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[一言]
小説家になろうのルールを守って活動する以上、
他人にとやかく言われる筋合いはないという事です。
  • 投稿者: SP
  • 2021年 11月22日 20時24分
前回、最後に書いた文言をもう一度書きますね。


【なので、話を戻しますね。

>(読者の)権利を作者様が奪うことを「傲慢」だと考えています。

『「読者の権利」を執行したいのなら、「作品の感想欄」を含めた「作者様の領域」以外で好きに書いたらいいと思います。
しかし、「作者様の領域」である「作品の感想欄」に「作者様が嫌がること」をする意図はなんでしょうか?』

二つ前の返信で書いた文言そのままです。
この意図をお答えいただけますか?】


いただいたご返答はこれに対する答えではありません。
お答えできない理由があるのですか?

ちなみに、会員規約の禁止事項にこんな項目があります。

「10.他人を自殺に誘引又は勧誘する行為。」

「メンタルが弱いから批判はご遠慮ください」等と「批判」を嫌がる「作者様」の感想欄に「批判」を書くことは「自殺に追い込む可能性」もあると私は考えますが、SPさまはどう思われますか?

ご返答いただく気がないなら、もうこれ以上は結構ですよ。
  • 白烏
  • 2021年 11月22日 20時42分
[一言]
>今回の私のエッセイ擬きは「主観的考察に基づいた主張」であることは否定しません。それをしても許されるはずです。
火魔人さまが私の「主張」を否定なさっているのは理解しているつもりです。
でしたら、火魔人さまの「主観的考察」からの否定ではなく、「客観的事実」をもって否定していただけないでしょうか。
「主観的考察」同士の批判では水掛け論で決着はつきません。

違います。私は白鳥様の「主張」を否定したいわけではありません。だから、何度も「私の考え」であることを主張していたつもりです。「別にそちらの考えを否定しないが、私はこう思う」と。それが伝わらなかったのは、私が口下手なせいなので、申し訳ないと思います。

私の目的は、

>「あのエッセイは批判避け」みたいに断定してるけど、もしかして私が読み取れなかっただけで、そう判断できる決定的な発言でもあったのだろうかと。

これだけです。私はこちらのエッセイの、「批判されたら当然~」の部分を見て、「主観的考察に基づいた主張」とは読み取れなかったので。

>「作品を貶す」ことの中に「作品を批判する」ことは言葉の意味から考えれば順当だと思います。
>「貶す」と「批判」がニアリーイコールのように私は思えますが、違うのでしょうか?

これらが本エッセイに書かれていれば、そもそも私は感想を書いてません。「へー私はそう思わないけど、そういう考えもできるかー」と。

以上です。これ以上続ける必要があるとも思えないので、(私は「客観的事実をもって否定」できるとも、しようとも思わないので)これにて失礼いたします。
私の言葉が悪いせいで、長々付き合わせてしまい申し訳ございません。
  • 投稿者: 火魔人
  • 2021年 11月22日 18時44分
ご返答ありがとうございます。

>私は白鳥様の「主張」を否定したいわけではありません。だから、何度も「私の考え」であることを主張していたつもりです。「別にそちらの考えを否定しないが、私はこう思う」と。

火魔人さまのお考えはわかりました。
私の考えが穿ちすぎだったようです。
申し訳ありません。
言い訳をさせてもらえば、今まで「感想欄に複数の感想を送る」人は大体、私のエッセイを否定したい人だったように思っていました。
ご理解いただければと思います。


>私はこちらのエッセイの、「批判されたら当然~」の部分を見て、「主観的考察に基づいた主張」とは読み取れなかったので。

本文をピックアップして、ご説明させていただきます。

『「ブロック」についての考え方等のエッセイです。このエッセイ主は「一瞬でも気に障ったら」、ブロックするそうです。「批判」されたら当然で、「感想欄」の語調ですら対象にされるそうです。』

「一瞬でも気に障ったら」という言葉は件のエッセイ主の文言であり、「客観的事実」です。実際に、書かれていますから。
そこに私は「考察」として、「批判」はどうなるのかを検証したわけです。
私は「一瞬でも気に障らない批判」はないという結論が出ました。
今一度、「気に障る」の意味を見てみましょう。
意味としては、「いやな気持ちを起こさせる」となります。
私は「書き手」ではないので、「自作品に対しての批判」を「書き手」の方がどう考えるかは想像するしかありませんが、件のエッセイ主の言葉「大切な作品」を参考にします。
そんな「大切な作品」を「批判」されて「一瞬でも気に障らない」書き手の方はいないのではないでしょうか?
こういう結論から、“「批判」されたら当然で、”と私は述べています。

「だとしたら、ここまで書いてほしい」と仰るかもしれませんが、私の中では「書くまでもないこと」として捉えています。
「一瞬でも気に障らない批判」はあるのでしょうか?

