エピソード111の感想一覧
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[気になる点]
>脅威となり得る国……『仮想敵』がなくなった国は、腐敗と内部分裂によって滅びる
歴史的な事例や論説を参考にされたようですが、対立の本質は利害の不一致、腐敗の本質は利害の停滞です。
仮想敵の有無に関わらず、どんな組織にも潜在的な対立の火種や腐敗の温床はあるというのが道理であり、
内部分裂に及ぶか否か、衰退し滅ぶか否かは飽くまで当事者たちの利害調整と力の大きさに左右されます。
それこそ皇国という仮想敵国がありながら、今は亡き宰相や式部卿が最大利益を得られる地位を固め、
現状維持や見て見ぬふりをしても安定した利益を確保できる体制は利害の停滞と腐敗と言えます。
またカーマイン帝が両大公を誅したことによりラウル並びにアキカールの係累が大公を僭称し、
軍を興して利益の確保に走っている現状は利害の不一致と内部分裂そのものです。
もしも死に体の帝国で内乱が泥沼化し、国力や治安の低下が起きるようなことがあれば、
戦後から何代か後には諸外国に押しつぶされて緩やかに滅亡する未来すらあり得るのではないでしょうか。
>脅威となり得る国……『仮想敵』がなくなった国は、腐敗と内部分裂によって滅びる
歴史的な事例や論説を参考にされたようですが、対立の本質は利害の不一致、腐敗の本質は利害の停滞です。
仮想敵の有無に関わらず、どんな組織にも潜在的な対立の火種や腐敗の温床はあるというのが道理であり、
内部分裂に及ぶか否か、衰退し滅ぶか否かは飽くまで当事者たちの利害調整と力の大きさに左右されます。
それこそ皇国という仮想敵国がありながら、今は亡き宰相や式部卿が最大利益を得られる地位を固め、
現状維持や見て見ぬふりをしても安定した利益を確保できる体制は利害の停滞と腐敗と言えます。
またカーマイン帝が両大公を誅したことによりラウル並びにアキカールの係累が大公を僭称し、
軍を興して利益の確保に走っている現状は利害の不一致と内部分裂そのものです。
もしも死に体の帝国で内乱が泥沼化し、国力や治安の低下が起きるようなことがあれば、
戦後から何代か後には諸外国に押しつぶされて緩やかに滅亡する未来すらあり得るのではないでしょうか。
エピソード111
[一言]
「脅威となり得る国……『仮想敵』がなくなった国は、腐敗と内部分裂によって滅びる」
「古代ローマ帝国やイスラム帝国、あるいはモンゴル帝国……覇権国家は、周辺国が『脅威』とならなくなった途端、内部に敵を作り分裂する。逆に言えば、『脅威』となる敵がいる限りは完全な分裂までは至りにくい」
すみませんが、カーマイン陛下の上記の言葉には賛同できません。歴史的に見て不正確だと思うからです。
確かに、外敵の脅威が減じた事によって、国内の対立が発生したり顕在化したりする事はあります。地球の歴史上でも起こっていますし。
実をいうと、私自身自分の作品でそういう設定を書いています。
ですが、それでも「脅威となり得る国……『仮想敵』がなくなった国は、腐敗と内部分裂によって滅びる」は言い過ぎです。
なぜなら、以下のような例があるからです。
・脅威となりえる国がなくなった結果、確かに腐敗や内部分裂が起こったが、滅びるまではいかなかった。
・脅威となりえる国がなくなった結果、むしろ国内がまとまって大繁栄した。
・脅威となり得る国が現われた結果、逆に国内の内部分裂が始まった。
・脅威となり得る国が存在するのに、完全な分裂に至り国が滅びた。
これらの事例は全てローマにおいて起こっています。
古代ローマでは、恐るべき強敵だったカルタゴのハンニバルを破り、カルタゴ自体も滅ぼした後、内部での激しい対立が起こりました。「内乱の1世紀」と呼ばれるものです。
しかし、ローマはその内乱で滅びてはいません。
