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感想一覧

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[良い点]
タグやタイトルから過激なものを想像して読んでみたけど思ってたのと大分違って落ち着いていた。
[一言]
自分は過去の2ちゃん(今は5ちゃん)のレスバ等で誹謗中傷や批判に見慣れてしまっていて、
なろうでのちゃっちぃ批判なんて赤さんに腹をペチペチされるぐらいにしか思わないというか、
むしろ自分の拙作には誰も感想をくれないのでもっとオイラにかまってくれと、
わがままでかまってちゃんな駄目な大人が誕生する有様です。
もしかしたら攻撃の応酬が習慣になってしまって感覚が麻痺しているだけかも知れませんが、
なろうは筆を折る作者が多いと聞いているので、自分みたいなのは小数なのかもしれませんね。
[一言]

 初めてのコメント失礼致します。

>『これを作者と読者の関係として見るなら、作者が求めるのはPVやユニークアクセス、感想数やお気に入り登録数に繋がるヒントだろう。よって対する読者の「正しい」発言とは、これらの数字の上昇につながる意見、となる』

 作者様が求める発言が上記のものであるとされるのなら、そう明示して頂く必要があります。あとがきにでも記載されればきっとそのような御感想ばかりになるでしょう。それをなさっていない場合、作者様が求める御感想が来なかったとしても、仕方のないことではないでしょうか……?作者様は、読み手とは別個の人間ですから……読み手は作者様が本当に欲しい感想の傾向を知りません。

 私は、作者様が求めるような御感想を欲しいとは考えない側の書き手です。読み手となる場合も、そのような傾向があるため、私は、私が欲しいと想像し想定する言葉しか、その対象の方に書くことは出来ません。具体的に私が欲しい感想とは、読者の方が作品を目にしてどのような感情を刺激されどのような思考をしたのか、そういった変化に富んだ御感想を頂くことが好きです。次の創作の意欲にも繋がりますし嬉しく感じます。

 御感想を下さる方のご指摘が誤ったものがあったと気づけた場合、難しいですが、言葉を選びながら会話をしようとするかもしれません。私は自分の知識に自信がない人間なので、私の知らない事実があったのかもしれないとそう思考して会話をします。

 読者の方が正しいことを主張していると考えられていて、私自身もそれ以上話しても平行線だと思った場合は、そのまま放置しますが、腹が立つことはありません。何故なら、御感想欄で言ってもらえて有難かったと思考するからです。……一人疑問がある方がその場に存在した場合、ねずみ講方式で一杯いらっしゃるわと思考してしまう為、事前に解ってよかったと思うからです。どんなことでも教えて頂けたならよかったと思います。自分自身が気づくことが出来ない場合が多いと自覚している為、どのような御指摘もありがたいと思考します。

 作者様の御作品を目にして、なんてしっかりした論理的思考をされる方なのだろうと、純粋に尊敬し何度も読み返しました。

 ……上手くありませんが、感想にもならない言葉かもしれませんが……不躾な言葉だった場合は、打ち捨てて下さいませ。


 素敵な御作品を読ませて下さり、有難う御座いました。

 失礼致します。
  • 投稿者: 澄
  • 女性
  • 2020年 12月29日 01時49分
 感想ありがとうございます。

>作者様は、読み手とは別個の人間ですから……読み手は作者様が本当に欲しい感想の傾向を知りません。

 その通りです。
 しかし批判している読者が「読者の批判は作者の成長の糧だ」と豪語しているのですから、作者が何を求めているのか把握できません、なんていうのは単なる言い逃れでしょう。
 で、成長を測る目安として分かり易いのは、評価ポイントやPVやUAや感想といった目に見える数字です。一番分かり易い計りを無視して作者の成長を語るのですから、読者は何を基準にして計っているのでしょうね?

>言葉を選びながら会話をしようとするかもしれません。
>御感想欄で言ってもらえて有難かったと思考するからです。
>どのような御指摘もありがたいと思考します。

 その姿勢には敬意を表します。このサイトで一作目を投稿した頃の九年前でしたら、私も同じです、と言えたのに残念です。
『小説家になろう』でのことではありませんが、感想欄で読者との会話を何度も試み、感想欄が荒れるだけだったので諦めてしまった口です。
 無論、今でも感想をもらえると嬉しいですし、違う考え方の人の批判も受け入れているのは、コメントページを開いている事からもお分かりかと思います。ただし書き逃げ目的の捨てハンの書き込みに散々精神を抉られてきたので、ログインユーザーのみに限定していますが。

[気になる点]
批判を批判するために必要な経験て何だと思いますか?
[一言]
ぼくのかんがえたさいきょーのひはんは

読者「私はこう考えます」
作者「同意します」or「同意しません」
読者「わかりました」

こうです!
 感想ありがとうございます。

 さいきょーのひはん、良いですね。

 批判すること自体は否定していないので、作品への批判をするにしても、批判への批判をするにしても、別に未経験で構わないと思います。

 あえてどのような経験かを答えるなら、作品を批判した読者よりも上の成果を出したことがあるという経験、でしょうか。作品数にしろ感想数にしろPV、UA、お気に入り登録数にしろ。