火魔人さまは「ある」とお考えなのかもしれませんし、人によっては「ある」書き手の方もいらっしゃるのかもしれません。しかし、少なくとも件のエッセイ主はそういう心持の人ではないのではないでしょうか?
その証左が「赤の他人」という文言だと私は考えています。


最後に、何度も言っていますが、私が引っ掛かっているのはこの「赤の他人」というワードです。
せっかくですので、意味を載せます。

「縁も所縁もない人」

「お読みいただきありがとうございます。」と仰られている書き手の方々がいる中、件のエッセイ主は「読者」を「縁も所縁もない」と言い切ったのです。
私は「書き手」の方々が「読み手」に謝意を伝えるべきと言いたいわけではありません。
ただ、「縁も所縁もない人」と言い切るのはあまりにもひどいと思っただけです。

これが例えば、「(件のエッセイ主と)読者は友達ではないのだから」という理由付けで、「適切な距離感を保ってできるだけ丁寧に」というのならまだ理解できます。
実際に、その通りだからです。
しかし、自分から「縁も所縁もない人」と言い切った相手に、自分は「顔文字」をつけて返信する神経が私には理解できないのです。

つまり、件のエッセイ主は“書かなくていい”ことを書いてしまったわけです。
件のエッセイ主が「読者」を「赤の他人」と“考えている”ことを非難しているわけではありません
“書いた”ことに苦言を呈したのです。
今一度読んでいただいたらご理解いただけると思いますが、私は「言った」「書いた」ことを非難しています。

前作も「ランキング上位作品の感想欄から批判者を見つける」という“書かなければよかったこと”を題材にしています。
今回、“書かなければよかった”とあまり書かなかったかもしれません。そこは反省すべきところだったと思っています。

以上です。
長々と申し訳ありませんでした。
  • 白烏
  • 2021年 11月22日 20時30分
[一言]
運営から警告や処分がない限り、

「作品の感想欄を含めた作者様の領域での、作者様の意に反する行為」

は「不適切」と判断されない、問題ない行為と考えています。

それとお問い合わせページに

※ご要望や違反・迷惑行為に関するお問い合わせについては基本的に返信を行っておりません。ご連絡いただきました内容は運営内で順次確認し対応を検討しておりますが、あらかじめご了承ください。

と書かれている事はもちろん知っています。
  • 投稿者: SP
  • 2021年 11月21日 21時25分
おや?

>勘違いされているようですが、

「感想欄が開放されている」から作者様が嫌がることを書いてもいい、

そんな事一言も書いていません。

というSPさまの言及については何も書かれていませんが、どういうことでしょう?
私の説明にご納得いただけたということでしょうか?


>運営から警告や処分がない限り、

「作品の感想欄を含めた作者様の領域での、作者様の意に反する行為」

は「不適切」と判断されない、問題ない行為と考えています。

話の趣旨がずれていっていますが、なるほど、SPさまは「批判を嫌がる作者様」の作品の感想欄に「批判」を送っても問題ないとお考えなのはわかりました。


と、ここまでお付き合いさせていただきましたが、実はこの感想欄は「続・何事も極端すぎるのはよくないなと思った話。」の感想を書くところです。
ご存じですか?

>前回の「傲慢」との指摘についてですが、

ご自身でも「前回」と書かれていますね。
こちらに書いた意図はわかりませんが、まず、書く場所が違いましたね。

そして、“「批判を嫌がる作者様」の作品の感想欄に「批判」を送っても問題ない”という考えはどこに繋がるのでしょうか?

