感想一覧
▽感想を書く[良い点]
非常に興味深い考察でした。
[一言]
ロボットに対する愛や友情って、人間側の「一方的依存」を自己欺瞞しているだけなのかもしれません。
商業ベースで考えるなら、それを想定内にロボット依存を深めていくマーケティング戦略が有効ともいえますね。
ある程度の「茶番」を前提に、ロボットとの別れを演出する美談を消費者に提供しつつ、新製品への乗り換えもやっていただく……。
筆者のおっしゃる「感性の鋭い人」向けのプランを考えてみれば、現代の小説が描く悲劇的な別れもアリかもしれません(それはそれで寂しいですが…)。
非常に興味深い考察でした。
[一言]
ロボットに対する愛や友情って、人間側の「一方的依存」を自己欺瞞しているだけなのかもしれません。
商業ベースで考えるなら、それを想定内にロボット依存を深めていくマーケティング戦略が有効ともいえますね。
ある程度の「茶番」を前提に、ロボットとの別れを演出する美談を消費者に提供しつつ、新製品への乗り換えもやっていただく……。
筆者のおっしゃる「感性の鋭い人」向けのプランを考えてみれば、現代の小説が描く悲劇的な別れもアリかもしれません(それはそれで寂しいですが…)。
感想ありがとうございます!
それとともに、長いことご返事が出せずにいたこと申し訳ございませんでした⋯⋯。
私のエッセイをもとに、『ロボットに対する親愛の情が、人間側の「一方的依存」の自己欺瞞によるものではないか?』とさらに踏み込んだ考察をしていただけたことは、作者としても予想外の領域でありとても嬉しく感じております。
せっかくウエス&スミッソン様より素晴らしい考察を頂戴したところですので、私からも少し考察を加えることでお礼としたいと思います。
ここから長くなりますので、お時間がない場合は以下の文は読まなくても構いません。
私のエッセイを読んでくださり、ありがとうございました。
*
私のエッセイでは、今回敢えてロボットと人間の関係性について言及しないことで、社会的に奪われる「死」の側面を強調しようと考えておりました。その分逆に、人間から見たロボットという側面についての言及は大いに不足していると言わざるを得ません。
さて、ロボットと人間との関係性大きく二つに分けると、『機械としてのロボット』『(人間的な)相手としてのロボット』の二つに分類できるでしょう。エッセイで取り上げたのは、心理的負担を減らすためにより人間的な死を失わせたロボット像、即ち前者の方を取り上げたこととなります。
しかしまた、後者の側面を見ると状況は変わります。ロボットをより相手として強くみた場合、人間側が求めるのは愛情を「与える」ことだけではなく、与えられた愛情に対し何かを「返す」こと、恐らくその二つが抱き合わせとなって存在することとなるでしょう。言い換えるなら、愛情を与える行為そのものが、他者に自己を規定してもらう行為となりうるということとも言えるでしょう。この点で、『依存』と言う表現は実に的確で、素晴らしい表現だと思います。
さて、ここで愛情を与えることに「対価」が生まれました。ロボット側より報酬のようなものが出るというわけです。この場合、ロボットが傷つき、場合によっては死んでしまうような状況に即しても耐えうる人が登場するのではないか?という疑問が生まれます。そして実際、実現可能だと私は考えています。
ペットを飼ってみたことがある人ならわかるでしょう。相手が自分の声などに反応してくれて、時には憎らしくもぷいっとそっぽを向いてしまったり。そしてそんな姿が案外癒されるものです。そしてまた、自分なしでは生きていけないという満足感──そこまで考える人はいないかもしれないものの、少なくとも「頼られている」という感覚は、どこか嬉しさを伴う部分ではないでしょうか。
ここでまた、愛情の注ぎ方には人それぞれ差異があるということについては言及しなければならないでしょう。例えばこれは昔読んだ話ですが、(リメイク版かもしれませんが)鉄腕アトムの開発者は、交通事故で亡くなった自分の息子の代わりに作ったロボットが「身長が伸びない」という欠陥を抱えていることに不満を抱き、処分してしまいます。より人間的な「死」を望む人が完全にいない、という主張は誤りですねごめんなさい。
しかしながら、自分と似たロボットが生々しい怪我をし、病気をし、死に至る光景は、想像するだけでもおぞましいものではないでしょうか。より慎重な言葉を使うなら、恐怖感を抱かせるような光景ではないでしょうか。
そしてまた、これらの依存は何も「人間のようなもの」相手である必要はないという点は、言うまでもないでしょう。犬型ロボットだって、猫型ロボットだって問題はないはずです。むしろ、人間が相手だからこそ起こりうる「恐怖の谷」現象も、動物相手だと大分マシになるでしょう。
ちなみになのですが、犬型ロボット相手だと葬式は行われています。『AIBO 葬式』で検索すると詳しい記事が読めます。ぜひぜひ。
つまるところ、愛情の注げる範囲でより人間的な生々しさを排したものであれば、ロボットとの別れも存在しうるかと思います。むしろ別の子と切り離して考えないと気持ち悪いと考える人も、しばらくはいそうですしね。
