感想一覧

▽感想を書く
[一言]
読ませていただきました。

私は、経験したことが無いので抗議・苦情はしませんが、昔の人には映像的な物が走馬灯ぐらいしかなかったのかも、と思うんです。

もし、中国から走馬灯が来る前に、英語圏の国が日本にきて、宗教ではなく英語が広まっていたら、光闇さんの言う「フラッシュ映像のような」という使われ方になっていたと思います。

でもこれは「走馬灯のように」と使い出した人々が本当に昔、江戸中期ぐらいでないといけませんね・・・

明治時代ぐらいで使われだしたとしたら、光闇さんの否定的結論の方が納得できます。それに「走馬灯のような」という説明をするときに、大抵の人はフラッシュ映像のようなと表現しますよね?

見たことも無いのに、長文失礼しました。

ご感想及びにご指摘ありがとうございます。

きっと正にその通りだと思います。表現力の限界を時代背景に入れ忘れていました。

昔の方々の言い回しが、現代にまで息づいていると考えると、私の私論そのものの否定にもなりかねますね。

長文とありましたが、ありがとうございました。時代背景を見落としていたのは、事実なのですから。

これからの表現の第一歩になればいいなぁ…

と、しておきます(苦笑)
[良い点]
幸か不幸か(たぶん「幸」なのでしょう)自分にはそういった体験がないので、中々興味深かったです。
[気になる点]
『走馬灯のよう』を否定したいのか、『映像が駆け巡る』を否定したいのか、あるいは『走馬灯のように駆け巡る』全体を否定したいのか、ちょっと分からなかったです。(自分の理解力の問題でもあるので、一方的な物言いになって申し訳ないですが
[一言]
『走馬灯のように』という言葉において重きが置かれている部分は、『走馬灯が「影絵であること」』ではなく、『(色々な影絵が回転して映るような)様々な「シーン集のように映ること」』を主とした表現なのではないかな? と思います。

なので個人的には、『走馬灯のように』の部分は特に否定できていないのでは、と感じました。

もっとも、『死ぬ間際に映像が駆け巡る』こと自体を否定する文だったのであれば、自分の言ったことは枝葉にすぎないのでスルーして下さって結構です。

では、長文失礼しました。
  • 投稿者: 昭成
  • 男性
  • 2010年 11月17日 02時58分
ご感想ありがとうございます。

否定したかった内容は『走馬灯のように』の一部分だけです。影絵のように見えるのではなくと言いたかっただけなのですが、言葉足らずで申し訳ありませんでした。

また一度目を通しておきます

ご指摘ありがとうございました。
[一言]
自殺未遂は何度かやりましたが走馬灯って見なかったですね。あれはまだ覚悟が足りなかったのかもしれません。

まあ足りなくてよかったのですが。
っていうかですよ。走馬灯。フラッシュバック。まぁ、何だっていいです。見ないに越した事はありません。

私も自殺未遂は一度だけじゃない。でも見た事があるのは一度だけ。(と思う)

と思うと付けたのは、もしかしたら夢のようなモノの可能性があるかな?と思ったからです。

ほら、夢って起きた時忘れてる事多いじゃないですか。

って考えるとあさがや様も見ているかもしれませんよ。走馬灯。
ご感想?ありがとうございます。

走馬灯見れませんでしたか。残念です。あれは、本当に死を覚悟して、遠退く意識の一瞬に垣間見る事の出来る物だと思います。

しかし、見れないのが残念なのか、残念ではないのかなんて、どうでも良いではありませんか。

あなたも私もこうして生きている。生きていたらその内見れますよ。きっと。(ボケなければですが……)

↑ページトップへ