感想一覧

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[良い点]
神も恐れぬベル子様は、遂に社会の規範の枠さえぶち壊そうというのですね。
[気になる点]
ベル子様の他の作品を読まれていない方には、わからないと思うのです。
[一言]
ベル子お嬢様。
今回の件は大変危険でございます。
法とは、それが人間の性にあっている、あっていないを考慮せず、唯々、社会が社会足りえるためのものでございます。
超越者たるベル子様には、理解しがたいかもしれません。
[一言]
判断力については別に幼児だけではないですよ
消費者庁で禁止したり回復を求める権利を認めた商売方法などもそうです
ガチャ規制や賭け事規制もこの辺絡みます
そこは0と1ではなくグラデーションの話ですね
そう言う意味では「多数派」と言う「趣味の話」と言う部分はあります
でも社会(そもそも社会とは?と言う話もありますが)と言うのは「マジョリティ(単純な多数派に限らず、権力サイド)が専横を振るう」事は忌避されます
そもそも社会の前身は「共同体」ですからね
なので「共同」する為に基本的には包括を志すのが本来合理性になって来る訳です
まぁ、ロリコン雑に叩く人が「共同」を志せているかと言うと怪しいですが、「共同」をして行く中で「弱い側の存在に合わせたシステム」と言うのはある程度求められます
弱さにも色々あるとはいえ、よりよい方法があるか?と言う話と、雑に「制限があるから一方的に権利侵害されてる」と言うのはまた違ったりもします
タバコを吸ってる人の権利侵害とタバコを吸わせない人の権利侵害の衝突と調整が社会を形作るので、そう言う意味で「趣味と多数派」と言う事も出来ますが、その上で「タバコに頼る必要がなくなった」社会変化もあります
単なる時間経過と言うより、社会環境を作る因果関係の変化ですね
そこには教育、同調の方向性も含まれます

子供との性行為は子供同士は禁止されておらず、大人が手を出す場合にだけ法的拘束力があるのも、その基盤は大人の子供に対する「力」を抑止する為です
詐欺はする方が一義的には知的で強いですが、それ放任して置くには不都合が多いから犯罪にされてる訳です
逆に萎縮の方が大きく問題だと思われれば見逃されます(ガチャや理由のない限定商品など)

ひっくるめると趣味の問題に要約する事は出来ますが、そ戸で止まってしまうと「暴力はよいぞー」と言う事を積極的に擁護する事になり、そうなると人間の学習性質上、そう言った社会的価値観が醸成される可能性があります
その辺、自分と向き合ってバランス取って行かないと結構ろくでもない物を呼び寄せてしまいます
まぁ、カエサルも人間は己の見たい物しか見ないと言っていますが、思考がそう言う方に偏るのはある程度仕方ない面はありますが…
とりあえず個人的に言うとすれば、子供と性行為するなら人生捧げる覚悟でやってねって感じですね
(商業的に物損があり商品の返却が不能でも、その壊れた物を返せば売買契約の破却と状態の回復が子供には保証されてます。これは詐欺についての大人の権利と同じですねので、大人もそう言う事はあるよねと認められてる訳ですね)
再びコメントありがとうございます。
バランスというのはよくわかります。まあわたし自身の考えでは、クローズかオープンかという領域もそうですが、絶えず揺らいでる気がしますね。
おそらくですが、そうやってAという意見があれば、アンチAという意見がでてきて、否定されるというのがいまの世の中なんでしょう。

なので、多数派の意見が必ず押しとおるというわけではないので、バランスをとってる部分もあるのかなと思います。

つまるところ、多数派は寛容的な人が多数派なんでしょうね。
[一言]
幼女の同意はどちらかと言うと第一には疑わしい同意、また、同意の破却に対する補償の問題があると思います
だから見た目ロリだけど経験的、精神的、時間軸的に大人(つまり固定化され、保護の必要がない程度の能力はある)とした場合には問題ないと思います

子供の問題はその可塑性や適応性、及び、経験と精神の絡みから来る判断力の問題ですからね
ここにはハラスメント=権力を背景とした抑圧の問題も絡みます
ここで言う権力は明示的物理的な物に限りません
社長と平社員の間にはどうしても平社員の側に遠慮、抑圧が発生すると言うのもそれですね

究極的に趣味の問題と統合する事は出来ますが、そこにはもう議論の余地も話し合いの余地も変革の余地もありません
趣味には背景となる思考、イメージが存在します
特に倫理領域はそうです
なので、その背景の思考とイメージがどういう物なのか?と言うのが問題になるのです

まあ、ロリコン雑に叩く奴はそのイメージに自覚も無く、そのイメージを省みる事も無い人が多いので、そこまで考えてやる気がなくなるのは分かりますけど

理解して受容する優しさと無関心だから受け入れる事は別の物で、後者は優しさではなくあくまで無関心ですから、その辺の認識はお気を付けて…
コメントありがとうございます。

