感想一覧
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前川喜平氏は国家戦略特区で国際医療福祉大学という文科省とマスコミの天下り大学を作りましたからね、それでまだ使ってもらえるんですかね。
こいつ自体差別主義主と権威主義なので何だとしか思えませね。
関係ない事ですいませんでした。
前川喜平氏は国家戦略特区で国際医療福祉大学という文科省とマスコミの天下り大学を作りましたからね、それでまだ使ってもらえるんですかね。
こいつ自体差別主義主と権威主義なので何だとしか思えませね。
関係ない事ですいませんでした。
ご感想ありがとうございます。
若い女性の貧困を助ける為、資金や物資を支援するのは自由なのか?
対価をもらわなければ許されるのか?
また、未成年者との恋愛は自由なのか?
一般的な社会では、青少年の保護という観点から、そのような自由は否定されています。
時と場合により、自由を否定する行為はむしろ当然だと考えます。
というか、ルールってそんなモノですよね。
前川氏はルールを定める事にも反対なのでしょうか?
若い女性の貧困を助ける為、資金や物資を支援するのは自由なのか?
対価をもらわなければ許されるのか?
また、未成年者との恋愛は自由なのか?
一般的な社会では、青少年の保護という観点から、そのような自由は否定されています。
時と場合により、自由を否定する行為はむしろ当然だと考えます。
というか、ルールってそんなモノですよね。
前川氏はルールを定める事にも反対なのでしょうか?
- ロロサエ
- 2020年 12月25日 19時17分
[一言]
個人的な所感では、自由を否定する自由は認められるけど、差別主義を差別するのは認められない。ただしその差別主義が不快だと主張する自由はある。というところでしょうか。
>武器を持って自分を害そうとしている者に容赦は要らない。
>躊躇えば自分がやられてしまうから、守るべき者がいる場合こそ迷う事なく殺せ。
>むしろ先制しろ。
>
>これで殺人主義者でしょうか?
>人を殺す事を勧めていますか?
殺人主義ではありませんが、殺人を教唆しているとは考えますね。
貴エッセイで何度も主張されているように、日本は法治国家です。法の支配が機能していますから、正確には実質的法治国家なのですが。ですから、自分の置かれている状況から脱するために、法的手続きを取らずに法律に違反する行為--いわゆる自力救済--は、一部の例外を除き認められていません。
その一部の例外が正当防衛を含む緊急避難な訳ですが、それとて、自分の身を守るための最終的な手段だからこそ許されるのであって、先制(それと書かれていませんが、追撃)が正当化されることはありません。また、緊急避難(正当防衛)が正当だったかどうかは、当事者が判断するのではなく、言及されているように個々審判されるものです。
>では差別主義者はどうなのか?
>差別主義者とは何を差別している、しようという者なのか?
>想定している差別とは何なのか?
>個々人によって捉え方が違うのではないか?
赤と青は違う色ですが、そこに優越はありません。赤は優れていて、青は劣っているとやれば、それは差別です。「2.取り扱いに差をつけること。特に、他よりも不当に低く取り扱うこと(goo辞書『差別』)」。
ですから、「何を差別している、しようとしている」「想定している差別」という前提は重要ではありません。
差別主義者は「区別だ」「住み分けだ」と目と耳に心地良い言葉を使いたがりますが、「他よりも不当に低く取り扱うこと」を「そいつらが劣っているのは事実なのだから、そういう扱いをされるのは当然」と正当化し、「自分と自分に近い者は優等。それ以外は劣等」と優劣を決めて分離したがるのが本性だと思います。
個人的な所感では、自由を否定する自由は認められるけど、差別主義を差別するのは認められない。ただしその差別主義が不快だと主張する自由はある。というところでしょうか。
>武器を持って自分を害そうとしている者に容赦は要らない。
>躊躇えば自分がやられてしまうから、守るべき者がいる場合こそ迷う事なく殺せ。
>むしろ先制しろ。
>
>これで殺人主義者でしょうか?
>人を殺す事を勧めていますか?
