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[一言]
投稿されたときにブクマはしていたのですが、遅まきながら拝読しました。

泣きました。
同じく怪異が見える駅員さんといい感じの仲になるのかしらと思いつつ、そんなこともなく迎えた結末が切なくて泣けてきました。
あんな状態になっても、それでも彼はお客様を守っているのですね。
自我を保っているというよりは、怪異からみんなを救いたいという気持ちのほうが勝ったのでしょうか。
もしも主人公がなにかのアクションを起こしていたら、また別の結果があったのかもしれませんが、ヒトではないものたちにそう簡単に勝てるものでもないのでしょうし、変わらなかったのかもしれません。
しんみり胸にくる切ない物語でした。
 感想ありがとうございます。
 登場人物に共感していただけましたこと、とても嬉しく思います。 

 ヴィジュアル的には大分アレな感じになってしまいましたが、それでも駅員がああしているのは、やはり語り手にお礼を言われて嬉しかった記憶が根にあるのでしょう。
 仰る通り、また語り手が悔いているように、ほんのちょっと踏み出していれば、タイミングが異なれば、いい仲になっていた未来もあったかもしれません。
 でも関わってする後悔よりも、何も関われずにする後悔の方が、悲しいかな世の中には多い気もするのです。
[一言]
夏のホラー参加、お疲れさまでした。
某SNSでは、「短い」などと失礼なことを言いましたが、しっかりとホラー要素があるとともに、読後にずしりと心にのしかかってくる、読み応えのあるお話でした。

これ、特定の読者層には、刺さりますね。
私も電車通勤(終点じゃないけど)&そこそこ長い会社員としては、あれこれ考えさせられました。

網棚の上の連中。
見えるのもイヤだけど、見えないってのもヤダなぁ。霧かけられて、気がついたらホームの端から……とか、年末とかにはよくありそうで(自粛)
これからは、疲れたときほど気を付けて、うかうかと電車の座席で居眠りしないようにしよう。

駅員さん。
新入社員(新卒)とかで、入ってきたときは初々しくて積極的な若者が、一年もすると元気がなくなって、数年するとすっかりくたびれてしまう。責任感やら正義感やらだけでは、どうしてもすり減らされてしまうのかなぁ。
そんなとき、わかってくれる人がいるだけで、ずいぶんちがうんだろうなぁ。駅員の彼を見ながら、そんなふうに思いました。
声をかけてあげられなかった語り手さんも、責められないですしね。
 感想ありがとうございます。
 今回はなんというか、『奇』のちょい長い版めいた書き方だったので、かなり短めになりました。まあ実際、時間が足りなかったのもあるのですけれど。
 まあ山椒は小粒でもぴりりと辛いと申しますし、俺はそういうのを目指しているからいいのです。(開き直り)
 日常のぼんやりした疲れの中で鈍麻するものって、残念だけれど確かにあると思います。
 そうした空気に共感や既視感を覚えていただけたなら嬉しいところにございます。

 網棚の上。
 座るのは疲れている人が多いわけで。そういう人は頭上への注意力も警戒心も散漫になっているわけで。
 見えない、見ていないでは対処しずらい存在であると思います。餓鬼めいたフォルムですが、縊鬼に近いものであるのかもしれません。

 駅員。
 少しずつ慣れてくすんで……というさまを見かけること、ありますよね。
 順応と言えるのかもですが、某かの喪失を感じてしまいます。
 無理解からの孤立って辛いものだと思いますし、決定的な救いとはなりませんでしたが、やはり語り手に声をかけてもらったことは、彼にとって非常に嬉しかったのでしょう。
 そしてその心地が見えてしまったからこそ、語り手は何もできなかった自分を、長く悔んで誰よりも攻めてしまうのだろうなあと思います。
[良い点]
お話全体に不穏な雰囲気がずっと付きまとい、色で例えると、多分ずっと灰色と茶色の世界でした。重たくて、暗い、ずしんとした感じが人どうしようも出来なかった自分へのし掛っていくような……。ホラーよりもずっと深いものを見た気がします。

[一言]
このお話を読ませて頂き、何かを思ったのですがなかなか自分の中で言語化できずにいるほど、ずしんとした気持ちになりました。他の方の感想を読ませてもらって、あぁ、そういうことか、と。
でも、あの駅員さん、真面目ですね。彼ががいる限りあの路線で不幸がなくなることを信じてやみません。そして、いつか彼も救われますように。
読ませて頂きありがとうございました。
 感想ありがとうございます。
 語り手の後悔の物語でもありますから、取り返しのつかない暗い空気が立ち込めるように意図しました。
 そういった雰囲気を汲んでいただけましたのは、書き手としては大変に嬉しいことであります。
 ああなりはしましたが、駅員の彼は自らがすり減るのを顧みない善性の人物でありました。ですから彼が居る限り、この路線での不幸は軽減されるのではないかと思います。
 ゼロになる、と申し上げられないのはとても残念なことですけれど、でも語り手のような理解者、共感者が、何かの対抗神話めいて語り継いでくれるかもしれません。ひょっとしたら見える子供たちに、守り神だなんだともてはやされもするかもしれません。
 それは彼にとって、十分な果報であるだろうと思うのです。
[一言]
鵜狩さんの夏ホラー、待ってました!
怖さよりも寂しさが後に残る物語でした。