判断力ということであれば、結局のところ幼女には判断能力がないと判断しているわけで、パターナリズム的ではあるものの、ある種の権利侵害でもありますね。

究極的には趣味の問題であれば、多数派の趣味が幼女を犯してはならない、殺人を犯してはならないということだとしても、実際には疑似的な領域を広げていくことは可能でありましょう。

幼女型セクサロイドは今は無理でも必ず出現するであろうという予測です。
そのとき、ガワとしては幼女であっても、実質的には幼女ではないので、多数派の倫理も揺らぐかもしれません。

イメージが被るからダメっていうのかな。
あるいはセクサロイドに人権をとか。

よくわかんにゃい。
[一言]
何故幼女を犯してはいけないのか。
女の子が泣くからだ。
小難しい理屈や、法律論ではない。
大の大人が力を用いて(腕力だけとは限らない)年端もいかない女の子を、自らの欲望の為に泣かせる。許されるはずがない。もし、社会が許しても俺は許さない。

ノブレスオブリージュや騎士道、武士道、など、社会規範の大元になっている古臭い考えには「力を持つ者の自己抑制」が根本にある。力を持つ者がその力を用いて好き勝手やれば、社会が持たないからだ。その箍が外れた結果なぞ、歴史を見ればいくらでもある。
その力とは相対的なものだ。武力を持つ者より一般市民は弱い。大人より子供は弱い。
武力を持つ者が一般市民を好き勝手にしていいのか?大人が子供を好き勝手にしていいのか?
否だ。
そんな力の理論が許されれば、あっという間に社会が崩壊する。明言は避けるが、独裁者が好き勝手やり過ぎて社会が崩壊した国家は現代においても存在する。
そんな大きな話じゃない、と思うかもしれないが、根本は同じだ。
力を持つ者がその力を振るう時、そこには明確な理由と抑制がなければならない。
自らの欲望の捌け口として幼い子供を好き勝手にするなど、どんな理屈があるというのか。

俺はガキの頃から武士道やら仁義八徳を叩き込まれて来た。そのためか、自分の力を欲望の為に弱者に向けるなど、想像しただけで身の毛がよだつ。
正義や悪徳じゃない。
そんな自己抑制がきかない姿がおぞましいのだ。

女の子を肉体的にも精神的にも傷つけ、将来さえも壊しかねない事を知りながら、自らの欲望の捌け口にするなど、人間の、少なくとも分別のつく大人のやることではない。
古臭い道徳論に聞こえるかもしれないが、女の子を泣かせるような真似は許されない。それが生涯に渡って泣くような事ならば、絶対にだ。

と、まあ、偉そうに語りましたが、世間的には俺もロリコンでしょうな。って言うかペドかも。男の子も可愛いし。
子供好きなだけなんだけどなー。
一緒に遊んで、笑って、無垢な好意を向けられるのがうれしいだけなんだけど。
だからこそ、子供を傷つける事は許さない。そういう事です。
ラブドール?それ、違う問題じゃないかなあ?
露出趣味と幼児性愛ごっちゃにすると訳がわからなくなるよ。
方程式はシンプルに整理して、解けるとこから手を着けないと、全体像さえ見えなくなるよ。

乱文失礼。
コメントありがとうございます。

幼女が泣くからというのも、同意があればいいのかという問題になりうると思います。法律的な話をすれば、性交同意年齢というのがあって、13未満の子どもについて言えば、たとえ同意があったとしても強姦罪が適用されます。

つまるところ子どもは人の意思を持たないとされているわけです。
おそらくのところ、大方の場合は、情報の非対称性や経済的な力や筋力などの非対称性によって、子どもの意思がないがしろにされるケースが多いと思われますが、そうでないケースもあるんじゃないかなと。

