感想一覧
▽感想を書く[一言]
> 磔にされて、苦しみと侮辱の中で殺されていった。
それはおたくの勘違いです。
単なる受け売りをそのまま信じこんでるだけでしょう
それに戦争(人殺し)なんてしなくたって
所詮、人間は皆んな死ぬんです、遅かれ早かれ
学校で昼寝してようと
家で引きこもって妄想してようと
所詮、人間は皆んな死ぬんです
この意味がわかりますか?
武器もって無駄に死にに行かなくたって
大丈夫
絶対必ずあなたはいつか死ぬから
他人を道連れにしようなんて思わないで大人しく
ご自分の寿命を全うしてください
「思いやり」とか「優しさ」とか
その口でほざくなら
他人を傷つけたり苦しめたり殺しに行く職業を
選ぶのではなく
他人を愛しんで長く生かしてあげるような職業を選びなさいな
まぁ、忠告しても聞く耳持たないでしょうけどね
> 磔にされて、苦しみと侮辱の中で殺されていった。
それはおたくの勘違いです。
単なる受け売りをそのまま信じこんでるだけでしょう
それに戦争(人殺し)なんてしなくたって
所詮、人間は皆んな死ぬんです、遅かれ早かれ
学校で昼寝してようと
家で引きこもって妄想してようと
所詮、人間は皆んな死ぬんです
この意味がわかりますか?
武器もって無駄に死にに行かなくたって
大丈夫
絶対必ずあなたはいつか死ぬから
他人を道連れにしようなんて思わないで大人しく
ご自分の寿命を全うしてください
「思いやり」とか「優しさ」とか
その口でほざくなら
他人を傷つけたり苦しめたり殺しに行く職業を
選ぶのではなく
他人を愛しんで長く生かしてあげるような職業を選びなさいな
まぁ、忠告しても聞く耳持たないでしょうけどね
ダストブランチ様、ご感想ありがとうございます。
> それはおたくの勘違いです。
> 単なる受け売りをそのまま信じこんでるだけでしょう
何が癇に障ったのでしょうか。
聖人を殺したのは権力であって民衆は侮辱しなかった、みたいな気持ちでしょうか。
エスパー気味なので的外れだったらすみません。
具体的な歴史的な事実について専門的知識はありませんが、それに依存した主題ではありません。
罪深い権力と罪のない民衆という世界観は、間違いです。
歴史的な権力のすべては、何らかの民衆的な総意の結果です。
でなければ、磔にされたイエスやジャンヌを助けるため何万の無辜がなだれ込んで殺されたと伝わってなければなりません。
実際、聖書なんて、義の価値が至高だと信じない民衆へのイエスからの悪口集みたいなものでしょう。イエスは人々を肯定だけしたのではない。それは大乗仏教みたいな後世のなにかです。
利己的に生きることと倫理的に生きることとは違います。
倫理的に生きるならば、利己性を超えて、痛みを選択する勇気が必要なときもあります。
その意味で、義のための実戦は、大いに戦いです。
人が死ぬこともあります。実際、たくさん死にます。だから戦場だの戦争だとの表現しました。
自然とそう読解できる本文になっていると思うのですが。
もしか、別に投稿した『必敗の総力戦で残す軍人精神』のイメージも含めてのご指摘でしょうか。違うかもしれませんね。一応言うと、あれは、国防が特に必要な状況についての内容です。
> 「思いやり」とか「優しさ」とか
> その口でほざくなら
なんでそこまで言われなければならないのか。
私は今、そこまで侮辱的な物言いで返していない。あなたより義を実践している。笑
物語の多くは、いわゆる俺TUEEEを含んでいます。
人の欲は本能に還元できて、生存の危機と生存の実現の抑揚を、俺TUEEEと捉えられるから、当然と言えば当然です。
でも、本当の強さとは本当の優しさのことだ、という視点から言えば、ほとんどのバトル物は本質的に二流の作品です。なぜなら、バトルの前提には価値観があって、価値観が二流だからです。
ですから、力の定義を論じる意味で、義の道に生きる生き様を戦争と呼び、歴史上実在する特級ランカー達を讃えました。
ほとんど本文の繰り返しになりましたが、多少なりご理解しうるかどうか。
> 他人を愛しんで長く生かしてあげるような職業を選びなさいな
もちろん、他者の幸せを大切に思うことを義と呼び、そのために戦うことを戦いと呼んだ本文です。
しかしあなたが注目するのは、幸福という精神的実在ではなく、生存という物質的実在です。
