感想一覧
▽感想を書く[良い点]
面白かったです!
参考になりました!
私は作中で例2を使用してます。
cm=センチ
m=メイル
km=キロル
って具合に。
ストーリー的には読み飛ばしても全然問題ないぐらいのつもりで書いてますので、説明なしでやってます。
今のところ度量衡警察が来たことはありません。
あ、kg=キロムです。
面白かったです!
参考になりました!
私は作中で例2を使用してます。
cm=センチ
m=メイル
km=キロル
って具合に。
ストーリー的には読み飛ばしても全然問題ないぐらいのつもりで書いてますので、説明なしでやってます。
今のところ度量衡警察が来たことはありません。
あ、kg=キロムです。
[良い点]
私も異世界ものを書いてるので、この意見は参考になります。
[気になる点]
私も異世界ものでメートル法は不自然だと思っているので、気になるんですよ。
この気になる点は、前に話題になった異世界サンドイッチ問題と同様で、気になる人は気になるし、ならない人はならない。
人によって引っ掛かるポイントは異なるので、絶対の正解は無いと思います。
[一言]
例題に関して。
流石にここまでしつこくする人はいないと思いますが、こういうエッセイを書くくらいだから気になったんでしょうね。
ちなみに、自分ならこう書きます。
「明日お前が行く取引についての確認だ。指定の時刻は’神亀の後の刻’(午後3時半)。届ける物はこれだ」
そういってボスが示した箱は、一辺が50セントル(50cm)くらいだろうか。手で持って運ぶには少々かさばる大きさだ。さらに7.5セントルほどのいわくありげなカギを手渡された。
「20キグム(20kg)あるが落とすなよ? 大通りを北に250メーテル(250m)行った所にある鍛冶屋の手前の路地を20メーテル進むと突き当たりになる。右手の壁の地面から30セントルの場所に小さな穴があるからそこにこの鍵を差し込めば偽装された扉が開く」
これは、多くの歴史小説なんかで普通に使われる方法ですが、最初にその時代の単位の注釈を書いて、後は注釈なしで書き続けます。
寸法が分からない読者だって、少し前に書いているんだから分かります。
また、間が開いたかな? と、思った頃に注釈を入れます。
まあ、この間が開いたかな? の間が、作者と読者で開きがあるので、これも絶対の正解は無いと思いますが。
私も異世界ものを書いてるので、この意見は参考になります。
[気になる点]
私も異世界ものでメートル法は不自然だと思っているので、気になるんですよ。
この気になる点は、前に話題になった異世界サンドイッチ問題と同様で、気になる人は気になるし、ならない人はならない。
人によって引っ掛かるポイントは異なるので、絶対の正解は無いと思います。
[一言]
例題に関して。
流石にここまでしつこくする人はいないと思いますが、こういうエッセイを書くくらいだから気になったんでしょうね。
ちなみに、自分ならこう書きます。
「明日お前が行く取引についての確認だ。指定の時刻は’神亀の後の刻’(午後3時半)。届ける物はこれだ」
そういってボスが示した箱は、一辺が50セントル(50cm)くらいだろうか。手で持って運ぶには少々かさばる大きさだ。さらに7.5セントルほどのいわくありげなカギを手渡された。
「20キグム(20kg)あるが落とすなよ? 大通りを北に250メーテル(250m)行った所にある鍛冶屋の手前の路地を20メーテル進むと突き当たりになる。右手の壁の地面から30セントルの場所に小さな穴があるからそこにこの鍵を差し込めば偽装された扉が開く」
これは、多くの歴史小説なんかで普通に使われる方法ですが、最初にその時代の単位の注釈を書いて、後は注釈なしで書き続けます。
寸法が分からない読者だって、少し前に書いているんだから分かります。
また、間が開いたかな? と、思った頃に注釈を入れます。
まあ、この間が開いたかな? の間が、作者と読者で開きがあるので、これも絶対の正解は無いと思いますが。
[良い点]
そうですよねえ。
創作者はいろいろ考えちゃうんですけど、受け手は基本「ただの日本人」ですからね……。
こだわってみたいけど、こだわりすぎると分かりにくくなる……。線引きが難しいです。