とすれば、幼女を犯すといったときにそれを悪だと断じることが、多数派の暴力によって幼女の意思を規程するという、とんでもない暴力行為なのかもしれません。

へりくつっぽーい。

まあ、大方の場合はこうであるというので区切るのが法律です。

実をいうと法律は結構アバウトな存在なので、べつに幼女に意思なんてないよというのでもオッケーなのです。だってそうしないと社会がまわっていかないから。

内心の話については、個人として自己抑制していこうというのは、なんとなくカントの格律を思わせる話ですね。悪いものは悪いんだよという話なので、強度はあると思います。
[一言]
弱い者が攻撃を受けると物騒ではないですか。生きる能力が低い者が淘汰されるってのは野生動物の世界でなら文字通り弱肉強食ですが、群れで暮らす生物であれば協力して子供を守ったり、社会不適合者を追い出したり(ゲイの動物がいるとは聞いた事あるけどペドってのは……あるんでしょうかね)いたします。「法に反するから」いけないのだと思っています。
それとは別に、個人的に幼い者が暴力にさらされるのは厭だ、という感情があります。弱い老人(ギャグみたいな響きですけど)よりも容姿と能力に恵まれなかった中年よりも、これから美しい若者になる(かもしれない)少年少女のほうが、ぶっちゃけ可哀相。歪んだヒトはそこらがたまらないのですよね?なぜ、は深い闇(だから面白そう)です。実の親が性的虐待するなんて本能的には狂った行いですけど自分の持ち物なら大丈夫てな感覚はわかります。物じゃない、だからいけないとも思います。種(=社会)としての損害よりも、犯される奴の心が死ぬのがいけませんです。
  • 投稿者: misen
  • 2020年 09月03日 14時02分
コメントありがとうございます。

社会の秩序維持は法律の法益を守る効力の延長ですよね。だから法律に反するからダメなんだというのは、わりと一般的な感覚なんだと思っています。

わたし個人としては、この感覚は、結構変なんですけどね。

世の中の8割程度の人が決めたルールだから正しいっていうのはある種の横暴です。全宇宙を見渡してみて、それが悪かどうかというのはわかりません。

例えば、人を殺すことは一般的には悪ですけれども、戦争で人を殺しまくったら英雄と呼ばれたりするわけで、相対的なものです。

ある時ある場所では幼女を犯すという実行行為ですら、善となりうる、かもしれない。

所与のものとして与えられたルールを先験的に感得しうるとは思えない。

つまるところ、幼女を犯すことと同様に、幼女を犯すことを罰するのは暴力的な行為であるとすら考えうるわけです。

へりくつっぽーい。

まあそれは極論であって曲論なわけですけれども、創作的な行為などの代替的な欲望を満たす手段であっては、他害性が減じられている以上、多数派の暴力のほうが悪といえる場合もあるのではと思います。

要はバランスです。

個人の感覚について言えば、幼女を犯すのはダメに決まってるじゃないですかというのは、そういう趣味の人が多いのはわかります。
[良い点]
時と場合による……が通じにくい、殺人以上にわかりやすく考えやすい題材です。
法律や規範、ルールやマナーを絶対正義と捉えることへ、ワンクッション作る良いお話だと思います。
[気になる点]
ぶ、ブクマしにくいです(°_°)

多数、少数もある意味納得なのですが、それらを多数に導く、宗教や教育、文化ってのがあって、単純な個人の趣味の違い、その多数少数で少数派を殺すってのとは違いがある気がするので、そこの言及もあるの良かったかな?と思いました。
多数を導いてる特定の価値観の少数がいる?
[一言]
このタイトルと内容、警告受けないかも、なかなか実験的で、経過楽しみにしています(^ ^)
コメントありがとうございます。

多数派の趣味を形成する宗教や教育や文化というのは、事実としての規範から派生したという考え方もあるみたいですね。

つまり、べき論から離れた事実としての規範。みんながお箸を使うからってお箸を使わなければならないとはならないみたいな。

膨れ上がっちゃってまとまらんと思ったんで、コストカットしちゃった……。


多数を導いている少数がいるというのは『政治』もそうですし、『宗教』もそうですし、なんなら5chで煽る人もそうかもしれない。
[良い点]
 語り口の率直さ。
 自分を繕わない所。
 夢野氏の語り口は、自分とまったく違う思想信条の場合でも、割と聞きやすいです。それは凄い事だと思う。

[気になる点]
>幼女を犯してはいけないのかという問いに対して、ひとまずこう答えることができます。
>『刑務所に入りたくないから』

 『ひとまず』と前置きしているから、問題ないんだけど、一瞬、「え?」って感じにはなります。
 うーん、ここら辺は死刑問題と重なるんですが、『刑事罰の対象になっている理由』が重要であって、『刑事罰に相当するから「~してはいけない」』というのは、子供に言う分には問題ないですけど、このエッセイにおいては不適当かと思います。

[一言]
 地の草木氏の感想は、それなりに説得力があると思いました。
 それはリアリズム(現実構造)の視点で語っているからです。

 個人的には、『社会を維持するにあたっって、女子供を大事にすることは前提』のが一つ。
 これが道徳(徳の道≒あるべき善≒善的秩序)となる。
 同時に『女子供を大切にしない』は罪として、倫理(人々の理≒秩序)上規定され、これによって法における刑事罰が規定される。(ただし、中世では必ずしもそうではなかった)