その歪みは、自分自身の生存に対する極端な執着から来るのではないでしょうか。であれば、倫理哲学として上等だとは言えない。実際、その知的な程度が、的外れで無礼なご文章にも表れています。
戦争をしてきた人が、おたくも皆んな死ぬ、って言われて驚きますか? 自分の命を何よりも大切にしてきた人しか驚かないでしょう。所詮人間、って、所詮って何です? その虚無主義は物質主義から来るものであって、つまりは個人主義とか利己主義とか、そういった方面からの発想です。人間も動物も、生きることも死ぬことも、素晴らしい有意義な実在です。所詮死ぬだなんて、あなた特有の悲鳴にすぎない。
ご精進ください。
> それはおたくの勘違いです。
> 単なる受け売りをそのまま信じこんでるだけでしょう
何が癇に障ったのでしょうか。
聖人を殺したのは権力であって民衆は侮辱しなかった、みたいな気持ちでしょうか。
エスパー気味なので的外れだったらすみません。
具体的な歴史的な事実について専門的知識はありませんが、それに依存した主題ではありません。
罪深い権力と罪のない民衆という世界観は、間違いです。
歴史的な権力のすべては、何らかの民衆的な総意の結果です。
でなければ、磔にされたイエスやジャンヌを助けるため何万の無辜がなだれ込んで殺されたと伝わってなければなりません。
実際、聖書なんて、義の価値が至高だと信じない民衆へのイエスからの悪口集みたいなものでしょう。イエスは人々を肯定だけしたのではない。それは大乗仏教みたいな後世のなにかです。
利己的に生きることと倫理的に生きることとは違います。
倫理的に生きるならば、利己性を超えて、痛みを選択する勇気が必要なときもあります。
その意味で、義のための実戦は、大いに戦いです。
人が死ぬこともあります。実際、たくさん死にます。だから戦場だの戦争だとの表現しました。
自然とそう読解できる本文になっていると思うのですが。
もしか、別に投稿した『必敗の総力戦で残す軍人精神』のイメージも含めてのご指摘でしょうか。違うかもしれませんね。一応言うと、あれは、国防が特に必要な状況についての内容です。
> 「思いやり」とか「優しさ」とか
> その口でほざくなら
なんでそこまで言われなければならないのか。
私は今、そこまで侮辱的な物言いで返していない。あなたより義を実践している。笑
物語の多くは、いわゆる俺TUEEEを含んでいます。
人の欲は本能に還元できて、生存の危機と生存の実現の抑揚を、俺TUEEEと捉えられるから、当然と言えば当然です。
でも、本当の強さとは本当の優しさのことだ、という視点から言えば、ほとんどのバトル物は本質的に二流の作品です。なぜなら、バトルの前提には価値観があって、価値観が二流だからです。
ですから、力の定義を論じる意味で、義の道に生きる生き様を戦争と呼び、歴史上実在する特級ランカー達を讃えました。
ほとんど本文の繰り返しになりましたが、多少なりご理解しうるかどうか。
> 他人を愛しんで長く生かしてあげるような職業を選びなさいな
もちろん、他者の幸せを大切に思うことを義と呼び、そのために戦うことを戦いと呼んだ本文です。
しかしあなたが注目するのは、幸福という精神的実在ではなく、生存という物質的実在です。
その歪みは、自分自身の生存に対する極端な執着から来るのではないでしょうか。であれば、倫理哲学として上等だとは言えない。実際、その知的な程度が、的外れで無礼なご文章にも表れています。
戦争をしてきた人が、おたくも皆んな死ぬ、って言われて驚きますか? 自分の命を何よりも大切にしてきた人しか驚かないでしょう。所詮人間、って、所詮って何です? その虚無主義は物質主義から来るものであって、つまりは個人主義とか利己主義とか、そういった方面からの発想です。人間も動物も、生きることも死ぬことも、素晴らしい有意義な実在です。所詮死ぬだなんて、あなた特有の悲鳴にすぎない。
ご精進ください。
- 鈴木美脳
- 2021年 01月09日 10時39分
[一言]
イエス・キリストという存在は謎であるけども、腐敗したユダヤ教に対しプロテストをしたことは、確かだと思う。
そのキリストの心情とかを考えると、今のカソリックや各プロテスタントの教義が、それに沿っているとは、まぁ、思えないかな。
