感想一覧
▽感想を書く[一言]
「林檎飴」読みました。
なかなか良い感じです、文学になっていると思います。
御作の場合は、題材を主張するというよりも、そこにある出来事を現状のまま語ることで、主題を感じさせる、という方法を取っている。
林檎飴の行方にしろ、少女や犬にしても、主人公は積極的に関わろうとはせずに、傍観者の立ち位置で、見つめている。(これには、意味がある)。
ただ、主人公が林檎飴を少女に差し出したり、少女が「ありがとう」と「小さな声で」反応したりはあります。
だけれど、これ以上のコミュニケーションはとられていない。これは、主人公と少女の葛藤であり、心の揺れである。
少女にしても「ありがとう」とは言ったが、それが「小さな声」なので、主人公に対して、積極的には、関わりたくなかったのかもしれない。(大人になりたくない、現状の子供のままでいると楽だから)。
それは主人公とて同じで、「少女の哀しみ(主人公の哀しみ)」に対しての反応で、「林檎飴」を渡したに過ぎない。
犬は自分がしでかした失敗に、唖然として、その結果を見ていた、ということになるが、実は、この犬の存在は主人公の「本心」そのものであり、束縛から解放されたいと思った、結果の行動であった。
ちなみに、この束縛とは、「両親」とか、「育ち」を意味していいて、主人公は、そこから自分の生き方(アイデンティティー)を「模索」していた。
●
すなわち、ここに登場する者たちは、傍観者のごとく、出来事を観ている存在のように見えるが、実のところ、すべてに意味がある。
金魚 ← 時間(主人公が金魚と目が合ったということは、時間(人生、または青春の一時)と対峙したということ)。
林檎飴 ← 人生(人生と言っても、この場合は青春という時間の流れ)。「金魚」と「林檎飴」の違いは、金魚は「時間の瞬間」であり、林檎飴は「時間の流れ(転がるので)」を意味する。
少女 ← 主人公の借りの姿。
犬 ← 本心(主人公は両親の顔色を見て行動する、よい子(娘)なので、余計なことはしない。「本心」は、いろいろと、冒険(両親の手から離れたい。アイデンティティー)をしたいと思っている女の子)。なので、林檎飴にちょっかいを出した。
彼 ← 主人公の本心を見抜いているので、主人公を開放してあげたいと思っている。だから林檎飴が転がっていくのを見て、主人公が冒険(独り立ち)をできるきっかけになるので、嬉しそうにした。
狐のお面 ← 主人公の過去。
>振り返れば、そこに雑踏は無く、ガランとした道の真ん中に色あせた狐のお面がただ一つ落ちているだけだった。<
このラストは、主人公が過去から脱却した、子供から大人(独り立ち)になったという意味になる。
●
御作の正体は、こんなところですかね。
林檎飴に絡んで、祭りの夜を思わせる風景を描きながら、実のところ、少女(子供)から女性(大人)になる物語を描いた文学作品ということになります。
それでは、頑張ってください。
「林檎飴」読みました。
なかなか良い感じです、文学になっていると思います。
御作の場合は、題材を主張するというよりも、そこにある出来事を現状のまま語ることで、主題を感じさせる、という方法を取っている。
林檎飴の行方にしろ、少女や犬にしても、主人公は積極的に関わろうとはせずに、傍観者の立ち位置で、見つめている。(これには、意味がある)。
ただ、主人公が林檎飴を少女に差し出したり、少女が「ありがとう」と「小さな声で」反応したりはあります。
だけれど、これ以上のコミュニケーションはとられていない。これは、主人公と少女の葛藤であり、心の揺れである。
少女にしても「ありがとう」とは言ったが、それが「小さな声」なので、主人公に対して、積極的には、関わりたくなかったのかもしれない。(大人になりたくない、現状の子供のままでいると楽だから)。
それは主人公とて同じで、「少女の哀しみ(主人公の哀しみ)」に対しての反応で、「林檎飴」を渡したに過ぎない。
犬は自分がしでかした失敗に、唖然として、その結果を見ていた、ということになるが、実は、この犬の存在は主人公の「本心」そのものであり、束縛から解放されたいと思った、結果の行動であった。
ちなみに、この束縛とは、「両親」とか、「育ち」を意味していいて、主人公は、そこから自分の生き方(アイデンティティー)を「模索」していた。
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すなわち、ここに登場する者たちは、傍観者のごとく、出来事を観ている存在のように見えるが、実のところ、すべてに意味がある。
金魚 ← 時間(主人公が金魚と目が合ったということは、時間(人生、または青春の一時)と対峙したということ)。
林檎飴 ← 人生(人生と言っても、この場合は青春という時間の流れ)。「金魚」と「林檎飴」の違いは、金魚は「時間の瞬間」であり、林檎飴は「時間の流れ(転がるので)」を意味する。
少女 ← 主人公の借りの姿。
犬 ← 本心(主人公は両親の顔色を見て行動する、よい子(娘)なので、余計なことはしない。「本心」は、いろいろと、冒険(両親の手から離れたい。アイデンティティー)をしたいと思っている女の子)。なので、林檎飴にちょっかいを出した。
彼 ← 主人公の本心を見抜いているので、主人公を開放してあげたいと思っている。だから林檎飴が転がっていくのを見て、主人公が冒険(独り立ち)をできるきっかけになるので、嬉しそうにした。
狐のお面 ← 主人公の過去。
>振り返れば、そこに雑踏は無く、ガランとした道の真ん中に色あせた狐のお面がただ一つ落ちているだけだった。<
このラストは、主人公が過去から脱却した、子供から大人(独り立ち)になったという意味になる。
●
御作の正体は、こんなところですかね。
林檎飴に絡んで、祭りの夜を思わせる風景を描きながら、実のところ、少女(子供)から女性(大人)になる物語を描いた文学作品ということになります。
それでは、頑張ってください。
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