さて、最後に。
実は本編でも、ロボットとの別れを『美談』として提供する話は言及しておりませんし、実際そうなる未来図は僕の中ではあまり存在しません。ただもし、企業が全力を持ってして『美談』を提供するのに躍起になるような事態が発生するとしたら、それはきっと恐ろしいディストピアでしょうね。
長くなり申し訳ございませんでした。
ウエス&スミッソン様がロボットに関する作品を書かれているとのことなので、少し長めに考察いたしました。
それとともに、長いことご返事が出せずにいたこと申し訳ございませんでした⋯⋯。
私のエッセイをもとに、『ロボットに対する親愛の情が、人間側の「一方的依存」の自己欺瞞によるものではないか?』とさらに踏み込んだ考察をしていただけたことは、作者としても予想外の領域でありとても嬉しく感じております。
せっかくウエス&スミッソン様より素晴らしい考察を頂戴したところですので、私からも少し考察を加えることでお礼としたいと思います。
ここから長くなりますので、お時間がない場合は以下の文は読まなくても構いません。
私のエッセイを読んでくださり、ありがとうございました。
*
私のエッセイでは、今回敢えてロボットと人間の関係性について言及しないことで、社会的に奪われる「死」の側面を強調しようと考えておりました。その分逆に、人間から見たロボットという側面についての言及は大いに不足していると言わざるを得ません。
さて、ロボットと人間との関係性大きく二つに分けると、『機械としてのロボット』『(人間的な)相手としてのロボット』の二つに分類できるでしょう。エッセイで取り上げたのは、心理的負担を減らすためにより人間的な死を失わせたロボット像、即ち前者の方を取り上げたこととなります。
しかしまた、後者の側面を見ると状況は変わります。ロボットをより相手として強くみた場合、人間側が求めるのは愛情を「与える」ことだけではなく、与えられた愛情に対し何かを「返す」こと、恐らくその二つが抱き合わせとなって存在することとなるでしょう。言い換えるなら、愛情を与える行為そのものが、他者に自己を規定してもらう行為となりうるということとも言えるでしょう。この点で、『依存』と言う表現は実に的確で、素晴らしい表現だと思います。
さて、ここで愛情を与えることに「対価」が生まれました。ロボット側より報酬のようなものが出るというわけです。この場合、ロボットが傷つき、場合によっては死んでしまうような状況に即しても耐えうる人が登場するのではないか?という疑問が生まれます。そして実際、実現可能だと私は考えています。
ペットを飼ってみたことがある人ならわかるでしょう。相手が自分の声などに反応してくれて、時には憎らしくもぷいっとそっぽを向いてしまったり。そしてそんな姿が案外癒されるものです。そしてまた、自分なしでは生きていけないという満足感──そこまで考える人はいないかもしれないものの、少なくとも「頼られている」という感覚は、どこか嬉しさを伴う部分ではないでしょうか。
ここでまた、愛情の注ぎ方には人それぞれ差異があるということについては言及しなければならないでしょう。例えばこれは昔読んだ話ですが、(リメイク版かもしれませんが)鉄腕アトムの開発者は、交通事故で亡くなった自分の息子の代わりに作ったロボットが「身長が伸びない」という欠陥を抱えていることに不満を抱き、処分してしまいます。より人間的な「死」を望む人が完全にいない、という主張は誤りですねごめんなさい。
しかしながら、自分と似たロボットが生々しい怪我をし、病気をし、死に至る光景は、想像するだけでもおぞましいものではないでしょうか。より慎重な言葉を使うなら、恐怖感を抱かせるような光景ではないでしょうか。
そしてまた、これらの依存は何も「人間のようなもの」相手である必要はないという点は、言うまでもないでしょう。犬型ロボットだって、猫型ロボットだって問題はないはずです。むしろ、人間が相手だからこそ起こりうる「恐怖の谷」現象も、動物相手だと大分マシになるでしょう。
ちなみになのですが、犬型ロボット相手だと葬式は行われています。『AIBO 葬式』で検索すると詳しい記事が読めます。ぜひぜひ。
つまるところ、愛情の注げる範囲でより人間的な生々しさを排したものであれば、ロボットとの別れも存在しうるかと思います。むしろ別の子と切り離して考えないと気持ち悪いと考える人も、しばらくはいそうですしね。
さて、最後に。
実は本編でも、ロボットとの別れを『美談』として提供する話は言及しておりませんし、実際そうなる未来図は僕の中ではあまり存在しません。ただもし、企業が全力を持ってして『美談』を提供するのに躍起になるような事態が発生するとしたら、それはきっと恐ろしいディストピアでしょうね。
長くなり申し訳ございませんでした。
ウエス&スミッソン様がロボットに関する作品を書かれているとのことなので、少し長めに考察いたしました。
- ゆーの
- 2020年 05月31日 22時51分
感想を書く場合はログインしてください。