エピソード4の感想一覧

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[気になる点]
そちらはご先祖の早雲様から韮山を中心に伊豆を任された伊豆衆の者達だな

早雲は幻庵の父親なのでほんの少し前の話
ご先祖っていうほど昔の人ではないと思います

[気になる点]
銭の増減の4割、と言葉にするのは簡単ですが、商人は通常銭だけでなく商品も運んでいるわけで……
銭だけで計算するなら、領内で売った以上の価値の商品を買い付ける、若しくは物々交換だけで取り引きする節税が横行しますし、商品価値を元に算出しようとしても、定価の無い時代には煩雑な上にトラブルの元に。
所得に直接税を掛けるよりも宿泊施設や市の場所代等で稼ぐ事を考えた方が現実的かな、と。
なるほど、まだ市場を大きく動かしてるわけではないので商業ターンが来たら考えてみますね
[一言]
北条家は代替わりした永正15年に当主の氏綱が新しい政策を実施していて、公事賦課制度の改革、役人の不正排除、目安制度の創出といったようなことをこの作品の10年以上前から北条家では実施いている。
公事制度は郡代や代官が不当に村に対して徴発を行っていたのを北条家当主の虎の図案の朱印判が押されてない書状による命令は聞かなくていいと村側に対して行った制度。
村から大名に直接訴訟する事が出来なかったので、公事制度で不正があった事を大名に直接提訴できるようにしたのが目安制度で北条家直轄領では1515年ぐらいにはあったが家臣の領地はこの時は公事制度の対象外。

伝馬制度は平安時代の律令制があった時代からあり、宿場町に馬を用意していて移動するのに乗ったり荷を運んだりするのに古くからあった制度で、1560年ごろの北条家では1里を6町1銭、今川は1里60町10銭、武田は1里3町6銭と各大名家で1里の単位はバラバラだが制度自体はあった。

枡の統一は石高制度で支払いが銭から米に変わった事で必要で、北条家の場合は1557年に物納を認めているので枡の統一は年貢とは関係がない。
枡による年貢の統一をするには銭納以外に米などの収穫物による物納の下地がいる。
北条家の検地は貫高精度で銭による支払いで、田畑の面積になどで村高が決まり荒地などは課税対象から外され控除された。
毎年村に家臣が見に行き作物の生育状況によってどの程度を年貢から控除するか調べる検見法が行われていた。

北条家は他家と違って記録が現代も残っていて、作品としては扱うのが難しいなとは思う。
すごい知識ですね!まあ、好きなものを書いてるだけなのでご都合主義です
[気になる点]
今は2歳くらいですか?

内政は後5,6年してから携わっても良かった気がします。それでも十分早いスタートですし・・
  • 投稿者: josei
  • 2021年 09月30日 10時14分
詳しくは話せないのですが27歳までプロットは決まっていまして、そこに向けて都合よく歴史改変を行おうと思うとどうしても3歳までに自分で使える領地と配下、まあここでは風魔なのですが、彼らが必要となってきます。6歳から始めると7歳から始まる今川の河東侵攻と8歳の北条大包囲網に軍や兵器が間に合わなくなるのでどうしても、このタイミングにならざるおえない感じです。歴史改変で氏親を亡くしたのもここあたりの理由になりますね。
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