日本人ってどうしても働き過ぎだと思うんです。自分もかつてブラックな職場で夜中まで働いていたので、主人公の「私」のように思考停止してしまうのもわかるのですが。目の前の仕事をこなすことだけで精一杯になってしまって、自分のことも、他人のことも気が回らないくらいすり減ってしまったら、怪異の悪意にも簡単に背中を押されてしまうのかもしれません。

最初は生き生きとしていた駅員さんが、少しずつくたびれていくのが切なかったです。このあたり、どきっとする方多いと思うんですよね。どれだけ頑張っていても、周囲に理解されないと空回りしてしまう……。だからこそ、あの時に主人公に声をかけられたことは、駅員さんにとって空元気を出そうと思うくらい、嬉しかったんだろうなあと思うのです。

怪異になった駅員さんが共食いをしている理由、私はあの状態でも駅員さんの善意が残っていて、せっせとお掃除に励んでいるのだと思います。怪異になってしまったから、もうあの爽やかな声は聞けないのですが、車両の主になるくらいの大きさになっているのだと思うので、これからもせっせとお仕事に励んでいることでしょう。

すべての怪異が消えたら駅員さんも成仏できるのかもしれませんが、働き方改革がなされて人身事故がなくならない限り、怪異が消えることもなさそうなのが悲しいところなのですが。
 感想ありがとうございます。
 寂寞の感にも重点に書いたものでありますので、そう仰っていただけて幸せです。

 働き過ぎもありますが、日本人は休むの下手だなあと思います。
 成功するには苦労しなきゃいけない、努力しなきゃいけないって刷り込み、どっからやってきたのでしょうなあ。筋肉だって休んでいる間に育つというのに。
 そうして自分の心を自分で追い詰め、視野に目隠ししてしまった人間こそが、網棚の上の連中にとって狙い目なのでありましょう。
 
 駅員。
 仰る通り、空回りってキツイですよね。自分の行動に手ごたえがない徒労感って、凄まじいと思います。
 なので語り手の労いは、彼にとっては福音であったでしょう。ただそれが結果として、あちら側への後押しとなってしまった面も否めません。親切な彼にとって何が一番良かったのかは、とても難しいところです。
 ああなってからの彼の理由は、作者としては読み手にお任せしたいと考えております。
 でもいつか網棚の連中が消え失せて、終点駅が綺麗になってくれたなら。
 もしかしたら電車サイズの大きな蛇が、どこかで発着ベルを真似て歌っていたりするようになるのかもしれません。
[良い点]
後味の悪さが尾を引くラスト(褒めてる)。
久しぶりに鵜狩さんのこういうホラーが読めて嬉しいです!
[一言]
楽しませて頂きました!
人間は簡単に闇に滑り落ちるのだなぁと思いました。私はいわゆるオフィスで働いた経験は少ないのだけれど、結局どうしても慣れなかったよ…あれは病む。
網棚にたむろする亡者も、こうして心をなくした人達なのかもね。悪意の連鎖って、どこまで行っても断ち切れないからやるせない。主人公も、彼等が見えた時点で既にあちら側に取り込まれていたのかも。
助けよう助けようと思いつつ、自分のことで精一杯で…ってのはリアルだね。こういうこと本当に多い。決して悪意ではないのだけれど、結果としては見捨てたことになるから、後悔も一入だ。それも恩人だからねぇ。駅員さん、きっと優しいから放っておけなかったんだろうな…(´;ω;`)
これ、いちばん怖いのは日本の労働環境というオチでいいよね?

  • 投稿者: 雪麻呂
  • 2020年 08月24日 14時02分
 感想ありがとうございます。
 お褒めに与れたこと、そして読めて嬉しいと仰っていただけたこと、当方にとって共に喜びです。

 日常というのはどうしたって継続していくのだから、その環境が自分に合わなければ病み疲れるのは当然と思うのです。
 網棚の上の連中の備える悪意から憶測すれば、ご想像の通りで彼らもまた、周囲から排斥、排除されて心を亡くした存在なのかもしれません。これまた仰る通りで、この種の負の連鎖は断ち切れぬものですよなあ……。

 なんとかしたいという気持ちだけでなんとかできることって、世の中なかなかないのですよね。
 私は動けず流されるからある意味命拾いして、駅員は気持ちのまま動いてああなってしまった感もあります。
 より大きく視野を広げれば、誰だって知らぬまま気づかぬままに、必ず誰かを見捨てているわけで。そういうところ、彼が割り切れればよかったのでしょうけれど。