某ゲームの「ファルシのルシが──」と揶揄される微に入り細を穿つような世界設定も、その一つなのですね……。
[一言]
単位に対するこだわりが面白かったです。
自分も
「メートル法って、十分に測量技術が発達した文明が必要で、しかも地球でしか当てはまらない単位だよなー」
というのと、
「建築ネタの作品だからなー」
というとことで、尺貫法を持ち出した作品を書いたので、なるほどと。
ただ、当然、家を建てた経験のない(大半の)読者には馴染みのない単位ですので、大きな数字が出るたびにメートル法換算で「十尺(約三十メートル)」みたいなことをしていました。
ファンタジーで尺貫法というのもアレですが、建築なら尺貫法だから! で、通してしまいましたが、うむむ。
そうですよねえ。
創作者はいろいろ考えちゃうんですけど、受け手は基本「ただの日本人」ですからね……。
こだわってみたいけど、こだわりすぎると分かりにくくなる……。線引きが難しいです。
某ゲームの「ファルシのルシが──」と揶揄される微に入り細を穿つような世界設定も、その一つなのですね……。
[一言]
単位に対するこだわりが面白かったです。
自分も
「メートル法って、十分に測量技術が発達した文明が必要で、しかも地球でしか当てはまらない単位だよなー」
というのと、
「建築ネタの作品だからなー」
というとことで、尺貫法を持ち出した作品を書いたので、なるほどと。
ただ、当然、家を建てた経験のない(大半の)読者には馴染みのない単位ですので、大きな数字が出るたびにメートル法換算で「十尺(約三十メートル)」みたいなことをしていました。
ファンタジーで尺貫法というのもアレですが、建築なら尺貫法だから! で、通してしまいましたが、うむむ。
- 投稿者: 退会済み
- 2020年 05月01日 02時55分
管理
感想をいただきありがとうございました。
世界観にこだわると、長さの単位ひとつでも物語になってしまいますよね。
そこまで背景や設定から書いてしまうとなかなか本編に入れない・・・・・・そんな指輪物語があったような?
建築ネタだと、サイズによる迫力など、やはり具体的な数字があった方が伝わるかもしれませんね。ご苦労がしのばれます。
メートルを使うのを嫌って、”東京タワーほどの高さ!”とやったのでは笑い話になってしまいますし。
関係のあるような無いような、とある異世界の学校での建築学概論最初の講義風景
※ただの思い付きです。なお講師はマニア
これからみなさんが学ぶ建築や設計の現場では昔から長さの単位として、”トーリ”というのが使われています。普段使う単位になおすと、1トーリがおよそ0.67”フラーヌ”となります。
さて、なぜこのトーリという特殊な単位が特定の分野で使われているかというと、その歴史をさかのぼって理解する必要があります。
もともと”トーリ”というのは、500年以上前に大陸東方で城や建物の設計・建設で天才的な腕を振るい、現在でも我々建築にかかわる職人が学ぶ教材になるような記録を多く遺した名人、トーリ・オーリ氏が図面を引く際に各部分の長さを指定するのに当人の腕の長さを基準にして数字を書き込んだものがもとになっています。間口の幅は(腕)3(本分の長さ)といった具合に使われていたそうです。
この程度ならどの職人でも自分の分かる物の長さでやっていたでしょう。しかしトーリ・オーリ氏の名声を慕って集まった大勢の弟子たちが独立し、各地に分散して活躍するなかで、「トーリ師匠の腕で〇本分」といった、修業時代に染み付いた表現を使い続けた結果広範囲で認知されるようになっていきます。
また、この頃から各地の魔獣駆除が進み、地域間での交流が増えはじめた背景もあり、街道の整備や取引などの際に共通の規格という概念が求められるようになり、長さの単位としてきちんと定められ、それが一般にも徐々に広まります。
大陸の東方から交易などを通じてこちら西域に持ち込まれた文化の中に当然この”トーリ”もありました。
あるときそれを知った西海の覇権国家コンキスの王、カルロス15世が「たかだか蛮地のいち大工の名前が大陸中で使われる長さの基準であるなど噴飯ものである! 大陸の基準となるべきは大陸の覇者コンキスの王、つまり我である!!」と言ったことが騒動の始まりです。カルロス王の身長体重腕の長さから眉毛の幅、はては鼻の穴の大きさまでが各種単位として定められました。
