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[一言]
 新作発表お疲れ様です。さて、家康像様の好きなモンゴル風味のファンタジー作品ということで読ませてもらいました。

 流石に、好きなだけあって、考証が確りなされてます。キャラクターのネーミングも荒唐無稽でなかったのも世界観にすんなりと入り込めました。

 これを読んでると、ふと駅前のネット喫茶でチラ読みした「乙嫁語り」を思い出してしまいました。

 萌え要素少なめ上等! ヒゲ親父? それも上等! あっちではひげを生やすのは漢のシンボルだったと思ったんですけが、違ってたらごめんなさい。(苦笑

 これからどのようなお話になるのか、期待させていただきます。二つの作品を手がけられる以上、その分ネタとか練るのが大変かと思われますが、ご自分のペースでなさってください。

 チンギス・ハーン等が活躍した頃の『草原の掟』はハッキリ言って、儒教の教えが広まっていた中国や朝鮮、そして日本の倫理観から見れば『えっ?』と思うものばかりですよね。
 
 強いものが弱いものから奪うのは当然、力のある家に付くのも当然、力こそが正義。結婚も略奪婚も当たり前、婚約お見合いなんざナニ食らえって風潮もありましたし。

 テムジンの母ホエルンはメルキト族の女で、テムジンの父イェスゲイ・バアトルに略奪されて彼の妻になり、後年今度はトクトア・ベキ率いるメルキト族の襲撃でテムジンは妻ボルテを略奪された因縁めいたお話もありましたしね。

 そう言う話があるもんだから、儒教の道徳観が色濃いこっちの方から見れば『イイッ?』と思うものばかりです。

 現に、私も高校生の時『蒼き狼と白き牝鹿 ジンギスカン』のガイドブックに記載されていた当時の風潮の話を読んで、思わず目を疑ったモンです。

 まぁ、アッチではそれが当たり前なんですけど、他の国から見れば『なんじゃそりゃあ!』と仰天する事だらけ。

 チンギス・ハーンは今でもモンゴルの英雄ですが、モンゴルの侵略を受けた他のユーラシア諸国やヨーロッパ圏の国々では『憎むべき侵略者』扱いされていますしね。

 それ故に、彼には英雄性と悪役性と相反するものを兼ね備えたイメージが定着してると自分は思います。まぁ、日本も戦国時代とか戦乱の時代では、略奪は一般兵(足軽)にとっては臨時ボーナスの側面があったようで、それを率いる将も見て見ぬ振りしていたそうです。

 まずは、これからの続きを楽しみにしております。草原の匂いをムンと漂わせるお話楽しみにしてますよ!

 それでは、また~!
  • 投稿者: 不識庵・裏
  • 30歳~39歳 男性
  • 2011年 05月01日 21時31分
あと、オススメの小説ですが、中国の大文豪、金庸先生の武侠小説、「射雕英雄伝(しゃちょうえいゆうでん)」は最高です。

前にやってたTVドラマのオープニング曲、「天地都在我心中」は最高の曲です。これをきくと、チンギス・ハーンのいた大草原のイメージが湧いてきます。

youtubeで聞けますので、是非どうぞ!
不識庵・裏さん、感想第一号、ありがとうございます!
本当に、感激・大感謝の限りです。

本当に、「今までにない異世界ファンタジーを」と、我ながら調子に乗ったものです。
そんなお話に、さっそく感想を書いてくださって、本当にありがとうございます。

キャラや地名などのネーミングは苦労しました。
なにしろ、モンゴルの人の名前の意味は分かりにくいですし、長いし、おまけに、女性の名前が男性ほどでてこない(爆)

本当に苦労しました。

実のことを言うと、僕が中国史にはまり込んだきっかけこそ、モンゴルにありました。
司馬遼太郎さんの「草原の記」を読んだ時、それまでの自分の「遊牧民族」感が、大きく変わったのです。

例えば匈奴の話では、遊牧民族の匈奴が野蛮だったと思っていたのですが、司馬遼太郎先生によると、遊牧をしている人たちから見れば、草原を耕して、挙句に砂漠化させてしまうこともある農耕民族のやり方の方が、はるかに野蛮だったようです。

不幸なことに、遊牧民族は自分たちで記録を残すことをしなかったので、実際より悪く書かれている可能性もあるのです。

略奪婚が当たり前なのは事実でしたし、また、親が死ぬと、息子たちが実母以外の妾を、自分の妻として娶るという風習があり、農耕民たちはこれを野蛮と非難しました。

しかし、逆の立場になって考えると、女性を略奪するのは、出生率が非常に悪い草原で子孫を残すためには、やむを得なかったという見方もありますし、息子たちが死んだ親の妾を娶るのも、危険な草原において、女性は男性に守ってもらわないといけないため、未亡人のままでいるわけにはいかないのです。

なお、遊牧民において、女性は決してモノではありませんでした。いざという時は、自ら武器を取って戦いましたし、戦場でも、矢を拾い集める仕事をしたりと、大きな役割を果たしていました。なにより、略奪婚も当たり前の世の中では、家庭内では自然と女性の力の方が大きくなります。また、後宮というものがないので、どんな女性も、自由に外出することができました。

一方、儒教中心の中国や朝鮮では、「男尊女卑」が当たり前でした。特に、南宋において朱子学が成立してからはますますひどかったですし、特に明王朝の時代には、皇帝が死ぬと、後宮の女性は「殉死」しなければなりませんでした。そもそも、後宮という、外の世界から隔絶された、皇帝から寵愛されなければ、一生飼い殺しという環境があったことの方が、驚きともいえます。

また、モンゴルが略奪する話が多いですが、実は、チンギス・ハーン当時のモンゴルでは、大ハーンの許可が下りない限りは、略奪は許されませんでした。例えば、戦場に落ちている矢一本でも、回収命令なしに勝手に拾って自分のものにすれば死刑になりましたし、略奪許可が下りない限りは、ネギ一本盗んだだけで死罪になったそうです。

イスラム世界において、略奪や虐殺が多かったのは、たしかにモンゴルの攻撃の凄まじさを語っていますが、その辺にくると、非モンゴルの、地元のトルコ系遊牧民の傭兵の方が多く、なにもモンゴルだけの責任ではないとも見て取れます。

女真族の金王朝を滅ぼした時も、「モンゴル軍」兵卒は漢民族が主流でしたし、南宋を滅ぼした時もそうでした。(余談ですが、南宋はモンゴルと手を組んで金を滅ぼした後、「野蛮人との約束など関係ないのだ」と、モンゴルの縄張りになっていた、旧金の領土に、一方的に大軍を派遣し、結果、モンゴル軍を怒らせ、その後の戦争の原因を作っています。どうして蜜月のうちにきちんと話し合わなかったのか……)

ついでに虐殺といえば、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際の「鼻切り、耳切り」は最悪というべきでしょう。
そもそも、将軍クラスでもない、雑兵の首を狩るようなことは、さすがのモンゴルでもしなかったようです。

さて、話を物語に戻しますが、この物語の主人公の少女、「リムル」は、実は草原の民、「タリカ」の出身ではありません。

冒頭に村に住んでいた描写からわかるように、彼女は定住民の子です。

イメージ的には、満州の「女真人」みたいな山の民族です。モンゴルと女真は、似ているようで、大きく違う「塞外民族」です。

ですから、今後、そのような描写を入れていきたいと思います。

さて、これから繰り広げられる、「バト一家」の物語を、とくとご覧ください!(もちろん、三顧の零も(爆))

それでは~!
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