感想一覧
▽感想を書く[一言]
一応、大学で哲学を学ぶものとして、無知のヴェールという言葉が出てきたからには感想を書かねばと思い、筆を取りました。
無知のヴェール(無知のヴェールそのものと言うか、無知のヴェールという考えを通して、ジョン・ロールズが言いたかったこと)に関する理解は大体私と同じです。「想像上の立場交換を通して、どの立場にあっても納得できるような原理を考える」(とはいえ、必ずその原理が採用される訳でない)、これがジョン・ロールズの考えの核心(と私は思っている)です。
上述のような、想像上の立場交換を通した同意は大変重要だと思うのですが、外部から無遠慮に押し付けられる過度な欲求、ルール、制約が持つパワーもまた等しく重要ではないかと思います。
と言うのも、例えば「私は雨の日に傘を差して歩いた」という文があるとします。これを適当に入れ替えて、「彼女はトゲトゲの雪に杖を投げて食べた」という文を作ります。変な表現になっていると思います。多分、普通では思いつきません。なんでこんな表現が思いついたのかといえば、「私は雨の日に傘を差して歩いた」という文の形に沿うように(つまり、ルールに従って)、各言葉を思いつくままに入れ替えたからです。
こうしたように、外部から押し付けられるルール(上記の場合は文法)は、私たちの持つエネルギーを、私たちが想像できない方に流します。その結果、今まで存在しなかったものが生まれるわけです。タッチペンより正確な指で操作できて、ネットに繋げられて、写真が撮れて、電話ができて、簡単に機能が追加できて、防水機能があって、データのバックアップがすぐにできて、etc…。
話が長くなってきたので簡単にまとめると、「想像上の立場交換は重要」と同時に「相手の都合なんて一切考えない無茶な欲求は新しいものを生み出す原動力」であると言うことです。私はこの二つのどちらかが欠けてもダメだと思っているので、必ずしも「相手の立場に立て」とはいえないのではないか・・・と考えます。
一応、大学で哲学を学ぶものとして、無知のヴェールという言葉が出てきたからには感想を書かねばと思い、筆を取りました。
無知のヴェール(無知のヴェールそのものと言うか、無知のヴェールという考えを通して、ジョン・ロールズが言いたかったこと)に関する理解は大体私と同じです。「想像上の立場交換を通して、どの立場にあっても納得できるような原理を考える」(とはいえ、必ずその原理が採用される訳でない)、これがジョン・ロールズの考えの核心(と私は思っている)です。
上述のような、想像上の立場交換を通した同意は大変重要だと思うのですが、外部から無遠慮に押し付けられる過度な欲求、ルール、制約が持つパワーもまた等しく重要ではないかと思います。
と言うのも、例えば「私は雨の日に傘を差して歩いた」という文があるとします。これを適当に入れ替えて、「彼女はトゲトゲの雪に杖を投げて食べた」という文を作ります。変な表現になっていると思います。多分、普通では思いつきません。なんでこんな表現が思いついたのかといえば、「私は雨の日に傘を差して歩いた」という文の形に沿うように(つまり、ルールに従って)、各言葉を思いつくままに入れ替えたからです。
こうしたように、外部から押し付けられるルール(上記の場合は文法)は、私たちの持つエネルギーを、私たちが想像できない方に流します。その結果、今まで存在しなかったものが生まれるわけです。タッチペンより正確な指で操作できて、ネットに繋げられて、写真が撮れて、電話ができて、簡単に機能が追加できて、防水機能があって、データのバックアップがすぐにできて、etc…。
話が長くなってきたので簡単にまとめると、「想像上の立場交換は重要」と同時に「相手の都合なんて一切考えない無茶な欲求は新しいものを生み出す原動力」であると言うことです。私はこの二つのどちらかが欠けてもダメだと思っているので、必ずしも「相手の立場に立て」とはいえないのではないか・・・と考えます。
[一言]
うーん、作家と読者の関係性ってちょっとややこしいので、それをある程度わかっていないと、おかしな感じになりやすいと思う。
①作品はその内容を一方的に読者に主張する性質がある。
②故に、読者の防衛としての批評が存在する。
①においては、圧倒的に作家が読者より上位の存在になります。言ってみれば、教える側と教わる側の関係性に近いものがあります。
②において、①の状態を不服とする読者の反抗となります。
なので作家は、読者に対して、作品内における主張に説得力をもたせなければならない。 これがいわゆる『批判に耐えうる作品か』という問いです。
◆
これが前提だと思います。
その上で、いわゆる無知のヴェール、すなわち相手の立場に立って考えるという問題にやっと立てるかと思います。
ただ、『①作品はその内容を一方的に読者に主張する性質がある。』において、『教える(主張する)側の質と態度の問題』が割と大きいんですよね……。
ここで、教わる側が反抗的になるかが、割と決定される。
ここにおいて、作家は中学校の教師の問題みたいなもんで、生徒は様々な中学生みたいなもんっす。
ぶっちゃけ、作家という立場は面倒というか、それだけの責任があるんだと思う。
◆
でも、素人作家における仲間内で作品を見せ合う関係においては、そうじゃない。
お互いにいたわり合い励まし合いながら、作品というものを磨いてゆく。