しかし、実際体重や髪の長さなど変化しますし、単位と実際の王とどちらが正しいのか、となると、絶対者である王を間違いとは言えません。実際使うとなるとどれも不便でした。
報告を受けたカルロス王も、さすがに一生涯体重を変動させないのは無理だと諦め、ひとまず”トーリ”を”カルロス”に替えるよう指示するに留めることになります。
それにしても当時の役人は何を思って鼻の穴など測ったのか。
もっとも、「偉大なるカルロス王が大工と同じであるはずがない」という理論で、計測したカルロス王の腕の長さより嵩ましした長さを1単位とし、また世間一般で呼称する際に王の名前であることは不敬だという理屈から、カルロス王の生地であるフラヌールの名をもらって”フラーヌ”とされました。
余談ですが、現存しているカルロス15世の像や絵はどれも大変大男になっているのは、「偉大な王」という理由の他に、このときの嵩ましされた腕の長さを基準に体を構成した結果だと言われています。
これ以降、歴代の王は様々な単位を定めて、その権勢を世に知らしめるのが流行りになりました。今日使われる重さの”ロレーン”や速さの”ゴート”などそれぞれに逸話がありますので興味があれば調べてみてください。
こうして定められた”フラーヌ”はコンキス王国(後の帝国)の隆盛と西進に伴い大陸の中央部にまで広まり、コンキス帝国が分裂・崩壊した後も残り使われ続けました。
一方で”トーリ”は現在東方のごく一部地域と”名人”トーリ・オーリ氏の残した建築学に関する記録などを学んぶ我々のような人間以外に使うものがいなくなります。
面白いのは、一時期コンキス帝国と覇を争った北方のダダーン王国が、自分たちこそがスタンダードであると”ジギス”という長さの単位を定め、これが”フラーヌ”よりさらに1割ほど長いというわかりやすい対抗心で・・・・・・・・・(以下略
世界観にこだわると、長さの単位ひとつでも物語になってしまいますよね。
そこまで背景や設定から書いてしまうとなかなか本編に入れない・・・・・・そんな指輪物語があったような?
建築ネタだと、サイズによる迫力など、やはり具体的な数字があった方が伝わるかもしれませんね。ご苦労がしのばれます。
メートルを使うのを嫌って、”東京タワーほどの高さ!”とやったのでは笑い話になってしまいますし。
関係のあるような無いような、とある異世界の学校での建築学概論最初の講義風景
※ただの思い付きです。なお講師はマニア
これからみなさんが学ぶ建築や設計の現場では昔から長さの単位として、”トーリ”というのが使われています。普段使う単位になおすと、1トーリがおよそ0.67”フラーヌ”となります。
さて、なぜこのトーリという特殊な単位が特定の分野で使われているかというと、その歴史をさかのぼって理解する必要があります。
もともと”トーリ”というのは、500年以上前に大陸東方で城や建物の設計・建設で天才的な腕を振るい、現在でも我々建築にかかわる職人が学ぶ教材になるような記録を多く遺した名人、トーリ・オーリ氏が図面を引く際に各部分の長さを指定するのに当人の腕の長さを基準にして数字を書き込んだものがもとになっています。間口の幅は(腕)3(本分の長さ)といった具合に使われていたそうです。
この程度ならどの職人でも自分の分かる物の長さでやっていたでしょう。しかしトーリ・オーリ氏の名声を慕って集まった大勢の弟子たちが独立し、各地に分散して活躍するなかで、「トーリ師匠の腕で〇本分」といった、修業時代に染み付いた表現を使い続けた結果広範囲で認知されるようになっていきます。
また、この頃から各地の魔獣駆除が進み、地域間での交流が増えはじめた背景もあり、街道の整備や取引などの際に共通の規格という概念が求められるようになり、長さの単位としてきちんと定められ、それが一般にも徐々に広まります。
大陸の東方から交易などを通じてこちら西域に持ち込まれた文化の中に当然この”トーリ”もありました。