ジャンヌ・ダルクもね、なんだろう。
彼女は別にキリスト教のこととか、よくわかってなかったと思うけど、たぶん、神様のことは信じていたのだと思う。
逆に、だからこそ、切ない。
イエス・キリストという存在は謎であるけども、腐敗したユダヤ教に対しプロテストをしたことは、確かだと思う。
そのキリストの心情とかを考えると、今のカソリックや各プロテスタントの教義が、それに沿っているとは、まぁ、思えないかな。
ジャンヌ・ダルクもね、なんだろう。
彼女は別にキリスト教のこととか、よくわかってなかったと思うけど、たぶん、神様のことは信じていたのだと思う。
逆に、だからこそ、切ない。
クロスオーバー様、ご感想ありがとうございます。
私は、自分が日本人であることもあって、倫理的な価値についての議論は、地に足のついた仁義の人情によって尽くすことができるものと信じていますが、聖性としてトップダウンに価値を定義してみせたことは、西洋の一つの知恵ではあったと思います。
釈迦の思想が原始仏典において生々しいように、イエスの思想も聖書において生々しく確かに伝えられていると思います。各々の私欲が定める価値ではない、愛にこそ普遍的な価値が宿るのだという彼の教えは、一貫した理念の表現として一つ優れたものだと感じます。愛に超越的な価値を見ることを神と呼ぶなら、彼は確かに神を見たのでしょう。
ジャンヌは、そうですね、19歳で焼かれた小娘にすぎません。彼女はキリスト教文化圏に生まれたがゆえに、訪れた直観をキリスト教的に解釈したのであって、仏教の教えを受けて育てば仏教的な超人として生きたのだろうと思います。
個人的に思うのは、両者とも、人々への深い愛に生きたということです。その生き様は非常に雄々しく、しかし心は母性に満ちて見えます。伝承される宗教が深く形骸化したとしても、義人を讃えた根本において、その伝承にも価値はあったのだろうと感じます。自分が受けた戦後教育の時代にはもう、その意味での偉人伝を学校で教わる機会はありませんでしたから。
偉人は巷間にあまた実在するでしょうし、神と呼ぶべきものが人の形を取ることは実際にはないでしょう。しかし、迷いなく尊敬できる人物像としてイエスやジャンヌを創造してくれたことについて、私は、祖国の文化を根こそぎ壊した西洋に感謝の感情も持っています。それがなければあまりに孤独でしたから。
私は、自分が日本人であることもあって、倫理的な価値についての議論は、地に足のついた仁義の人情によって尽くすことができるものと信じていますが、聖性としてトップダウンに価値を定義してみせたことは、西洋の一つの知恵ではあったと思います。
釈迦の思想が原始仏典において生々しいように、イエスの思想も聖書において生々しく確かに伝えられていると思います。各々の私欲が定める価値ではない、愛にこそ普遍的な価値が宿るのだという彼の教えは、一貫した理念の表現として一つ優れたものだと感じます。愛に超越的な価値を見ることを神と呼ぶなら、彼は確かに神を見たのでしょう。
ジャンヌは、そうですね、19歳で焼かれた小娘にすぎません。彼女はキリスト教文化圏に生まれたがゆえに、訪れた直観をキリスト教的に解釈したのであって、仏教の教えを受けて育てば仏教的な超人として生きたのだろうと思います。
個人的に思うのは、両者とも、人々への深い愛に生きたということです。その生き様は非常に雄々しく、しかし心は母性に満ちて見えます。伝承される宗教が深く形骸化したとしても、義人を讃えた根本において、その伝承にも価値はあったのだろうと感じます。自分が受けた戦後教育の時代にはもう、その意味での偉人伝を学校で教わる機会はありませんでしたから。
偉人は巷間にあまた実在するでしょうし、神と呼ぶべきものが人の形を取ることは実際にはないでしょう。しかし、迷いなく尊敬できる人物像としてイエスやジャンヌを創造してくれたことについて、私は、祖国の文化を根こそぎ壊した西洋に感謝の感情も持っています。それがなければあまりに孤独でしたから。
- 鈴木美脳
- 2020年 11月08日 05時04分
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