 その意味では、上位ランキング作品や商業化作品に批判を書くなんて恐れ多い未熟者です、私は。

[気になる点]
 『文章を書く』という行為は作者一人の作業ですが、『作品を発表する』という行為は相手がいることが前提です。
 作品を公開するという事は、不特定多数の読者に向けて、作品発表をするという事です。
[一言]
 その人がソレを「正しい」と思って批判する事は、普通のことだと思います。
 それは未経験だろうが関係ないです。
 たとえば、「殺人はいけない」という主張にたいして、「未経験だから正しい批判ではない」とか言いません。

 スポーツの例を出すなら、欧州だとプロ経験のないどころか、選手として大して実績でない人が、サッカーの監督になり、それなりに実績を残しているケースは何人もいます。

 批判する際における最大の問題とは、「正しい」「正しくない」とかそういうレベルではなく、それを行う時の態度においてあります。
 そこにおいて、人格攻撃を含んだ誹謗だったり、もしくは中傷だったり、もしくは粘質的に絡んでくる場合において、問題になる訳です。

 これって、読者も作者も変わらないです。
 もっといえば、読者の批判のベクトルは作家だけに向いているのに対して、作家の主張はある不特定多数にたいして行える為、作家のほうが深刻な場合が多い。

 たとえば、純文学作家の島田正彦は、ほぼ安倍総理だとわかるキャラクターを用いて、徹底的に、彼を誹謗する作品を発表しています。
 かれにとって、それが「正しい」主張なんですね。もちろん、何も知らない読者がその作品を読めば、安倍総理のことが嫌いになるでしょうね。
 
 例えば、百田尚樹の『殉愛』という小説。ある後妻の立場を書いた作品ですが、前妻の家族を貶めるような主張をしています。
 これも彼にとっては「正しい」主張なんですね。(ちなみに彼はこの件において裁判で負けています)

 だれもが正しいと思って主張する。もしくは批判する。
 けどもちろん、それはその人にとって、ですよ。
 だから、それに対しての批判、つまり、反論が重要です。そこで正しさと正しさがぶつかる。そういう話に過ぎません。
 だから、対話が可能な人間性を持っているか?が重要になり、つまり、態度が重要になります。
 感想ありがとうございます。
 拙エッセイでの文章の拙さにより、意図が通じなかったかもしれません。あらかじめお詫び致します。

 感想を読む限りでは、論点のすり替えを意図している印象を受けるのですが、そのような認識でよろしいでしょうか?

>たとえば、「殺人はいけない」という主張にたいして、「未経験だから正しい批判ではない」とか言いません。

 極論を持ち出してご自身の批判の正当性を訴えられても、困惑するばかりです。
 殺人は『犯罪』です。拙エッセイでは「犯罪の正否」「法律の是非」に関する批判の話には一切触れていませんし、「正しい『批判』」をしている読者側が、違法行為上等の犯罪者予備軍と前提しての話もしていません。

 あらかじめ断りを入れておかなかった手落ちもあるかもしれませんが、拙エッセイの「正しい『批判』」をしている読者とは、適法内で生活し、サイトの規約も守っている、ごく一般的な人、を前提にしています。そのような人たちの発言と、犯罪を同列に持ち出すのは論点が違います。

>たとえば、純文学作家の島田正彦は、ほぼ安倍総理だとわかるキャラクターを用いて

 検索したところ、島田『雅』彦の間違いですね。おそらくは誤字と軽く流されるでしょうが、人名を間違えるのは他人事ではあれ甚だ無礼です。
 また、件の書籍は未読なのでどの部分を指して誹謗と言われているのか存じませんが、表現の自由の価値の一つ、自己統治を知らないで語っている人なのでしょうか? ご承知の上で語られているのでしたら、悪質な自民党擁護だと判断いたします。

>例えば、百田尚樹の『殉愛』という小説。

 この作品も知らないので簡単に検索しました。
 ジャンルとしてはノンフィクション。実名を出された人物が訴えて、プライバシー侵害と名誉棄損が認められたようですね。
 このサイト『小説家になろう』では、実在の人物を批判する内容は規約違反に当たる(規約第14条の2、3及び11)だと思います。ここでノンフィクションを例に出したのはなぜか、その意図が分かりません。

>だれもが正しいと思って主張する。もしくは批判する。
>だから、それに対しての批判、つまり、反論が重要です。そこで正しさと正しさがぶつかる。そういう話に過ぎません。

 言っていることは正しいように見えますけれど、完全に論点のすり替えですよね。
 拙エッセイで述べているのは、作者の「正しい」が作品の「面白い」であるのに対し、「正しい『批判』」とやらをしている読者の『批判』は、作品の「面白い」を全く考慮していない。根拠もなく自分の「正しい」だけに全力で、いかに自分本位で無責任で、そんなものに作者の成長なんてない、という批判です。

 エッセイでも語っているように、批判する自体は否定していません。ただ、作者と読者の「正しい」が互いに掠りもしていないという内容なのに、論点をすり替えて「正しさと正しさがぶつかる。そういう話に過ぎません」とやられるのは、しかもそれで『批判』している気になられるのは、どうにも困惑するばかりです。