最初にご指摘されたのは「前回」の「批判」について書いた部分です。

私は理由を述べて「傲慢」だとは思いません。と返信させていただきました。
この部分については納得されたのでしょうか?
これには触れずに、

>(読者の)権利を作者様が奪うことを「傲慢」だと考えています。

と話がすり替わっています。
しかし、私は返答しました。
『「感想欄が開放されている」から作者様が嫌がることを書いてもいい、と考える方が「傲慢」ではないですか?』

すると、SPさまは、

>「感想欄が開放されている」から作者様が嫌がることを書いてもいい、

そんな事一言も書いていません。

と仰るわけです。これに関しては説明しましたね。
そして、

>「作品の感想欄」を含めた「作者様の領域」で、「作者様の意に反する行為をしてはならない」

などというルールは見つけられませんでした。

と話をずらしています。
申し訳ありませんが、脊髄反射的に反論しているようにしか思えません。

なので、話を戻しますね。

>(読者の)権利を作者様が奪うことを「傲慢」だと考えています。

『「読者の権利」を執行したいのなら、「作品の感想欄」を含めた「作者様の領域」以外で好きに書いたらいいと思います。
しかし、「作者様の領域」である「作品の感想欄」に「作者様が嫌がること」をする意図はなんでしょうか?』

二つ前の返信で書いた文言そのままです。
この意図をお答えいただけますか?

  • 白烏
  • 2021年 11月21日 22時04分
[一言]
返信ありがとうございます。

>どこからそう判断されたのでしょうか?

weblio辞書によれば、「貶す」とは、「ことさらにわるい点を取り上げて非難する」「よい点は無視し、わざわざ悪い点ばかり取り上げて非難する」とのことです。
一方、「批判」とは、「誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること」「良し悪し、可否について論ずること」となっています。

確かに、「悪い点を取り上げる・指摘する」という点で、「貶す」と「批判」は似た概念かもしれません。しかし、「貶す」は「非難する」のが目的であるのに対し、「批判」は「論ずる」ことが目的であり、そこには明確な差異があるかと思われます。私なりの考えではありますが。

>なぜ、読者は「フレンドリー」に対応してはいけないのに、エッセイ主は「フレンドリー」に対応していいのですか?

別に「読者はフレンドリーに対応してはいけない」と、言われているわけではないと思います。
確かに、「適切な距離感を保ってできるだけ丁寧に」と書かれてますが、同時に「仲良くしたいなら仲良くしたいなりの態度やアプローチというものがある」とも書かれています。

つまるところ、「仲良くなりたい赤の他人の距離感」「仲良くなりたくない赤の他人の距離感」があって、「仲良くなりたい」なら「読者からフレンドリーな距離で接してもいい」のではないでしょうか?(実際、感想返信で、「小ネタ感想もうれしい」とおっしゃられてますので)

勿論私の解釈であって、私が間違っている可能性は否定しません。

>「一瞬でも気に障らない丁寧な反対意見」

というのは可能なのですか?

そうですね。それは不可能に近いと思います。ただ、それに近づけることは可能でしょうし、それを目指すのは当然のことで、特に高度なことでもないでしょう。
「どうせ反対意見なんて書いたら嫌われるし、ブロックされたりするんだから、丁寧に書かなくていいや」とは、私は思いません。

確かに、「一瞬でも気に障らない丁寧な反対意見」は不可能で、どれだけ丁寧に書いても、作者の気に障ることはあると思います。しかし、ちゃんと丁寧に書いたことが伝われば、ブロックされないのではないでしょうか?実際、否定的な感想返信を返された人でも、ブロックされずその後書き込めている人がいますし、「全ての一瞬でも気に障った人」を、ブロックしているとはどこにも書いてないので。

そもそも、

>「一瞬でも気に障ったら」という条件を満たさないためには、エッセイ主に追従するしかありません。ゆえに、「反対意見」は書けません。

これはあくまで、「ブロックされたくないなら」ですよね。ブロックされる前提なら、一度きりですが「反対意見」は自由に書けます。(もっといえば、アカウント転生すれば「一度きり」という制約もなくなります。そこまでする人はそうはいないでしょうけど)

以上のことから、私は「非難避け」として、件のエッセイが書かれたわけではないと考えます。(まったくそういうつもりがないわけでもないでしょうが)
「作品を貶したい」と思う人が、「貶したい作品の作者」から「ブロックされること」を恐れることは考えにくく、その対策としては効果がないと考えられるからです。
……というか実際、あのエッセイに「反対意見の感想」は書かれていますよね?

