エピソード122の感想一覧
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[良い点]
ここ、すごく良かったです。リアタイで感想残せななかったんですが。
私にはものすごく大きな傷があるのですが、そこを抉った人間に対して怒髪天の勢いで怒ったことがあり、怒られた人も周囲も私を過剰な人だと思っただろうなという一件がありました。
こういうとき、周りは一応わかったふりはしてくれますが、陰では「怒りすぎだよね」と言われている……ように私はどうしても思ってしまいます。
「嫌なことをされて、怒ったら、いつの間にか周りから心が狭い扱いを受けていた」という、嫌な感覚。
さらには、私に対して「自分に都合の良い友達でいて欲しい」と考える人が、私と不仲になったとき、わざわざ私と決裂しているその人に近づいて行く場面を何度か見たことがあります。
(いまこのタイミングで?)
“それは、私に対する報復ですか?”
と、思うのですが、そういうことを言った時点で「考え過ぎだよ」と言われるのはわかっているから口をつぐみます。
しかし、本当に、いくつになってもこういう「狡猾な言い逃れができる」いじめをする人はいて、自分に都合の良いタイミングでこちらに戻ってきたかと思えば、相手にも良い顔をしていたりする。
こういう人ともうまくやっていける人間が「大人」なのだろうか?と考えてしまいますね。
「周囲には理解不能な怒り」を持つ人として、すごく印象に残りました。
ここ、すごく良かったです。リアタイで感想残せななかったんですが。
私にはものすごく大きな傷があるのですが、そこを抉った人間に対して怒髪天の勢いで怒ったことがあり、怒られた人も周囲も私を過剰な人だと思っただろうなという一件がありました。
こういうとき、周りは一応わかったふりはしてくれますが、陰では「怒りすぎだよね」と言われている……ように私はどうしても思ってしまいます。
「嫌なことをされて、怒ったら、いつの間にか周りから心が狭い扱いを受けていた」という、嫌な感覚。
さらには、私に対して「自分に都合の良い友達でいて欲しい」と考える人が、私と不仲になったとき、わざわざ私と決裂しているその人に近づいて行く場面を何度か見たことがあります。
(いまこのタイミングで?)
“それは、私に対する報復ですか?”
と、思うのですが、そういうことを言った時点で「考え過ぎだよ」と言われるのはわかっているから口をつぐみます。
しかし、本当に、いくつになってもこういう「狡猾な言い逃れができる」いじめをする人はいて、自分に都合の良いタイミングでこちらに戻ってきたかと思えば、相手にも良い顔をしていたりする。
こういう人ともうまくやっていける人間が「大人」なのだろうか?と考えてしまいますね。
「周囲には理解不能な怒り」を持つ人として、すごく印象に残りました。
エピソード122
感想をありがとうございます。
返信遅くなりました。
大きな傷。先日Twitterである本についての話題があったのですが、それがまさにある大きな傷をめぐる話でした。語り手にとってはショックのあまり触れることができなくなるような出来事で、その思いは人生の長い時間ににわたって凍結されることになりました。感情はその人の一部も一緒に凍らせて、いつまでもその苦しい場所に留まらせ続けてしまったかのようでした。
そこに触れる出来事に対する語り手の反応は周囲にとって不可解に映りました。触れることができず誰にも理解されない感情はとても孤独です。それだけでも血だらけなのに、追い討ちをかけるように不適切だとか心が狭いとかジャッジされてしまう。あからさまではなくとも人からされているような気がする、そんなことないと何度言われようとも本当はそう思ってるんじゃないかと言う気持ちが振り払えない。まとわりつく影のように。その時誰より自分自身が自分でも知らず自分をジャッジしていたのかもしれないって思いました。
戦争の苦い記憶を持つ人がもう終わったこと、過去のこと、と口をつぐむ時、いつまでも忘れられないなんておかしい、忘れるんだ、とどこかで言い聞かせていると思います。感じると生きていけないくらい辛いと思うから封印している。そのうち時がたちみんないつまでも囚われるのはおかしいと思うだろうと思って、本当の気持ちを押し殺していく。この時誰よリおかしいだろうと思っているのは自分自身。何もおかしくない。何十年経った後からでもいいドチャクソ辛くてしんどくて100年経っても取り扱えないくらいだったって言っていいって自分自身に許可を出してあげられたらなって強く思います。
返信か?って感じかもしれないけど、思い浮かんだことを書きました。
心が狭い、考えすぎだ、などとジャッジする声に耳を貸さず「私は嫌なものは嫌、不快なものは不快と思ってていいんだ!」と心から思っていられますようにと願っています。
返信遅くなりました。
大きな傷。先日Twitterである本についての話題があったのですが、それがまさにある大きな傷をめぐる話でした。語り手にとってはショックのあまり触れることができなくなるような出来事で、その思いは人生の長い時間ににわたって凍結されることになりました。感情はその人の一部も一緒に凍らせて、いつまでもその苦しい場所に留まらせ続けてしまったかのようでした。
そこに触れる出来事に対する語り手の反応は周囲にとって不可解に映りました。触れることができず誰にも理解されない感情はとても孤独です。それだけでも血だらけなのに、追い討ちをかけるように不適切だとか心が狭いとかジャッジされてしまう。あからさまではなくとも人からされているような気がする、そんなことないと何度言われようとも本当はそう思ってるんじゃないかと言う気持ちが振り払えない。まとわりつく影のように。その時誰より自分自身が自分でも知らず自分をジャッジしていたのかもしれないって思いました。
戦争の苦い記憶を持つ人がもう終わったこと、過去のこと、と口をつぐむ時、いつまでも忘れられないなんておかしい、忘れるんだ、とどこかで言い聞かせていると思います。感じると生きていけないくらい辛いと思うから封印している。そのうち時がたちみんないつまでも囚われるのはおかしいと思うだろうと思って、本当の気持ちを押し殺していく。この時誰よリおかしいだろうと思っているのは自分自身。何もおかしくない。何十年経った後からでもいいドチャクソ辛くてしんどくて100年経っても取り扱えないくらいだったって言っていいって自分自身に許可を出してあげられたらなって強く思います。
返信か?って感じかもしれないけど、思い浮かんだことを書きました。
心が狭い、考えすぎだ、などとジャッジする声に耳を貸さず「私は嫌なものは嫌、不快なものは不快と思ってていいんだ!」と心から思っていられますようにと願っています。
- 遠宮 にけ ❤️ nilce
- 2021年 05月10日 23時58分
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