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[一言]
『信濃の国』は、現在でも、信州大学教育学部附属長野小学校の校歌です。
大半の長野県民は、附小の校歌であるという事実を知りませんが。
他校の校歌をずっと歌っていたという事実を知った時には、ちょっと複雑な気持ちになったものです。それこそ、自分の母校である小学校の校歌は既に歌えなくなっているのに、『信濃の国』は歌えるので。
附小であればこそですね。
教育学部の前身の長野師範の先生が作られたというのもですが、
県内各地の地名が出てくるので、普通の公立校では校歌にするのが難しそうです。
  • こまくさ
  • 2022年 02月06日 21時19分
[一言]
MDはもっと長く使われると思ってたのですけどね。
あっさり消えちゃいましたね。
逆に、カセットテープが長く使われ続けているのだから分からないものだなあと感じます。
今更ながら振り返ると、世の中の風潮は大きく変化し、自分もその変化の中で暮らしていたんだとわかります。

昨今、とりだたされているメタバースも、誰もが使っているツールとなり、さらに後の世では「メタバースなんてのがあったね」と回顧されるのでしょうか。
  • こまくさ
  • 2022年 01月30日 21時43分
[一言]
髪は凍りましたね(笑)。
浅間温泉は、冬期は温度がぬるくなるっていう話がありましたし(笑)。
今年もよろしくお願いいたします。
 
松本は雪が積もらないから余計に寒いと云われていました。
今はあらゆる面で生活インフラが良くなっているでしょうが、あの頃のレベルの環境で生活する自信はないですね・・・
  • こまくさ
  • 2022年 01月16日 21時27分
[一言]
西沢は、スキー事業からは撤退しちゃったから、もう無いんですよね。
オガサカは残ってるはずだけれど。
どっちも長野県内のメーカーだったから、県内のスポーツ用品店では、よく見かけました。
あとは、大手のミズノとかヤマハとか……。
懐かしいですね。
西沢スキーは日本で初めての量産メーカーだったそうです。

調べてみたら、ニシザワやヤマハはスキー事業から撤退。芳賀やカザマは倒産したようです。温暖化が一因と言われています。
オガサカはスノボなども作って頑張っているようです。

当時ほどスキー人口は多くはないので、スキー関連の業界は厳しいのでしょう。
かくいう私も、30代半ばからゲレンデに足を運んでいません。

  • こまくさ
  • 2021年 12月11日 19時55分
[一言]
そういえば、スキー場でアルバイトしていた子もいましたね。バイト代+食事つき+リフトただ券、だったらしいのですが、空き時間があまり無くて、ナイター時間に滑っていたようです。それから、必修時間に合わせて大学へ来ていたようで、今考えると、よく事故を起こさなかったなあと……。
いよいよ寒くなってきましたね。

 スキー大好きの後輩が趣味と実益を兼ねて戸狩スキー場の民宿のバイトに行きました。3食賄い付き、リフト乗り放題はテンプレ条件みたいですね。
 彼は、短時間でも滑れると思っていたのに、早朝~昼前+夕方前~夜という宿の仕事に疲れてしまい、スキーより昼寝を選択した結果、ほとんど滑りに出れなかったと愚痴っていました。
 実際には、林業組合のリフト券が貸与されていたから、ゲレンデに出れば乗り放題だったようで、虚偽の募集ではなかったようですが……。

 もう少しスキーネタ引っ張ります。
 
  • こまくさ
  • 2021年 12月04日 20時09分
[一言]
スパイクタイヤって、ありましたねえ。
あの粉塵、今考えると、アスベスト並みにヤバそうだけど、その後あまり問題にされてませんよね。吸い込んじゃった粉塵は、あと何年かしたら問題にされるようになるのでしょうか? ちょっと怖いな。
粉塵はほんとうにすごかったです。
4年生のときに車を手に入れ、冬にはスパイクタイヤのお世話になりましたから、なんとも…ですが。

卒業後、大阪からマイカーでスキーに行くときもスパイクタイヤは大活躍でした。大阪にはスパイクタイヤはありませんでした。

卒業後も信州に残った友人は、スパイクタイヤが禁止になったころのスタッドレスタイヤの性能は、今と比べると格段に低く、とても信頼を置けず怖かったと言ってました。

  • こまくさ
  • 2021年 11月21日 00時32分
[一言]
公衆電話、本当に少なくなりましたね。
コレクトコールって海外から日本に電話する時に使われるシステムだと思っていました。
ダイヤル式の電話は知っているのですけどね。
いつもありがとうございます。