 もちろんこれはあくまで『社会維持』の観点から述べた『善悪』です。
 『個としての善悪(身体的な快不快)』から考えた時、『哺乳類がもっている子供に対する庇護欲』から見た時、『子供を大切にしたい』と考えることは、一般的な善と規定する事が可能。
 ここにおいて、身体的な衝動として、子供を大切にしたいと考える事は、一般的な感覚(善)と言える。


 性衝動の解消は、身体的には善です(個としての善)。
 自慰行為に関しては、社会的な善悪に関係しないので、妄想のなかで何をしても、社会的な悪にはならない。

 もちろん、性犯罪となると社会的な悪です。
 性犯罪の抑制において、社会的観念はかなり大きな意味をもつ。
 何故なら、人は共感能力をもっており、社会的善悪を個の善悪として考えることができるからです。
 社会的善>個の善悪>社会的悪

 これができない人をサイコパスという。反社会的人格。
 個の善>社会的善悪>個の悪
 ただし、サイコパスかどうかのポイントは、『社会規範をこえて行動する事ができる』かどうかです。

 己の欲望に対して抑制的でいられるなら、問題ありません。「あいつに腹が立ったから殺したい」までは思っても、行動しないなら問題ないのです。同様に「性的に魅力的だから、犯したい」と思っても行動しないなら問題はない。
 いわゆる内心の自由です(何かを思うことは自由)。
 ただし『良心の自由』において、『人がその良心に従って行動する自由』と解釈すると、一気におかしな状況に突入します。たとえば、己の良心に従って殺人(強姦)をしたという言い分が成り立つからです。


 いわゆる二次元の問題は、表現の自由の範疇に入ります。
 これは内心の自由および思想信条の自由に重なりますが、基本的には『公共の福祉に反さない限り』という前提が付きます。
 いわゆる青少年に有害であるとみなされる表現は、ゾーニングされる事で、その表現の自由は担保されます。


コメントありがとうございます。
刑事罰を受ける、刑務所に入るからダメという理論はたぶん平均的感性からすると、相当に普通だと考えました。
クロスオーバーさんに限らず、ここにコメントをくださる方々は相当思考の深度といいますか、そういうのが深いのだと思います。
というわけで、刑務所うんぬんのくだりは、必要だと考えました。

『何故なら、人は共感能力をもっており、社会的善悪を個の善悪として考えることができるからです。』

のくだりは、共感という言葉をどこかで入れたかったなぁと思いました。

二次元の問題は、ゾーニングって、わりと淡泊な感覚を受けます。公共の福祉に反さないの公共の福祉ってなんぞやとか、あるようですし。やっぱり、公の場所のその公具合は割と様々な感覚を受けますし。根っこの部分の論争とつながってる感じもします。分けて書いたほうがわかりやすいのかしらん。
[一言]
あのーーー数字的に対象を決めないと思考不完全と思う。
たとえば幼児9歳以下、小児12歳以下、少女16歳以下、
娘20以下、女性30以下、婦人50以下、老夫人51以上・・・

性行為の肉体負荷を考えて幼児と小児に分けました。
原始的生活常識で10歳以上は子作りの対象は普通ですから。
少女16才は昔のままなら日本の法律で結婚できる年齢。
後は暮らしの雰囲気です。

幼児に性行為はなぜいけないか?
単純で正解と考えるのが貴重な若い女を1回で殺してしまえば
後で多数の男たちが性行為に困る、種族生存に切実。

強姦は自殺や男嫌いを増やすので多数の男たちを苦しめる。
と言う訳で幼児性交と強姦は男社会では悪の行為で罪深い。

懲役で幼児性交と強姦は減りはしません、なぜならば、
刑務所で懲役十年とした場合は仕事しないで飯を食える。
強姦を重ね懲役で仕事無しの苦労無しが、なぜためらいに?
金持ちなら外国で幼児や小児を金で性行為しますから。
なので強姦で捕まるのは多くが貧乏人。刑務所は天国・・

二次元規制は単に権力を増やしたい欲望から出てる。
コメントありがとうございます。
なぜ幼女を犯してはいけないのかを、種族生存に持っていくとすると、種族生存は全体の利益を最大化するということに思えます。
なので、種族生存的に決めているんだというのは、多数決なのかなと思いました。びみょうに違うのかもしれませんけど。

刑務所が仕事しないで飯を食えるという点にメリットを見出す人も中にはいるかもしれません。そういう人が多くなって抑止効果がないとなれば、極限的には死刑にするしかなくなるかも。あるいはGPSをつけて、隔離効果を高めるとか。

二次元規制は権力を増やしたい欲望からというのは、世の多数派が上で述べたような正当な報酬といいますか、女性とまっとうに性交するのを是とし、そういうパイを減らすのでダメとか、あるいは自分の子どもが破壊されるのがデメリットな人たちであり、そういった人たちの支持をとりつけるという意味では権力増大に資するかもしれません。

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