むしろその時代に領土を大幅に拡大しています。
マケドニアも、小アジアも、シリアも、北アフリカも、ガリアも、エジプトも、「内乱の1世紀」と呼ばれている時代にローマに征服され、その領土の一部となっています。
このような事が出来たのは、周辺にローマにとって「脅威となる国」がなかったからです。
つまり、「脅威となる国」がなくなった結果、確かに内乱は起こったが、滅びる事はなく、むしろ国土が拡大しているわけです。
また、ローマが最も繁栄したのは『五賢帝時代』とみて間違いありませんが、この時代ローマには「脅威となる国」など存在していませんでした。
特に2人目の賢帝であるトラヤヌスが、ダキアを滅ぼし、パルティアにも攻め込んで、滅ぼせはしなかったものの、首都を一時占領するほどの打撃を与えた後は、仮想敵は存在しないと言ってもよいほどの状況になりました。
そして、その後の3人目4人目の賢帝の時代は、目立った国内対立もなく、対外戦争もほとんど起こらず、ローマは空前の大繁栄を迎えます。
「脅威となる国」がない時代に、最も繁栄したわけです。
しかし、5人目の賢帝であるマルクス・アウレリウス・アントニヌス帝の時代になると様相が変わります。
アジアにおいてはパルティアがまたローマに敵対するようになり、ヨーロッパにおいてはゲルマン人の大侵攻が起こってしまいます。
つまり「脅威となる国」が現われたわけです。
この時、皇帝マルクスがゲルマニアでゲルマン人と戦っている間に、それ以前のパルティアとの戦いで活躍して、影響力を強めていた武将が、シリアで反乱を起こしました。
要するに、ローマでは「脅威となる国」の発生に連動して内乱が生じたわけです。
その後も他国の脅威に連動して反乱が起こっています。
例えば、260年には時の皇帝が戦で負け敵に捕らえられるという未曽有の脅威に襲われますが、その時ガイア地方の総督をしていた者は、ローマに反旗を翻し独立しました。
その後、ローマは東西分裂に進んでいきますが、これはゲルマン人の深刻な脅威にさらされる中で進行していました。
そのようにして分裂した西ローマ帝国ですが、当初から深刻なゲルマン人の脅威にさらされていました。
当時西ローマにはスティリコという名将がおり、ゲルマン人を次々と破って国を守っていたのですが、このスティリコは西ローマ国内の政争によって処刑されてしまします。
スティリコが死ぬとゲルマン人は早速西ローマに攻め込み、ローマ市も攻略され略奪されました。
西ローマはそのまま滅んだ訳ではありませんが、その後衰退の一途を辿り、滅亡への道を転げ落ちて行きます。
つまり、「脅威となる国」が存在する中で、完全な分裂に至り、更に内部対立がなくならなかった為に滅びたわけです。
このような例は他にもあります。
例えば、中華王朝の一つである「明王朝」は、その後期には女真族の「清」という強大な「脅威となる国」を抱えていました。
しかし、その時代の明は内乱が頻発し、最終的に反乱軍を率いた李自成が建国した「順王朝」に滅ぼされます。
「脅威となる国」がある中の反乱で滅んだ訳です。
明を滅ぼした順も国を一つにまとめることは出来ませんでした。
明の将軍だった人物が、清に降伏し、万里の長城の門を開けたため、女真軍が雪崩を打って侵攻し、順を滅ぼしてしまいました。
また、清が最も栄えたのは、康熙帝・雍正帝・乾隆帝の時代ですが、康熙帝がジョーン・モドの戦いでジュンガル部を破った時点で「脅威となる国」はなくなったと言えます。
つまり、清も「脅威となる国」がない状況で最も繁栄したわけです。
ところが、その清にもやがて新たな脅威が迫って来ます。欧州諸国が本格的に進出してきたのです。
その結果、清は大いに乱れ、ついに太平天国の乱という大反乱がおこりました。
「脅威となる国」の登場をきっかけに、国が乱れ内乱になったわけです。