あるときそれを知った西海の覇権国家コンキスの王、カルロス15世が「たかだか蛮地のいち大工の名前が大陸中で使われる長さの基準であるなど噴飯ものである! 大陸の基準となるべきは大陸の覇者コンキスの王、つまり我である!!」と言ったことが騒動の始まりです。カルロス王の身長体重腕の長さから眉毛の幅、はては鼻の穴の大きさまでが各種単位として定められました。
しかし、実際体重や髪の長さなど変化しますし、単位と実際の王とどちらが正しいのか、となると、絶対者である王を間違いとは言えません。実際使うとなるとどれも不便でした。
報告を受けたカルロス王も、さすがに一生涯体重を変動させないのは無理だと諦め、ひとまず”トーリ”を”カルロス”に替えるよう指示するに留めることになります。
それにしても当時の役人は何を思って鼻の穴など測ったのか。
もっとも、「偉大なるカルロス王が大工と同じであるはずがない」という理論で、計測したカルロス王の腕の長さより嵩ましした長さを1単位とし、また世間一般で呼称する際に王の名前であることは不敬だという理屈から、カルロス王の生地であるフラヌールの名をもらって”フラーヌ”とされました。
余談ですが、現存しているカルロス15世の像や絵はどれも大変大男になっているのは、「偉大な王」という理由の他に、このときの嵩ましされた腕の長さを基準に体を構成した結果だと言われています。
これ以降、歴代の王は様々な単位を定めて、その権勢を世に知らしめるのが流行りになりました。今日使われる重さの”ロレーン”や速さの”ゴート”などそれぞれに逸話がありますので興味があれば調べてみてください。
こうして定められた”フラーヌ”はコンキス王国(後の帝国)の隆盛と西進に伴い大陸の中央部にまで広まり、コンキス帝国が分裂・崩壊した後も残り使われ続けました。
一方で”トーリ”は現在東方のごく一部地域と”名人”トーリ・オーリ氏の残した建築学に関する記録などを学んぶ我々のような人間以外に使うものがいなくなります。
面白いのは、一時期コンキス帝国と覇を争った北方のダダーン王国が、自分たちこそがスタンダードであると”ジギス”という長さの単位を定め、これが”フラーヌ”よりさらに1割ほど長いというわかりやすい対抗心で・・・・・・・・・(以下略
- 水無月
- 2020年 05月02日 17時57分
[一言]
コメント失礼します_(..)_
異世界ものじゃないですが、歴史小説(書籍)で、「身の丈◯尺(◯.◯メートル)」と書かれていたのなら見たことあります。具体的に数字にしたほうがわかりやすいことってあるから、世界観と読みやすさを天秤にかけてどちらを取るかという判断は必要かもしれないですね。
もっとも、身長の具体的な数字を出すのは主人公くらいのものでしょうから(他は主人公との比較で高低を表せるし)、文末に「◯尺≒◯.◯メートル」と注釈を入れてもいいのかも。
本文中にしつこいくらいにカッコ書きで注釈をつけるのは、単純にそういうギャグなのじゃないのかしら……? お芝居ですが、語り部がいちいち芝居を中断して注釈をつけていくっていうのを見たことがあります。井上ひさし先生の有名なお芝居です。
ところで、シェイクスピア作品のとある日本語翻訳ですが、南無阿弥陀仏が出てきますよ(笑)
コメント失礼します_(..)_
異世界ものじゃないですが、歴史小説(書籍)で、「身の丈◯尺(◯.◯メートル)」と書かれていたのなら見たことあります。具体的に数字にしたほうがわかりやすいことってあるから、世界観と読みやすさを天秤にかけてどちらを取るかという判断は必要かもしれないですね。
もっとも、身長の具体的な数字を出すのは主人公くらいのものでしょうから(他は主人公との比較で高低を表せるし)、文末に「◯尺≒◯.◯メートル」と注釈を入れてもいいのかも。
本文中にしつこいくらいにカッコ書きで注釈をつけるのは、単純にそういうギャグなのじゃないのかしら……? お芝居ですが、語り部がいちいち芝居を中断して注釈をつけていくっていうのを見たことがあります。井上ひさし先生の有名なお芝居です。
ところで、シェイクスピア作品のとある日本語翻訳ですが、南無阿弥陀仏が出てきますよ(笑)
感想ありがとうございました。
他のことを考えていたのですが、南無阿弥陀仏で吹き飛んでしまいました!!
