エピソード28の感想一覧
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[一言]
皇帝の一族を厚遇するかできるだけは排除するかはその一族の能力におうじたケ-スバイケ-スしかなく、普遍的な正解はだせないとはおもうのですが、中国の王朝って、どうしてこう悪い方にばかりかたよるかな?
皇帝の一族を厚遇するかできるだけは排除するかはその一族の能力におうじたケ-スバイケ-スしかなく、普遍的な正解はだせないとはおもうのですが、中国の王朝って、どうしてこう悪い方にばかりかたよるかな?
エピソード28
ご感想ありがとうございます。
前の王朝の失敗を繰り返さないようにするというのが念頭にあって、それもこの魏から西晋の時代は漢王朝という約四百年の歴史を持った王朝の失敗した部分を変えて新しい王朝の形を作ろうという意思がありました。
しかしそう簡単に以前よりも違うのを作るとなると難しく、新しい部分を手探りの状態で作っていかなくてはならず、先ずは極端な形を作るのがやりやすかったのだと思います。
その極端な形からどこまで現実とすり合わせていくのが組織の作り方だと思います。
実際、秦は極端な独裁体制と法律の厳しさから世の中の反感を買ったため短命に終わり、漢王朝はその反省を活かすことで、長生きしました。
魏王朝は一族の力を削り、臣下の力を抑えませんでした。そんな中、一族の権力を高め続けて乗っ取った西晋王朝は魏王朝の反省を踏まえて更に一族の力を高めていきました。
そこから内乱が起きるのはともかく、歴史的なパターンとしてはここから本来は一族の力と臣下の力のバランスを整えて新しい王朝の形を作っていくという過程に入るところだったと思います。
しかしここで厄介なことが起きたのは異民族による中華圏への侵攻という名の外部からの介入です。
しかも介入どころから彼らの王朝が中華圏において立ち並ぶことになりました。彼らの王朝は前の王朝への反省から生じたものではなく、中原や中華圏での力を示すための行為でした。
そして、彼らにとっての王朝運営における課題は一族や臣下の力のバランスとっていくというよりは漢民族と自分たちの民族の力のバランス及び、それを上手く活かした他民族国家への形成というものだったのです。
つまり本来、漢民族が国家形成におけるステップを踏むところで異民族の介入による破壊によるリセットが入ったことで、課題が先送りされてしまったのです。
漢民族の国家成熟における課題から他民族国家をどのように作るかという課題へと変わったことで先ずはそれを解決しなければならず、その解決を目指して最終的にできたのが隋と唐の時代でした。
そこから再び、一族と臣下の力のバランスのすり合わせを行っていくところで、再び異民族の介入というリセット期間が生じ、再び国家形成の成熟期に入り、異民族の介入によるリセット期間というある種のパターンに陥ったのが中国の難しいところだと思います。陸続き故の難しさですね。
後は中国は統一国家に拘りを持ち過ぎたところも影響はあるでしょうね。ヨーロッパはそれぞれ独立性を保った国が乱立し牽制しあう間に国家の力関係のバランスのすり合わせを行っていくことができました。まあ暗黒時代という期間はありますし、介入を受けなかったわけでも無いですけどね。また、ヨーロッパはその力関係のバランスをすり合わせていくうちにわけわからないほどに複雑化していくという部分もありましたけどね。
日本は島国という立地もあり、異民族の介入という名の外部からの介入を比較的に回避または深くまではいかせなかったために独特な発展をしていきました。
長くなりましたが、中国は国家形成がある意味、難しい状況であることが多い故に極端な形になることが多いのではないかと思います。
今後もご感想お待ちしております。
前の王朝の失敗を繰り返さないようにするというのが念頭にあって、それもこの魏から西晋の時代は漢王朝という約四百年の歴史を持った王朝の失敗した部分を変えて新しい王朝の形を作ろうという意思がありました。
しかしそう簡単に以前よりも違うのを作るとなると難しく、新しい部分を手探りの状態で作っていかなくてはならず、先ずは極端な形を作るのがやりやすかったのだと思います。
その極端な形からどこまで現実とすり合わせていくのが組織の作り方だと思います。
実際、秦は極端な独裁体制と法律の厳しさから世の中の反感を買ったため短命に終わり、漢王朝はその反省を活かすことで、長生きしました。
魏王朝は一族の力を削り、臣下の力を抑えませんでした。そんな中、一族の権力を高め続けて乗っ取った西晋王朝は魏王朝の反省を踏まえて更に一族の力を高めていきました。
そこから内乱が起きるのはともかく、歴史的なパターンとしてはここから本来は一族の力と臣下の力のバランスを整えて新しい王朝の形を作っていくという過程に入るところだったと思います。
しかしここで厄介なことが起きたのは異民族による中華圏への侵攻という名の外部からの介入です。
しかも介入どころから彼らの王朝が中華圏において立ち並ぶことになりました。彼らの王朝は前の王朝への反省から生じたものではなく、中原や中華圏での力を示すための行為でした。
そして、彼らにとっての王朝運営における課題は一族や臣下の力のバランスとっていくというよりは漢民族と自分たちの民族の力のバランス及び、それを上手く活かした他民族国家への形成というものだったのです。
つまり本来、漢民族が国家形成におけるステップを踏むところで異民族の介入による破壊によるリセットが入ったことで、課題が先送りされてしまったのです。
漢民族の国家成熟における課題から他民族国家をどのように作るかという課題へと変わったことで先ずはそれを解決しなければならず、その解決を目指して最終的にできたのが隋と唐の時代でした。
そこから再び、一族と臣下の力のバランスのすり合わせを行っていくところで、再び異民族の介入というリセット期間が生じ、再び国家形成の成熟期に入り、異民族の介入によるリセット期間というある種のパターンに陥ったのが中国の難しいところだと思います。陸続き故の難しさですね。
後は中国は統一国家に拘りを持ち過ぎたところも影響はあるでしょうね。ヨーロッパはそれぞれ独立性を保った国が乱立し牽制しあう間に国家の力関係のバランスのすり合わせを行っていくことができました。まあ暗黒時代という期間はありますし、介入を受けなかったわけでも無いですけどね。また、ヨーロッパはその力関係のバランスをすり合わせていくうちにわけわからないほどに複雑化していくという部分もありましたけどね。
日本は島国という立地もあり、異民族の介入という名の外部からの介入を比較的に回避または深くまではいかせなかったために独特な発展をしていきました。
長くなりましたが、中国は国家形成がある意味、難しい状況であることが多い故に極端な形になることが多いのではないかと思います。
今後もご感想お待ちしております。
- 大田牛二
- 2020年 09月09日 23時27分
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