確かに白鳥様のいう通り、批判が嫌なら感想欄を閉じれば済む話です。しかし、「感想欄は開けている」ということは、「批判を完全に拒否する気はない」ということではないでしょうか?「反対意見でも少なくとも一度は書き込めるし、丁寧に書いてあればブロックもしない」と、私は受け取りました。

……もっとも、実際には私の見当違いで、件の作者が白鳥様の言う通り、「批判はいらない、称賛だけ欲しい」という考えである可能性はあると思っています。だから前回の感想で、

>「いや自分は丁寧な口調で真っ当な批判をしたけどブロックされたわ」とおっしゃるなら、自分の見る目がなかったことを反省するだけです。

と書いたのです。「あのエッセイは批判避け」みたいに断定してるけど、もしかして私が読み取れなかっただけで、そう判断できる決定的な発言でもあったのだろうかと。

長文失礼いたしました。
  • 投稿者: 火魔人
  • 2021年 11月21日 20時29分
申し訳ありません。
なぜか、先程から返信したものが複数消えています。
私が消したわけではないということはご留意ください。
再度、返信を書かせていただきます。


>しかし、「貶す」は「非難する」のが目的であるのに対し、「批判」は「論ずる」ことが目的であり、そこには明確な差異があるかと思われます。

「論ずる」
1.物事の理を示すように筋を立てて述べる。
2.言い争う。議論する。

どちらの意味も「相手」が必要なのは共通です。
しかし、件のエッセイ主は
「もし反対意見がある場合は練習だと思ってぐっとこらえるか」
と聞く耳を持っていません。
「論ずる」ことはできませんね。

「貶す」と「批判」がニアリーイコールのように私は思えますが、違うのでしょうか?


>「仲良くなりたい赤の他人の距離感」「仲良くなりたくない赤の他人の距離感」があって、「仲良くなりたい」なら「読者からフレンドリーな距離で接してもいい」のではないでしょうか?

「仲良くなりたい赤の他人の距離感」「仲良くなりたくない赤の他人の距離感」の境界線はどこですか?
「適切な距離感を保ってできるだけ丁寧に」対応することとエッセイ主は言っていますね。
だとしたら、「仲良くなりたい」なら「読者からフレンドリーな距離で接してもいい」というのはおかしいですよね?

「仲良くしたいなら仲良くしたいなりの態度やアプローチというものがある」とエッセイ主が書いているのなら猶更、なぜ、エッセイ主はその時点では「赤の他人」に「フレンドリー」に対応していいのでしょうか?
理解できません。


>それは不可能に近いと思います。ただ、それに近づけることは可能でしょうし、それを目指すのは当然のことで、特に高度なことでもないでしょう。

「目指すのは当然」なのですか?
一読者に必要なスキルなのですか?
私はできませんが、他の方は皆出来るのですか?

「不可能に近い」といいながら、「特に高度なことでもない」とはどういうことなのですか?
こちらも理解できません。

>「どうせ反対意見なんて書いたら嫌われるし、ブロックされたりするんだから、丁寧に書かなくていいや」とは、私は思いません。

これは「読者の総意」ですか?
もしくは「多数派の意見」ですか?

>ちゃんと丁寧に書いたことが伝われば、ブロックされないのではないでしょうか?

「ブロックの判断スピード。これに関しては他の追随を許さないと自負しています。」
「一瞬でも気に障ったら、ブロックを検討」
「多くの場合はそのままブロックリスト行き」
と書かれていますね。

そう考えた根拠は何ですか?