どうすれば読み手に伝わりやすいか、どれくらい正確にそれを伝えたいか、など書き手は常に悩んでいると思います。
シェイクスピアのような古典ですと書き手と、後の世の読み手の常識に大きな乖離がありますし、そこを埋めながら読み手に伝わるように翻訳される方の工夫とご苦労は大変なものでしょう。
件の日本語翻訳ですと、ずいぶんと昔の読み手を意識したもののように思えますね。探してみようかしら。
他のことを考えていたのですが、南無阿弥陀仏で吹き飛んでしまいました!!
どうすれば読み手に伝わりやすいか、どれくらい正確にそれを伝えたいか、など書き手は常に悩んでいると思います。
シェイクスピアのような古典ですと書き手と、後の世の読み手の常識に大きな乖離がありますし、そこを埋めながら読み手に伝わるように翻訳される方の工夫とご苦労は大変なものでしょう。
件の日本語翻訳ですと、ずいぶんと昔の読み手を意識したもののように思えますね。探してみようかしら。
- 水無月
- 2020年 04月04日 17時45分
[一言]
突っ込まれそうなところは、言い換えればいいんじゃないかなって思いました。
20メートルのドラゴンとか数字を出すより、家より大きいとか城より大きいって方が雰囲気があるような気がしなくもないです。
まあ、小説によって合ってるかあってないかはあるかなとは思いますが。
あと、オリジナルだったり昔の度量衡とかって、雰囲気づくりの小道具かなって思うんですが、作者がどんな異世界の雰囲気を出したいの? って話なような気がします。
現代と違う雰囲気が楽しみたいから、異世界って世界設定にするってのもあるんじゃないかなと思うのです。
現代ではできないことを主人公にさせるから異世界って理由もあると思いますが。
例えば、江戸時代の雰囲気を楽しんでもらいたいはずなのに、よろず屋(そんなものがあるか分かりませんが)がコンビニと書いたり口入屋を派遣会社って書いたりすると、分かりやすくはあるけど雰囲気無いよねって言われるとは思うんです。
読者に負担を感じさせないように描写するのも小説家の技量なんじゃないでしょうか。
どこかの小説で中世ヨーロッパ風と言いながら、着るものもろくにないとか言う寒村の少年が転生者でもないのに「秒」とか言っているのを読んで、ちょっとなぁって気分になった事があります。
メートルって使うとそれが考えられた背景とかも一緒に持ち込んでしまう気がします。秒って言うならそれがはかれる道具や、秒をはかれる時計をを作る工作の精度も必要になるんですかね? そしてそんな時計が寒村にも普及していることになるような気がします。
地球でも素直にメートル法が普及したわけではなかったと思うんですが、なんでみんなそんな単位を素直に使ってるの? って話にもなるような気がします。
なんと言うか、ゲーム風世界とか、オリジナルファンタジーって言っておけばいいのに、わざわざ中世風って言葉を作品の世界観に必要ないのに使うから突っ込みが入るのではなかろうかと言う気がします。
作者が本当に中世風の世界を作中で表したいなら、それに見合った言葉が必要になるのではないのかなと思いました。
突っ込まれそうなところは、言い換えればいいんじゃないかなって思いました。
20メートルのドラゴンとか数字を出すより、家より大きいとか城より大きいって方が雰囲気があるような気がしなくもないです。
まあ、小説によって合ってるかあってないかはあるかなとは思いますが。
あと、オリジナルだったり昔の度量衡とかって、雰囲気づくりの小道具かなって思うんですが、作者がどんな異世界の雰囲気を出したいの? って話なような気がします。
現代と違う雰囲気が楽しみたいから、異世界って世界設定にするってのもあるんじゃないかなと思うのです。
現代ではできないことを主人公にさせるから異世界って理由もあると思いますが。
例えば、江戸時代の雰囲気を楽しんでもらいたいはずなのに、よろず屋(そんなものがあるか分かりませんが)がコンビニと書いたり口入屋を派遣会社って書いたりすると、分かりやすくはあるけど雰囲気無いよねって言われるとは思うんです。
読者に負担を感じさせないように描写するのも小説家の技量なんじゃないでしょうか。
どこかの小説で中世ヨーロッパ風と言いながら、着るものもろくにないとか言う寒村の少年が転生者でもないのに「秒」とか言っているのを読んで、ちょっとなぁって気分になった事があります。