加えて言いますとモンゴル帝国には、チンギス・ハン時代の後期の時点で「脅威となる国」など存在していませんでした。
ですが、モンゴル帝国はチンギス・ハン時代はもちろん、2代目オゴタイの時代も特に内部分裂などせず、拡大を続けています。
この点で、モンゴル帝国が周辺国が『脅威』とならなくなった途端に内部に敵を作り分裂した。というのは、明白な誤りです。
モンゴル帝国はオゴタイの死後混乱しましたが、それは「脅威となる国」がなくなったからではありません。
「脅威となる国」は、それよりもずっと前から存在していなかったからです。
その後、4代モンケの時代にまたモンゴルは一つにまとまり、東西への大侵攻を再開します。しかし、この時も「脅威となる国」など現われていませんでした。
要するに、モンゴル帝国は「脅威となる国」の存在などとは関係なく、優れた指導者が居ればまとまり、いなくなれば乱れていたわけです。
という事で、「脅威となる国」の存在の有無は、確かに国内の情勢に影響を与えます。
ですがそれは、
「脅威となる国」が存在する=国内がまとまる、決定的な分裂に至らない。
「脅威となる国」が存在しない=国内が乱れる。
というほど単純な図式にはなりません。そのような事になる場合もあるが、逆に、
「脅威となる国」が存在する=国内が乱れる。
「脅威となる国」が存在しない=国が繫栄する。
という事になる場合もあるわけです。
以上を踏まえると、国家にとっては「脅威となる国」などというものは、存在しない方が良いと言えます。
なぜなら、「脅威となる国」があろうがなかろうが、国が乱れる時は乱れるからです。
それなら、脅威などない方がましでしょう。
実際、西ローマ帝国も「脅威となる国」が存在していなければ、滅びなかったはずです。
「脅威となり得る国……『仮想敵』がなくなった国は、腐敗と内部分裂によって滅びる」
「古代ローマ帝国やイスラム帝国、あるいはモンゴル帝国……覇権国家は、周辺国が『脅威』とならなくなった途端、内部に敵を作り分裂する。逆に言えば、『脅威』となる敵がいる限りは完全な分裂までは至りにくい」
すみませんが、カーマイン陛下の上記の言葉には賛同できません。歴史的に見て不正確だと思うからです。
確かに、外敵の脅威が減じた事によって、国内の対立が発生したり顕在化したりする事はあります。地球の歴史上でも起こっていますし。
実をいうと、私自身自分の作品でそういう設定を書いています。
ですが、それでも「脅威となり得る国……『仮想敵』がなくなった国は、腐敗と内部分裂によって滅びる」は言い過ぎです。
なぜなら、以下のような例があるからです。
・脅威となりえる国がなくなった結果、確かに腐敗や内部分裂が起こったが、滅びるまではいかなかった。
・脅威となりえる国がなくなった結果、むしろ国内がまとまって大繁栄した。
・脅威となり得る国が現われた結果、逆に国内の内部分裂が始まった。
・脅威となり得る国が存在するのに、完全な分裂に至り国が滅びた。
これらの事例は全てローマにおいて起こっています。
古代ローマでは、恐るべき強敵だったカルタゴのハンニバルを破り、カルタゴ自体も滅ぼした後、内部での激しい対立が起こりました。「内乱の1世紀」と呼ばれるものです。
しかし、ローマはその内乱で滅びてはいません。
むしろその時代に領土を大幅に拡大しています。
マケドニアも、小アジアも、シリアも、北アフリカも、ガリアも、エジプトも、「内乱の1世紀」と呼ばれている時代にローマに征服され、その領土の一部となっています。
このような事が出来たのは、周辺にローマにとって「脅威となる国」がなかったからです。
つまり、「脅威となる国」がなくなった結果、確かに内乱は起こったが、滅びる事はなく、むしろ国土が拡大しているわけです。
また、ローマが最も繁栄したのは『五賢帝時代』とみて間違いありませんが、この時代ローマには「脅威となる国」など存在していませんでした。