殺人主義ではありませんが、殺人を教唆しているとは考えますね。
貴エッセイで何度も主張されているように、日本は法治国家です。法の支配が機能していますから、正確には実質的法治国家なのですが。ですから、自分の置かれている状況から脱するために、法的手続きを取らずに法律に違反する行為--いわゆる自力救済--は、一部の例外を除き認められていません。
その一部の例外が正当防衛を含む緊急避難な訳ですが、それとて、自分の身を守るための最終的な手段だからこそ許されるのであって、先制(それと書かれていませんが、追撃)が正当化されることはありません。また、緊急避難(正当防衛)が正当だったかどうかは、当事者が判断するのではなく、言及されているように個々審判されるものです。
>では差別主義者はどうなのか?
>差別主義者とは何を差別している、しようという者なのか?
>想定している差別とは何なのか?
>個々人によって捉え方が違うのではないか?
赤と青は違う色ですが、そこに優越はありません。赤は優れていて、青は劣っているとやれば、それは差別です。「2.取り扱いに差をつけること。特に、他よりも不当に低く取り扱うこと(goo辞書『差別』)」。
ですから、「何を差別している、しようとしている」「想定している差別」という前提は重要ではありません。
差別主義者は「区別だ」「住み分けだ」と目と耳に心地良い言葉を使いたがりますが、「他よりも不当に低く取り扱うこと」を「そいつらが劣っているのは事実なのだから、そういう扱いをされるのは当然」と正当化し、「自分と自分に近い者は優等。それ以外は劣等」と優劣を決めて分離したがるのが本性だと思います。
ご感想ありがとうございます。
残念ながら色には明確なる優劣があります。
「止まれ」を示す信号が赤色なのはどうしてでしょう?
パトカーや救急車が赤い色のライトを回しているのは何故でしょう?
それは赤い光は波長が長く、青に比べてより遠くまで届くからです。
なので、遠くまで色を届けるという必要性の中、青よりは赤の方が優れています。
逆に、青色の方が優れている場面もございます。
防犯という側面においては、本当かどうかは分かりませんが、街灯を青色にすると犯罪率が減るそうです。
ある条件を設定すると色にも優劣は発生します。
私が言いたいのはその事です。
色に優劣はないと仰りたい事の意味はよく分かりますが、特定の条件下ではそれは成り立ちません。
そしてその条件こそが、社会を語る上でも大事な事だと思っています。
普遍的な話をしているのか、特定の条件下を話しているのか。
双方がその前提条件を認識しているのなら問題はありません。
前川氏の発言はそれを無視しているのではないかと言いたいのです。
残念ながら色には明確なる優劣があります。
「止まれ」を示す信号が赤色なのはどうしてでしょう?
パトカーや救急車が赤い色のライトを回しているのは何故でしょう?
それは赤い光は波長が長く、青に比べてより遠くまで届くからです。
なので、遠くまで色を届けるという必要性の中、青よりは赤の方が優れています。
逆に、青色の方が優れている場面もございます。
防犯という側面においては、本当かどうかは分かりませんが、街灯を青色にすると犯罪率が減るそうです。
ある条件を設定すると色にも優劣は発生します。
私が言いたいのはその事です。
色に優劣はないと仰りたい事の意味はよく分かりますが、特定の条件下ではそれは成り立ちません。
そしてその条件こそが、社会を語る上でも大事な事だと思っています。
普遍的な話をしているのか、特定の条件下を話しているのか。
双方がその前提条件を認識しているのなら問題はありません。
前川氏の発言はそれを無視しているのではないかと言いたいのです。
- ロロサエ
- 2020年 12月24日 18時49分
[一言]
要は何でもかんでも差別と言って否定しちゃうのは簡単だけど、最低限度社会秩序や国家などの集団社会を維持するための区別からくる排除まで差別と言っちゃうのはそれ違うだろと言う事でしょうねえ。
大きくその集団から逸脱するのであれば、その集団を去り、別の集団に入るという、他国家への移民の様な選択肢も多彩にある現代だけに、そう思えてなりません。