メートルって使うとそれが考えられた背景とかも一緒に持ち込んでしまう気がします。秒って言うならそれがはかれる道具や、秒をはかれる時計をを作る工作の精度も必要になるんですかね? そしてそんな時計が寒村にも普及していることになるような気がします。
地球でも素直にメートル法が普及したわけではなかったと思うんですが、なんでみんなそんな単位を素直に使ってるの? って話にもなるような気がします。
なんと言うか、ゲーム風世界とか、オリジナルファンタジーって言っておけばいいのに、わざわざ中世風って言葉を作品の世界観に必要ないのに使うから突っ込みが入るのではなかろうかと言う気がします。
作者が本当に中世風の世界を作中で表したいなら、それに見合った言葉が必要になるのではないのかなと思いました。
感想ありがとうございました。
たしかに、江戸時代を舞台にした小説に、同じ意味だからと雑貨屋のようなものがコンビニと表現されていたら、違和感がある気がしますね。
また、今回執筆(というほどたいそうなものではありませんが)中に気になったのは、単位の普及や共通化なんて、情報伝達の発達した社会じゃなければあり得ないよなぁ、ということでした。
単位の制定は権威にもつながるでしょうから、仲の悪い隣の国がAと定めたと知ったら、むきになってBという単位を使わせようとする王様とかいそうで、そんな話を書いてみようかと気の迷いを起こしてました。
一方で、メートルを使うとそれが考えられた背景~~というご意見については、半分だけ同意とさせてください。
おっしゃるとおり言葉が持つイメージというのは確かに存在すると思います。
ですが、メートル以外の多くの言葉は問題ないのか、メートルはそれほど特別にイメージが強くて世界観を損なうのか、という点をどう受け取るかで見解が異なるようです。
秒についてなど、また別に考えさせられるご意見でした。感謝です。
たしかに、江戸時代を舞台にした小説に、同じ意味だからと雑貨屋のようなものがコンビニと表現されていたら、違和感がある気がしますね。
また、今回執筆(というほどたいそうなものではありませんが)中に気になったのは、単位の普及や共通化なんて、情報伝達の発達した社会じゃなければあり得ないよなぁ、ということでした。
単位の制定は権威にもつながるでしょうから、仲の悪い隣の国がAと定めたと知ったら、むきになってBという単位を使わせようとする王様とかいそうで、そんな話を書いてみようかと気の迷いを起こしてました。
一方で、メートルを使うとそれが考えられた背景~~というご意見については、半分だけ同意とさせてください。
おっしゃるとおり言葉が持つイメージというのは確かに存在すると思います。
ですが、メートル以外の多くの言葉は問題ないのか、メートルはそれほど特別にイメージが強くて世界観を損なうのか、という点をどう受け取るかで見解が異なるようです。
秒についてなど、また別に考えさせられるご意見でした。感謝です。
- 水無月
- 2020年 04月04日 17時31分
[一言]
エッセイ議題の根本に言及することになりますけど、問題そこじゃないんですよ。
「異世界でメートル単位は変だ」って非難する読者も、そこら勘違いしてるってことですけど。
まず大前提として、小説内で具体的な数値を出すのは、作者の自己満足でしかありません。
例えば作品内で医者が、薬品名や投薬量の指示を出す。こうすることで専門性をかもしだすことができますけど、話の展開としては「適切に処置した」で問題ありません。
例文の「20キグム(20キログラム)あるが落とすなよ?」も、「重いから気を付けろよ」で十分なわけで、無駄に読みにくくしてるだけです。
しかも数値を出すのはデメリットがありまして。
まず、世界観設定に言及することになります。
例えば例文の「神亀の後の刻」。
このセリフが出てくるだけで、「時刻を計測するなんらかの装置が存在し、その存在だけでなく現在時刻もなんらかの方法で一般市民にも広く周知されてる」という世界観設定も言外に公表してることになります。
こういうのは浅い経験だと理解できないので、作者と読者との間に齟齬を作ります。これで「時計ってなに?」って展開を作ったら、読者からツッコまれます。
最大の問題点は、不自然さです。
身の回りにあるもので、高さ5メートルの物体をパッと答えられます?