作家と読者という関係性を越えた、友人関係としてある。
つまり、教える側と教わる側の関係性ではない。
そこには、お互いが気遣い合う関係性がある。
で、なろうはどっちの場なのか?と考える。
運営的に考えると、特に感想欄のスタンスにおいて、アマチュアイズムに拠っていると思うから、読者が作家を応援してゆくという価値観はあると思う。
もちろん、読者をバカにする傲慢な作家がいるのも実際だし、読者に自分のネガティブな感情をぶつけるだけの作家もいる。政治もしくは宗教おける一方的な自己主張をするだけの人もいる。
だから、かならずしも作家を応援できる訳でもないし、そうした場合、『②読者の防衛としての批評』はとても大事になると思う。
つまり『出来る限り応援する』、でも『無理に応援しない』、そして『受け入れることができない内容の場合、批判として対抗する』という3つの在り方があるのだと思います。
うーん、作家と読者の関係性ってちょっとややこしいので、それをある程度わかっていないと、おかしな感じになりやすいと思う。
①作品はその内容を一方的に読者に主張する性質がある。
②故に、読者の防衛としての批評が存在する。
①においては、圧倒的に作家が読者より上位の存在になります。言ってみれば、教える側と教わる側の関係性に近いものがあります。
②において、①の状態を不服とする読者の反抗となります。
なので作家は、読者に対して、作品内における主張に説得力をもたせなければならない。 これがいわゆる『批判に耐えうる作品か』という問いです。
◆
これが前提だと思います。
その上で、いわゆる無知のヴェール、すなわち相手の立場に立って考えるという問題にやっと立てるかと思います。
ただ、『①作品はその内容を一方的に読者に主張する性質がある。』において、『教える(主張する)側の質と態度の問題』が割と大きいんですよね……。
ここで、教わる側が反抗的になるかが、割と決定される。
ここにおいて、作家は中学校の教師の問題みたいなもんで、生徒は様々な中学生みたいなもんっす。
ぶっちゃけ、作家という立場は面倒というか、それだけの責任があるんだと思う。
◆
でも、素人作家における仲間内で作品を見せ合う関係においては、そうじゃない。
お互いにいたわり合い励まし合いながら、作品というものを磨いてゆく。
作家と読者という関係性を越えた、友人関係としてある。
つまり、教える側と教わる側の関係性ではない。
そこには、お互いが気遣い合う関係性がある。
で、なろうはどっちの場なのか?と考える。
運営的に考えると、特に感想欄のスタンスにおいて、アマチュアイズムに拠っていると思うから、読者が作家を応援してゆくという価値観はあると思う。
もちろん、読者をバカにする傲慢な作家がいるのも実際だし、読者に自分のネガティブな感情をぶつけるだけの作家もいる。政治もしくは宗教おける一方的な自己主張をするだけの人もいる。
だから、かならずしも作家を応援できる訳でもないし、そうした場合、『②読者の防衛としての批評』はとても大事になると思う。
つまり『出来る限り応援する』、でも『無理に応援しない』、そして『受け入れることができない内容の場合、批判として対抗する』という3つの在り方があるのだと思います。
[一言]
まぁ異世界転生したのに四字熟語言ったりするなという話ですかね?
まぁ異世界転生したのに四字熟語言ったりするなという話ですかね?
- 投稿者: lightacenoah
- 2020年 01月27日 08時11分
[良い点]
しごくもっとも(*゜▽゜)ノ
[気になる点]
会社で言われたことがあります
「評価は他人が決めるものだ」
小説も同じですよね(T_T)
[一言]
毒者には「読まない権利」をもっと主張して貰いたいと思います
私は感想欄をけっこう楽しみにしてるのですが
単純に罵るだけの感想を読むと
「だったら読むなよ!」
「実名で書けないような感想を書くなよ!」
です
読者には「良いところを探して読む」楽しみを満喫してほしいと思います
思考の柔軟性にも繋がりますし、
これは人との付き合い方にも言えることだと思います
しごくもっとも(*゜▽゜)ノ
[気になる点]
会社で言われたことがあります
「評価は他人が決めるものだ」
小説も同じですよね(T_T)
[一言]
毒者には「読まない権利」をもっと主張して貰いたいと思います
私は感想欄をけっこう楽しみにしてるのですが
単純に罵るだけの感想を読むと
「だったら読むなよ!」
「実名で書けないような感想を書くなよ!」
です
読者には「良いところを探して読む」楽しみを満喫してほしいと思います
思考の柔軟性にも繋がりますし、
これは人との付き合い方にも言えることだと思います
[良い点]
久々のいかぽんさんのエッセイ!
と思ったら12月に書いてましたのね。
しかしまさしくまさしくですねえ。
[一言]
執筆ジャンキー以外はなかなか毎日書き続けて完結まで持っていくとか難しいもんです。
久々のいかぽんさんのエッセイ!
と思ったら12月に書いてましたのね。
しかしまさしくまさしくですねえ。
[一言]
執筆ジャンキー以外はなかなか毎日書き続けて完結まで持っていくとか難しいもんです。
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