>「作品を貶したい」と思う人が、「貶したい作品の作者」から「ブロックされること」を恐れることは考えにくく、その対策としては効果がないと考えられるからです。

件のエッセイは「ブロックしたこと」を批判されないために事前に書かれたものと私は認識しています。それなら一定の効果はあると私は思いますが。


>しかし、「感想欄は開けている」ということは、「批判を完全に拒否する気はない」ということではないでしょうか?「反対意見でも少なくとも一度は書き込めるし、丁寧に書いてあればブロックもしない」と、私は受け取りました。

どうしてこう考えられるのか理解できません。
読者を「赤の他人」と呼称して、
「ブロックの判断スピード。これに関しては他の追随を許さないと自負しています。」
「一瞬でも気に障ったら、ブロックを検討」
「多くの場合はそのままブロックリスト行き」
と書いてあり、さらに、
「もし反対意見がある場合は練習だと思ってぐっとこらえるか」
とも書いている点から私はそう受けとれません。


今回の私のエッセイ擬きは「主観的考察に基づいた主張」であることは否定しません。それをしても許されるはずです。
火魔人さまが私の「主張」を否定なさっているのは理解しているつもりです。
でしたら、火魔人さまの「主観的考察」からの否定ではなく、「客観的事実」をもって否定していただけないでしょうか。
「主観的考察」同士の批判では水掛け論で決着はつきません。
私はこう考えますが、如何でしょうか?
  • 白烏
  • 2021年 11月22日 00時04分
[一言]
勘違いされているようですが、

「感想欄が開放されている」から作者様が嫌がることを書いてもいい、

そんな事一言も書いていません。
批判を求めていない作者様に批判的感想を送るのは「余計なお世話」であると書いています。

しかしこの「小説家になろう」というサイトの規約やマニュアルに、

「作品の感想欄」を含めた「作者様の領域」で、「作者様の意に反する行為をしてはならない」

などというルールは見つけられませんでした。
唯一該当するかもしれないのが、

感想を書く際の禁止事項の「催促して作者を追い詰めるような行為」

ですが、それは運営が判断する事でしょう。
  • 投稿者: SP
  • 2021年 11月21日 18時45分
前提として、前回の私のエッセイ擬きの本文を載せますね。

『“当方、アマチュアであり、趣味で書いているだけなので、作品に対する批判はご遠慮ください”

 このような記載があるにも関わらず、「批判」をするような人はもう「読者」ではありません。「読者」だというなら「作者様」が嫌がるようなことはしないはずです。』

という部分に対して、SPさまはご感想にて、

『>記載があるにも関わらず、「批判」をするような人はもう「読者」ではありません。

という考えは極端すぎるし、
「傲慢だなぁ」
というのが、私の率直な所感です。』

という話から、今回のご感想に至っていますよね?
ここまではいいですか?

つまり、SPさまとは「批判を拒否している作者様」に関しての話をしていたはずです。
違いますか?

上記の部分では「作者様が嫌がること」=「批判」としています。「批判を拒否している」のだから当然こうなります。

>感想欄が開放されているなら、感想を書くのは批判も含めて「読者の権利」です。

というSPさまのお言葉は言い換えれば、

“感想欄が開放されているなら、感想を書くのは(作者様が嫌がる)批判も含めて「読者の権利」です。”

となりますね。
ご理解いただけましたか?
私は勘違いしてはいませんよ。



>「作品の感想欄」を含めた「作者様の領域」で、「作者様の意に反する行為をしてはならない」

などというルールは見つけられませんでした。

なるほど、仰る通りです。
しかし、利用規約の禁止事項に、

「23.その他、当グループが不適切と判断する行為。」

とあります。

さて、SPさまは、

「作品の感想欄を含めた作者様の領域での、作者様の意に反する行為」

は「不適切」と判断されないというお考えなのでしょうか?
「運営が判断する事」ですが、SPさまはどう思われていますか?
問題ない行為とお考えですか?

ちなみにですが、運営様に「○○は誹謗中傷ですか?」と問い合わせても、答えてくれません。ご存じでしたか?


  • 白烏
  • 2021年 11月21日 20時01分
[一言]
前回の「傲慢」との指摘についてですが、
まず読者は作者様の「母親」でも「メンタル心理カウンセラー」でもありません。
感想欄が開放されているなら、感想を書くのは批判も含めて「読者の権利」です。

その権利を作者様が奪うことを「傲慢」だと考えています。
まあ余計なお世話であるのは確かですが。

その「傲慢」な作者様の最たるものが、
続きが読みたければ賞賛し、ポイントを入れろといった「短編詐欺」だと思っています。
  • 投稿者: SP
  • 2021年 11月21日 17時26分
ご感想ありがとうございます。

一つ一つお答えしますね。


>まず読者は作者様の「母親」でも「メンタル心理カウンセラー」でもありません。

仰る通りです。


>感想欄が開放されているなら、感想を書くのは批判も含めて「読者の権利」です。

“感想を書くのは批判も含めて「読者の権利」です。”も仰る通りです。
しかし、「感想欄」は「作者様の作品に付随しているもの」ではないですか?
「批判」をSNS等で言うのは自由です。誰にも侵害できません。
ただ、作品の「感想欄」はその作品の「作者様」のものです。「管理できる(任意の感想を削除できる)」のはそのためです。
「感想欄が開放されている」から作者様が嫌がることを書いてもいい、とはならないのではありませんか?