 そしてシニカルに〆るなら、〇〇が一番怖いと原因を決め込んでそれ以外に安堵する、その心こそが一番恐ろしいのかもしれません。(一行ブーメラン)
[一言]
拝読させていただきました。
もう電車の座席に座れなくなってしまう……。
駅員さんは自分が「視える」からといって、網棚の得体のしれないモノに接触すべきではなかったのかも知れませんね。見て見ぬふりはできなかったのでしょうが、相手が悪すぎる。しかるべき人にお祓いをしてもらうとかするしかないのかも。
私は駅員さんは使命感に燃える善意の人だと思って読んでいました。だからこの結末も、なるべくしてなったような気がします。
自分が苦しいのに赤の他人を思いやれる人って本当に「強い人だな」と思うので、そう在りたいと思うのですが、なかなか難しいですね。

 感想ありがとうございます。
 ご利用の電車の網棚の上が気になってきたら、席に座りにくくなってしまったら、書き手としてはにんまりにございます。
 朱に交われば赤くなるとも申しますから、彼は関わるべきでなかったのかもしれません。でも見てしまったら、つい動いてしまう人だったのでしょう。その善意が自分を追い詰めてしまうというのは、実に悲しいことですけれど。
 苦境でこそ、人の真価は問われると思います。
 そして仰る通りそういう時に他人を思いやれる強さって、なかなかに稀有なものですよね。その片鱗くらいは見せられるよう、精進したいところです。
[一言]
毎日電車に揺られて通勤している会社員としては、何とも恐ろしく、また身につまされる作品でした。

毎日様々な人間が詰め込まれる電車内は、こういった悪いモノにとっては格好の餌場なのかもしれません。餓鬼のようなビジュアルから、ハイエナめいたスカベンジャーかと思いましたが、弱った獲物を狙って積極的に狩ることもあるのですね……こわ!
恩人であるはずの若い駅員の異変に気づきながら、手を差し延べられなかった語り手の苦い思い。決して無関心ではないのに、他人に構っていられない余裕のなさは、社会人であれば一度は経験するところだと思います。彼が網棚の住人に堕ちつつも奴らを排除する存在になったのは、鉄道員としての矜持でしょうか。それとも奴らへの恨みゆえでしょうか。どちらにせよ気の毒でなりません……。
見て見ぬふりをして電車通勤そのものから逃げ出した語り手のことを、責められる人間はそういないと思います。私たちもまた、自らの多忙や疲労を言い訳に他人の苦しみから目を逸らしているものですから。キャパ以上に背負い込む必要はないけれど、自分以外の誰かのために使える余白を残しておきたいですね。
  • 投稿者: 橘 塔子
  • 女性
  • 2020年 08月23日 22時58分
 感想ありがとうございます。
 電車通勤、通学の方が、ちょっぴり網棚が気になったりしてくれたらいいなあと書きました。日常の死角って、意識しだすと怖いですよね。

 餓鬼っぽいの。
 事故を待ち受けるだけでなく、わりとアグレッシブな連中でした。
 けれど狙うのも影響を及ぼせるのも、体や心が弱っている人だけなのでしょう。さもなきゃ車内で直接襲っているはずですから。

 駅員。
 基本的に善意の人でしたが、まあ見えない大多数からすれば突飛で不可解な振る舞いばかりをする新人です。次第にこちら側の居場所を失くしていったのは仕方ないことなのかもしれません。いや、あまり仕方ないで済ませたくはないですけれど。
 網棚に上がってしまった彼が同種を食らうその理由を恨みと見るか矜持とするか、はたまた彼の中にまだ残る善性の仕業と信じるかは、読み手にお任せしたいと思います。

 見て見ぬふり。
 自身のことに手一杯で人にまで手が回らないことって、残念ながらやっぱりありますよね。誰もがいつでも、誰もに親切ではいられない。自分が苦しい時に幸せ一杯な誰かはいるだろうし、その逆もまた然り。
 だけどそんなの一々全部知覚してどうにかするなんて、人には到底叶わないこと。それで恨むのも恨まれるのも筋違いであろうと思います。
 でも仰る通り、もしもの時にさっと動ける心の余裕は、いつだって持ち合わせたいものですね。
 俺としてはそうした善意が、人を思う優しい気持ちが、本人の摩耗を招かぬことを併せて願うばかりです。
[良い点]
己が死よりもなお恐ろしいのは、他人のそれをとどめられなかった無力感……。
あのときああしていれば、と後から思うほど悲しいことはないのかもしれません。
自分もまた忙しい忙しいで、なにもかも置き去りにしかけているような気がして、心に強く響きました。ありがとうございました。
 感想ありがとうございます。
 死んでしまえばそれで終わりだけれど、死ぬほどの後悔は、それこそ死ぬまで続きます。人は過去に対しては常に賢者なので、思い返すたび悔いはより深く募るのでしょう。
 忙中閑ありとは申しますけれど、やはり忙しさは目隠しになりがちなもの。
 自他どちらのためにも、心の余裕を持つようにするのは大事なことだなあと思うのでした。
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