特に2人目の賢帝であるトラヤヌスが、ダキアを滅ぼし、パルティアにも攻め込んで、滅ぼせはしなかったものの、首都を一時占領するほどの打撃を与えた後は、仮想敵は存在しないと言ってもよいほどの状況になりました。
そして、その後の3人目4人目の賢帝の時代は、目立った国内対立もなく、対外戦争もほとんど起こらず、ローマは空前の大繁栄を迎えます。
「脅威となる国」がない時代に、最も繁栄したわけです。
しかし、5人目の賢帝であるマルクス・アウレリウス・アントニヌス帝の時代になると様相が変わります。
アジアにおいてはパルティアがまたローマに敵対するようになり、ヨーロッパにおいてはゲルマン人の大侵攻が起こってしまいます。
つまり「脅威となる国」が現われたわけです。
この時、皇帝マルクスがゲルマニアでゲルマン人と戦っている間に、それ以前のパルティアとの戦いで活躍して、影響力を強めていた武将が、シリアで反乱を起こしました。
要するに、ローマでは「脅威となる国」の発生に連動して内乱が生じたわけです。
その後も他国の脅威に連動して反乱が起こっています。
例えば、260年には時の皇帝が戦で負け敵に捕らえられるという未曽有の脅威に襲われますが、その時ガイア地方の総督をしていた者は、ローマに反旗を翻し独立しました。
その後、ローマは東西分裂に進んでいきますが、これはゲルマン人の深刻な脅威にさらされる中で進行していました。
そのようにして分裂した西ローマ帝国ですが、当初から深刻なゲルマン人の脅威にさらされていました。
当時西ローマにはスティリコという名将がおり、ゲルマン人を次々と破って国を守っていたのですが、このスティリコは西ローマ国内の政争によって処刑されてしまします。
スティリコが死ぬとゲルマン人は早速西ローマに攻め込み、ローマ市も攻略され略奪されました。
西ローマはそのまま滅んだ訳ではありませんが、その後衰退の一途を辿り、滅亡への道を転げ落ちて行きます。
つまり、「脅威となる国」が存在する中で、完全な分裂に至り、更に内部対立がなくならなかった為に滅びたわけです。
このような例は他にもあります。
例えば、中華王朝の一つである「明王朝」は、その後期には女真族の「清」という強大な「脅威となる国」を抱えていました。
しかし、その時代の明は内乱が頻発し、最終的に反乱軍を率いた李自成が建国した「順王朝」に滅ぼされます。
「脅威となる国」がある中の反乱で滅んだ訳です。
明を滅ぼした順も国を一つにまとめることは出来ませんでした。
明の将軍だった人物が、清に降伏し、万里の長城の門を開けたため、女真軍が雪崩を打って侵攻し、順を滅ぼしてしまいました。
また、清が最も栄えたのは、康熙帝・雍正帝・乾隆帝の時代ですが、康熙帝がジョーン・モドの戦いでジュンガル部を破った時点で「脅威となる国」はなくなったと言えます。
つまり、清も「脅威となる国」がない状況で最も繁栄したわけです。
ところが、その清にもやがて新たな脅威が迫って来ます。欧州諸国が本格的に進出してきたのです。
その結果、清は大いに乱れ、ついに太平天国の乱という大反乱がおこりました。
「脅威となる国」の登場をきっかけに、国が乱れ内乱になったわけです。
加えて言いますとモンゴル帝国には、チンギス・ハン時代の後期の時点で「脅威となる国」など存在していませんでした。
ですが、モンゴル帝国はチンギス・ハン時代はもちろん、2代目オゴタイの時代も特に内部分裂などせず、拡大を続けています。
この点で、モンゴル帝国が周辺国が『脅威』とならなくなった途端に内部に敵を作り分裂した。というのは、明白な誤りです。
モンゴル帝国はオゴタイの死後混乱しましたが、それは「脅威となる国」がなくなったからではありません。
「脅威となる国」は、それよりもずっと前から存在していなかったからです。