要は何でもかんでも差別と言って否定しちゃうのは簡単だけど、最低限度社会秩序や国家などの集団社会を維持するための区別からくる排除まで差別と言っちゃうのはそれ違うだろと言う事でしょうねえ。
大きくその集団から逸脱するのであれば、その集団を去り、別の集団に入るという、他国家への移民の様な選択肢も多彩にある現代だけに、そう思えてなりません。
ご感想ありがとうございます。
仰る通りだと思います。
それに、不完全な人間に全く差別のない社会など作れないと思います。
そこで出てくるのがAIに管理させる思想でしょうが、それとて人間が作ったAIなのですから完全な筈がない・・・
なので、どれだけ現状に不満があろうとも、問題点は少しづつ少しづつ改善し、そこで出てきた新たな不具合にも対応していくしかない。
そしてそれはどこの国でも同じです。
それでも合う合わないはあるでしょうから、その国が嫌ならば他の国に行く選択肢を探るのも一つの手ですね。
しかし、行った先も同じように不具合だらけですから、国を良くしていく不断の努力は人類がある限り永遠に続きます。
仰る通りだと思います。
それに、不完全な人間に全く差別のない社会など作れないと思います。
そこで出てくるのがAIに管理させる思想でしょうが、それとて人間が作ったAIなのですから完全な筈がない・・・
なので、どれだけ現状に不満があろうとも、問題点は少しづつ少しづつ改善し、そこで出てきた新たな不具合にも対応していくしかない。
そしてそれはどこの国でも同じです。
それでも合う合わないはあるでしょうから、その国が嫌ならば他の国に行く選択肢を探るのも一つの手ですね。
しかし、行った先も同じように不具合だらけですから、国を良くしていく不断の努力は人類がある限り永遠に続きます。
- ロロサエ
- 2020年 12月24日 18時30分
[一言]
憲法上の自由には、「精神の自由」「人身の自由」「経済活動の自由」の三つあるので、まず元の話として「自由を否定する」がどれを指しているのかが不明瞭で分かりにくいと感じました。
精神の自由を否定するというのは、つまり自分でものごとを考えることを禁止するということになり、そもそもの自由を否定するという考え方が認められないというパラドックスに陥ります。
次に人身の自由を否定する場合、不当に拘束を受けない権利を否定する自由を認めろ、という趣旨の主張になりますが、まず権利というのは「やるのを認められています」ということですから、権利の否定=「やるのが認められない」=不当に拘束を受けるべき(?)という意味になるような気がします。
最後に経済活動の自由ですが、これを否定するのは問題外ですよね。日本国は資本主義ですから。
私自身政治・経済分野を勉強し始めたばかりの若輩者でして、何か間違っているかもしれません。そうでしたらご指摘いただけると幸いです。長文失礼しました。
憲法上の自由には、「精神の自由」「人身の自由」「経済活動の自由」の三つあるので、まず元の話として「自由を否定する」がどれを指しているのかが不明瞭で分かりにくいと感じました。
精神の自由を否定するというのは、つまり自分でものごとを考えることを禁止するということになり、そもそもの自由を否定するという考え方が認められないというパラドックスに陥ります。
次に人身の自由を否定する場合、不当に拘束を受けない権利を否定する自由を認めろ、という趣旨の主張になりますが、まず権利というのは「やるのを認められています」ということですから、権利の否定=「やるのが認められない」=不当に拘束を受けるべき(?)という意味になるような気がします。
最後に経済活動の自由ですが、これを否定するのは問題外ですよね。日本国は資本主義ですから。
私自身政治・経済分野を勉強し始めたばかりの若輩者でして、何か間違っているかもしれません。そうでしたらご指摘いただけると幸いです。長文失礼しました。
ご感想ありがとうございます。
自由と聞いて個々人が想定する内容はバラバラでしょうから、自由を否定すると言われても何のことやら・・・
更なるカオスになってしまいますが、個人的には自由なんてモノはあり得ないと考えております。
精神は肉体に影響を受け、思考は個人の頭脳以上の事を考えられない。
身体など不自由の塊ですし、経済力には格差が存在します。
