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[良い点]
とても興味深く拝読させていただきました。

こちらのエッセイのテーマは自分も以前から感じていたことで、それは『なろう』で実験したいことの一つでもありました。詳細は省きますが、お約束のタグであることとか、三行以上書かないとか……そういった『甘やかした小説』と『そうでない小説』(いずれも自分が書いたもの)の評価の差異がどれほどか、といった感じの実験です。

自分以外にも多くの方が実験されたと思いますが、やはり『甘やかした小説』が圧倒的にプレビューされています。二桁くらい違います。甘やかして欲しいんだな、と思う今日この頃です。

でも、一方で読者に対して申し訳ない気持ちと、加えて「成長してほしい」という気持ちがつのってきました。

平凡な意見かとは思いますが、自分が書いた『甘やかした小説』を読んでくれたら、次は『そうでない小説』を読んで欲しい。もし自分の文体が、構成が、総じて作家性が気に入ってくれたのなら、あなたに『合わせて』書いた小説の次には、ちょっと小難しく書いた小説を読んで欲しい。

読者が成長し、自分もそれに応えられるような小説を書いていく。平凡ですが、読んでくれたからには自分の読者なので、お互い見捨てずに頑張れるのが理想です。

あとお金がもらえれば言うこと無いですね!w
  • 投稿者: 助手
  • 2019年 08月18日 12時53分
[一言]
黄金時代ならぬ暗黒時代そのもの、まさに歴史は繰り返す……!!と言った感じであり、自分達で自分の首を閉め合いながら世紀末に向かっている感覚が半端ないですよね、最近。

今回のテーマは現代全般に通じる事ですけど、あえて娯楽だけに限定してみても、『中世ヨーロッパ風な異世界だけど、使用されている公用語・文字は何故か日本語!』とか、『自分を全肯定してくれる年上ダダ甘ヒロインに甘やかされながら、不本意()ながらの快適無双冒険()ライフ!』みたいに、どんだけ咀嚼してやらなきゃ駄目なの……?と言いたくなるような風潮が目立っており、まさに娯楽を読み解く力が疲弊して尽きるほど、現実に打ちのめされて弱りきった人が増えてるのかな、と感じています。




本当にそれが好きな人もいるかもしれませんが、『現状維持が無難』、『これこそが"最高の幸福"の形!』と紋切り型に思い込もうとしているように見えて、そういうので本当に人生楽しめているのか、疑問に思ったりしています。
[良い点]
分かる者同士の間でしか発生しない高度化されたゲーム。
これはやはり文化が発展していく上で欠かせないものだと思います。
そしてまた、これは美しいパフォーマンスであり、楽しいエンターテイメントである、とも。

こうした洗練された作品を正当な地位を与えることは、現在のネット社会においては極めて困難です。
文化的に鍛えられた貴族によるトップダウン型の評価体制を維持するには、作品へのアクセスが余りにも簡単になり、或いは大衆の影響力が強くなりすぎました。
事実上高評価と新着しか入り口がない現在の投稿サイトは完全なボトムアップ型の評価体制をとっており、トップダウンで評価する際にもその是非がボトムアップで判断されるということが前提になっています。
これでは文化は衰退する一方でしょう。

分からないのが楽しい、分かる奴は格好いい。
文化の発展には、そういう環境というか、風潮が必要です。
利益があろうがなかろうが、クリエイターの自衛手段としてトップダウン式の評価体制を確立することが求められているのではないかと考えます。
[気になる点]
大衆の分化的レベルが下がったということはないと思います。
むしろ昔は字が読めない人が一杯いたくらいで。
その点に関してはクロスオーバーさんに概ね同意します。
一方で作者が読者を育てるなどというのは既に上から目線で、大衆はもっと修養すべきというヤマダさんの発想とむしろ同じではないかとも思います。
「ありのまま」が悪いというのは絶対的に間違いですよ。
別に教養がなくても立派に生きてる人はいくらでもいますし、その逆もまた然り。
大衆娯楽は大衆娯楽で面白いものは面白い、これも事実です。
分かりにくいものがエゴだとか悪だとかいう人は、それはそれで偏狭だしバカの僻みだと思いますがね。