電話の分野もデジタル技術で進化著しい時代でした。
この頃は交換手が対応するアナログなシステムでしたが、いつの頃からか自動対応になったらしいです。

電話線がなくなり、ポケットに入れて持ち歩けるようになるのはSFかマンガの中だけだと思ってました。
  • こまくさ
  • 2021年 11月06日 22時07分
[一言]
はじめまして。
子供が信大に通っているので今と昔の違いに、ノスタルジーを感じながら読ませて頂いてます。

ここ2年は、信大でも大学祭は行われていません。
幸い我が子は一年の時に銀嶺祭も、県の森フェスティバルも楽しむ事ができましたが、その時には大学祭が開催すらされない現在の社会情勢は予想だにしませんでした。

銀嶺祭では、子供の案内で松本キャンパスを巡りましたがとても賑わっていて楽しい雰囲気でしたよ。
その際には一緒に来た家族と浅間温泉に泊まりましたが、今でも浅間温泉は学生のアルバイト先のひとつだそうです。

昨年度、オンライン授業になり松本キャンパスでの学生ライフを楽しむことなく各学部のキャンパスに移動になった学年の子たちは、仕方ないとはいえ残念であったと思います…。
その次の年にはオンラインと対面の混ざった講義になったため、通常であれば松本キャンパスでの交流の中で知っていく情報を知らないまま移った他学部で、教授への接し方に関して失敗談があったとか…。

最近は感染者が減少してきているので、来年度は子供たちが今よりいろいろ経験できるといいなと思っています。

  • 投稿者: 稔美
  • 2021年 10月30日 01時41分
こんにちは 稔美様
お読みいただきありがとうございます。

 当時の大学生(信大生)は、今の高校生よりも垢抜けていなくて、当然価値観も違っていたように思います。
 逆に、今の大学生は高校生のように型に嵌っている子が多いようにも見えます。

 今と昔を比べるのは無為なことですが、今の現役大学生は、彼らの親世代の大学生活をどのように感じるのかは気になります。

 コロナ禍の大学生は本当にかわいそうに思います。
 友人とコミュニケーションを図り、自由な時間の中で多様な感性に触れる機会がなくなってしまうと、一人ひとりの中に眠っている個性が芽吹くことなく社会に出ていく子らもいるでしょう。
 社会に出てからは決して味わうことのできないことも学生という免罪符が許してくれていました。時代もゆるやかでした。

 今後ももう少し書いていこうと思いますので、よろしくお願いします。
  • こまくさ
  • 2021年 10月30日 14時12分
[一言]
先輩に沖縄出身の方がいましたね。
「実家に帰りたいだけなのに、夏休みとか冬休みとか春休みとか、いっつも料金高くなる。」と嘆いてらっしゃいました。
沖縄は飛行機使うしかないので、名古屋まで出て、名古屋空港(小牧空港って呼んでたかも)から飛行機で那覇までという経路だったはず。
一度、名古屋空港で大きな墜落事故があったので、怖いとおっしゃっていたことを覚えています。
いつもありがとうございます。
長かった残暑もようやく収まり、今夜は随分涼しいです。
季節の変わり目、ご自愛ください。

 
私は信州暮らしが性に合っていたようで、後半はほとんど帰省せず、365日信州で過ごしていました。
今から考えると親はそれなりに心配していたでしょう。

帰省にまつわる事件は他にもいろいろと聞きました。機会があれば書きたいと思います。
  • こまくさ
  • 2021年 10月17日 00時23分
[一言]
大学の講師以上の人たちの貴重な収入源。それが「教科書」。
学生以外の層が購入するような内容ではないことが多い(専門分野の狭い部分を深掘りしすぎているので)ため、4月にどれだけ買ってもらえるか、が勝負のようです。
いつもありがとうございます。 
『暑さ寒さも彼岸まで』、随分涼しくなってきました。

教科書類の単価の高さには驚かされました。
ドイツ語の辞書は先輩から譲り受けたものを後輩に譲りました。
その他にも、世代を超えて受け継がれた教材もあったように思います。
在宅時間が長くなったタイミングで家財を片付けていたときに、学生時代に使っていた書籍が出てきましたが、半世紀以上も前に著された内容は、すでに古い理論になっていました。
  • こまくさ
  • 2021年 09月26日 14時11分
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