つまり自由なんてモノはどこにもありません。
ない物は否定しようがないと言えます。
屁理屈ですが。
自由と聞いて個々人が想定する内容はバラバラでしょうから、自由を否定すると言われても何のことやら・・・
更なるカオスになってしまいますが、個人的には自由なんてモノはあり得ないと考えております。
精神は肉体に影響を受け、思考は個人の頭脳以上の事を考えられない。
身体など不自由の塊ですし、経済力には格差が存在します。
つまり自由なんてモノはどこにもありません。
ない物は否定しようがないと言えます。
屁理屈ですが。
- ロロサエ
- 2020年 12月24日 18時20分
[一言]
昨今LGBTに対して拒絶や否定を口にするとヘテロ側がポリコレ棒で容赦なく叩かれる為に、アンタッチャブルになりつつありますがそんなことも言えないそんな世の中に段々となりやがて言論の自由もなくなっていくんだろうな。
他の問題に関しても都合が悪ければ言論の自由を封じてくるだろうから、すでに言論の自由は少しづつ失いつつあるでしょう。
あくまで今はほんの少しだけだけど。
昨今LGBTに対して拒絶や否定を口にするとヘテロ側がポリコレ棒で容赦なく叩かれる為に、アンタッチャブルになりつつありますがそんなことも言えないそんな世の中に段々となりやがて言論の自由もなくなっていくんだろうな。
他の問題に関しても都合が悪ければ言論の自由を封じてくるだろうから、すでに言論の自由は少しづつ失いつつあるでしょう。
あくまで今はほんの少しだけだけど。
- 投稿者: チェンバロ作戦ガンバリ大砲
- 2020年 12月23日 18時13分
ご感想ありがとうございます。
LGBTを否定するといって殺せなどとは誰も言わないでしょうに、問題視する人は単に世の中を思う通りにしたいだけに思えてしまいます。
本来、多様性を否定する行為とは存在の抹殺でしかありえず、チベット、ウイグル族に対する中国共産党の民族浄化策くらいしか該当しないと思います。
日本にイスラム教徒は必要ないという意見は多様性の排除とは関係ない。
イスラム教徒が世界のどこかにいれば宗教上の多様性は確保されていますから。
イスラム教徒は殺せ、これになると多様性の排除でしょうが。
言論はどこまでいっても言論に過ぎませんから、他者への配慮がある限りは誰もが自由であるべきだと思います。
また、たとえ許し難い主張をする人がいても、たとえば幼女を犯したいとかそういった類の発言でも、実行しなければ逮捕していい筈がありません。
どの時点で未遂となり、逮捕して良いのか、それは判断の別れるところでしょうが、言論のままであれば許されるべきです。
許されるべきといって、付き合いを絶つ、子供を近寄らせない、一挙手一投足を監視する等の対策は必要となるでしょうが。
普段から人権ガーと口にするような方々は、そういった線引きをしていない印象があります。
LGBTを否定するといって殺せなどとは誰も言わないでしょうに、問題視する人は単に世の中を思う通りにしたいだけに思えてしまいます。
本来、多様性を否定する行為とは存在の抹殺でしかありえず、チベット、ウイグル族に対する中国共産党の民族浄化策くらいしか該当しないと思います。
日本にイスラム教徒は必要ないという意見は多様性の排除とは関係ない。
イスラム教徒が世界のどこかにいれば宗教上の多様性は確保されていますから。
イスラム教徒は殺せ、これになると多様性の排除でしょうが。
言論はどこまでいっても言論に過ぎませんから、他者への配慮がある限りは誰もが自由であるべきだと思います。
また、たとえ許し難い主張をする人がいても、たとえば幼女を犯したいとかそういった類の発言でも、実行しなければ逮捕していい筈がありません。
どの時点で未遂となり、逮捕して良いのか、それは判断の別れるところでしょうが、言論のままであれば許されるべきです。
許されるべきといって、付き合いを絶つ、子供を近寄らせない、一挙手一投足を監視する等の対策は必要となるでしょうが。
普段から人権ガーと口にするような方々は、そういった線引きをしていない印象があります。
- ロロサエ
- 2020年 12月23日 19時19分
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