き始めたのがこの作品なのです。たぶん。
「自分らしさ」についてのご意見も参考にさせていただきます。その言葉を安易に用いる人々の心理を掘り下げてみるのも確かに価値があることだと思いました。終盤で改めて「僕」と狭霧に話し合ってもらってもいいかもしれません。
第一章部分は「ツカミ」を良くするために何度か書き直しており(それでも狭霧の怒涛の語りで「引く」読者がいるのではないかと案じるくらいですが)、第二章以降はさらに意味の希薄な場面が現れてきます。「自分らしさ」とかアイデンティティの議論に本格的に踏み込んでいくのも後半からになります。所期の期待をそのままに読み進めるのは難しいかもしれませんが、それでもよければ――あるいはがっかりする覚悟をお持ちなのであれば――どうぞ先へお進みください。
では、重々に予防線を張ったこのあたりで失礼します。
- 前河涼介
- 2019年 10月06日 21時01分
[良い点]
ディテールが良いです。文学が好きな私は貴方の文章を読んでいて「おっ」と思うことが多々ありました。知的な雰囲気が文章にあって、好きな人は引き込まれていくタイプの文体だと思います。とても私はインスピレーションを受けました。
[気になる点]
貴方は純文学で書かれているので、自分の是とするものを曲げないことが大切です。ただ、プロットが場合によっては不透明かもしれません。あらすじを総括するような、または俯瞰的な視点が読者としては欲しいです。
[一言]
一読者として応援しております。是非完結まで頑張ってください。
ディテールが良いです。文学が好きな私は貴方の文章を読んでいて「おっ」と思うことが多々ありました。知的な雰囲気が文章にあって、好きな人は引き込まれていくタイプの文体だと思います。とても私はインスピレーションを受けました。
[気になる点]
貴方は純文学で書かれているので、自分の是とするものを曲げないことが大切です。ただ、プロットが場合によっては不透明かもしれません。あらすじを総括するような、または俯瞰的な視点が読者としては欲しいです。
[一言]
一読者として応援しております。是非完結まで頑張ってください。
- 投稿者: 退会済み
- 23歳~29歳 男性
- 2019年 09月04日 11時12分
管理
ひよばーど様
感想ありがとうございます。文体を高く評価してもらえるのは文学を書く者にとって何よりの喜びです。
ご指摘の点については、自分で読み直していても「ここでこのエピソードが出てくるのか」とやや脈絡のなさを感じることがあり、自覚しているところかもしれません。各節の接続はともかく、一章と二章の繋ぎ目で「僕」の高校時代のテーマを明確に示すことができればもう少しいい感じになると思うので改めて練ってみます。
感想ありがとうございます。文体を高く評価してもらえるのは文学を書く者にとって何よりの喜びです。
ご指摘の点については、自分で読み直していても「ここでこのエピソードが出てくるのか」とやや脈絡のなさを感じることがあり、自覚しているところかもしれません。各節の接続はともかく、一章と二章の繋ぎ目で「僕」の高校時代のテーマを明確に示すことができればもう少しいい感じになると思うので改めて練ってみます。
- 前河涼介
- 2019年 09月04日 20時42分
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