>その権利を作者様が奪うことを「傲慢」だと考えています。

「読者の権利」を執行したいのなら、「作品の感想欄」を含めた「作者様の領域」以外で好きに書いたらいいと思います。
しかし、「作者様の領域」である「作品の感想欄」に「作者様が嫌がること」をする意図はなんでしょうか?

「感想欄が開放されている」から作者様が嫌がることを書いてもいい、と考える方が「傲慢」ではないですか?



>続きが読みたければ賞賛し、ポイントを入れろといった「短編詐欺」だと思っています。

所謂「ポイントくれくれ」だと思いますが、私は気になったことはありません。
「感想、評価お願いします」という書き込みはある意味、「セルフプロデュース」だと考えています。
作者様の当然の権利です。これを侵害する方が「傲慢」ではないですか?
ただ、「続きが読みたければ賞賛し、ポイントを入れろ」とそのまま書かれているのであれば、確かに「もう少し考えて書いて」とは私も思います。しかし、多くは「感想、評価お願いします」といった文面が多いのではないでしょうか。これでしたら十分許容範囲ではないかというのが私の見解です。
過剰な「評価ほしい」は、その作品を読むのをやめるかスルーするしかないと私は考えています。


「短編詐欺」に関してですが、私も思うところはあるのですが、ここで書くのは控えます。
このエッセイ擬きの感想から逸脱しているようにも思いますので、あしからずご了承ください。
  • 白烏
  • 2021年 11月21日 18時15分
[一言]
返信ありがとうございます。

>エッセイ主は「作品を貶されたくない」と仰っています。
私はこれに「批判」が入っていると考えています。

私はそう思いません。「作品を貶す」ことと、「作品を批判する」ことは別だと思います。もちろん、これを混同している方もいると思いますが、少なくとも私は、件のエッセイ主がそうとは思えませんでした。

>「赤の他人」への返信に顔文字をいれるのは「適切な距離感を保ってできるだけ丁寧に」対応していると言えるのでしょうか?

そうですね。そこは確かに気になる人もいると思います。ただ、件のエッセイ主はどうも、前提として「感想を書く人は作者と仲良くなりたいと思っている」という考えがあるように思われます。だから、「仲良くする気がないのに感想を書く=作者と距離を詰めようとするなら、ブロックで距離をとる」という思考になるのかなと。

ですので、「これから仲良くなりたいと思っている赤の他人」なら、顔文字等を使ったフレンドリーな返しをしても、問題にはなりにくいと思います。勿論、「いや作者と仲良くなりたいなんて思ってないけど感想は書く」って人もいますけど、そこは「なろうの感想欄に対する認識の違い」という話であって、また別の問題かと。

>なぜ、エッセイ主は「赤の他人」に「称賛」や「応援」を求めるのですか?

前述した通り、私は件のエッセイ主が、「称賛」や「応援」だけ求めて、「批判」は受け入れないという姿勢だとは思っていません。「作者をコントロールしない丁寧な感想なら、反対意見でもOK」だと思っています。もし白鳥様が、「いや自分は丁寧な口調で真っ当な批判をしたけどブロックされたわ」とおっしゃるなら、自分の見る目がなかったことを反省するだけです。

長文失礼いたしました。
  • 投稿者: 火魔人
  • 2021年 11月21日 14時56分
申し訳ありません。
手違いで感想が被ってしまいました。

再度、返信しなおしております。
ご確認ください。
  • 白烏
  • 2021年 11月21日 19時58分
ご回答ありがとうございます。

>「作品を貶す」ことと、「作品を批判する」ことは別だと思います。

こう仰る根拠は何でしょうか?
「作品を貶す」ことの中に「作品を批判する」ことは言葉の意味から考えれば順当だと思います。
ご提示いただけるでしょうか?