2メートルくらいなら自分の身長と比較して感覚的に理解できますけど、それ以上になると一律「高い」で、近い数値でもわからない人がほとんどでは?
「東京ドーム何個分」なんて説明されても、それで広さを実感できる人なんてほぼいません。「広いんだなぁ」で終わりです。
現代人でも日常生活内なら、正確な計測数値を使っている単位は、金額と時刻、個数(それも少数のみ)くらいでしょう。
それで非日常的な数値でも出てくるのは、非人間的で不自然なんです。
エッセイ議題の根本に言及することになりますけど、問題そこじゃないんですよ。
「異世界でメートル単位は変だ」って非難する読者も、そこら勘違いしてるってことですけど。
まず大前提として、小説内で具体的な数値を出すのは、作者の自己満足でしかありません。
例えば作品内で医者が、薬品名や投薬量の指示を出す。こうすることで専門性をかもしだすことができますけど、話の展開としては「適切に処置した」で問題ありません。
例文の「20キグム(20キログラム)あるが落とすなよ?」も、「重いから気を付けろよ」で十分なわけで、無駄に読みにくくしてるだけです。
しかも数値を出すのはデメリットがありまして。
まず、世界観設定に言及することになります。
例えば例文の「神亀の後の刻」。
このセリフが出てくるだけで、「時刻を計測するなんらかの装置が存在し、その存在だけでなく現在時刻もなんらかの方法で一般市民にも広く周知されてる」という世界観設定も言外に公表してることになります。
こういうのは浅い経験だと理解できないので、作者と読者との間に齟齬を作ります。これで「時計ってなに?」って展開を作ったら、読者からツッコまれます。
最大の問題点は、不自然さです。
身の回りにあるもので、高さ5メートルの物体をパッと答えられます?
2メートルくらいなら自分の身長と比較して感覚的に理解できますけど、それ以上になると一律「高い」で、近い数値でもわからない人がほとんどでは?
「東京ドーム何個分」なんて説明されても、それで広さを実感できる人なんてほぼいません。「広いんだなぁ」で終わりです。
現代人でも日常生活内なら、正確な計測数値を使っている単位は、金額と時刻、個数(それも少数のみ)くらいでしょう。
それで非日常的な数値でも出てくるのは、非人間的で不自然なんです。
感想ありがとうございました。
おっしゃるとおり、壁の高さであれば「身の丈ほどの・・・」といった表現でじゅうぶんに通じることが多いので、具体的な数値を出すことに大きな意味はないという点は同感です。
私もこのテーマについて考えた際に最初に思いうかんだのがこの、身の丈ほど、手のひらほどの、などといった表現でした。
ただし、「身の丈ほど」という表現は受け手によってその高さに幅があります。これが「高い壁」となればどれほど高いのか、イメージのばらつきが一層大きくなるでしょう。
例えば壁を飛び越える方法を考えるとき、具体的な数字があることでイメージされる手段が変わってくるかもしれません。
ですから一概に悪であると断じるのも難しいのかなと思い直しました。
最終的にはどのような表現であれ、伝わることが目的なので、筆者の力量次第にはなってしまいますけれど。
おっしゃるとおり、壁の高さであれば「身の丈ほどの・・・」といった表現でじゅうぶんに通じることが多いので、具体的な数値を出すことに大きな意味はないという点は同感です。
私もこのテーマについて考えた際に最初に思いうかんだのがこの、身の丈ほど、手のひらほどの、などといった表現でした。
ただし、「身の丈ほど」という表現は受け手によってその高さに幅があります。これが「高い壁」となればどれほど高いのか、イメージのばらつきが一層大きくなるでしょう。
例えば壁を飛び越える方法を考えるとき、具体的な数字があることでイメージされる手段が変わってくるかもしれません。
ですから一概に悪であると断じるのも難しいのかなと思い直しました。
最終的にはどのような表現であれ、伝わることが目的なので、筆者の力量次第にはなってしまいますけれど。
- 水無月
- 2020年 04月04日 17時09分
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