その後、4代モンケの時代にまたモンゴルは一つにまとまり、東西への大侵攻を再開します。しかし、この時も「脅威となる国」など現われていませんでした。
要するに、モンゴル帝国は「脅威となる国」の存在などとは関係なく、優れた指導者が居ればまとまり、いなくなれば乱れていたわけです。
という事で、「脅威となる国」の存在の有無は、確かに国内の情勢に影響を与えます。
ですがそれは、
「脅威となる国」が存在する=国内がまとまる、決定的な分裂に至らない。
「脅威となる国」が存在しない=国内が乱れる。
というほど単純な図式にはなりません。そのような事になる場合もあるが、逆に、
「脅威となる国」が存在する=国内が乱れる。
「脅威となる国」が存在しない=国が繫栄する。
という事になる場合もあるわけです。
以上を踏まえると、国家にとっては「脅威となる国」などというものは、存在しない方が良いと言えます。
なぜなら、「脅威となる国」があろうがなかろうが、国が乱れる時は乱れるからです。
それなら、脅威などない方がましでしょう。
実際、西ローマ帝国も「脅威となる国」が存在していなければ、滅びなかったはずです。
エピソード111
[一言]
>脅威となり得る国……『仮想敵』がなくなった国は、腐敗と内部分裂によって滅びる
国を権威者のための利権集団と規定して、戦乱を起こし続けた考え方であり。
権威主義による欧米式戦略思考というやつですね。
アメリカを主として、ロシアや中国でも戦争屋が好んで使う反民主主義思想の理屈ですね。
これは権威主義国家の暴力原理の理屈で、核兵器などの過剰戦力があり、暴力権威による統治を否定した共存原理の統治方式だと、腐敗と内部分裂はしても武力紛争には至りませんし、現状の日本のように国民を飼い馴らす状況も生まれ。
「敵がいないと纏まらない」というのは、屁理屈以外の何物でもなくなるんですが、国際的な軍産複合体が戦争を望むため方便として今でも使われ続けて。
「敵がいれば纏まるが、いないと纏まらないわけではない」という正論で軍縮を実行する者が、JFKなどのように抹殺されるので困ったものです。
>脅威となり得る国……『仮想敵』がなくなった国は、腐敗と内部分裂によって滅びる
国を権威者のための利権集団と規定して、戦乱を起こし続けた考え方であり。
権威主義による欧米式戦略思考というやつですね。
アメリカを主として、ロシアや中国でも戦争屋が好んで使う反民主主義思想の理屈ですね。
これは権威主義国家の暴力原理の理屈で、核兵器などの過剰戦力があり、暴力権威による統治を否定した共存原理の統治方式だと、腐敗と内部分裂はしても武力紛争には至りませんし、現状の日本のように国民を飼い馴らす状況も生まれ。
「敵がいないと纏まらない」というのは、屁理屈以外の何物でもなくなるんですが、国際的な軍産複合体が戦争を望むため方便として今でも使われ続けて。
「敵がいれば纏まるが、いないと纏まらないわけではない」という正論で軍縮を実行する者が、JFKなどのように抹殺されるので困ったものです。
エピソード111
[良い点]
さあ戦いの始まりだ!めちゃワクワクする!
[一言]
討ち取れなかったら皇国に亡命するかもしれないからなんとしてでもここで仕留めないとな。
さあ戦いの始まりだ!めちゃワクワクする!
[一言]
討ち取れなかったら皇国に亡命するかもしれないからなんとしてでもここで仕留めないとな。
エピソード111
[良い点]
何この名君。一生を賭ける上司として最高なんですが。
こんな思想直接聞いちゃったら家臣として支えなきゃって気持ちと脳汁がドバドバ湧いてきちゃう。
何この名君。一生を賭ける上司として最高なんですが。
こんな思想直接聞いちゃったら家臣として支えなきゃって気持ちと脳汁がドバドバ湧いてきちゃう。
エピソード111
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