>「これから仲良くなりたいと思っている赤の他人」なら、顔文字等を使ったフレンドリーな返しをしても、問題にはなりにくいと思います。

「適切な距離感を保ってできるだけ丁寧に」と読者に要求しているのに、なぜ、エッセイ主は読者に対して「フレンドリー」が許されるのですか?

「赤の他人」と読者を突き放したのは他の誰でもないエッセイ主です。この「赤の他人」というフレーズがなければ、私は今回のエッセイ擬きを書いていません。
読者には要求したのに、自分はその読者に「適切な距離感を保ってできるだけ丁寧に」しない理由は何ですか?
「赤の他人」なのだから、「フレンドリー」にするのはおかしいのではないですか?
仮に、エッセイ主が「これから仲良くなりたいと思っている」と考えているなら、尚更、「適切な距離感を保ってできるだけ丁寧に」すべきではないですか?
矛盾していますよね?

エッセイ主が読者に対して「フレンドリー」に接していい根拠は何でしょうか?


>「作者をコントロールしない丁寧な感想なら、反対意見でもOK」だと思っています。

では、ご教授ください。火魔人さまのお考えで構いません。

「ブロックの判断スピード。これに関しては他の追随を許さないと自負しています。」
「一瞬でも気に障ったら、ブロックを検討」
「多くの場合はそのままブロックリスト行き」

と言っている書き手に送る

「作者をコントロールしない丁寧な反対意見」

とはどういったものでしょうか?
私には書けません。
他の方は書けるものなのでしょうか?

聞いておいてなんですが、そんな「感想」はふつうは書けません。可能か不可能かでいえば可能なのでしょうが、あまりにも高度すぎませんか?
なぜ、「赤の他人」にそんな高度な要求をするのでしょうか?
簡単なことです。
エッセイ主は「相手をコントロールしない丁寧な」反対意見が書かれるとは考えていません。
エッセイ主も重々承知の上で「相手をコントロールしない丁寧な感想」と言っているのです。

「反対意見」言い換えれば「批判」が書かれると念頭に置いていないなら、エッセイ主は感想欄に何を書かれると期待しているのでしょうか?

>私は件のエッセイ主が、「称賛」や「応援」だけ求めて、「批判」は受け入れないという姿勢だとは思っていません。

火魔人さまはこう仰っています。
エッセイ主が「批判は受け入れないという姿勢」だと私は証明しました。
しかし、そうでないというのでしたら、その根拠をご提示ください。

以上三点の根拠をご提示ください。
私は私の発言に対しての根拠を提示しました。
ご回答をお待ちしております。


蛇足ですが、
私は件のエッセイ主に感想等のコメントは送っていません。
今後も送ることはありえません。
「合っていない」と思ったからです。
エッセイ主も「合っていない」人からは拒否しています。
あえてエッセイ主の領域で嫌がることをする気は私にはありません。
  • 白烏
  • 2021年 11月21日 19時18分
[気になる点]
>「批判」されたら当然

ここが気になります。私も(おそらくは)件のエッセイを読んでますが、そういう表現も、そういう風にとれる発言も見当たらなかったので。

まあ、強いて言えば、「一瞬でも気に障ったら」という点から、

批判が気に障らない人はいない

気に障る=批判の事

という解釈ができるのかもしれません。ですが、件の作者は、後書きや感想返信で、「作者をコントロールするような発言」といったことを、何度も言っています。ですので、私はこの作者が気に障ることとは、これじゃないのかなと思います。

いや、もしかしたら、「批判=作者をコントロールすること」と思われているのでしょうか?それでしたら、少なくとも私は違うと思いますし、件の作者もそう思っているかと思います。「反対意見はこらえるか、作者をコントロールしないような丁寧な感想を」と言われてますので。(つまり、作者をコントロールしない丁寧な感想なら、反対意見でもOKととれます)

長文失礼いたしました。
  • 投稿者: 火魔人
  • 2021年 11月21日 10時53分
ご回答ありがとうございます。

>「批判」は「論ずる」ことが目的であり、そこには明確な差異があるかと思われます。

「論ずる」
1.物事の理を示すように筋を立てて述べる。
2.言い争う。議論する。

どちらにしろ「相手」が必要なわけです。
その相手であるエッセイ主は「もし反対意見がある場合は練習だと思ってぐっとこらえるか」と言っています。
聞く耳を持っていませんよね。
エッセイ主は「批判」を「非難」としているから聞く耳を持っていないのではないのですか?