寧ろ大事なのは住み分けで、大衆を切り捨てる、というより、大衆から逃げることだというのが私の見解です。
[一言]
私はもう少し楽観してもよいと思います。
というのも、今日、そもそも小説を読まない人が増えてきているからです。
これ、詩や伝統芸能と同じで、一般人が脱落して市場がなくなったら文学は貴族の物に戻るかもしれません。
そうすればまた高度化が許されるのではないかとも思います。

そうすると勿論、売り上げ以外の採算の取り方を考えなくてはいけません。
絵画や彫刻のように希少性やアウラを付加価値にするとか、近代のようにパトロンに依存するとか。
「この本は10冊しか存在しないので現在レンタルは3年待ちです。一か月100万円から」
「うちの会社は売れない小説家に餌を与えて文化を下支えしています。決済には是非うちの電子マネーを使って下さい」
アリだと思うんですけどね。
熱帯雨林と同程度の意義はあるはず(本当か
[一言]
 逆です。
 甘やかされてるのは読者ではなくて作家です。
 読者は昔から変わらない。
 もっと言えば、大衆は昔から変わらない。

 読者が愚かならば、愚かモノにでもわかるように書けばいいだけです。
 幼児に哲学書を読みきかせて、理解しないことを嘆くことこそ、愚かなことですよ。
 読者を育てるのは作家です。
 読者を育てるのは作家です。

 
 吉本隆明が気づき、己を省みたように、現代の思想家や政治家の、大衆への言葉は、実は、己自身のポジションの為の建前でしかない。それは欺瞞です。
 大衆存在と真摯に向き合うことをせずに、大衆を愚かとみなし、自らを進歩的な知識人と称することこそ、卑しい。

 読者が衆愚であるならば、それを照らす作品をなぜ書かないのか?
 彼らを導くための灯をなぜ掲げないのか?

 糞尿を垂れ流している赤子を見て、軽蔑しますか? ただしく排泄しないことに無能だと罵りますか?
 かわいそうだと思うのが自然ですよ。
 そして、糞尿を片付けて、汚れている肌を綺麗にしてあげられるのが一番いいですね。
 言葉がわからないなら、少しづつ教えてゆくしかないですね。

[一言]
柔らかいものが好きだ個性だと言うように、固いものが深く考えるものだと言う反論も言ってる事は、結局一緒だと思うんですけどね(笑)
柔らかいものの中にも深く味わいがあるものもあるし、固いものの中にも浅く味がないものもある。
簡単に受け入れられるものを喜んでるお前たちは浅いので考えろと言うのは少し違うんじゃないかと思います。
わかりやすいものを簡単だと決めつけてしまうのは少し浅いとも言えると思います。わかりやすく受け入れられるように見せる事がどれだけ難しく考えないといけないかと言う事もあります。むしろ、深く考えてないとわかりやすく伝える事って出来ない事もあるでしょう。簡単であれば、みんな作って受け入れられるでしょうから。
逆に相手にわかりにくく考えさせるようにする事も、実は結構簡単なんですよ。わかりにくくすれば良いだけですから。
相手に噛む力を与える為の壁や障害を設ける事も簡単に出来るでしょう。単純に好みだと切り捨ててる人ばかりではない。中には純文学も良いけどエンタメが好き。ヤマダさんは大衆エンタメは浅く軽く感じるが、純文学が深く考えれて好き。と言う事なんじゃないかと思うのですが、どうでしょう? それともその浅く軽い物語を好んで楽しんでる人をどうにかしたいのでしょうか? もし気に入らないと言うことだけであれば、それは純文学が気に入らないと言われるのと一緒だと思うのですが。自分は大衆エンタメも好きなので少し下に見られてるみたいで気になりました。
[良い点]
分かります、分かりますよ。私には大いに分かります。この世界に私は不要だという感覚が。せめて些かでも私の両目が彼らを捉えられれば幸福になったのでしょう。
しかし、きっと仕方がない事なのです。
彼らがそれを望んでおられる。他者の世界こそ、自己の世界を形作る要素のほとんど全てなのですから。
[気になる点]
他の作品と比べると。かなり感情的になっている様子が伺えます。文体の些細な揺らぎのようなもの(一小節だけ敬語があるなど)が気になるところです。
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