>つまるところ、「仲良くなりたい赤の他人の距離感」「仲良くなりたくない赤の他人の距離感」があって、「仲良くなりたい」なら「読者からフレンドリーな距離で接してもいい」のではないでしょうか?

「仲良くなりたい赤の他人の距離感」「仲良くなりたくない赤の他人の距離感」の境界線はどこですか?
初対面時に「適切な距離感を保ってできるだけ丁寧に」することじゃないんですか?
初対面で「読者からフレンドリーな距離で接してもいい」と書かれていますか?


>そうですね。それは不可能に近いと思います。ただ、それに近づけることは可能でしょうし、それを目指すのは当然のことで、特に高度なことでもないでしょう。

「目指すのは当然」なのですか?
なぜですか?
一読者に必要なスキルなのですか?
他の書き手の方も同様のことを求めているのですか?
私は聞いたことがありません。

「それは不可能に近いと思います」と仰っているのに、「高度なことでもない」のですか?
理解できません。


>しかし、ちゃんと丁寧に書いたことが伝われば、ブロックされないのではないでしょうか?
>「全ての一瞬でも気に障った人」を、ブロックしているとはどこにも書いてないので。

「ブロックの判断スピード。これに関しては他の追随を許さないと自負しています。」
「一瞬でも気に障ったら、ブロックを検討」
「多くの場合はそのままブロックリスト行き」
とエッセイ主は書かれていますが、どこからそう判断されたのでしょうか。

>実際、否定的な感想返信を返された人でも、ブロックされずその後書き込めている人がいます

その感想を書いた人がエッセイ主と「初対面」だと、どこで判断されたのですか?


>「作品を貶したい」と思う人が、「貶したい作品の作者」から「ブロックされること」を恐れることは考えにくく、その対策としては効果がないと考えられるからです。

少なくとも事前に告知することで「ブロック」に対しての非難はされにくくなるという効果はあります。
ただ普通に「批判は読みたくないから」と書けば、それで済んだ話だと思いますが。


私のエッセイ擬きは勿論「主観的主張」です。エッセイ主の言葉を読み解いた部分が多いのは否めません。
ただ、私の「主観的主張」を否定なされたいなら、火魔人さまの「主観的考察」ではなく、「客観的事実」となる根拠をいただけないでしょうか。
「水掛け論」になるだけです。
今のところ、「客観的根拠」は提示していただいているとは思えません。
これ以上の「水掛け論」は正直しても仕方がないと思うのですか、どうでしょうか?
もしよろしければ、私の「主観的主張」を覆す「客観的根拠」をご提示していただけないでしょうか。
  • 白烏
  • 2021年 11月21日 21時26分
[気になる点]
押して量るべし?
推して知るべし?
[一言]
該当エッセイについて拝読しました。本文及び後書き共に納得いく内容でした。
読者によって好き嫌いが分かれる気はしますが、私は作者が読者を「赤の他人」と卑下していたとは思えませんでした。
  • 投稿者: 退会済み
  • 2021年 11月20日 21時04分
管理
ご感想ありがとうございます。

「推して知るべし」が正解です。
無知をさらしてしまいました。お恥ずかしい限りです。修正させていただきます。

件のエッセイの感想に関しては、件のエッセイ主にお伝えした方がいいのではと思います。
私としては「赤の他人に甘えるな」という感想をエッセイに認めたにすぎません。

「卑下」に関してですが、件のエッセイ内における発言もそうですが、件のエッセイ主の「感想の返信」を見ての私の所感です。
「赤の他人だから、接し方に気をつけろ」と言いながら、自身は読者に気を使っていない。少なくとも「対等」だとは考えていないという証左になりえるのではないでしょうか。
「深読みしすぎ」と言われれば、その通りかもしれませんが、そう読み解いてしまったのですから、そこはお許しください。
  • 白烏
  • 2021年 11月20日 21時12分
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